ハンガー・ストライキ
ハンガー・ストライキ(英語: Hunger strike)とは、マハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つである。何らかの主張を世間に広く訴えるために、断食を行うストライキの一種。「飢餓(ハンガー)によるストライキ」という意味である。略して「ハンスト」ともいう。
概要
公共の場(受刑者の場合は刑務所内)に座り込み、断食することで、相手が要求を受け入れなければ餓死に至るという状況に追い込むことで注目を集め、自分の主義・主張を通そうとしたり、それを世に広めたりするのが目的である。完全に飲食を絶つのではなく水だけ、あるいは塩と水だけを摂ったりする場合もある。また流動食だけという限定的な断食(減食)もある。
ハンガーストライキの例
ハンガー・ストライキは、命を賭けた抗議の示威行為である。投獄された同胞の待遇改善を求め、ハンガー・ストライキを始め、マスメディアに時々刻々と様態を報道された北アイルランド独立運動の闘士は、死に至るまでストライキを止めなかった[1]。その後、同国では各地で暴動が起こった。このように死を賭したハンガー・ストライキは強い社会的影響力を及ぼすことがある。
日本でも、入国管理センターの入国者収容所で、収容の長期化や虐待への抗議のため、被収容者たちによるハンガー・ストライキが繰り返し行われている[2][3][4][5]。
また日本人も、各種の団体や個人が行っている。特に世間の注目を集めた例としては、1992年9月、検察庁が金丸信と東京佐川急便との癒着疑惑(東京佐川急便事件)を政治資金規正法違反のみの略式起訴による罰金で幕引きを図ったことに、青島幸男が抗議して実施したものが挙げられる。青島のハンガー・ストライキは、30時間以上が経過したところで脱水症状に陥ったために緊急入院せざるを得なくなり、中断を余儀なくされた。しかし、青島が呼びかけた「検察庁に抗議のハガキを送ろう」という運動には、多くの賛同者が現れた。後に検察庁は金丸に対して強制捜査に踏み切り、金丸は脱税で逮捕・起訴された。
韓国においても、一人デモと並んで、よく行われる抗議手段として知られている[6]。
ハンガーストライキの嚆矢
「晋書」には、司馬懿の妻、張春華が病に倒れた夫を見舞いに来るも門前払いされた事に怒って息子の司馬師や司馬昭と共に断食を行って抗議したと記されており、おそらく記録に残る世界最古のハンガーストライキと思われる[誰によって?]。なお、この事態に驚いた司馬懿は、妻に平謝りしたとも記されている。
ロシア帝国の刑務所では、ゴロドーフカ(Голодовка)というハンガーストライキがよく行われており、それはソ連時代も続いていた[7]。
脚注
- ^ 1981 Irish hunger strike(英語)
- ^ “入管収容者が集団ハンスト 東日本センター 長期の拘束抗議”. 東京新聞. (2018年4月17日)
- ^ “入管施設で外国人30人抗議のハンスト 開始から1週間”. 朝日新聞. (2018年11月26日)
- ^ “集団暴力、無期限拘束……。あまりに酷い、入管収容所における外国人虐待の実態”. ハーバー・ビジネス・オンライン. (2018年6月19日)
- ^ “牛久の入管施設で27人がハンスト、大村ではナイジェリア人が死亡”. ロイター. (2019年6月27日)
- ^ “GSOMIA破棄、ハンスト抗議 韓国保守系党首「死を覚悟」”. 日本経済新聞. (2019年11月20日)
- ^ 赤露二年の獄中生活 P.195 久保田栄吉 1926年