野中郁次郎
| 野中 郁次郎 | |
|---|---|
|
日本学士院より公表された肖像 | |
| 生誕 |
1935年5月10日 |
| 死没 |
2025年1月25日(89歳没) |
| 国籍 |
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| 研究分野 | 経営学 |
| 研究機関 |
南山大学 防衛大学校 一橋大学 北陸先端科学技術大学院大学 |
| 出身校 |
早稲田大学(学士) カリフォルニア大学バークレー校(修士〈MBA〉) カリフォルニア大学バークレー校(博士〈Ph.D〉) |
| 博士課程 指導教員 | フランセスコ・M・ニコシア |
| 他の指導教員 |
ニール・J. スメルサー アーサー・スティンチコーム |
| 主な指導学生 |
宮原博昭[1] 沼上幹[2] 網倉久永 大薗恵美[3] 妹尾大[4] 野田稔[5] 川村尚也[6] 高橋克徳[7] |
| 主な業績 |
知識経営 スクラムの原案 |
| 影響を 与えた人物 |
竹内弘高 米倉誠一郎[8] |
| 主な受賞歴 |
紫綬褒章 正四位 日経・経済図書文化賞(1974年) 組織学会高宮賞(1984年) 経営科学文献賞(1991年) 紫綬褒章(2002年) カリフォルニア大学バークレー校生涯功績賞(2017年) ピーター・ドラッカー・ソサエティ・ヨーロッパ名誉フェロー(2023年) |
| プロジェクト:人物伝 | |
野中 郁次郎(のなか いくじろう、1935年5月10日 - 2025年1月25日)は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授、日本学士院会員。元組織学会会長。知識経営の生みの親として知られる。
人物・経歴
[編集]東京都墨田区出身。父は職人。太平洋戦争中、疎開先の静岡県富士郡吉原町(現:富士市吉原)でグラマンF6Fヘルキャットによる機銃掃射を受け九死に一生を得る。笑いながら機銃掃射を行う米兵の姿を見て復讐を誓った。兄と同じ東京都立第三商業高等学校に進学するが簿記や珠算に興味がわかず、卒業要件の簿記3級と珠算3級を得ることができず、卒業が危ぶまれる状況になったため、教員の計らいで商業コースから進学コースに移り、複数の私立大学仏文科、独文科、政治学科などを受験。その中で唯一受かった早稲田大学政治経済学部政治学科に進学した。大学に合格した時は、教員から「お前でも受かるのか。」と驚かれたという。父からは政治家になることを期待されたが、政治学にはほとんど興味が沸かず、大学の授業にはあまり出ず、政治サークルやESSでの活動に熱中した[9]。
大学卒業後は、兄の友人が務めていた富士電機製造株式会社に入社。就職活動では朝日新聞社も受けていたが、補欠合格だったため、兄の友人の紹介で富士電機製造を受けたところ、たまたま論文試験で大学時代に唯一関心を持って学んだ事項が出たため合格したという。入社後は3年間の工場勤労担当を経て、幹部研修の企画、労働組合執行役員、幹部教育、マーケティング、財務、経営企画などを担当。また職場の同僚と結婚した。会社で様々な業務を担当する中、経営学の手法が全てアメリカから来ていることに気づき、アメリカ留学を決意。いくつか願書を出し、1967年に最初に入学許可が出たカリフォルニア大学バークレー校経営大学院に進学。この際留学資金は知人が株投資に失敗して失ってしまったため、会社は退職ではなく休職扱いとしてもらえ、また人事部長からの50万円の借り入れや、友人からのカンパで資金を捻出したという[10]。アメリカでは妻が働き生活を支え、経営学修士(MBA)取得を経て, 1972年9月カリフォルニア大学バークレー校経営大学院博士課程を修了し、博士号を取得した。指導教員はフランセスコ・M・ニコシア。専攻はマーケティング及び社会学で、社会学の指導教員はニール・J. スメルサーとアーサー・スティンチコームだった。博士論文は日本で『組織と市場』として出版され日経・経済図書文化賞を受賞。のちにコンティンジェンシー理論に発展した[11]。
大学院在学中から村松恒一郎南山大学経営学部長・一橋大学名誉教授の計らいで南山大学経営学部研究生や助手を務め、博士号取得後は南山大学で助教授、教授を務めた。1979年、富士電機製造時代に留学費用を貸付してくれた元人事部長から日本軍の研究を勧められて、京都大学時代の指導教官であった猪木正道防衛大学校学校長の自宅に訪れたところ、気に入られ、防衛大学校教授に就任する。当時は自衛隊に対するイメージが悪く、右翼と思われ次の就職がなくなるからやめておいた方がいいという周囲の反対を押し切っての就任だった。この日本軍研究の成果はのちに『失敗の本質』として出版され、大きな反響を呼んだ。
1982年、一橋大学で活動する今井賢一教授の紹介で、一橋大学商学部附属産業経営研究施設(現:同大学イノベーション研究センター)教授に就任。一橋大学産業経営研究施設に同じ年に採用されたマルクス経済学系の日本史学者米倉誠一郎助手と親しくなり、米倉助手をハーバード大学に留学させ経営史学者に転向させた[12][13]。また沼上幹(後に一橋大副学長)、網倉久永(後に上智大学教授)などを指導。1983年竹内弘高ハーバード大学助教授を、一橋大学助教授として招き、ハーバード・ビジネス・スクール創立50周年カンファレンスのため今井教授、竹内助教授とともに日本企業の新製品開発プロセスの調査研究を開始。1986年に竹内弘高とで「新製品開発のプロセス」について日本とNASAといったアメリカとの比較を行った研究論文「The New New Product Development Game」が『ハーバード・ビジネス・レビュー』に掲載され「ナレッジマネジメント」の概念が広く知られるようになった[14][15]。「The New New Product Development Game」で日本の組織における手法として紹介された「Scrum(スクラム)」は1990年代になってアジャイルソフトウェア開発のスクラム(ソフトウェア開発)として発表され、広く普及することになった[15]。
1997年から5年間、小林陽太郎富士ゼロックス元社長がカリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールに知識学寄附講座を開設した際、特別名誉教授に就任した。2002年に紫綬褒章受章。2004年、「講書始の儀」進講者。エーザイ取締役・指名委員会委員長、富士通取締役、元雪印乳業監査役(2002年まで)等を歴任。2006年、事業創造大学院大学非常勤教員就任。2010年、富士通総研理事長就任。同年瑞宝中綬章を受章した[16]。2017年、カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールから同大学最高賞の生涯功績賞を史上5人目として授与された。
2025年1月25日、肺炎のため、東京都内の自宅で死去した[17]。89歳没。死没日付をもって正四位に叙された[18]。
略歴
[編集]- 1958年3月 早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業
- 1958年4月 富士電機製造株式会社入社
- 1967年3月 カリフォルニア大学バークレー校経営大学院修士課程修了、経営学修士
- 1972年9月 カリフォルニア大学バークレー校経営大学院マーケティング及び社会学専攻博士課程修了、Ph.D.(経営学博士)
- 1971年4月 南山大学経営学部講師
- 1974年4月 南山大学経営学部助教授
- 1978年4月 南山大学経営学部教授
- 1979年1月 同大学退職、防衛大学校社会科学教室教授
- 1982年4月 同大学校退職、一橋大学商学部附属産業経営研究施設(現:同大学イノベーション研究センター)教授
- 1987年10月 一橋大学商学部附属産業経営研究施設長
- 1991年4月 科学技術庁科学技術政策研究所第一研究グループ総括主任研究官
- 1995年2月 北陸先端科学技術大学院大学教授
- 1996年10月 組織学会会長
- 1997年4月 北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科初代研究科長
- 1997年5月 カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールゼロックス知識学特別名誉教授
- 1998年3月 ルーヴァン・カトリック大学政治経済社会学名誉博士
- 1998年6月 ザンクトガレン大学経済科学名誉博士
- 2000年3月 北陸先端科学技術大学院大学退職
- 2000年4月 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授
- 2004年6月 富士通株式会社取締役
- 2005年6月 エーザイ株式会社取締役
- 2006年4月 一橋大学大学院国際企業戦略研究科特任教授
- 2006年 事業創造大学院大学非常勤教員就任
- 2007年 クレアモント大学大学院ドラッカー・スクール名誉スカラー
- 2007年6月 三井物産株式会社取締役
- 2007年7月1日 非営利教育法人日米経営科学研究所(JAIMS)第6代所長(富士通)
- 2008年4月 公益財団法人日本生産性本部 経営アカデミー 名誉学長
- 2008年5月22日 株式会社セブン&アイ・ホールディングス取締役
- 2010年4月 富士通総研理事長
- 2011年9月 福島原発事故独立検証委員会有識者委員
- 2012年4月 早稲田大学特命教授
- 2013年4月 立命館アジア太平洋大学国際経営学部 客員教授[19]、早稲田大学名誉博士[20]
- 2015年3月 中央大学ビジネススクールフェロー
- 2015年12月 日本学士院会員選定[21]
- 2017年11月 カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールから同大学最高賞の生涯功績賞(Lifetime Achievement Award[22])を史上5人目、学者としては初めて授与された[23]。
- 2020年7月 独立行政法人 中小企業基盤整備機構 中小企業大学校総長
- 2023年10月 ピーター・ドラッカー・ソサエティ・ヨーロッパ名誉フェロー[24]
学説
[編集]野中は、知識経営の生みの親として知られている。英語で出版された『知識創造企業』は多くの賞を受賞し、今日までに28,000件の引用がなされている[25]。『ハーバード・ビジネス・レビュー』にもその論文は掲載された。これ以外にも、多くの著作が英語で出版されており、アメリカで知られる数少ない日本人経営学者であるほか、近年中国などでも知られる存在となっている。
野中は当時躍進目覚しい日本企業に注目し、その知識のマネジメントに注目した。彼によれば西洋は形式知、東洋は暗黙知重視の文化を持っており、日本企業が優れているのは組織の成員がもっている暗黙知と形式知をうまくダイナミックに連動させて経営するところにあるとする。合宿や飲み会などの「場」を通じての暗黙知の共有、暗黙知の形式知化を促すコンセプト設定などが例として挙げられる。この暗黙知と形式知のダイナミックな連動を理論化したものにSECIモデルがある。
企業以外の分野についても研究をおこなっている[26]。
著作
[編集]- 『組織と市場』千倉書房、1974年(改訂新版2014年)
- 『知識創造の経営 日本企業のエピステモロジー』日本経済新聞社、1990年
- 『アメリカ海兵隊―非営利型組織の自己革新』中公新書、1995年
- 『ナレッジ・イネーブリング』東洋経済新報社、2001年
- 『知識創造の方法論』東洋経済新報社、2003年
- 『知的機動力の本質 アメリカ海兵隊の組織論的研究』中央公論新社、2017年(中公文庫、2023年)
- 『本田宗一郎 夢を追い続けた知的バーバリアン』PHP研究所、2017年
- 『野中郁次郎ナレッジ・フォーラム講義録』東洋経済新報社、2018年
主な共著
[編集]- 太平洋戦争における日本軍の失敗を、さまざまな分野の専門家が分析した。
- 日本企業の分析を通じ、「ナレッジ・マネジメント」を経営学の世界で広めた。知識に関するさまざまな哲学的考察から書き起こし、企業の商品開発などにおける知識の活用を分析。SECIモデルなど多くの画期的な学説を提唱した。
- 『知識経営のすすめ ナレッジマネジメントとその時代』紺野登、ちくま新書、1999年
- 『戦略の本質』戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀
- 日本経済新聞社、2005年(日経ビジネス文庫、2008年〈新版、2024年『失敗の本質』の発展編〉)
- 『イノベーションの本質』勝見明、日経BP社、2004年
- 『イノベーションの実践理論』大薗恵美・児玉充・谷地弘安、白桃書房、2006年
- 『イノベーションの作法』勝見明、日本経済新聞出版社、2007年
- J.D.ニコラス空軍大佐、G.B.ピケット陸軍大佐、W.O.スピアーズ海軍大佐著、野中郁次郎監訳、谷光太郎訳『統合軍参謀マニュアル 新装版』白桃書房、2009年。ISBN 9784561245186。
- 『組織は人なり』平田透・磯村和人・咲川孝・成田康修・吉田久・坂井秀夫、ナカニシヤ出版、2009年
- 『流れを経営する』平田透・遠山亮子、東洋経済新報社、2010年
- 『イノベーションの知恵』勝見明、日経BP社、2010年
- 『日本企業にいま大切なこと』遠藤功、PHP新書、2011年
- 『経営は哲学なり』ナカニシヤ出版、2012年、英題:The Philosophy-Creating Company(弦間一雄・平田透・磯村和人・成田康修)
- 『失敗の本質 戦場のリーダーシップ編』杉之尾宜生・戸部良一・山内昌之・菊澤研宗・河野仁、土居征夫、ダイヤモンド社、2012年、ISBN 4478021554
- 『ビジネスモデル・イノベーション』徳岡晃一郎、東洋経済新報社、2012年
- 『戦略論の名著 孫子、マキアヴェリから現代まで』編著、中公新書、2013年
- 『実践ソーシャルイノベーション――知を価値に変えたコミュニティ・企業・NPO』平田透・廣瀬文乃・千倉書房、2014年
- 『国家経営の本質―大転換期の知略とリーダーシップ―』戸部良一・寺本義也、日本経済新聞出版社、2014年、ISBN 4532169232、日経ビジネス人文庫、2020年
- 『全員経営 自律分散イノベーション企業成功の本質』勝見明、日本経済新聞出版社、2015年、日経ビジネス人文庫、2017年
- 『構想力の方法論 ビッグピクチャーを描け』紺野登、日経BP社、2018年
- 『知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利』戸部良一・河野仁・麻田雅文、日本経済新聞出版社、2019年
- 『共感経営「物語り戦略」で輝く現場』勝見明、日本経済新聞出版、2020年
- 『ワイズカンパニー:知識創造から知識実践への新しいモデル』訳:竹内弘高・黒輪篤嗣・東洋経済新報社、2020年
- 『知徳国家のリーダーシップ』北岡伸一、日本経済新聞出版、2021年
- 『共感が未来をつくる ソーシャルイノベーションの実践知』編著、千倉書房、2021年
- 『『失敗の本質』を語る なぜ戦史に学ぶのか』聞き手:前田裕之、日経プレミアシリーズ新書、2022年
脚注
[編集]- ^ 19年連続減収から7期連続増収へ!学研V字回復を支えた人材育成法
- ^ 「1988年度博士課程単位修得論文・修士論文題目」一橋研究
- ^ 「第8回 大薗恵美先生」
- ^ オフィスは時代とともに変化する。だからこそ今までと違ったスパイスを加えることが重要、サンコー、最終閲覧日: 2025年9月24日。
- ^ 「昭和61年度 博士課程単位修得論文・修士論文一覧」
- ^ 「1988年度博士課程単位修得論文・修士論文題目」一橋研究
- ^ [1]
- ^ 「シリコンバレー ― ハイテク聖地の歴史」如水会
- ^ 「「野中先生、なぜ経営学の道に進まれたのですか?」――賢人の原点を探る 野中郁次郎 一橋大学名誉教授×青野慶久(1)」
- ^ 「一橋大学名誉教授・野中郁次郎先生前編」公文式
- ^ 「一橋大学名誉教授・野中郁次郎先生後編」公文式
- ^ 「チャンドラー博士を偲んで (学際人の肖像 アルフレッド・D・チャンドラー)」学際(22): 142-152
- ^ 「シリコンバレー ― ハイテク聖地の歴史」社団法人如水会
- ^ [2]
- ^ a b 伊藤真美 (2013年2月1日). “「実践知リーダーシップとアジャイル/スクラム」-野中郁次郎氏が国内最大のスクラムイベントで講演”. EnterpriseZine(翔泳社). 2017年8月24日閲覧。
- ^ [3]
- ^ “野中郁次郎氏が死去 知識経営の権威、「失敗の本質」”. 日本経済新聞 (2025年1月26日). 2025年1月26日閲覧。
- ^ 『官報』第1416号8頁 令和7年3月4日
- ^ 「客員教員一覧」立命館アジア太平洋大学
- ^ 「顕彰状 野中郁次郎氏」早稲田大学
- ^ 日本学士院ホームページ 日本学士院会員の選定について※2015年12月15日閲覧。
- ^ “Acclaimed Alumni” (英語). Berkeley Haas. 2020年8月21日閲覧。
- ^ 「【プレスリリース】野中郁次郎名誉教授が「Lifetime Achievement Award(生涯功労賞)」(カリフォルニア大学バークレー校ハースビジネスクール)を受賞しました」一橋大学
- ^ 野中郁次郎一橋大名誉教授が名誉フェローに 「近代経営の創始者」ピーター・ドラッカー・ソサエティが授与
- ^ Google Scholar, 2013年現在 [出典無効]
- ^ 日本軍の組織的失敗を取り上げた『失敗の本質』や米海兵隊の歴史を取り上げた『アメリカ海兵隊-非営利組織の自己革新』など
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