小林陽太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

小林 陽太郎(こばやし ようたろう、1933年昭和8年)4月25日 - 2015年平成27年)9月5日)は、日本実業家経済同友会終身幹事(元代表幹事)。富士ゼロックス元取締役会長。日本電信電話取締役。国際大学理事長。慶應義塾評議員・理事。キリスト教カトリック教会の信徒である[1]

略歴[編集]

ロンドン[2]のちに富士写真フイルム第3代社長兼富士ゼロックス初代社長となった小林節太郎の子として生まれる[3]

慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾高等学校から1956年昭和31年)慶應義塾大学経済学部卒業、1958年昭和33年)ペンシルベニア大学ウォートン・スクール修了(MBA)[要出典]

1958年昭和33年)に富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)に入社、1963年昭和38年)に富士ゼロックスに転じ、1968年昭和43年)に取締役[要出典]

副社長を経て、1978年昭和53年)に吉村寿雄の後任として社長就任。1992年平成4年)に会長に就任。2006年平成18年)から2009年平成21年)まで相談役最高顧問。2000年平成12年)、西安交通大学より名誉博士号を授与された[要出典]

2015年(平成27年)9月5日死去[4]。82歳没。

家族・親族[編集]

父は兵庫県出身の実業家で、富士写真フイルム第3代社長の小林節太郎[3]。妻は商法学者で元法務大臣松本烝治の孫娘[3]。妹は元帝国ホテル社長・犬丸一郎に嫁いだ[3]

エピソード[編集]

学生時代、東宝の映画俳優になるように有馬稲子に勧められたが、父が断った[5]

脚注[編集]

  1. ^ 上智大学 小林陽太郎氏に名誉博士号 次代担う"人間力を" 2009年7月11日(キリスト新聞)
  2. ^ 私の履歴書 復刻版 大賀典雄日経新聞、2015/7/23
  3. ^ a b c d 佐藤朝泰 著 『豪閥 地方豪族のネットワーク立風書房2001年7月5日、472頁 - 483頁、ISBN 4-651-70079-9
  4. ^ 経済同友会元代表幹事 小林陽太郎氏が死去 NHKニュース 2015年9月7日閲覧
  5. ^ 『のど元過ぎれば有馬稲子』日本経済新聞出版社

参考文献[編集]

伝記・研究[編集]

先代:
吉村寿雄
富士ゼロックス社長
第3代:1978年 - 1992年
次代:
宮原明
先代:
吉村寿雄
富士ゼロックス会長
第3代:1992年 - 2006年
次代:
山本忠人