若竹竜士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若竹 竜士
阪神時代(2009年3月28日、阪神鳴尾浜球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府豊中市
生年月日 (1987-10-10) 1987年10月10日(36歳)
身長
体重
180 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト3巡目
初出場 2007年7月5日
最終出場 2012年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

若竹 竜士(わかたけ りゅうじ、1987年10月10日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

豊中市立新田小学校1年時に4歳上の兄(後述)の影響で軟式野球を始め、小学校6年間投手だった[1][2]豊中市立第四中学校入学後に硬式野球を始め、ボーイズリーグの「大淀ボーイズ」では内野手も務めたが中学3年時から再び投手に専念した。同学年で「箕面スカイラーク」に所属していた岡田貴弘とは小学生時代から何度も対戦していた[3]

育英高等学校に進学後は1年秋からベンチ入りし[2]トルネード投法気味のフォームから投げる速球を武器に本格派右腕として注目された。2年秋にエースとして秋季兵庫県大会、近畿大会で共に準優勝し、翌春の第77回選抜高等学校野球大会に出場。初戦で木下達生を擁する東邦高等学校と対戦し、延長10回を完投したが0-1のサヨナラ負けを喫した。夏は兵庫大会5回戦で前年の秋季大会で敗れた大西正樹を擁する神戸国際大附属高校と再戦するも敗退。入学時に最速136 km/h[1]だった球速は最速148km/hを記録した[2]

2005年の高校生ドラフト阪神タイガースから3巡目指名を受け入団。入団当初は藤川球児の名を挙げてリリーフを志望していた[2]

プロ入り後[編集]

2006年ウエスタン・リーグで11試合に登板。秋には久保康生投手コーチから変化の小さいスライダーを学んだ[3]

2007年は二軍の先発ローテーションに定着し、二軍では14試合に登板して防御率2.65を記録した。7月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で一軍初登板・初先発。5イニングを投げ、2回に福川将和に打たれた3ラン本塁打を含む被安打2、死球1、失点3で敗戦投手となったが、失点した2回以外は1人も走者を出さなかった。

2008年は二軍で先発投手を務め、7月6日中日ドラゴンズ戦で二軍ながらノーヒットノーランを達成。しかし、好不調の波が激しく二軍での成績は前年より落ちて一軍昇格もなかった。

2009年も一軍昇格はなく、二軍では18試合に登板した。

2010年は春季キャンプで一軍に帯同したが、3月14日のオープン戦一塁手葛城育郎と接触した際に左膝靭帯を損傷した[4]。5月下旬に実戦登板に復帰、3年ぶりに一軍昇格し4試合に登板した。

2012年4月28日今成亮太とのトレード北海道日本ハムファイターズへ移籍[5][6]5月1日公示)。同年はイースタン・リーグで20試合に登板して防御率1.46を記録したが、一軍では2試合の登板にとどまった。

2013年は二軍で20試合に登板して防御率4.35と前年より成績を落とし、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[7]

三菱重工神戸・高砂時代[編集]

2014年2月1日より、三菱重工メカトロシステムズに嘱託職員として入社[8]。同社の社会人野球チーム・三菱重工神戸硬式野球部に入部する[8][9]。同部がプロ野球経験者を選手として迎え入れた事例は、若竹が初めてであった[8]が、2018年第44回社会人野球日本選手権大会に三菱重工神戸・高砂の投手として登板したこと[10]を最後に現役を引退。三菱重工メカトロシステムズも退社した。

現役引退後[編集]

2019年1月1日付で、阪神に球団職員として復帰した。事業本部振興部で「タイガースアカデミー ベースボールスクール」の専属コーチを務めた[11]後に、2020年1月1日付で一軍のサブマネジャー(用具担当)へ異動[12]

選手としての特徴・人物[編集]

最速149km/h、平均140km/h前後の速球とスローカーブを軸にスライダー、フォークボールも投げる。スローカーブは時に80km/h台、2006年には82km/hを記録し[3]、一軍初登板時のテレビ中継で野球解説者がプロ入り時の二軍投手コーチである星野伸之を引き合いに出したほどの落差を持つ。

制球力が課題で、それを克服するためにプロ入り後は常にセットポジションから投げていたが、2008年にはノーワインドアップから投げる姿も確認された。

野球を始めたきっかけは兄・純一の影響である。兄は岡山学芸館高等学校主将を務め、第73回選抜高等学校野球大会遊撃手として出場している[1][13]

日本ハム移籍時の交換相手であった今成とは、阪神に球団職員へ復帰した2019年に、球団の事業本部振興部で同僚になっていた。今成が前年(2018年)限りで現役を退いたことを機に球団職員へ転身したことによるもので、振興部への配属後は、若竹と同じく「タイガースアカデミー ベースボールスクール」の専属コーチを務めていた。若竹が一軍のサブマネジャーへ異動した2020年も、今成は同部に籍を置いたまま「タイガースアカデミー」のコーチを続けている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2007 阪神 2 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 27 6.1 6 1 1 0 1 4 0 0 4 4 5.68 1.11
2010 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 33 6.0 8 0 5 0 0 4 0 0 7 5 7.50 2.17
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 19 4.0 6 0 2 0 0 2 0 0 4 4 9.00 2.00
2012 日本ハム 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 14 2.1 3 1 3 0 1 0 0 0 1 1 3.86 2.57
通算:4年 10 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 93 18.2 23 2 11 0 2 10 0 0 16 14 6.75 1.82
  • 2013年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 49 (2006年 - 2012年途中)
  • 43 (2012年途中 - 2013年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 育英若竹“7回0封”初戦を突破/高校野球 - ウェイバックマシン(2010年1月6日アーカイブ分)大阪日刊スポーツ
  2. ^ a b c d 若竹 竜士-阪神選手名鑑 - ウェイバックマシン(2010年12月13日アーカイブ分)大阪日刊スポーツ
  3. ^ a b c 野球小僧編集部ログ: 谷上史朗レポート ナニワのゴジラ奮闘記-第24回-[リンク切れ]
  4. ^ 悲運乗り越え再起「焦らず」 阪神・若竹竜士神戸新聞[リンク切れ]
  5. ^ トレードの成立について』(プレスリリース)阪神タイガース、2012年4月28日http://hanshintigers.jp/news/topics/info_2326.html2014年9月28日閲覧 
  6. ^ “元阪神・今成氏「悔しいこともあったけど…」現在の懐事情も告白”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2019年1月26日). https://www.daily.co.jp/tigers/2019/01/26/0012011575.shtml 2022年11月8日閲覧。 
  7. ^ 来季契約について』(プレスリリース)北海道日本ハムファイターズ、2013年10月1日http://www.fighters.co.jp/news/detail/3924.html2014年9月28日閲覧 
  8. ^ a b c d 2月1日、新たな一歩を踏み出した「もと小虎」―若竹竜士投手―”. 岡本育子の新・小虎日記 (2014年2月4日). 2014年9月28日閲覧。
  9. ^ 2014年シーズンより3名の新戦力が加入しました!』(プレスリリース)三菱重工神戸・高砂硬式野球部、2014年2月28日http://www.mhikobe-stand.com/topics/2014022801.html2014年9月28日閲覧 
  10. ^ 現役あり、コーチ転身あり、もと虎戦士たちの社会人野球日本選手権”. 岡本育子の新・小虎日記 (2014年2月4日). 2018年11月11日閲覧。
  11. ^ 阪神、機構改革および人事異動を発表 サンケイスポーツ 2018年12月21日
  12. ^ 【阪神】若竹氏が来季からサブマネジャー就任へ「全力でサポートさせて頂きたい」 スポーツ報知 2018年11月15日
  13. ^ 岡山学芸館ナイン紹介 - ウェイバックマシン(2007年7月1日アーカイブ分)中国新聞
  14. ^ 2007年7月5日 【公式戦】 試合結果 (阪神vs東京ヤクルト)”. 日本野球機構. 2014年9月28日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]