田村公平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田村 公平
たむら こうへい
Kohei Tamura 2000.jpg
生年月日 (1947-03-19) 1947年3月19日(75歳)
出生地 高知県土佐山田町
出身校 早稲田大学政治経済学部
前職 日本放送協会従業員
砂防広報センター理事
所属政党自由民主党→)
無所属(平心会)→)
自由連合→)
(自由の会→)
(自由民主党→)
無所属
称号 旭日中綬章
親族 父・田村良平(元衆議院議員
公式サイト 田村公平 TOPページ

選挙区 高知県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1995年7月23日 - 2007年7月28日
テンプレートを表示

田村 公平(たむら こうへい、1947年3月19日 - )は、日本政治家参議院議員(2期)、自由連合幹事長、建設政務次官(第2次森内閣)などを歴任。高知県土佐山田町(現・香美市)出身。父は元衆議院議員田村良平

略歴[編集]

政策[編集]

美しい国[編集]

参議院議員時代は自由民主党議員であったが、安倍晋三美しい国というスローガンに対してはかなり批判的であった。

2007年7月1日、田村の決起集会にて、安倍は集まった聴衆に対し「美しい国」の理念や自民党の政策を訴えた。しかし、7月16日、田村は「美しい国」について「意味がよく分からない」[7] と指摘した上で「高知は明日の飯をどうやって食うかという追いつめられた状況にある。絵に描いた『美しい国、日本』で応援に来られて適当なことばかり言われたら、馬鹿にされたような気がする」[7] と批判し、「そういう思いをだれかが言わないといけない」[7]としている。これを受け同月19日、安倍は高知県への遊説を見送ることを決定した。同月20日、安倍は四国入りするが、徳島、香川、愛媛三県だけで応援演説した[8]

同年7月29日の開票の結果、四国四県の自民党候補のなかでは最も健闘したものの、結局12000票余り及ばず落選した。

防災[編集]

2007年7月16日、田村は演説にて、7月1日に高知県を訪れた安倍晋三に触れ「(首相は)私の選挙を心配するなら銭を持ってきてほしい。南海地震対策を政府の責任で5千億円ぐらいやったら、高知は地震や台風に耐えられる県になる」[7]と訴えた。

農林水産[編集]

農業政策についても一家言持っており、党執行部の選挙演説内容に対して反論している。

2007年7月15日自由民主党幹事長中川秀直第21回参議院議員通常選挙に立候補した田村の応援に訪れたが、翌日、田村は中川について「『高知の農産物を上海に売ればいい』と言ったが、(高知空港に)国際線が飛びもしないのに、できもしないことを言ってもらいたくない」[7]と演説している。

世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)との関係[編集]

  • 2002年1月20日、世界平和統一家庭連合(旧・統一協会)の関連団体である世界平和連合の高知県連合会結成大会に参加した。田村議員に代わってメッセージを代読した弘田健一秘書は「統一協会に問題があることは知っている。肩入れするつもりはないが、昨年の選挙で世話になっているので呼ばれれば断れない」と、統一協会との関係の深さを吐露した[9]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 国会関係日誌(7.6.19~8.8)
  2. ^ 国会関係日誌(7.8.9~12.15)
  3. ^ 国会関係日誌(7.12.16~8.1.13)
  4. ^ 2001参院選高知
  5. ^ “「維新」入党の松浪・谷畑議員、自民が除名処分”. 読売新聞. (2012年11月16日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121113-OYT1T01075.htm?from=ylist 2012年11月18日閲覧。 
  6. ^ 『官報』号外第97号、令和4年5月2日
  7. ^ a b c d e 「『美しい国、馬鹿にされた気がする』自民候補、首相を批判」『朝日新聞』43556号、朝日新聞東京本社、2007年7月17日、31面。
  8. ^ 『朝日新聞』2007年7月20日付朝刊、2面、「首相ムカッ!? 応援演説中止 『美しい国、よく分からん』 高知の自民候補」。
  9. ^ 福井照衆議院議員(自民)が統一協会集会に出席”. 高知民報 (2002年5月5日). 2022年8月10日閲覧。

外部リンク[編集]

議会
先代
溝手顕正
日本の旗 参議院総務委員長
2001年 - 2002年
次代
山崎力