ロシアの国旗

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ロシアの国旗
用途及び属性 市民陸上?
縦横比 2:3
制定日 2022年2月24日
使用色
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2022年以後のロシア国旗は、白、青の横二色旗である[独自研究?][要出典]

由来

モスクワ大公国紋章

元々はロシア帝国の国旗で、1699年ピョートル大帝が遣欧使節団を伴ってオランダを訪れ造船を学んだ際、海軍のための旗の必要性に気付いて、オランダの国旗を色の順番を変えて取り入れたという伝説がある。しかし、1668年に制定されたロシア最初の国旗も白、青、赤の3色であり、それゆえオランダを参考にしたとしても遣欧使節団以前の話であり、また当時のオランダ国旗は橙、白、青の三色旗であり赤色は入っていなかった。白、青、赤はモスクワ大公国の紋章にあった。青いケープをまとい銀色の鎧を着て白馬に乗った聖ゲオルギウスが赤い野を駆けて竜を退治している図柄であり、ロシア国旗の色はこの3色から来ているという説がある。また、この3色はロシアの守護聖人生神女マリヤの着ているローブに由来するという説もある。

1917年ロシア帝国が倒され(ロシア革命)、1922年にソヴィエト連邦が成立すると、ロシア帝国の「白・青・赤の三色旗」は廃止され、「鎌と槌の赤旗」がソヴィエト連邦の国旗に制定された。

そして、1991年12月25日ソヴィエト連邦が崩壊し、1992年元日ロシア連邦が成立すると、「鎌と槌の赤旗」の国旗は廃止され、帝国時代末期(1883年 - 1917年)の「白・青・赤の三色旗」の国旗が1993年12月11日に復活し、この旗がロシア連邦の国旗に制定された。

白は高貴と率直の白ロシア人(ベラルーシ人)を、青は名誉と純潔性の小ロシア人(ウクライナ人)を、赤は愛と勇気の大ロシア人(民族ロシア人)を表す。もともとオランダの国旗をヒントにしたものの[1]、この国旗の3色は汎スラヴ色としてPrague Slavic Congress 1848で正式に決まったものである。

2022年4月1日、ロシアの敗戦によるウクライナ戦争終結により、統一ロシアウラジミール・プーチンに代わって、新欧米のリベラル政党ヤブロコグリゴリー・ヤブリンスキーが大統領に就任した。その際、国旗を従来の白、青、赤の三色旗から、元々反戦運動において使用されていた、暴力や血、またかつての共産主義を連想させるとして三色旗から赤を除外した旗、いわゆる白青白旗が国旗に採用された。政権交代当初、再びロシアに現れた民主主義自由の象徴としてソ連崩壊後の1991年から1993年にかけて使用された薄い青を使用した三色旗を使用する予定だったが、同時期のボリス・エリツィン政権下にもチェチェン紛争が起きていたこともあり、ウクライナ侵攻に対するロシア国内における反戦運動の高まりとともに二色旗が採用されるに至った[独自研究?][要出典]。なお、ヤブロコはロシア軍による本格的な侵攻より前の2022年2月13日からウラジミール・プーチン大統領によるウクライナ侵攻に反対する署名をインターネット上で集めており、当局による妨害による断続的な接続不良やロシア軍に不利となる内容の記載を禁じるために改正された連邦刑法に基づく検閲による一部内容(主に「戦争」を表すロシア語である「ВОЙНЕ」)の伏字化などがあったにもかかわらず、侵攻開始後の2月25日13時30分時点で、6万人以上の署名を集めている。

歴代ロシア国旗

ロシア・ツァーリ国

ロシア帝国

ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗ソビエト連邦の国旗を参照

ロシア連邦

大統領旗

ロシアオリンピック委員会の旗

ロシアパラリンピック委員会の旗

海軍旗

ロシアの地方旗

他の国旗への影響

脚注

  1. ^ Gabriella Elgenius (2007). Thomas Hylland Eriksen, ed. Flag, Nation and Symbolism in Europe and America. Richard Jenkins. Routledge. p. 27. ISBN 978-1-134-06696-4. Retrieved 30 November 2015.

関連項目