渡部哲男
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個人情報 | ||||
本名 |
渡部 哲男 わたなべ てつお | |||
生年月日 | 1979年11月29日(43歳) | |||
国籍 |
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身長 | 180cm | |||
体重 | 84kg | |||
チーム情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会愛媛支部 | |||
期別 | 84期 | |||
分野 | 競輪 | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | 先行・捲り | |||
アマ所属チーム | ||||
1996-1999 | 新田高等学校 | |||
プロ所属チーム | ||||
2000- | 日本競輪選手会愛媛支部 | |||
グランツール最高成績 | ||||
主要レース勝利 | ||||
ヤンググランプリ 2002 S級S班 2008 | ||||
最終更新日 2008年12月22日 |
渡部 哲男(わたなべ てつお、1979年11月29日 - )は、日本競輪選手会・愛媛支部に所属する競輪選手。日本競輪学校第84期生。師匠は三木裕次(56期・引退)。
経歴[編集]
新田高等学校卒業後に84期生として入学した日本競輪学校では在校競走成績1位(78勝)。
2000年4月1日にホームバンクである松山競輪場でデビューし、初勝利も同日。同年12月29日に開催されたルーキーチャンピオンレース(立川競輪場)では、石毛克幸に次ぐ2着だった。
2年後の2002年のヤンググランプリ(立川)では、4角中位の位置から直線で鋭く伸びて優勝。翌2003年の日本選手権競輪(平塚競輪場)でGI初出場を果たす。
しかしGI、GIIでは苦戦続きで、上記の日本選手権以降、常時出場は果たすものの、3年あまりはこれといった実績を残すことができなかった。丁度その頃、渡部は吉岡稔真が主宰する「不動會」に入り、吉岡から練習等のアドバイスを仰いでいた。それが功を奏する形で、2005年3月に行われた地元の松山記念を制覇する。
翌2006年は大活躍の年となった。同年7月に行われた寬仁親王牌(前橋競輪場)で初のGI優出を決める(4着)。続く同年8月に開催されたふるさとダービー(富山競輪場)では、優勝した平原康多を鋭く追い詰め2着。また同年12月開催の全日本選抜競輪(いわき平競輪場)でも決勝へ進出した(8着)。
2007年は、寬仁親王牌で再び決勝へと駒を進め、優勝した小嶋敬二に続く2着に入った。また初代S級S班選手にも選出された[1]。
2019年3月10日に松山競輪場で行われた「第69回金亀杯争奪戦(G3)」で、14年ぶりに地元記念を優勝(G3優勝は9年ぶり5回目)[2]。
脚注[編集]
- ^ 渡部以降、四国からS級S班選手は出ていない(2021年時点)。
- ^ “【競輪】松山記念は地元の渡部哲男が制覇 番手から抜け出して5回目のG3制覇”. デイリースポーツ. 2019年3月10日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 選手プロフィール - KEIRIN.JP