村田透

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村田 透
北海道日本ハムファイターズ #31
Toru Murata on June 28, 2015.jpg
MLB・インディアンス時代
2015年6月28日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉南郡熊取町
生年月日 (1985-05-20) 1985年5月20日(32歳)
身長
体重
183 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 MLB / 2015年6月28日
NPB / 2017年4月2日
年俸 3,500万円+出来高(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

村田 透(むらた とおる、1985年5月20日 - )は、大阪府泉南郡熊取町出身のプロ野球選手投手)。右投左打。NPB北海道日本ハムファイターズに所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学4年の時に野球を始め、当初は外野手だったが投手に転向。大阪体育大学浪商高等学校時代は1年秋からエースとして秋季近畿大会でベスト8に進出、翌年の第74回選抜高等学校野球大会に出場して1勝をあげた。

大阪体育大学進学後は肘・肩の痛みに悩まされたが、3年時の全日本大学野球選手権大会では5試合全てで抑え投手として起用され、18回2/3を投げて初優勝に貢献。自身も4勝0敗・防御率0.48の成績を挙げて大会MVPを受賞した[2]。大学通算13勝10敗。

2007年2月に右足首の靭帯を切断・手術し、大半をリハビリに費やすことになったが、11月19日のドラフト会議で巨人から1巡目で指名される(大場翔太篠田純平の外れ1位で指名)。ドラフト1位指名を受けた大体大の選手は2013年時点で3人いるが、巨人からの指名は上原浩治1998年)に続き2人目。11月26日に契約金8000万円、年俸1200万円(推定)[2]で仮契約。背番号は36で、これには「半分の18(エースナンバー)を目指せ」という原辰徳の期待が込められていた。

巨人時代[編集]

巨人時代(2009年8月16日 四日市霞ヶ浦球場)

2008年は一軍登板がなく、二軍でも9試合の登板で0勝2敗、防御率7.82、WHIP1.66の成績に終わった。

2009年には移籍してきたM.中村36をつけることになり、背番号を46に変更。この年も一軍登板はなく、二軍では26試合の登板で2勝4敗、防御率3.98、WHIP1.69の成績を残した。

2010年も一軍登板は果たせず、二軍での登板も6試合に終わり、10月2日に戦力外通告を受けた。ドラフト1位入団ながら3年で戦力外となり、11月10日に開催された12球団合同トライアウトに参加。

インディアンス時代[編集]

2010年12月18日に、トライアウトでの活躍がクリーブランド・インディアンスのスカウトの目に止まりマイナー契約を結んだ[3]

2011年はA+級キンストン・インディアンスで開幕を迎え、5先発を含む22試合に登板し、3勝2敗2セーブ、防御率2.36、WHIP0.93の成績を残し、チームのプレーオフ出場に貢献。オフはパナマウィンターリーグに参加し、8試合の登板で防御率2.71、WHIP0.99の成績を残し、オールスターゲームにも選出された。

2012年はAA級アクロン・エアロズで開幕を迎え、4月20日にAAA級コロンバス・クリッパーズに昇格したが、24日にアドバンスドA級カロライナ・マドキャッツに降格。5月7日にアクロンに再昇格し、6月28日にコロンバスに再昇格するも、7月2日にアクロンに再降格。コロンバスでは2試合の登板で5失点を喫するも、アクロンでは8先発を含む23試合の登板で3勝1敗、防御率2.66、WHIP1.18の成績を残しチームの地区優勝に貢献。ポストシーズンでは2試合に先発し、12回1/3を投げて2失点の好投でチームのチャンピオンシップシリーズ制覇に貢献。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加するが、5試合の登板で防御率6.06、WHIP1.84の成績を喫する。

2013年、AA級アクロンで開幕を迎える。4月29日にAAA級コロンバスに昇格するが、4試合に先発し0勝2敗、防御率6.10、WHIP1.74を喫し、5月17日にアクロンに降格。6月16日にコロンバスに再昇格するが、1試合に先発した後再降格。アクロンでは23試合の先発で6勝6敗、防御率4.19、WHIP1.25の成績を残す。オフは前年に続きベネズエラのウィンターリーグに参加。

2014年もAA級アクロンで開幕を迎えたが4月9日にAAA級コロンバスに昇格し、25日にAA級に降格。5月31日にAAA級に再昇格し、6月1日にAA級に再降格。7月3日にAAA級に再昇格し、24日のAAA級ルイビル・バッツ戦でAAA級での初勝利を挙げるが翌日AA級に再降格。8月3日にAAA級へ再昇格するがその後も9日まで昇降格を繰り返しAAA級でシーズンを終え、チームはプレーオフに進出。コロンバスでは12先発を含む14試合の登板で5勝3敗、防御率5.38、WHIP1.38の成績を残す。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加した。チームはリーグ優勝を果たしカリビアンシリーズ出場を決めたが、出場せずに帰国した[4]

2015年、AAA級コロンバスで開幕を迎え、6月22日までに13先発を含む14試合の登板で5勝3敗、防御率2.79、WHIP1.22の成績を残す。6月23日にスコット・アッチソンのDFAにより40人枠に1人空きができたこと、および6月27日にインディアンスとボルチモア・オリオールズの試合が雨で中止となり翌28日がダブルヘッダーとなったため、ダブルヘッダーに伴い25人ロースターから登録人数が1人増える特例によりメジャー契約となり、40人枠に入った当日にオリオールズとのダブルヘッダー第2試合で先発登板したが、3回1/3を投げ被安打4、失点5(自責点3)で敗戦投手となった[5]。翌29日にマイナー・オプションを行使されAAA級に降格し、7月31日に40人枠から外れた。AAA級では26先発を含む27試合の登板で15勝4敗、防御率2.90、WHIP1.17の成績を残し、インターナショナルリーグの最多勝に輝いた[6]。オフの12月9日に翌年もインディアンスと契約することをブログで公表した[7]

2016年、AAA級では10先発を含む33試合の登板で9勝4敗4セーブ、防御率3.78の成績だったが、メジャー再昇格はかなわなかった。11月18日に自由契約となった[8]

日本ハム時代[編集]

2016年11月18日北海道日本ハムファイターズとの契約合意が発表された[9]

2017年4月2日の対埼玉西武ライオンズ3回戦(札幌ドーム)の5回表一死一・三塁の場面で救援登板しNPB一軍初登板を果たしたが、その初球がボークと判定されたために、三塁走者の得点を許してしまった[10]6月11日の古巣・巨人戦でNPB1軍初勝利を果たした。

選手としての特徴・人物[編集]

ワインドアップからの最速93mph(約150km/h)[11]・平均87mph(約140km/h)のキレの良い速球が持ち味で、投球テンポもよく、肘の使い方も柔らかい。ツーシーム・ファストボールスライダーカットボールカーブフォークチェンジアップなど多彩な球種を持つ。

大学の先輩でもある上原浩治にはプロ入り前から憧れており、巨人への入団会見では「上原選手に弟子入りしたい」と語った。「上原選手が雑草なら、僕はだ」といい、「小さく無力でもいいから、少しでもチームに貢献できる選手になりたい」と言っていた。

巨人時代のニックネームは「ポニョ」(丸顔なため。「崖の上のポニョ」より)。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2015 CLE 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 16 3.1 4 2 1 0 0 2 0 0 5 3 8.10 1.50
MLB:1年 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 16 3.1 4 2 1 0 0 2 0 0 5 3 8.10 1.50
  • 2016年度シーズン終了時

記録[編集]

MLB投手記録
NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号[編集]

  • 36 (2008年)
  • 46 (2009年 - 2010年)
  • 61 (2015年)
  • 31 (2017年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 日本ハム、村田を逆輸入 栗山監督「苦労した本物」 - 野球”. 日刊スポーツ (2016年11月19日). 2017年4月4日閲覧。
  2. ^ a b 『プロ野球カラー名鑑 2008』 ベースボール・マガジン社2008年、15頁。ISBN 978-4-583-61526-4
  3. ^ “巨人戦力外の村田がインディアンスとマイナー契約”. 報知新聞. (2010年12月18日). http://web.archive.org/web/20101221124823/http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20101218-OHT1T00130.htm 2010年12月18日閲覧。 
  4. ^ “次のチャレンジへ”. 村田透オフィシャルブログ「村田透のおもんない話」. (2015年2月4日). http://ameblo.jp/toru-murata/entry-11985627599.html 2015年6月30日閲覧。 
  5. ^ “元巨人村田、メジャーデビュー4回途中5失点KO「感極まった」”. スポーツ報知. (2015年6月30日). http://web.archive.org/web/20150630012752/http://www.hochi.co.jp/baseball/mlb/20150629-OHT1T50202.html 2015年6月30日閲覧。 
  6. ^ “元巨人の村田透が3Aで最多勝 日本選手初タイトル”. 日刊スポーツ. (2015年9月8日). http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1534853.html 2015年9月12日閲覧。 
  7. ^ “2016年シーズンについて”. 村田透オフィシャルブログ「村田透のおもんない話」. (2015年12月9日). http://ameblo.jp/toru-murata/entry-12104565829.html 2015年12月27日閲覧。 
  8. ^ MLB公式プロフィール参照。2017年1月12日閲覧。
  9. ^ “村田透 日本ハムと契約合意「気持ち高ぶり すぐにでもユニに袖を」”. スポニチアネックス. (2016年11月18日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/18/kiji/K20161118013746220.html 2016年11月18日閲覧。 
  10. ^ この失点を含む5回表のチームの失点4は、いずれもこの試合の先発投手であるエドウィン・エスコバーに記録された。
  11. ^ “終了”. 村田透オフィシャルブログ「村田透のおもんない話」. (2011年9月17日). http://ameblo.jp/toru-murata/day-20110917.html 2011年10月29日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]