斎藤春香
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オリンピック | ||
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女子 ソフトボール | ||
銀 | 2000 | ソフトボール |
銅 | 2004 | ソフトボール |
斉藤 春香(さいとう はるか、1970年3月14日 - )は、青森県弘前市出身のソフトボール選手・指導者。ソフトボール日本代表監督を務めた[1]。日立ソフトボール部アドバイザー。
来歴[編集]
- 1985年 - 青森県立弘前中央高等学校入学。
- 1987年 - 国体ベスト4。
- 1988年 - 青森県立弘前中央高等学校卒業。
- 1994年 - 世界選手権、アジア大会出場。
- 1996年 - アトランタオリンピック出場(4位)。
- 1998年 - 世界選手権、アジア大会出場。
- 1999年 - 日立ソフトウェアコーチ兼任選手(~2003年)
- 2000年 - 2000年シドニーオリンピック出場(銀メダル)。
- 2001年 - 世界選手権アジア地区予選出場。
- 2002年 - 世界選手権、アジア大会出場。
- 2004年 - 日立ソフトウェア監督(~2006年)。選手兼任監督はこの1年のみ。
- 2004年 - 2004年アテネオリンピック出場(銅メダル)。
- 2006年 - ソフトボール日本代表監督(12月~)。
- 2008年 - 正式競技最後となる2008年北京オリンピックで斎藤ジャパンが悲願の金メダルを獲得。
- 2011年 - 日本代表監督を退任。弘前市教育委員会職員に採用。保健体育課主査となる。
- 2012年 - 東北楽天ゴールデンイーグルスが開設した小学生向け「楽天イーグルスソフトボールスクール」のトレーニングメニューの監修を担当。
エピソード[編集]
弘前市立第一中学校に入学にしてソフトボール部に入部し、青森県立弘前中央高等学校に進学後もソフトボールを続けた。
北京オリンピックにおいて、日本チームが金メダルを獲得した時のウィニングボールを所有している。1塁審判のアウトの宣言を聞いた途端、ファーストの佐藤理恵がボールを高々と放り上げ、歓喜の渦が巻き起こる中でボールの行方は分からなくなっていた。後にこのボールは関係者によって密かに回収され、斎藤に渡されたという。
地元弘前にある弘前市運動公園野球場の愛称「はるか夢球場」は、斎藤に因んで2012年に命名されたものである[2][3]。
脚注[編集]
- ^ 日本ソフトボール協会公式サイトでは「ヘッドコーチ」とも表現されている。
- ^ “愛称「はるか夢球場」に/弘前 ”. 東奥日報 (2012年9月30日). 2015年3月11日閲覧。
- ^ “OG便り ~あの選手は今~ 「Vol.1 齋藤春香さん」”. 日立ソフトボール部. 2015年3月11日閲覧。
外部リンク[編集]
- 斎藤春香 - Olympedia(英語)
- 日本オリンピック委員会 - 斎藤春香
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