代県

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中華人民共和国 山西省 代県
雁門関
雁門関
旧称:代州


簡体字 代县
繁体字 代縣
拼音 Dài Xiàn
カタカナ転写 ダイシェン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
山西
地級市 忻州市
行政級別
建置 漢代
面積
総面積 1,720 km²
人口
総人口(2004) 20 万人
経済
電話番号 0350
郵便番号 034200
行政区画代碼 140923
公式ウェブサイト http://122.115.47.85:81/

代県(だい-けん)は中華人民共和国山西省北東部の忻州市の管轄下にある。県の北に東西に伸びる山地上には、万里の長城雁門関があり、中国北方の軍事要地であった。1994年には国家歴史文化名城に指定されている。

歴史[編集]

前漢により設置された広武県を前身とする。後漢は雁門郡の郡治とした。隋代になると雁門郡は代州と改編され、広武県も雁門県と改称されている。後期にはモンゴルが長城を超えてこの地を占領、1263年中統4年)に雁門県は廃止となり管轄区域は代州直轄とされた。明朝が成立すると1369年洪武2年)に代県に降格、1376年(洪武8年)に再度代州に昇格している。清代になると1724年雍正2年)に直隷州に昇格している。1913年民国2年)の州制撤廃に伴い代県と改称した。1958年に廃止されたが、1961年に再設置され現在に至る。

代県の県境内は山地が多く地勢は険しく、古代中国では北方草原地帯から中原へ進入する遊牧民族を防ぐための軍事要塞とされた。遊牧民の侵入を防ぐために万里の長城が建築され雁門関が設置されている。李牧薛仁貴郭子儀楊業といった名将たちは代州鎮守として赴任、二千年の間に百回以上の戦いの舞台となってきた。

現在の代県は、全域にわたって数多くの文物や遺跡、古建築がある。現存する代州城は代初期に造られ、当時の城郭都市の基本的な形態を現在に伝えている。中心部には「辺靖楼」(鼓楼)という大規模楼閣が位置し代県のシンボル的存在となっている。城内にはその他、阿育王塔、文廟、文昌祠、城隍廟、武廟、慈雲庵などの古い建築物が残る。城外にも陽明堡、楊忠武祠、趙杲観などの遺跡や建築がある。

辺境の要塞である代県には李白陳子昂王昌齢范仲淹などの文人が多く訪れ、漢詩を詠んでいる。また民間の伝統工芸には剪紙や民画などがある。

地理[編集]

鉄道の京原線が代県を貫いている。経済は農業鉱業が中心になっている。

県の中部を東西に流れる滹沱河沿岸には盆地があり、土地は比較的肥沃で農業生産に向いている。主要作物はコムギコーリャントウモロコシアワなど。トウガラシ(辣椒)の生産も盛んで、中国四大産地の一つとされる。県内には鉱山もいくつかあるが、鉄の含有率は高く、農業頼りの経済を鉱石の採掘が支えている。

行政区画[編集]

  • 鎮:上館鎮、陽明堡鎮、峨口鎮、聶営鎮、棗林鎮、灘上鎮
  • 郷:新高郷、峪口郷、磨坊郷、胡峪郷、雁門関郷
中国地名の変遷
建置 漢代
使用状況 代県
前漢広武県
後漢広武県
三国広武県
西晋広武県
東晋十六国広武県
南北朝広武県
雁門県
雁門県
五代雁門県
北宋/雁門県
南宋/雁門県
代州
代県
代州
代州直隷州
中華民国代県
現代代県