フスト・ビジャール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はビジャール第二姓(母方の)はビベロスです。
フスト・ビジャール Football pictogram.svg
Justo Villar.jpg
名前
本名 フスト・ウィルマール・ビジャール・ビベロス
Justo Wilmar Villar Viveros
ラテン文字 Justo VILLAR
基本情報
国籍 パラグアイの旗 パラグアイ
生年月日 (1977-06-30) 1977年6月30日(39歳)
出身地 Cerrito
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム チリの旗 CSDコロコロ
ポジション GK
背番号 1
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2000 パラグアイの旗 ソル・デ・アメリカ 103 (0)
2001-2004 パラグアイの旗 リベルタ 109 (0)
2004-2008 アルゼンチンの旗 ニューウェルズ 135 (0)
2008-2011 スペインの旗 バリャドリード 44 (0)
2011-2013 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 18 (0)
2013 パラグアイの旗 ナシオナル 13 (0)
2013- チリの旗 コロコロ 77 (0)
代表歴2
1997 パラグアイの旗 パラグアイ U-20 5 (0)
2000 パラグアイの旗 パラグアイ U-23 4 (0)
1999- パラグアイの旗 パラグアイ 116 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年5月15日現在。
2. 2016年6月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フスト・ウィルマール・ビジャール・ビベロス(Justo Wilmar Villar Viveros, 1977年6月30日 - )は、パラグアイ出身のサッカー選手CSDコロコロ所属。ポジションはゴールキーパーパラグアイ代表

経歴[編集]

クラブ[編集]

クラブ・ソル・デ・アメリカスペイン語版からデビューし、パラグアイの伝説的GKであるエベル・ウーゴ・アルメイダの指導を受けた。2001年にクラブ・リベルタに移籍し、2002年には24年ぶりのリーグ優勝を果たし、2003年にはリーグ連覇した。2004年、アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍し、Apertura2004でリーグ優勝し、アルゼンチンの報道陣から年間最優秀選手とみなされた。2004年にはパラグアイ最優秀選手にも選ばれた。

2008年夏、スペインレアル・バリャドリードに移籍した。シーズン序盤はセルヒオ・アセンホの控えだったが、12月7日CAオサスナ戦でデビューし、3ヵ月半の間レギュラーとして出場した。シーズン終盤は再びアセンホがレギュラーを務めた[1]。アセンホがアトレティコ・マドリードに移籍して迎えた2009-10シーズンはヘタフェCFから復帰したハコボ・サンスの控えとして開幕を迎えたが、7節までに16失点したハコボの代わりに8節からゴールを守った。しかし、2010年3月28日に行われたシェレスCD戦で退場処分を受け、その後はハコボにポジションを再び譲りチームも最終節のFCバルセロナ戦で大敗して2部に降格した。

2011年、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに移籍した。2013年、クラブ・ナシオナルに移籍した。

代表[編集]

1997年にFIFA U-20ワールドカップに出場した。パラグアイ代表として2001年、2004年、2007年の3回のコパ・リベルタドーレス、2002年と2006年の2回のFIFAワールドカップに出場した。2006 FIFAワールドカップは正GKとして大会を迎えたが、初戦のイングランド戦で開始8分に負傷し、その後の試合に出場できなかった。2010 FIFAワールドカップ南米予選には18試合のうち17試合に出場した。本大会でも正GKとして出場し、ゲームキャプテンを務めた。初戦のイタリア戦では1失点を喫したものの、その後は安定した守備で無失点に抑え、チームの首位通過に貢献した。決勝トーナメント1回戦の日本戦でも安定した守備でPK戦の末、勝利し、準々決勝のスペイン戦ではシャビ・アロンソのPKを止めるなど存在感をアピールし、スペインに敗北したもののパラグアイを初のベスト8に導いた。

エピソード[編集]

  • ビジャールはサインに背番号を入れない選手として有名である。また、その原因も不明である[要出典]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

クラブ・リベルタ
ニューウェルズ・オールドボーイズ

個人[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ zerozero.pt. “Justo Villar Época 2008/2009”. 2009年8月31日閲覧。

外部リンク[編集]