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「ヘンダーソン基地艦砲射撃」の版間の差分

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|strength1=戦艦 2<br />軽巡洋艦 1<br />駆逐艦 9
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'''ヘンダーソン基地艦砲射撃'''(ヘンダーソンきちかんぽうしゃげき)は、[[太平洋戦争]]中の[[1942年]]([[昭和]]17年)10月13日から翌朝にかけて行われた[[大日本帝国海軍|日本海軍]]による[[ガダルカナル島]]の[[アメリカ軍]][[飛行場]]・[[ヘンダーソン基地]]への夜間砲撃である。その他、一連のヘンダーソン基地艦砲射撃については項末および[[ソロモン諸島の戦い#主な戦い]]を参照
'''ヘンダーソン基地艦砲射撃'''(ヘンダーソンきちかんぽうしゃげき)は、[[太平洋戦争]]中の[[1942年]]([[昭和17年]])10月13日から翌朝にかけて行われた[[大日本帝国海軍|日本海軍]]による[[ガダルカナル島]]の[[アメリカ軍]][[飛行場]]・[[ヘンダーソン基地]]への夜間砲撃である。


== 概要 ==
== 概要 ==
1942年(昭和17年)10月13日、[[戦艦]][[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]]を主力に、[[栗田健男]]中将を指揮官とする第2次挺身攻撃隊<!--編成は下記。-->が、[[ガダルカナル島]]のヘンダーソン飛行場に夜間[[艦砲射撃]]を開始した。明け方まで砲撃を続け[[滑走路]]および[[航空機]]に対して損害を与えた。
[[戦艦]][[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]]を主力とした第二次挺身攻撃隊(指揮官[[栗田健男]]中将が、[[ガダルカナル島]]に夜間[[艦砲射撃]]を実施、明け方まで砲撃を続けてヘンダーソン飛行場の第一[[滑走路]]および[[航空機]]に対して損害を与えた。
<!--戦闘結果に関しての記述は戦果と影響へ-->
<!--戦闘結果に関しての記述は戦果と影響へ-->


== 戦闘の背景 ==
== 背景 ==
日本軍がガダルカナル島を確保するにあた、[[輸送船]]で大規模な増援を送る必要があった。[[大日本帝国海軍航空隊|日本軍の航空隊]]は損害により消耗しており、ヘンダーソン飛行場に展開する米軍航空機に攻撃されて増援輸送が失敗する危険があった。
日本軍がガダルカナル島攻撃実施するにあたって、[[輸送船]]で大規模な増援を送る必要があった。[[大日本帝国海軍航空隊|日本軍の航空隊]]は損害により消耗しており、ヘンダーソン飛行場に展開する米軍航空機に攻撃されて増援輸送が失敗する危険があったため、艦砲射撃でヘンダーソン飛行場に損害を与え、その間に増援の輸送を行うことを計画した。


日本海軍は艦砲射撃でヘンダーソン飛行場に損害を与え、その間に増援の輸送を行うことを計画した。アメリカ軍の航空攻撃を回避して最大限の打撃を与えるために、艦砲射撃部隊は[[金剛型戦艦|金剛型]]の高速戦艦を主力とした。実施部隊の指揮官である第3戦隊司令官の[[栗田健男]][[中将]]は、危険が大き過ぎると[[作戦]]に反対したが、[[山本五十六]][[連合艦隊司令長官]]に「ならば自分が[[大和 (戦艦)|大和]]で出て[[指揮]]を執る」と言われて、止むを得ずに引き受けた。作戦の当時に初めて栗田と会った[[奥宮正武]]によれば、栗田は首席[[参謀]]の有田雄三[[中佐]]と共に強い自信を示していた<ref>奥宮正武『提督と参謀』内「一三 栗田健男」</ref>。
アメリカ軍の航空攻撃を回避して最大限の打撃を与えるために、艦砲射撃部隊は[[金剛型戦艦|金剛型]]の高速戦艦を主力とした。実施部隊である第戦隊司令官の[[栗田健男]][[中将]]は、危険が大き過ぎると[[作戦]]に反対したが、[[山本五十六]][[連合艦隊司令長官]]に「ならば自分が[[大和 (戦艦)|大和]]で出て[[指揮]]を執る」と言われて引き受けた。作戦の当時に初めて栗田と会った[[奥宮正武]]によれば、栗田は首席[[参謀]]の有田雄三[[中佐]]と共に強い自信を示していた<ref>奥宮正武『提督と参謀』内「一三 栗田健男」</ref>。


== 第二次挺身攻撃隊 ==
== 第二次挺身攻撃隊 ==
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[[第二航空戦隊]]の[[航空母艦|空母]][[隼鷹 (空母)|隼鷹]]、[[飛鷹 (空母)|飛鷹]]も11日に[[チューク諸島|トラック島]]を出撃し、常時6機の[[零式艦上戦闘機]]を上空直衛機として第二次挺身攻撃隊上空に配備した。
[[第二航空戦隊]]の[[航空母艦|空母]][[隼鷹 (空母)|隼鷹]]、[[飛鷹 (空母)|飛鷹]]も11日に[[チューク諸島|トラック島]]を出撃し、常時6機の[[零式艦上戦闘機]]を上空直衛機として第二次挺身攻撃隊上空に配備した。


外南洋部隊の命令により、支援部隊の重巡洋艦[[青葉 (重巡洋艦)|青葉]]を旗艦に[[衣笠 (重巡洋艦)|衣笠]]と[[古鷹 (重巡洋艦)|古鷹]]からなる第六戦隊は、飛行場砲撃の準備を整えて[[サボ島]]の沖合に進撃した。青葉は地上攻撃用の特殊砲弾を装填しており、本作戦はアメリカ軍基地飛行場射撃の効果を確認する意味合いがあった<ref>[[#図説太平洋海戦史第2巻]]202頁</ref>。
[[第八艦隊 (日本海軍)|外南洋部隊]]の命令により、支援部隊の重巡洋艦[[青葉 (重巡洋艦)|青葉]]を旗艦に[[衣笠 (重巡洋艦)|衣笠]]と[[古鷹 (重巡洋艦)|古鷹]]からなる第六戦隊は、飛行場砲撃の準備を整えて[[サボ島]]の沖合に進撃した。青葉は地上攻撃用の特殊砲弾を装填しており、本作戦はアメリカ軍基地飛行場射撃の効果を確認する意味合いがあった<ref>[[#図説太平洋海戦史第2巻]]202頁</ref>。

== 本作戦以前 ==
{{main|ソロモン諸島の戦い}}
# '''8月24日夜半'''、基幹兵力:[[睦月 (駆逐艦)|睦月]]、[[弥生 (睦月型駆逐艦)|弥生]]、[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、[[陽炎 (駆逐艦)|陽炎]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]。砲撃成功、詳細は[[第二次ソロモン海戦]]。
# '''9月2日夜半'''、基幹兵力:吹雪、白雪、[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]。砲撃成功。
# '''9月4日夜半'''、基幹兵力:夕立、初雪、叢雲。砲撃成功。
# '''9月12日夜半'''、基幹兵力:川内など。砲撃成功([[ガダルカナル島の戦い#第一次総攻撃]])。


== 戦闘経過 ==
== 戦闘経過 ==
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* 12時00分、前進部隊本隊に合流。
* 12時00分、前進部隊本隊に合流。


== 戦果と影響 ==
== その後数日間経過 ==
10月14日0時56分の「撃ち方・止め」までの間に[[金剛 (戦艦)|金剛]]は三式弾104発、徹甲弾(一式弾)331発、副砲27発の計462発<ref name="挺身36">「挺身攻撃隊記録」第36画像</ref>。[[榛名 (戦艦)|榛名]]は零式弾189発、徹甲弾294発、副砲21発の計504発<ref name="挺身36"/>。両艦合わせて計966発の艦砲射撃を実施した。この際、榛名において弾薬庫員9名が熱射病で倒れ、1名が死亡した。

第三戦隊の砲撃により、ヘンダーソン飛行場は火の海と化し各所で[[誘爆]]も発生した。96機あった航空機のうち54機が被害を受け、ガソリンタンクも炎上した。攻撃目標となった第一飛行場の滑走路は徹甲弾による大きな穴が開き、ヘンダーソン飛行場は一時使用不能となった。しかし、小規模ではあるが戦闘機用第二飛行場が本攻撃の少し前に完成しており、飛行場としての機能は消滅していなかった。

10月15日に実施された[[第2師団 (日本軍)|第二師団]]揚陸作戦に対し、第二飛行場から出撃したアメリカ軍航空機の攻撃で日本の輸送船団は大きな損害を受け、[[大砲|重砲]]と[[弾薬]]の多くを失った。[[戦闘詳報]]においても「戦艦[[主砲]]を以てしても所在飛行機を一機も残さず撃破することは困難なり」と報告している<ref>「昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)」第49画像</ref>。

10月15日、米軍現地司令部は「日本軍から強力な圧力を受けているので、海兵隊がガ島を持ちこたえることができるかどうか不安である」と太平洋艦隊司令長官[[チェスター・ニミッツ|ニミッツ]][[大将]]に報告している{{Sfn|防衛研究所|2013|pp=102}}。

10月18日、ガダルカナル島指揮官[[アレクサンダー・ヴァンデグリフト|ヴァンデグリフト]][[少将]]は南太平洋方面軍司令官[[ウィリアム・ハルゼー・ジュニア|ハルゼー]][[中将]]に対し「空襲と夜間砲撃により航空機のほとんどが破壊され、戦闘に疲れ果て[[マラリア]]と少ない食料、それに夜間砲撃で衰弱しているため、素早い航空及び陸上部隊の増援が必要であること」等を報告した{{Sfn|防衛研究所|2013|pp=103-104}}。
10月24日、[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]大統領は、統合幕僚長会議にガダルカナル島への増援を指示した{{Sfn|防衛研究所|2013|pp=104}}。

日本陸海軍共に小規模な新設滑走路の完成を偵察により察知できていなかった事、すなわち正確な情報の収集・分析、そして明確な攻撃目標の策定と兵力集中の実施不足が、[[戦術]]的成功(飛行場砲撃成功)および[[戦略]]的失敗(上陸部隊への攻撃阻止失敗)の原因であった{{Sfn|防衛研究所|2013|pp=111-113}}。

== その後の戦闘 ==
{{main|ガダルカナル島の戦い}}
10月13日21時、第八艦隊長官の三川中将は重巡[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]とサボ島沖海戦から生還した重巡衣笠、駆逐艦[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]、[[望月 (駆逐艦)|望月]]を率いて[[ショートランド諸島|ショートランド泊地]]から出撃した<ref>[[#S1710四水戦日誌(2)]]p.21『十三日〇九三四(将旗)8F→一〇〇二 カ作戦部隊各(将旗)(総長)|本職鳥海衣笠望月天霧ヲ率ヰ十月十三日二一〇〇「ショートランド」出撃予定ノ如ク行動ス』</ref>。輸送船団を護衛しつつガダルカナル島へ接近した<ref>[[#鳥海詳報馬来沖・ソロモン(2)]]p.11『鳥海衣笠高速輸送船六隻ヲ護衛夜陰ニ乗ジ揚陸飛行場砲撃ニ急行ス日没頃敵機二十余機船團上空飛来スルモ投弾二、三發被害僅少悠々肉薄ス』</ref>。14日深夜、鳥海、衣笠は飛行場に対し20cm砲弾752発を発射した<ref>[[#S1710四水戦日誌(2)]]p.42『十五日0204(将旗)8F→〇一三七カ号作戦部隊各指揮官(総長) 8F機密第150204番電 〇〇一七鳥海衣笠射撃終了 射撃弾数總計七五二發 (飛行場)ニ火災ヲ認ム附近ニ敵ヲ見ズ』</ref>。
10月13日21時、第八艦隊長官の三川中将は重巡[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]とサボ島沖海戦から生還した重巡衣笠、駆逐艦[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]、[[望月 (駆逐艦)|望月]]を率いて[[ショートランド諸島|ショートランド泊地]]から出撃した<ref>[[#S1710四水戦日誌(2)]]p.21『十三日〇九三四(将旗)8F→一〇〇二 カ作戦部隊各(将旗)(総長)|本職鳥海衣笠望月天霧ヲ率ヰ十月十三日二一〇〇「ショートランド」出撃予定ノ如ク行動ス』</ref>。輸送船団を護衛しつつガダルカナル島へ接近した<ref>[[#鳥海詳報馬来沖・ソロモン(2)]]p.11『鳥海衣笠高速輸送船六隻ヲ護衛夜陰ニ乗ジ揚陸飛行場砲撃ニ急行ス日没頃敵機二十余機船團上空飛来スルモ投弾二、三發被害僅少悠々肉薄ス』</ref>。14日深夜、鳥海、衣笠は飛行場に対し20cm砲弾752発を発射した<ref>[[#S1710四水戦日誌(2)]]p.42『十五日0204(将旗)8F→〇一三七カ号作戦部隊各指揮官(総長) 8F機密第150204番電 〇〇一七鳥海衣笠射撃終了 射撃弾数總計七五二發 (飛行場)ニ火災ヲ認ム附近ニ敵ヲ見ズ』</ref>。


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10月16日、連合艦隊は水上機母艦[[日進 (水上機母艦)|日進]]、[[千歳 (水上機母艦)|千歳]]、[[千代田 (水上機母艦)|千代田]]による輸送を止め、軽巡洋艦および駆逐艦での輸送を下令、日本陸軍ガ島総攻撃前の最後の輸送作戦とした<ref>[[#戦史叢書83ガ島戦]]222頁『輸送計画の変更』</ref>。これを受けて軽巡洋艦戦隊(川内、由良、龍田)と第四[[水雷戦隊]](旗艦[[秋月 (駆逐艦)|秋月]])、同水雷戦隊第1小隊(第9駆逐隊《朝雲》、第11駆逐隊《白雪》、第6駆逐隊《暁、雷》)、第2小隊(第2駆逐隊《村雨、夕立、春雨、五月雨》)、第3小隊(第19駆逐隊《浦波、敷波、綾波》)、第4小隊(第27駆逐隊《時雨、白露、有明》)による輸送作戦(陸兵2159名、野砲6門、速射砲12門、軍需物資)が行われることになった<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]pp.3-4,13『10月16日聯合艦隊ヨリノ指令ニ依リ日進、千歳ノ輸送ハ取止メラレ千代田ノ進出モ亦延期トナレルヲ以テ増援部隊ヲ軽巡戦隊(川内、由良、龍田)、水雷戦隊(秋月、7dg、11dg、6dg、2dg、19dg、27dg)ニ分ケ第四水雷戦隊司令官ハ水雷戦隊ヲ指揮スルコトトナレリ』</ref><ref name="叢書(83)224">[[#戦史叢書83ガ島戦]]224-225頁『十七日の輸送』</ref>。17日午前2時-4時に各隊は漸次ショートランド泊地を出撃すると、20時40分から22時にかけてガダルカナル島に到着し軽巡戦隊は[[エスペランス岬]]で、水雷戦隊は[[タサファロンガ岬]]でそれぞれ揚陸に成功した<ref name="叢書(83)224"/>。また、サボ島沖海戦で沈没した駆逐艦吹雪の乗組員8名を含む231名を救助した<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]p.23『18日1120 4sd司令官→3sd司令官/昨夜「タサハロング」ニ於テ収容セル人員左ノ通 海軍32内重傷13(准士官1)軽傷8(吹雪航海長)、陸軍100内将校2重傷10軽傷49、吾妻丸船員33(船長)内軽傷5 陸軍輸送船員66内重傷7軽傷29 計231』</ref>。各隊が揚陸を行う間、村雨と時雨は揚陸作戦中の哨戒を担当したのちヘンダーソン飛行場に、時雨100発、村雨60発を艦砲射撃<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]p.6『村雨、時雨ハ適時哨区ヲ撤シ2210予定ノ如ク陸上砲撃ヲ実施ス(発射弾数 村雨60発時雨100発)』</ref>した。帰途、軽巡由良がアメリカ潜水艦の[[雷撃]]により不発魚雷1本が命中するも増援部隊はそれ以上の被害を出すことなく10月18日9時30分にショートランド泊地に帰着した<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]p.7『18日0400「エスペランス」隊ニ進及合同ス。0455軽巡戦隊ニ対シ左斜前約1粁ヨリ敵潜水艦ノ雷撃(発射雷数3)アリ、内1由良ノ左舷前部清水タンクニ命中セルモ不爆ニシテ大ナル損害ナク0930増援部隊全部RX区ニ帰着セリ。』</ref><ref name="叢書(83)224"/>。
10月16日、連合艦隊は水上機母艦[[日進 (水上機母艦)|日進]]、[[千歳 (水上機母艦)|千歳]]、[[千代田 (水上機母艦)|千代田]]による輸送を止め、軽巡洋艦および駆逐艦での輸送を下令、日本陸軍ガ島総攻撃前の最後の輸送作戦とした<ref>[[#戦史叢書83ガ島戦]]222頁『輸送計画の変更』</ref>。これを受けて軽巡洋艦戦隊(川内、由良、龍田)と第四[[水雷戦隊]](旗艦[[秋月 (駆逐艦)|秋月]])、同水雷戦隊第1小隊(第9駆逐隊《朝雲》、第11駆逐隊《白雪》、第6駆逐隊《暁、雷》)、第2小隊(第2駆逐隊《村雨、夕立、春雨、五月雨》)、第3小隊(第19駆逐隊《浦波、敷波、綾波》)、第4小隊(第27駆逐隊《時雨、白露、有明》)による輸送作戦(陸兵2159名、野砲6門、速射砲12門、軍需物資)が行われることになった<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]pp.3-4,13『10月16日聯合艦隊ヨリノ指令ニ依リ日進、千歳ノ輸送ハ取止メラレ千代田ノ進出モ亦延期トナレルヲ以テ増援部隊ヲ軽巡戦隊(川内、由良、龍田)、水雷戦隊(秋月、7dg、11dg、6dg、2dg、19dg、27dg)ニ分ケ第四水雷戦隊司令官ハ水雷戦隊ヲ指揮スルコトトナレリ』</ref><ref name="叢書(83)224">[[#戦史叢書83ガ島戦]]224-225頁『十七日の輸送』</ref>。17日午前2時-4時に各隊は漸次ショートランド泊地を出撃すると、20時40分から22時にかけてガダルカナル島に到着し軽巡戦隊は[[エスペランス岬]]で、水雷戦隊は[[タサファロンガ岬]]でそれぞれ揚陸に成功した<ref name="叢書(83)224"/>。また、サボ島沖海戦で沈没した駆逐艦吹雪の乗組員8名を含む231名を救助した<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]p.23『18日1120 4sd司令官→3sd司令官/昨夜「タサハロング」ニ於テ収容セル人員左ノ通 海軍32内重傷13(准士官1)軽傷8(吹雪航海長)、陸軍100内将校2重傷10軽傷49、吾妻丸船員33(船長)内軽傷5 陸軍輸送船員66内重傷7軽傷29 計231』</ref>。各隊が揚陸を行う間、村雨と時雨は揚陸作戦中の哨戒を担当したのちヘンダーソン飛行場に、時雨100発、村雨60発を艦砲射撃<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]p.6『村雨、時雨ハ適時哨区ヲ撤シ2210予定ノ如ク陸上砲撃ヲ実施ス(発射弾数 村雨60発時雨100発)』</ref>した。帰途、軽巡由良がアメリカ潜水艦の[[雷撃]]により不発魚雷1本が命中するも増援部隊はそれ以上の被害を出すことなく10月18日9時30分にショートランド泊地に帰着した<ref>[[#昭和17年9月~4水戦詳報(5)]]p.7『18日0400「エスペランス」隊ニ進及合同ス。0455軽巡戦隊ニ対シ左斜前約1粁ヨリ敵潜水艦ノ雷撃(発射雷数3)アリ、内1由良ノ左舷前部清水タンクニ命中セルモ不爆ニシテ大ナル損害ナク0930増援部隊全部RX区ニ帰着セリ。』</ref><ref name="叢書(83)224"/>。


<!-- 二度目の攻撃にアメリカ軍が夜戦防備を固める事は予測できた。現代的視点では、敵陸上航空兵力存在下での上陸作戦は、空母[[艦上戦闘機]]による[[揚陸艦]]隊・準備対地打撃部隊の上空直掩は不可欠だが、
== 戦果と影響 ==
14日0時56分の「撃ち方・止め」までの間に[[金剛 (戦艦)|金剛]]は三式弾104発、徹甲弾(一式弾)331発、副砲27発の計462発<ref name="挺身36">「挺身攻撃隊記録」第36画像</ref>。[[榛名 (戦艦)|榛名]]は零式弾189発、徹甲弾294発、副砲21発の計504発<ref name="挺身36"/>。両艦合わせて計966発の艦砲射撃を実施した。榛名は、弾薬庫員9名が熱射病で倒れ、1名が死亡した。第三戦隊の砲撃でヘンダーソン飛行場は火の海と化し、各所で[[誘爆]]も発生した。

アメリカ軍側は、96機あった航空機のうち54機が被害を受けガソリンタンクも炎上した。滑走路も徹甲弾による大きな穴が開き、ヘンダーソン飛行場は一時使用不能となった。

戦闘機用第2飛行場は、本攻撃の少し前に完成しており、攻撃目標は第1飛行場のみでヘンダーソン飛行場の機能は半減したに過ぎなかった。10月15日に実施された日本軍第二師団揚陸作戦に対し、戦闘機用飛行場から出撃したアメリカ軍航空機の攻撃で日本の輸送船団は大きな損害を受け、[[大砲|重砲]]と[[弾薬]]の多くを失った。[[戦闘詳報]]も「戦艦[[主砲]]を以てしても所在飛行機を一機も残さず撃破することは困難なり」と報告<ref>「昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)」第49画像</ref>している

新設滑走路の完成を陸海軍共に偵察察知していなかった事が[[戦術]]的成功(飛行場砲撃成功)・[[戦略]]的失敗(上陸部隊への攻撃阻止失敗)の原因で、二度目の攻撃にアメリカ軍が夜戦防備を固める事は予測できた。現代的視点では、敵陸上航空兵力存在下での上陸作戦は、空母[[艦上戦闘機]]による[[揚陸艦]]隊・準備対地打撃部隊の上空直掩は不可欠だが、

* [[大艦巨砲主義]]。
* [[大艦巨砲主義]]。
* [[艦隊保全主義]]。
* [[艦隊保全主義]]。
* 艦隊行動のための燃料不足。
* 艦隊行動のための燃料不足。
などのため空母を出撃させず水上艦の艦砲射撃で代用したことは、同時期アメリカ軍が1から3隻しかない正規空母を毎回出動させたことと対照的で、海軍の空母出し惜しみ{{要出典|date=2009年1月}}は、陸軍の逐次戦力投入・偵察不足・敵過小評価と並び、ガダルカナルの戦いに敗北した大きな原因となり、多数の[[餓死]]者・[[戦死|戦]][[病死]]者を出した。

日本海軍も翌月同趣旨で行われた[[第3次ソロモン海戦]]で、戦艦[[比叡 (戦艦)|比叡]]、[[霧島 (戦艦)|霧島]]ほか多くの駆逐艦を失った(詳細は同海戦の項を参照)。 -->
などのため空母を出撃させず水上艦の艦砲射撃で代用したことは、同時期アメリカ軍が1から3隻しかない正規空母を毎回出動させたことと対照的で、海軍の空母出し惜しみ{{要出典|date=2009年1月
}}<!--出し惜しみ以前に機体とパイロットが不足していますが。燃料不足は出し惜しみ以前に出せない理由でしょ。この説を主張している出典は?学研とか新紀元社とか仮想戦記作家とかあくしずとかはなるべく勘弁してくださいね。-->は、陸軍の逐次戦力投入・偵察不足・敵過小評価と並び、ガダルカナルの戦いに敗北した大きな原因となり、多数の[[餓死]]者・[[戦死|戦]][[病死]]者を出して[[戦闘]]以前の段階で大敗した。
<!--出し惜しみ以前に機体とパイロットが不足していますが。燃料不足は出し惜しみ以前に出せない理由でしょ。この説を主張している出典は?-->

日本海軍自身も翌月同趣旨で行われた[[第3次ソロモン海戦]]で、戦艦[[比叡 (戦艦)|比叡]]、[[霧島 (戦艦)|霧島]]ほか多くの駆逐艦を失った(詳細は同海戦の項を参照)。

== その他、一連の攻撃 ==
 1942年(昭和17年)に行われた一連のヘンダーソン基地艦砲射撃、実績及について付記する。
# '''8月24日夜半'''、基幹兵力:[[睦月 (駆逐艦)|睦月]]、[[弥生 (睦月型駆逐艦)|弥生]]、[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、[[陽炎 (駆逐艦)|陽炎]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]。砲撃成功、詳細は[[第二次ソロモン海戦]]。
# '''9月2日夜半'''、基幹兵力:吹雪、白雪、[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]。砲撃成功。
# '''9月4日夜半'''、基幹兵力:夕立、初雪、叢雲。砲撃成功。
# '''9月12日夜半'''、基幹兵力:川内など。砲撃成功([[ガダルカナル島の戦い#第一次総攻撃]])。
# '''10月11日夜半'''、基幹兵力:青葉、古鷹、衣笠。砲撃失敗、詳細は[[サボ島沖海戦]]。
# '''10月13日夜半'''、基幹兵力:金剛、榛名。砲撃成功、金剛462発、榛名504発。詳細は本項による。
# ('''10月14日早朝'''、基幹兵力:海軍航空部隊。ラバウルから出撃し空襲を実施<ref>『失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)』・{{Harvnb|伊藤正徳|1973}}より</ref>。)
# '''10月14日夜半'''、基幹兵力:[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]、衣笠。砲撃成功、鳥海、衣笠、合計752発。
# '''10月15日夜半'''、基幹兵力:[[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]、[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]。砲撃成功、妙高476発、摩耶450発、[[長波 (駆逐艦)|長波]]・[[巻波 (駆逐艦)|巻波]]・[[高波 (駆逐艦)|高波]]で計253発。
# '''10月17日夜半'''、基幹兵力:時雨、村雨。砲撃成功、時雨100発、村雨60発。
# '''11月12日夜半'''、基幹兵力:[[比叡 (戦艦)|比叡]]、霧島。砲撃失敗。詳細は[[第三次ソロモン海戦#11月13日第1夜戦|第三次ソロモン海戦第一夜戦]]。
# '''11月13日夜半'''、基幹兵力:[[鈴谷 (重巡洋艦)|鈴谷]]、摩耶。砲撃成功、鈴谷504発、摩耶485発。詳細は[[第三次ソロモン海戦#日本軍の飛行場砲撃とアメリカ軍の増援|西村祥治少将率いる第七戦隊に出撃命令]]。
# '''11月14日夜半'''、基幹兵力:[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]、[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]]、霧島。砲撃失敗。詳細は[[第三次ソロモン海戦#11月15日第2夜戦|第三次ソロモン海戦第二夜戦]]。

水雷戦隊による砲撃はこの他にも数多く行われ、[[鼠輸送|東京急行]](通称・トーキョーエクスプレス)とあだ名された。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
126行目: 120行目:


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [https://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)](防衛省防衛研究所)
* [https://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)]([[防衛省]][[防衛研究所]]
** Ref.C08030723100「昭和17年10月5日~昭和17年10月14日 挺身攻撃隊記録(第3戦隊.金剛.榛名のガ島飛行場砲撃)」
** Ref.C08030723100「昭和17年10月5日~昭和17年10月14日 挺身攻撃隊記録(第3戦隊.金剛.榛名のガ島飛行場砲撃)」
** Ref.C08030041700「昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)」
** Ref.C08030041700「昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)」
** Ref.C08030022600「昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)」
** Ref.C08030022600「昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)」
** Ref.C08030022700「昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)」
** Ref.C08030022700「昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)」
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2021年11月2日 (火) 15:00時点における版

第二次世界大戦 > 太平洋戦争 > ソロモン諸島の戦い > ヘンダーソン基地艦砲射撃
ヘンダーソン基地艦砲射撃

飛行場に射撃を加えた日本の高速戦艦金剛
戦争太平洋戦争
年月日1942年10月13日
場所ガダルカナル
結果:日本軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指導者・指揮官
栗田健男中将
戦力
戦艦 2
軽巡洋艦 1
駆逐艦 9
損害
病死1名[1] 航空機54 飛行場一ヶ所の破壊
ソロモン諸島の戦い

ヘンダーソン基地艦砲射撃(ヘンダーソンきちかんぽうしゃげき)は、太平洋戦争中の1942年昭和17年)10月13日から翌朝にかけて行われた日本海軍によるガダルカナル島アメリカ軍飛行場ヘンダーソン基地への夜間砲撃である。

概要

戦艦金剛榛名を主力とした第二次挺身攻撃隊(指揮官栗田健男中将)が、ガダルカナル島に夜間艦砲射撃を実施、明け方まで砲撃を続けてヘンダーソン飛行場の第一滑走路および航空機に対して損害を与えた。

背景

日本軍がガダルカナル島攻撃を実施するにあたって、輸送船で大規模な増援を送る必要があった。日本軍の航空隊は損害により消耗しており、ヘンダーソン飛行場に展開する米軍航空機に攻撃されて増援輸送が失敗する危険があったため、艦砲射撃でヘンダーソン飛行場に損害を与え、その間に増援の輸送を行うことを計画した。

アメリカ軍の航空攻撃を回避して最大限の打撃を与えるために、艦砲射撃部隊は金剛型の高速戦艦を主力とした。実施部隊である第三戦隊司令官の栗田健男中将は、危険が大き過ぎると作戦に反対したが、山本五十六連合艦隊司令長官に「ならば自分が大和で出て指揮を執る」と言われて引き受けた。作戦の当時に初めて栗田と会った奥宮正武によれば、栗田は首席参謀の有田雄三中佐と共に強い自信を示していた[2]

第二次挺身攻撃隊

第二航空戦隊空母隼鷹飛鷹も11日にトラック島を出撃し、常時6機の零式艦上戦闘機を上空直衛機として第二次挺身攻撃隊上空に配備した。

外南洋部隊の命令により、支援部隊の重巡洋艦青葉を旗艦に衣笠古鷹からなる第六戦隊は、飛行場砲撃の準備を整えてサボ島の沖合に進撃した。青葉は地上攻撃用の特殊砲弾を装填しており、本作戦はアメリカ軍基地飛行場射撃の効果を確認する意味合いがあった[3]

本作戦以前

  1. 8月24日夜半、基幹兵力:睦月弥生磯風陽炎江風。砲撃成功、詳細は第二次ソロモン海戦
  2. 9月2日夜半、基幹兵力:吹雪、白雪、天霧。砲撃成功。
  3. 9月4日夜半、基幹兵力:夕立、初雪、叢雲。砲撃成功。
  4. 9月12日夜半、基幹兵力:川内など。砲撃成功(ガダルカナル島の戦い#第一次総攻撃)。

戦闘経過

1942年(昭和17年)10月11日、第二次挺身攻撃隊 トラック島出撃。10月12日、ルンガ沖に軽巡洋艦1、駆逐艦7、大型輸送船2隻という航空隊の報告を受けた[4]

10月13日朝、南進を続ける第二次挺身攻撃隊に悪い知らせが届いた。先に出撃した第1次挺身攻撃隊の重巡洋艦4隻が、ガダルカナル島に向かう途中、サボ島沖で連合軍艦隊のアメリカ巡洋艦隊に待ち伏せされ、重巡古鷹、駆逐艦吹雪が沈没し、重巡青葉も大破された(サボ島沖海戦)。ラバウル第十一航空艦隊から、ガダルカナル島にいないはずの、輸送船2隻、駆逐艦2隻からなるアメリカ艦隊と支援艦隊が同方面へ進行中、との報告も届いた。

10月13日夕刻に、第二航空戦隊の上空直衛機6機が空母へ帰艦し、第二次挺身攻撃隊は28ノットの高速でガダルカナル島へ進撃した。

以下時系列は「昭和17年10月5日~昭和17年10月14日 挺身攻撃隊記録(第3戦隊.金剛.榛名のガ島飛行場砲撃)」による。

  • 13日20時30分、総員戦闘配置完了。
  • 22時38分、エスペランス岬に海軍陸戦隊によるかがり火を確認。
    夜戦のため、エスペランス岬、タサファロング岬、クルツ岬の計3か所に灯したかがり火を目標に、三角法で測距して飛行場の位置を割り出す作戦が事前に進められた。
  • 23時00分、クルツ岬を右13度8キロ (km) に見て、艦隊進路130度に変針。
  • 23時17分、栗田長官、射撃開始命令。
  • 23時33分、空中班の重巡古鷹、衣笠の零式水上偵察機が、ヘンダーソン飛行場上空から赤、白、緑の吊光弾を投下して攻撃目標を示した。
  • 23時37分、砲撃開始、金剛、新型三式弾104発を交互射撃。
  • 23時38分、榛名、対空用零式弾189発を交互射撃。
  • 23時46分、ルンガ岬に配置するアメリカ海兵隊探照灯で金剛を発見し、報復射撃を開始。
    沿岸に配置していた12.7センチ (cm) 砲6門で金剛を狙ったが、射程9,000メートルで金剛に届かず、手前の駆逐艦を狙ったが命中弾は無かった。
  • 23時53分、金剛、榛名、探照灯に対し副砲で反撃。
  • 23時57分、三式弾を撃ち尽くす。
  • 14日00時13分、全艦隊取り舵反転。
  • 00時20分、砲撃再開、金剛、榛名ともに徹甲弾一式弾を射撃開始。
    三式弾零式弾共に打ち尽くし、徹甲弾に変更している。
  • 00時27分、敵魚雷発見の報を受け、右45度に艦隊進路変更。
  • 00時33分、魚雷発見は誤認とわかり、艦隊進路を元に戻す。
  • 00時50分、アメリカ軍の魚雷艇1隻を前路警戒隊の駆逐艦長波が発見して撃破。
  • 00時56分、全艦隊に「撃ち方・止め」の命令。転舵、面舵3度最大戦速29ノットで戦線を離脱開始。
  • 01時22分、敵魚雷艇発見、長波が魚雷艇3隻を撃退。
  • 04時48分、第二航空戦隊の零戦が第3戦隊上空直衛を開始。
  • 12時00分、前進部隊本隊に合流。

戦果と影響

10月14日0時56分の「撃ち方・止め」までの間に金剛は三式弾104発、徹甲弾(一式弾)331発、副砲27発の計462発[5]榛名は零式弾189発、徹甲弾294発、副砲21発の計504発[5]。両艦合わせて計966発の艦砲射撃を実施した。この際、榛名において弾薬庫員9名が熱射病で倒れ、1名が死亡した。

第三戦隊の砲撃により、ヘンダーソン飛行場は火の海と化し各所で誘爆も発生した。96機あった航空機のうち54機が被害を受け、ガソリンタンクも炎上した。攻撃目標となった第一飛行場の滑走路は徹甲弾による大きな穴が開き、ヘンダーソン飛行場は一時使用不能となった。しかし、小規模ではあるが戦闘機用第二飛行場が本攻撃の少し前に完成しており、飛行場としての機能は消滅していなかった。

10月15日に実施された第二師団揚陸作戦に対し、第二飛行場から出撃したアメリカ軍航空機の攻撃で日本の輸送船団は大きな損害を受け、重砲弾薬の多くを失った。戦闘詳報においても「戦艦主砲を以てしても所在飛行機を一機も残さず撃破することは困難なり」と報告している[6]

10月15日、米軍現地司令部は「日本軍から強力な圧力を受けているので、海兵隊がガ島を持ちこたえることができるかどうか不安である」と太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将に報告している[7]

10月18日、ガダルカナル島指揮官ヴァンデグリフト少将は南太平洋方面軍司令官ハルゼー中将に対し「空襲と夜間砲撃により航空機のほとんどが破壊され、戦闘に疲れ果てマラリアと少ない食料、それに夜間砲撃で衰弱しているため、素早い航空及び陸上部隊の増援が必要であること」等を報告した[8]。 10月24日、ルーズベルト大統領は、統合幕僚長会議にガダルカナル島への増援を指示した[9]

日本陸海軍共に小規模な新設滑走路の完成を偵察により察知できていなかった事、すなわち正確な情報の収集・分析、そして明確な攻撃目標の策定と兵力集中の実施不足が、戦術的成功(飛行場砲撃成功)および戦略的失敗(上陸部隊への攻撃阻止失敗)の原因であった[10]

その後の戦闘

10月13日21時、第八艦隊長官の三川中将は重巡鳥海とサボ島沖海戦から生還した重巡衣笠、駆逐艦天霧望月を率いてショートランド泊地から出撃した[11]。輸送船団を護衛しつつガダルカナル島へ接近した[12]。14日深夜、鳥海、衣笠は飛行場に対し20cm砲弾752発を発射した[13]

10月14日、増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官指揮下のもと、軽巡3隻(川内由良龍田)と駆逐艦4隻(朝雲白雪)がそれぞれガダルカナル島への揚陸に成功した[14][15]。翌日、秋月、村雨、五月雨、夕立、春雨、時雨、白露、有明等の護衛による輸送船団6隻は、ヘンダーソン飛行場から飛び立ったアメリカ軍機の空襲で輸送船3隻(笹子丸、九州丸、吾妻山丸)が座礁するもかろうじて輸送任務に成功した[16][17]。日中のアメリカ軍の艦砲射撃やヘンダーソン飛行場からのアメリカ軍機の空襲により、揚陸地点に集積されていた物資は大部分を焼き払われた[17]

10月15日夜、第五戦隊の重巡洋艦妙高摩耶第二水雷戦隊(軽巡五十鈴、第31駆逐隊《高波巻波長波》、第24駆逐隊《海風江風涼風》)がガダルカナル島ヘンダーソン基地への艦砲射撃を実施し[18]、砲撃に成功[19]。妙高は20cm主砲463発、摩耶は450発を発射した[20]

10月16日、連合艦隊は水上機母艦日進千歳千代田による輸送を止め、軽巡洋艦および駆逐艦での輸送を下令、日本陸軍ガ島総攻撃前の最後の輸送作戦とした[21]。これを受けて軽巡洋艦戦隊(川内、由良、龍田)と第四水雷戦隊(旗艦秋月)、同水雷戦隊第1小隊(第9駆逐隊《朝雲》、第11駆逐隊《白雪》、第6駆逐隊《暁、雷》)、第2小隊(第2駆逐隊《村雨、夕立、春雨、五月雨》)、第3小隊(第19駆逐隊《浦波、敷波、綾波》)、第4小隊(第27駆逐隊《時雨、白露、有明》)による輸送作戦(陸兵2159名、野砲6門、速射砲12門、軍需物資)が行われることになった[22][23]。17日午前2時-4時に各隊は漸次ショートランド泊地を出撃すると、20時40分から22時にかけてガダルカナル島に到着し軽巡戦隊はエスペランス岬で、水雷戦隊はタサファロンガ岬でそれぞれ揚陸に成功した[23]。また、サボ島沖海戦で沈没した駆逐艦吹雪の乗組員8名を含む231名を救助した[24]。各隊が揚陸を行う間、村雨と時雨は揚陸作戦中の哨戒を担当したのちヘンダーソン飛行場に、時雨100発、村雨60発を艦砲射撃[25]した。帰途、軽巡由良がアメリカ潜水艦の雷撃により不発魚雷1本が命中するも増援部隊はそれ以上の被害を出すことなく10月18日9時30分にショートランド泊地に帰着した[26][23]


脚注

  1. ^ 榛名の乗員1名が作戦中に熱射病で死亡
  2. ^ 奥宮正武『提督と参謀』内「一三 栗田健男」
  3. ^ #図説太平洋海戦史第2巻202頁
  4. ^ 「挺身攻撃隊記録」第32画像
  5. ^ a b 「挺身攻撃隊記録」第36画像
  6. ^ 「昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)」第49画像
  7. ^ 防衛研究所 2013, pp. 102.
  8. ^ 防衛研究所 2013, pp. 103–104.
  9. ^ 防衛研究所 2013, pp. 104.
  10. ^ 防衛研究所 2013, pp. 111–113.
  11. ^ #S1710四水戦日誌(2)p.21『十三日〇九三四(将旗)8F→一〇〇二 カ作戦部隊各(将旗)(総長)|本職鳥海衣笠望月天霧ヲ率ヰ十月十三日二一〇〇「ショートランド」出撃予定ノ如ク行動ス』
  12. ^ #鳥海詳報馬来沖・ソロモン(2)p.11『鳥海衣笠高速輸送船六隻ヲ護衛夜陰ニ乗ジ揚陸飛行場砲撃ニ急行ス日没頃敵機二十余機船團上空飛来スルモ投弾二、三發被害僅少悠々肉薄ス』
  13. ^ #S1710四水戦日誌(2)p.42『十五日0204(将旗)8F→〇一三七カ号作戦部隊各指揮官(総長) 8F機密第150204番電 〇〇一七鳥海衣笠射撃終了 射撃弾数總計七五二發 (飛行場)ニ火災ヲ認ム附近ニ敵ヲ見ズ』
  14. ^ #S1709第八艦隊日誌(2)p.42『川内由良龍田朝雲白雲暁雷(増本隊)|10-14|陸兵1129、野砲4、速射砲4、弾薬ヲ「エスペランス」ニ揚陸ス 友軍5S(羽黒欠)摩耶ハRXIノ艦砲射撃ヲ實施ス』
  15. ^ #叢書83ガ島戦217-218頁
  16. ^ #S1709第八艦隊日誌(2)p.43『輸送船(崎戸九州笹子佐渡南海及吾妻山丸)|10-15|14日「タサファロング」ニ入泊セル船団ハ15日0335以後ヨリ連続的敵機ノ爆撃ヲ受ケ0945吾妻山丸火災續イテ笹子山丸1120九州丸火災擱坐、1530残存船団帰途ニ就ク』
  17. ^ a b #叢書83ガ島戦219-220頁『外南洋部隊のガ島飛行場射撃』
  18. ^ #S1710二水戦日誌(1)p.33『1205 2sd(15dg缺)ハ前進部隊ヨリ解列31dgヲ5Sノ直衛トシ2sd(15dg 31dg缺)ヲ直率警戒隊トナル』
  19. ^ #S1710二水戦日誌(1)p.34『2222 5S(妙高摩耶)「ガダルカナル」飛行場ニ對シ砲撃開始』
  20. ^ #S1706五戦隊日誌(4)p.67『(一)使用弾薬 主砲20糎砲零式弾徹甲弾 妙高463発 摩耶450発 計913発』
  21. ^ #戦史叢書83ガ島戦222頁『輸送計画の変更』
  22. ^ #昭和17年9月~4水戦詳報(5)pp.3-4,13『10月16日聯合艦隊ヨリノ指令ニ依リ日進、千歳ノ輸送ハ取止メラレ千代田ノ進出モ亦延期トナレルヲ以テ増援部隊ヲ軽巡戦隊(川内、由良、龍田)、水雷戦隊(秋月、7dg、11dg、6dg、2dg、19dg、27dg)ニ分ケ第四水雷戦隊司令官ハ水雷戦隊ヲ指揮スルコトトナレリ』
  23. ^ a b c #戦史叢書83ガ島戦224-225頁『十七日の輸送』
  24. ^ #昭和17年9月~4水戦詳報(5)p.23『18日1120 4sd司令官→3sd司令官/昨夜「タサハロング」ニ於テ収容セル人員左ノ通 海軍32内重傷13(准士官1)軽傷8(吹雪航海長)、陸軍100内将校2重傷10軽傷49、吾妻丸船員33(船長)内軽傷5 陸軍輸送船員66内重傷7軽傷29 計231』
  25. ^ #昭和17年9月~4水戦詳報(5)p.6『村雨、時雨ハ適時哨区ヲ撤シ2210予定ノ如ク陸上砲撃ヲ実施ス(発射弾数 村雨60発時雨100発)』
  26. ^ #昭和17年9月~4水戦詳報(5)p.7『18日0400「エスペランス」隊ニ進及合同ス。0455軽巡戦隊ニ対シ左斜前約1粁ヨリ敵潜水艦ノ雷撃(発射雷数3)アリ、内1由良ノ左舷前部清水タンクニ命中セルモ不爆ニシテ大ナル損害ナク0930増援部隊全部RX区ニ帰着セリ。』

参考文献

関連作品

関連項目