田園調布

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田園調布(でんえんちょうふ)は、東京都大田区最西端と世田谷区最南端にまたがる地区で、神奈川県に接している。


田園調布(でんえんちょうふ)、田園調布本町(でんえんちょうふほんちょう)、田園調布南(でんえんちょうふみなみ)は大田区にある住居表示上の町名であり、玉川田園調布(たまがわでんえんちょうふ)は世田谷区にある住居表示上の町名である。

一般に「田園調布」というときは、場合により次の4通りの意味合いがある。

  • 田園調布駅西口から半径500m以内の半円部分。高級住宅地のイメージが強い。
  • 住居表示上の「東京都大田区田園調布」。
  • 上記に田園調布本町と田園調布南を加えた地域。1932年に東京市に編入された際の「大森区田園調布」に相当。
  • これにさらに世田谷区玉川田園調布一丁目・二丁目を加えた地域。玉川田園調布も後述の田園都市会社が田園調布と一体の住宅地として造成・分譲を行った土地である。

ここでは大田区田園調布を中心に包括的記述を行う。

概要

理念

田園調布駅西口から広がる放射状道路のイチョウ並木

『理想的な住宅地「田園都市」の開発』を目的とする田園都市株式会社により、1922年大正11年)に開発された田園都市である「洗足田園都市」の理念が継承されている。

地域

田園調布の町名には、大田区の田園調布一丁目〜五丁目・田園調布本町・田園調布南、世田谷区の玉川田園調布一丁目,二丁目がある。現在、高級住宅街のイメージで語られる際の「田園調布」とは、駅西側に広がる扇状の街路付近の大田区田園調布三丁目と四丁目の一部を中心とした一帯を指すが、かつては田園調布一丁目から二丁目にかけての国分寺崖線に面した部分、及び田園調布四丁目から五丁目にかけての多摩川に面した国分寺崖線の辺りに大邸宅が集中していた。現在、多摩川駅周辺の斜面に点在するマンション群はその名残である。

田園調布は、田園調布駅周辺の田園都市会社が分譲を行った地域と、この分譲に合わせて周辺の地主が土地区画整理組合を結成して宅地造成した地域の二つからなる。前者は現在の二丁目の一部(田園調布駅の東側)、三丁目、四丁目の一部と玉川田園調布であり、残りの南、本町、一丁目、二丁目の一部、四丁目の一部、五丁目が土地区画整理組合によって宅地開発が行われた部分である。前者の大田区の部分の町内会が社団法人田園調布会となっている。

大田区田園調布は昭和30年代初頭に住居表示変更が行われ、一丁目から五丁目だったのが一丁目から七丁目に変更された。さらに1970年(昭和45年)に地番改正が行われ、中原街道から北側の田園調布三丁目から七丁目を一丁目から五丁目に、中原街道と東海道新幹線品鶴線(現・横須賀線)に挟まれる田園調布二丁目を田園調布本町、線路の南側の田園調布一丁目を田園調布南とした。

田園調布には、北から田園調布駅多摩川駅沼部駅の3駅がある(沼部駅のみ田園調布本町に所在、他の2駅は田園調布に所在)。

歴史

始まりから調布村誕生まで

  • 多摩川沿いでは奈良時代頃に布を調(税としての特産物)として納めており、これに由来する調布という地名が散見する。
  • 現在の田園調布本町、田園調布南の地域は古い文献には荏原郡沼部郷とみえる。江戸期には上沼部、下沼部の2村が並立した。
  • 1889年(明治22年) 調布村誕生
前年の市町村制公布・実施にともない、この年、荏原郡の鵜の木・嶺・上沼部・下沼部の4村が合併して、調布村となった。

田園都市会社発足から東調布町誕生まで

  • 1918年(大正7年) 田園都市会社(田園都市株式会社)設立
  • 1922年(大正11年) 田園都市会社、荏原郡内の洗足大岡山、調布村、玉川村一帯で理想的な郊外住宅地「田園都市」として宅地開発を行い、この年「洗足田園都市」の分譲を開始。
  • 1923年(大正12年)
  • 目蒲線(目黒蒲田電鉄株式会社)が前年に設立され、この年の3月に目黒-丸子(のちの「沼部駅」)間が開通し、「調布駅」が開業した。なお、この年の11月には蒲田までの全線が開通した。
  • 同じ年、「田園都市多摩川台」の名称で現在の田園調布の地の分譲が開始された。
  • 1925年(大正14年) 調布村が5区に分割、田園都市地域が独立した一つの区となった。
  • 1926年(大正15年) 「調布駅」が「田園調布駅」と改称された。
  • 1928年(昭和3年) 調布村が町制施行して「東調布町」となった。
当時、東京府内には、北多摩郡調布町(現・調布市)が存在したので、荏原郡調布村は町制施行にあたり、既存の調布町との重複を避けるため、東を冠し東調布町とした。

東京市編入以後

東調布町の大字下沼部が田園調布一丁目~三丁目に、大字上沼部が田園調布四丁目となった。 また、田園都市のうちで玉川村に属する地域は世田谷区玉川田園調布となった。 ここに行政区画としての地名「田園調布」が初めて誕生した。
  • 1943年(昭和18年) 東京に都制がしかれ、田園調布は東京都大森区田園調布となった。
  • 1947年(昭和22年) 大森区蒲田区が合併して大田区となり、田園調布は東京都大田区田園調布となった。
  • 1960年(昭和35年) 地番を整理するとともに、田園調布一丁目~四丁目を田園調布一丁目~七丁目に編成替えした。
  • 1970年(昭和45年) 住居表示制度施行にともなう町の境界地名地番の改正。
中原街道から北側の田園調布三丁目~七丁目が田園調布一丁目~五丁目になり、中原街道以南は田園調布二丁目を田園調布本町、田園調布一丁目を田園調布南とした。

地名「田園調布」

地名「田園調布」の起こり

  • この地は古くには上沼部村と下沼部村とがあって、1889年(明治22年)にこれらに鵜の木村と峰村とを合わせた4村が合併して「調布村」になった地域である。
  • 住宅地としての「田園調布」の起源は1923年(大正12年)に田園都市会社が「田園都市多摩川台」として分譲を始めたことにある。 その分譲地は多くが調布村に属し、一部が玉川村に属していた。
  • 同じ1923年に目蒲線が開通し、「調布駅」が開業した。 駅名はここが「調布村」村内であったことによる。
  • 1926年(大正15年)1月に上記駅名に「田園」が冠され、「田園調布駅」となった。 これは東急電鉄によれば「田園都市づくりから」となっている。 この時点での分譲地の一般呼称は「調布田園都市」であり、その年の5月に創立した町内会組織「田園調布会」でも規約第1条に「本会は田園調布会と称し、調布田園都市地域内の居住者をもって組織す。」とあった。 しかし、駅名「田園調布」が次第に地域名としても用いられるようになり、それも当初は田園都市会社が分譲した地域(現在の大田区田園調布二丁目の一部・三丁目、四丁目の一部、世田谷区玉川田園調布一丁目・二丁目にあたる地域)を指したが、次第に隣接する下沼部一帯を合わせて「田園調布」と呼ぶようになった。
  • 1928年(昭和3年) 調布村に町制が敷かれ、「東調布町」となった。
  • 1932年(昭和7年) 東京市へ編入、田園調布の東調布町町内域は上沼部を合わせて大森区田園調布一丁目~四丁目となった。 また玉川村村内域は、住民は田園都市の一体性を理由に大森区への編入を望んだが叶わず、世田谷区玉川田園調布となった。 ここに初めて行政区画としての地名「田園調布」が誕生した。 それ以後の町名の変遷は歴史節を参照。

施設名

1950年田園調布南に開校した東京都立大田高等学校は、1953年2月 東京都立田園調布高等学校に改称している。

警察署や消防署は、当初「東調布警察署」「東調布消防署」を名乗っていたが、1987年(昭和62年)12月に警察署が、1994年(平成6年)11月1日に消防署がそれぞれ「田園調布 - 」と改称した。 ただし、田園調布警察署は田園調布一丁目にあるが、田園調布消防署の所在地は雪谷大塚町である。なお、田園調布を冠した施設には他に「田園調布郵便局」があるが、その所在地は南雪谷であり、これら警察署、消防署、郵便局の三者は中原街道環八通りとの交差点「田園調布陸橋」を囲んで向かい合って存在している。

町のイメージ・環境保持

開発当初は日本の都市に新たに出現した中堅層向けの住宅地であったが、良好な住宅環境であったことから次第に評価が高まり、駅西側に広がる扇状に整備された区画一体は、イチョウの並木と相まって「高級住宅街」としての趣を備えている。地元自治会としては「社団法人田園調布会」があり、住宅の新改築に際しては厳しい制限を求め、環境保全に努めている。 その後、長嶋茂雄など著名人が住んだことや、1980年代には星セント・ルイスのギャグのネタ(「弁がたつ、腕がたつ、田園調布に家が建つ」)にもなり、通俗化が進んだ。横井英樹邸跡は鈴木その子が購入したが、基礎工事途中に当人が亡くなったため、更地に戻された後敷地分割され、現在は6棟の分譲住宅が建てられている。

事件

田園調布駅事件
東京都大田区の東急東横線田園調布駅で2004年6月24日、韓国人武装すり団が利用客らに軽傷を負わせた強盗傷害事件は、犯人グループが発砲するなど激しい抵抗の末、逮捕された。

著名な住人

現在の住人

かつての住人、故人

脚注


関連項目

参考文献

  • 『郷土誌 田園調布』社団法人 田園調布会、2000年。