松尾潔

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松尾 潔
別名 松尾“KC”潔、小山内舞、立田野純
生誕 (1968-01-04) 1968年1月4日(56歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県福岡市
学歴 福岡県立修猷館高等学校
早稲田大学第二文学部卒
ジャンル POPR&BSOUL
職業 ソングライター
音楽プロデューサー
活動期間 1988年 -
事務所 Never Too Much Productions
公式サイト 松尾潔公式サイト〜Never Too Much Productions
ルーサー・ヴァンドロス
マーヴィン・ゲイ
ジェイムス・ブラウン
池波正太郎など

松尾 潔(まつお きよし、1968年1月4日 - )は音楽プロデューサー作詞家作曲家音楽ライター[1]福岡県出身。Never Too Much Productions代表。通称はKC。本名「松尾潔」名義での作詞・作曲活動の他に、「小山内舞」及び「立田野純」名義での作詞も多数ある。

人物

現代黒人音楽の研究者、紹介者であると同時に、プロデューサー、ソングライターとして音楽制作にも直接関わる稀有な存在であり、そのシングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超すビッグプロデューサーでもある[2]

好きなのは、黒人音楽の中でもR&B、つまり黒人の歌謡曲と日本人の歌謡曲という「歌もの」[2]

音楽プロデューサーやソングライターとしては、SPEEDMISIA宇多田ヒカルのデビューの際のブレーンの一人として、あるいは平井堅ブレイクの仕掛け人やCHEMISTRYの生みの親[注 1]として彼らを成功に導き、日本の音楽シーンに多大な貢献をしている[1][2]。それ以外にもEXILE三代目J Soul Brothers東方神起DOUBLEJUJU由紀さおり等、数多くのアーティストの楽曲制作に携わっている。

その一方で、日本を代表するブラックミュージック研究家、音楽ライター、ラジオDJ、ミュージック・フリークでもあり、早稲田大学在学時から始めたライターとしての仕事で取材のために渡米を繰り返す中、非常に困難とされた「ファンクの帝王」故ジェイムス・ブラウンへの密着インタビューや、マイケル・ジャクソンのアルバムを手がけるなど当時世界一の音楽プロデューサーと言われたクインシー・ジョーンズの独占インタビューに成功[2]テンプテーションズルーサー・ヴァンドロスの対面取材や、ジャネット・ジャクソンM.C.ハマーの自宅訪問など大物アーティストのインタビューを多数経験。多くのブラックミュージシャン、シンガーと友人関係を結び、日本への紹介者・窓口となっている。

プロのミュージシャンを目指すようなレベルではなかったが、ピアノベースギタートランペットの経験があり、名前の表記はないものの、「Produced by」とクレジットがある場合は楽器演奏やコーラスでレコーディングに参加していることもある[2]

略歴

1988年、大学在学中にブラックミュージック専門誌『bmr(ブラック・ミュージック・リヴュー)』などでR&BSOULを主な対象として執筆活動を開始、アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められるようになる[1][2]

ライター時代の久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わるようになる。

2002年に開催された日韓共催FIFAワールドカップ2002 FIFA ワールドカップ公式アルバムの曲「Let's Get Together Now」(Voices of KOREA/JAPAN)の作詞及びプロデュースを手がける。同曲は韓国で公式に放送された初めての日本語詞の歌として歴史的な1位を獲得し話題となった。

2007年、EXILEのシングル「Lovers Again」の作詞とプロデュースを手掛け、同曲の作詞家として2007年度JASRAC賞銅賞を受賞。

2008年、西寺郷太NONA REEVES)、アレンジャー毛利泰士とバンド「エキゾチックJAPAN」を結成、リーダーとしてみうらじゅんのテレビ番組「シンボルず」(テレビ東京)の音楽を担当(2008年7月 - 9月)。 同年初夏にスイスで行われた「クインシー・ジョーンズ75歳アニヴァーサリー・セレブレーション」には日本を代表して鷺巣詩郎と参加。同年12月、作詞・共作曲・プロデュースを手掛けたEXILEのシングル「Ti Amo」が第50回日本レコード大賞を受賞。また同曲の作詞・作曲家として2009年度のJASRAC賞銀賞を受賞。

2011年、平井堅のアルバム『JAPANESE SINGER』で10年ぶりにタッグを組み、トータル・プロデュースを行う。同年、作詞・プロデュースを手掛けたJUJUのシングル「この夜を止めてよ」が第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。

2013年、イギリスの人気オーディション番組Xファクターの日本版X Factor Okinawa Japanの審査員に就任。

代表作

アルバム

トータル・プロデューサーとして関与しているものを記す。

シングル

プロデュース・リミックス・楽曲制作で関わった主なアーティスト

日本人アーティスト

海外アーティスト

出演番組

ラジオ

テレビ

著書

出版年月日 作品名 出版社 ISBN 備考
1991年6月10日 鈴木啓志編『USブラック・ディスク・ガイド』 ブルース・インターアクションズ ISBN 9784938339104 共著[3]
2000年11月28日 『TOKYO LONELY WALKER』 扶桑社 ISBN 9784594030216 「週刊SPA!」連載の単行本化[4]
2001年2月23日 『サクセスの秘密-中原昌也対談集』 河出書房新社 ISBN 9784309013992 対談参加。初出は『Ele-king』誌。[5]
2001年3月26日 『夢のカケラ―CHEMISTRY完全ドキュメント』 ソニー・マガジンズ ISBN 9784789716772
2002年6月14日 『学食巡礼』 扶桑社 ISBN 9784594034917 「週刊SPA!」連載の単行本化[6]
2004年11月18日 『NO MUSIC, NO LIFE』平間至 マガジンハウス ISBN 9784838713691 1997年12月[7]
2006年2月25日 『bounce book R&B STANDARDS』 TOKYO FM出版 ISBN 9784887451544 共著[8]
2010年9月15日 『アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界』 文藝春秋 ISBN 9784163720609 対談参加[9]
2014年5月30日 『松尾潔のメロウな日々』 スペースシャワーネットワーク ISBN 9784907435035 序文(山下達郎)[10]

関連人物

脚注

注釈

  1. ^ テレビ東京バラエティ番組ASAYAN」の企画「男子ボーカリストオーディション」にてCHEMISTRYを発掘、彼らの名付け親となって初期のヒット楽曲群をプロデュースした。
  2. ^ a b ただし、携わった楽曲は全てJ-POP楽曲。

出典

  1. ^ a b c 松尾潔”. スマイルカンパニー. 2014年12月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 米田智彦 (2014年8月17日). “音楽とビジネスのあいだでサヴァイヴする方法〜『松尾潔のメロウな日々』出版記念!松尾潔スペシャルインタビュー〜前編”. ライフハッカー日本版. 2014年12月14日閲覧。
  3. ^ USブラック・ディスク・ガイド”. SPACE SHOWER NETWORKS INC.. 2014年6月11日13:00閲覧。
  4. ^ TOKYO LONELY WALKER”. FUSOSHA Publishing Inc.. 2014年6月11日13:00閲覧。
  5. ^ サクセスの秘密”. KAWADE SHOBO SHINSHA. 2014年6月11日13:00閲覧。
  6. ^ 学食巡礼”. FUSOSHA Publishing Inc.. 2014年6月11日13:00閲覧。
  7. ^ NO MUSIC, NO LIFE”. Tower Records Japan Inc.. 2014年6月11日13:00閲覧。
  8. ^ R&B STANDARDS”. Amazon.com, Inc.. 2014年6月11日13:00閲覧。
  9. ^ アフロ・ディズニー2”. Bungeishunju Ltd.. 2014年6月11日13:00閲覧。
  10. ^ 松尾潔のメロウな日々”. SPACE SHOWER NETWORKS INC.. 2014年6月11日13:00閲覧。

外部リンク