斂葬の儀
概要
「斂」の文字は「収斂」の語にもあるように「おさめる」ことを意味し[1]、斂葬の語は、「死者を棺に納めて埋葬すること」を意味する[2]。天皇・皇后・皇太后等以外の皇族が、豊島岡墓地に埋葬されるようになったのは、1873年(明治6年)の稚瑞照彦尊の薨去以来である[3]。皇室典範に定められておらず、したがって「大喪の礼」のような日本国の儀式(皇室典範第24条)ではなく、「大喪儀」のような皇室の儀式である。
天皇崩御の際の「斂葬の儀」は、特別なものであって、いわゆる告別式に当たるものであり、
- 葬場殿の儀 - 新天皇が御誄を読む
- 大喪の礼 - 皇室典範第24条に定められた国葬
- 陵葬の儀 - 埋葬する
の3つの部分で構成される[4]。
構成
- 皇族が薨去(死去)すると、棺が当該皇族の邸宅に設けられた殯宮(もがりのみや、ひんきゅう)に安置される。
- 拝訣 - 天皇、皇后ほかの皇族などの弔問が行われる。
- 御舟入りの儀(おふねいりのぎ) - 一般の葬儀の納棺
- 轜車発引の儀 - 轜車[5](じしゃ、皇族用霊柩車)で、邸宅内の殯宮から豊島岡墓地に棺が遷される。
- 勅使・皇后宮使・その他皇族による葬儀が行われる。天皇・皇后は皇族の葬儀には直接出席せず、使者を遣わすのが古来よりの慣わしである。
- 棺が墓に葬られる。
- 天皇、皇后は諒闇に服す。
脚注
参考文献
- 『日本の皇室』、久能靖、PHP研究所、2008 ISBN 4569703100