島田一の介
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しまだ いちのすけ 島田 一の介 | |
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本名 | 楠 正泰 (くすのき まさやす) |
生年月日 | 1951年5月8日(73歳) |
出生地 | 日本 愛媛県宇和島市 |
血液型 | AB |
職業 | 舞台芸人 |
ジャンル | 舞台(吉本新喜劇) |
活動内容 | 1971年 - |
配偶者 | 既婚(離婚歴あり) |
備考 | |
身長:174cm、体重:68kg |
島田 一の介(しまだ いちのすけ、1951年5月8日[1] - )は愛媛県宇和島市出身の日本の舞台芸人。血液型は、AB型[1]。本名、楠 正泰(くすのき まさやす)。よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、吉本新喜劇にレギュラー出演しているベテラン。
来歴
8人兄弟の末っ子。父は野菜などの種を販売する仕事をしていた[2]。幼少時から吉本新喜劇をテレビで見るうちにファンとなり、入団することにあこがれる[3]。中学卒業時、吉本入りを母に相談するが反対され、地元の愛媛県立宇和島水産高等学校水産製造科に入学。卒業後、兵庫県尼崎市内[3]の蒲鉾加工工場に就職。
工場勤務のかたわら花月に通い、1971年に京都花月に出演していた漫才の島田洋之介・今喜多代のもとに通いつめ、弟子入りを志願して許される[3]。同門の今いくよ・くるよは姉弟子にあたり(初舞台は一の介の方が早い)、島田洋七、島田紳助らの兄弟子となる。NHK漫才コンクールへの出場を目指し、同門の洋七とコンビを結成するが、発音で双方とも訛りが強すぎるなどの理由でほどなく解散[3]。師匠の紹介により、1973年7月に吉本新喜劇へ入団し、脇役として活躍する。
1989年、「新喜劇やめよッカナ!?キャンペーン」時に退団。その後タレント活動をしながら、岡八郎、花紀京ら元新喜劇メンバーとともに吉本新喜劇の地方巡業に出演する。この間、浅香あき恵と漫才コンビを結成するも、1993年に解散している[3]。1996年、内場勝則らが吉本の上層部に一の介の復帰を訴え、正式に再入団[3]。
芸風・ギャグ
- 吉本新喜劇での配役として、父親役、店主役、社長役、ヤクザ役(黒地に白いストライプの入ったスーツを着るのが恒例である)などのほか、謎の原始人役やオカマで登場する。
- アヒルあるいはドナルドダックのような声を出す。
- オカマ口調で「ダメよダメよダメなのよ~」
- 腹立つことがあった時に「もう~腹立つな~、原辰徳~」
- 流行が過ぎ去った人物のものまね。
- 年を重ね、頭頂部の髪が薄くなると、それにかけた駄洒落を言われる、というやりとりが恒例となった。内場が考案[3]。
- 退場時に「アディオス」(言われたほうが「アデランス?」と聞き返すこともある)
人物
後輩の面倒見が良いことで知られ、阪神の尼崎駅近くで自身が経営するバー「ベル」で、若手座員をアルバイト店員として雇っている。
2014年8月24日に放送された『なるみ・岡村の過ぎるTV』では、落語家の桂三象、吉本新喜劇の大島和久が店員として紹介された。この他伊賀健二、たいぞう、木下鮎美、タックルながい。らの勤務が知られる[要出典]。
ベルには弟弟子の紳助も2回ほど来店したことがある。その時の一の介は既にヘベレケだったという(『クイズ!紳助くん』でのフリートークより[信頼性要検証])。
彼と親しいオール巨人は、「性格は本当に優しいし、どんな時でもファンに愛想が良い[要出典]」と彼の人柄を讃えている。
新喜劇入団後、上岡龍太郎に、横山ノック脱退後の漫画トリオに勧誘されたが、断っている[2]。
師匠の名跡を継いで「2代目 島田洋之介」を襲名することを周囲から要請された時期があったが、「私には重すぎる名前です」と辞退した[要出典]。
現在の出演番組
テレビ番組
- よしもと新喜劇(毎日放送)
- なるみ・岡村の過ぎるTV(朝日放送) 準レギュラー(天津飯に関するコーナー担当)