原俊介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。精化工 (会話 | 投稿記録) による 2016年2月25日 (木) 03:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

原 俊介
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県秦野市
生年月日 (1977-08-30) 1977年8月30日(46歳)
身長
体重
180 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手外野手
プロ入り 1995年 ドラフト1位
初出場 2003年3月29日
最終出場 2006年6月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

原 俊介(はら しゅんすけ、1977年8月30日 - )は、神奈川県秦野市出身の元プロ野球選手捕手一塁手外野手)。

来歴・人物

1995年福留孝介の外れドラフト1位で巨人に入団。選手在籍時の監督でもある原辰徳とは、同姓で出身高校も同じであるが、血縁上の繋がりはない。

強肩強打の選手として早い時期からファームの主軸打者であったが、守備位置が一定せず(ポジションは捕手・内野手・たまに外野も)、村田真一に替わる正捕手候補は村田善則小田幸平が起用されることが多く、その後鳴り物入りで入団した阿部慎之助の打撃力の向上もあり、2軍暮らしが長く続いた。8年目の2003年に打撃力のある控え捕手として期待され初めて1軍に昇格。プロ入り初本塁打は、東京ドームの看板直撃弾であったが、2003年7月24日放送のすぽるとで飛ぶボール問題を特集したとき、パワーヒッターではない選手の初本塁打がここまで飛ぶのかと採り上げられた。

2003年横浜戦で受けた唯一の死球はサヨナラとなる押し出し死球だった。

2004年以降は、1軍の捕手が2人体制となり、ファームでは不動の4番として活躍する一方、一・三塁手としての起用が多くなる。

2006年前年まで2番手の捕手として起用された小田幸平が中日ドラゴンズに移籍したことや、2003年1軍に昇格させた原辰徳が監督に復帰したことが追い風になると思われたが、星孝典加藤健、新入団の實松一成などの台頭により、1軍でも打撃面を期待され指名打者や内野手としての起用がメインとなった。

2006年10月2日球団より戦力外通告を受け退団。その後12球団合同トライアウトに参加したものの、採用する球団はなかった。

引退後は早稲田大学人間科学部健康福祉科学科に進学し[1]後藤孝志と立ち上げた野球教室「TOKYO GUTS」でコーチをしていた[2]。2016年4月1日より東海大静岡翔洋高校の野球部監督に就任する[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2003 巨人 40 47 45 7 12 2 1 3 25 8 0 0 0 0 1 0 1 16 2 .267 .298 .556 .853
2004 6 6 5 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .400 .500 .400 .900
2005 9 17 16 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 0 5 1 .125 .176 .125 .301
2006 13 21 19 1 3 1 0 0 4 1 0 0 1 0 1 0 0 4 1 .158 .200 .211 .411
通算:4年 68 91 85 10 19 3 1 3 33 10 0 0 1 0 4 0 1 26 4 .224 .267 .388 .655

記録

背番号

  • 38 (1996年 - 1999年)
  • 62 (2000年 - 2006年)

脚注

  1. ^ a b 元巨人ドラ1・原俊介氏、東海大静岡翔洋監督に就任”. スポーツ報知. 2016年2月23日閲覧。
  2. ^ [1]

関連項目

外部リンク