佐々木勇人
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名前 | ||||||
愛称 | ハヤト | |||||
カタカナ | ササキ ハヤト | |||||
ラテン文字 | SASAKI Hayato | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1982年11月29日(41歳) | |||||
出身地 | 宮城県塩竈市 | |||||
身長 | 164cm | |||||
体重 | 61kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ガンバ大阪 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 8 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2005-2007 2008- |
モンテディオ山形 ガンバ大阪 |
119 (10) 96 (8) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
佐々木 勇人(ささき はやと、1982年11月29日 - )は、宮城県塩竈市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー。
来歴
地元塩竈市の塩釜FCでジュニアユースの監督をしていた父親に育てられ、ジュニアからユースまで同クラブで育つ[1]。ジュニア時代だった1993年には、カカを擁するサンパウロFC下部組織と試合をした経験を持つ[2]。ユース時代に宮城県選抜に選ばれており、この県選抜時代にはのちにチームメイトとなる今野泰幸と共にプレーしている[3]。
2001年に大阪学院大学へと進学する。同校の1年後輩に石櫃洋祐がおり、現在でも仲が良い。サッカーを始めた頃からプロ入りまでは、ずっとトップ下(いわゆる司令塔)のポジションを務めた[4]。プロ入り前に故郷のベガルタ仙台に練習生として参加したが、契約には到らず。その後、同じ東北のライバルクラブであるモンテディオ山形へと入団した[5]。本人はこの時の挫折をバネにしたことで、後に山形で活躍することができたと語っている。
2005年、J2の山形に入団。1シーズン目からレギュラーとして活躍。開幕戦から先発出場を果たし、初得点を挙げた。第7節には約60メートルのロングシュートを決めた[6]。鈴木淳、樋口靖洋両監督に右サイドハーフとして起用され、3シーズンでJ2リーグ戦119試合に出場し、山形の攻撃陣の一角を担った。2007年11月7日の天皇杯4回戦でガンバ大阪と対戦。チームはPK戦で敗れたが、敵将の西野朗監督にその活躍ぶりを見初められ、翌年のガンバ大阪への移籍に繋がった[5]。
2008年、山形からJ1のガンバ大阪へ完全移籍。開幕戦はチーム事情から右サイドバックとして先発出場したものの、その後はしばらく出番に恵まれない時期が続いた。7月16日のFC東京戦では、後半開始から投入されたが機会を生かせず、後半35分に途中交代させられた。この日は悔しくて眠れなかったと語っている[4]。結果的にはこの試合が転機となって、それ以降は自らの持ち味であるスピード感溢れるドリブルを前面に押し出すようになり、それが奏功して出場機会を増やしていった[4][7][8][5]。初めてJ1の舞台で戦ったこの年はリーグ戦19試合に出場した。ACL2008準決勝浦和レッズ戦の2ndレグでは、1点ビハインドの後半に投入され、逆転勝ちに貢献した[8][5]。アデレード・ユナイテッドとの決勝では、両レグに先発出場した。FIFAクラブワールドカップ準々決勝のアデレード・ユナイテッド戦にも先発出場したが、全治3週間の怪我を負い、19分間でピッチを退いた。
2009年は、第2節から主にスーパーサブとして活躍。第8節からは大胆なフォーメーション変更で控えとなった安田理大の代わりに中盤のスターティングメンバーで起用される機会が増え、結局リーグ戦30試合に出場して存在感を示した。翌2010年以降も、主にスーパーサブとしてチームに貢献。
プレースタイル
50メートルを5秒9で走るスピードを持ち、主として右サイドでプレーする攻撃的ミッドフィールダー[2]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 山形 | 26 | J2 | 41 | 4 | - | 1 | 0 | 42 | 4 | |
2006 | 6 | 43 | 4 | - | 2 | 0 | 45 | 4 | |||
2007 | 35 | 2 | - | 2 | 0 | 37 | 2 | ||||
2008 | G大阪 | 16 | J1 | 19 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 22 | 3 |
2009 | 30 | 3 | 2 | 0 | 5 | 1 | 37 | 4 | |||
2010 | 8 | 26 | 3 | 2 | 0 | 5 | 2 | 33 | 5 | ||
2011 | 21 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 24 | 3 | |||
2012 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 96 | 8 | 7 | 1 | 13 | 6 | 116 | 15 | |
日本 | J2 | 119 | 10 | - | 5 | 0 | 124 | 10 | |||
総通算 | 215 | 18 | 7 | 1 | 18 | 6 | 240 | 25 |
その他の公式戦
- 2009年
- スーパーカップ 1試合0得点
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国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2008 | G大阪 | 16 | 6 | 0 | 1 | 0 |
2009 | 5 | 2 | - | |||
2010 | 8 | 6 | 0 | - | ||
2011 | 6 | 0 | - | |||
2012 | 4 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 27 | 2 | 1 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2008年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 2試合0得点
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
経歴
- Jリーグ初出場 - 2005年3月5日 J2 第1節 vsザスパ草津 (群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場)
- Jリーグ初得点 - 2005年3月5日 J2 第1節 vsザスパ草津 (群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場)
- J1 100試合出場 - 2012年4月7日 J1 第5節 vsサンフレッチェ広島 (広島ビッグアーチ)
タイトル
クラブ
- ガンバ大阪
- 天皇杯:2回 (2008年、2009年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回 (2008年)
- パンパシフィックチャンピオンシップ:1回 (2008年)
代表歴
出場大会
- 日本代表候補
関連項目
出典
- ^ PLAYER'S HISTORY 2008 FILE 003 佐々木勇人選手 - ウェイバックマシン(2009年2月8日アーカイブ分) - Jリーグ選手協会(2008年3月1日)
- ^ a b 週刊サッカーマガジン 2010 J1&J2選手名鑑. 日本スポーツ企画出版社. (2010). pp. 31. ISBN 4910239980300{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。
- ^ “宮城県出身・今野&佐々木 G大阪の東北コンビ対談”. スポーツ報知 大阪版 (2012年2月18日). 2012年5月28日閲覧。
- ^ a b c 『GAMBA OSAKA 2009 OFFICIAL YEAR BOOK』 ガンバ大阪、2009年、22頁。
- ^ a b c d “ACL制覇の切り札、佐々木…5日、決勝第1戦”. YOMIURI ONLINE(ウェブ魚拓) (2008年11月4日). 2012年5月28日閲覧。
- ^ “モンテディオ山形・2006戦力分析レポート”. J's GOAL. 2009年3月25日閲覧。
- ^ 『2008 Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2008年、66頁。
- ^ a b 『2009 J1&J2選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2009年、68頁。
外部リンク
- 佐々木 勇人│ガンバ大阪オフィシャルサイト
- 佐々木勇人のサッカーblog
- 佐々木勇人 (@hayaaaaam) - X(旧Twitter)
- 佐々木勇人 – FIFA主催大会成績(英語)