ポルシェ・956
1982年ル・マン24時間レース優勝車 | |
カテゴリー | グループC |
---|---|
コンストラクター | ポルシェ |
先代 | ポルシェ・936 |
後継 | ポルシェ・962C |
主要諸元 | |
シャシー | アルミ ツインチューブ モノコック |
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン |
サスペンション(後) | アッパー:ロッカーアーム / ロワー:ウィッシュボーン |
全長 | 4,770 mm[1] |
全幅 | 1,990 mm[1] |
全高 | 1,080 mm[1] |
トレッド | 前:1,648 mm / 後:1,548 mm[1] |
ホイールベース | 2,650 mm[1] |
エンジン | 935/76型[1] 2,650cc[1] F6[1] ミッドシップ |
トランスミッション | ポルシェ 5速[1] MT[1] なし |
重量 | 820 kg[1] |
燃料 | ガソリン |
タイヤ | ダンロップ製600/280×16/650/350×16[1] |
主要成績 | |
初戦 | 1982年シルバーストン6時間 |
初勝利 | 1982年ル・マン24時間 |
ポルシェ・956は、ポルシェが、1982年に発効したFIAの新規定(のひとつ)グループCに合わせて造ったプロトタイプレーシングカー(特に、いわゆる「Cカー」)である。開発責任者はノルベルト・ジンガー。ワークススペックが10台、カスタマースペックが1983年型12台、モトロニックを搭載し、956Bともいわれる1984年型6台の計18台が製作された。
概要
ポルシェは1976年に世界スポーツカー選手権参戦用にグループ6規格のスポーツプロトタイプカー、ポルシェ・936を開発・製作した。ポルシェは世界スポーツカー選手権の参戦を1年で切り上げ、その後はル・マン24時間レースでのみ936のレース活動が行われていた。1982年から新たにグループC規格で世界耐久選手権が行われることになり、ポルシェは936に代わるスポーツプロトタイプカー、956を開発・製作した。
デビュー年の1982年はワークスのみが956を使用したが、1983年から有力なカスタマー・チームにも販売されるようになり、956の後継車ポルシェ・962とともに世界中のスポーツカーレースで活躍した。
エンジン
935/76型
ポルシェがインディ500参戦用に開発した空水冷・水平対向6気筒・シングルターボの935/72型エンジンをツインターボ化したもので、ポルシェ・935/81に搭載されたものをほぼそのまま流用した[1]。1982年にワークスが、1983年にはカスタマーチームがそれぞれ使用した。
排気量は2,650ccで、ヘッドのみ水冷である[1]。左右3気筒ずつを担当する2個のKKK製K26-3060Gターボチャージャーを装着し1.2バール[1]に過給し、圧縮比7.2[1]、650PS[1]/8,200rpm[1][注釈 1][注釈 2]。ただし1982年のル・マン24時間レースでは燃費向上のため過給圧を1.1バールとしている。エンジンマネージメントシステムは当初ボッシュモトロニックMP1.2を使用する予定だったが間に合わず、クーゲルフィッシャー製機械式インジェクションを使用した。
ディフューザーの傾斜角を確保するため、エンジンを前掲させて搭載している。
1983年にはバランスチューブでサージタンクを接続し、左右のサージタンク内の過給圧が均等になるよう改良が行われた。
935/82型
935/76型のエンジンマネージメントシステムをボッシュ製のエレクトリックコントロールユニット、モトロニックMP1.2により電子制御化したもの。冷却方式も、それまでのシリンダーヘッドだけが水冷だったものからシリンダーブロックも含めた全水冷に変更された。ワークスが1982年のシーズン後半に試用後、1983年から使用。1984年からはカスタマーチームにも供給された。
1984年にはツインインジェクター化された[2]。また、1986年には排気量を2.8リットルに拡大されたものが、カスタマーチームに供給された。
シャーシ
956のエンジンはミッドシップに搭載され、燃料タンクはシート後部に配置される。ラジエーター、インタークーラーなどはコックピットの側面に装備されている。
ポルシェは936までは鋼管スペースフレームのシャシーを使用していたが、グランドエフェクトによるダウンフォース増大に対応するため、956でポルシェでは初となるツインチューブ式のアルミニウムモノコックを採用した[3]。モノコックはアルミ板をリベットで接続、接着剤も使用し組み上げたもので重量に比して高い剛性を得ることができた[4]。
サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーンで、リヤサスペンションのコイル・スプリングはディフューザーのアップスイープに干渉しないようにアッパーアームの上部に配置されている。
カウルは1982年製作の物はFRPを使用していたが、1983年製作の物からケブラーに材質が変更され17kgの軽量化が図られた[4]。
ホイールは前後とも16inが標準であったが、962C登場後、性能向上を目的に962Cのリヤサスペンションとリヤカウルを使用するチームが多くなった[5]。
トランスミッション
空力
グループCが燃費フォーミュラであることから低ドラッグであることが求められ、ポルシェとしては初めてグラウンド・エフェクトカーとして製作された。水平対向エンジンは横幅があるためグラウンド・エフェクトカーには不向きであるが、エンジンを5度前傾させて搭載しディフューザーのスペースを確保した。また、フロント床下部にはポルシェハンプと俗称される逆翼状の窪みを設けている。これはフロント・ベンチュリとして機能し、床下の気流の流速を維持する効果があるという。リアウィングは垂直安定板を介してカウルに装着される。
約6kmの長い直線が特徴だったル・マン24時間レースにおいては速度性能を重視し、低ドラッグ、低ダウンフォースのローウイング・ロングテール仕様の機材が用意された。ただし、延長されているのはテールカウルのみであり、そこにマウントされるリアウイングの後端垂線位置に変更はない。これは全長が4,800mm以内というレギュレーションによるものであり、よってノーマル機材とル・マン機材、いずれも全長は同一である。ポルシェハンプは採用されていない[4][6][7]。
開発年譜
1982年
1983年
- ワークス、935/82エンジンに移行。
- 1982年のワークス・マシンと同型車を有力なカスタマー・チームに販売開始した[9]。
1984年
- 1983年のワークス・マシンと同型車をカスタマー・チームに販売(956B)。
- ヨースト・レーシング(以下ヨースト)、WEC第3戦ル・マン24時間にメカニカルインジェクション仕様のエンジンを使用して優勝。
- リチャード・ロイド・レーシング(RLR)、アルミハニカム製モノコックの956-106BをWEC第7戦スパ1000kmにデビューさせる。
- ワークス、WEC第8戦イモラ1000kmの予選でデュアルクラッチトランスミッション、PDKを試用。
- ワークス他一部カスタマーチーム、ベンチュリー効果向上のためアンダーパネルのエンジン下部にある排熱ルーバーを塞ぎ、アンダーパネルのトランスミッション付近に排熱用のスリットを設けた[10]。
1985年
1986年
- 世界選手権、WECからスプリント・イベントを含むWSPCに移行。
- ポルシェ、カスタマー・チームに2.8リットル仕様の935/82エンジンを供給。
- ヨースト、ル・マンの予選で大型ターボチャージャー付き3.2リットルエンジンを使用[12]。
- ブルン・モータースポーツ、WSPCの予選で空水冷3.2リットルエンジンを使用。
最強マシン
ル・マン24時間レースを1982年 - 1985年にかけて4連覇するなど、圧倒的な強さを誇った。1982年のル・マン24時間レースでは1、2、3号車がゼッケンナンバー通りに1、2、3位を独占した。
1983年からカスタマースペックが市販されたことから、ヨースト・レーシング、ブルン・モータースポーツをはじめとするヨーロッパのプライベーターが多数使用し、1983年のル・マン24時間レースでは9位を除くベスト10を独占、1984年のル・マン24時間レースにはFIAへの抗議のためワークスが欠場したにもかかわらず8位と10位を除くベスト10を独占している。
またニュルブルクリンク北コース(L=20.832km[9])での絶対コースレコード6分11秒13[9]は、ドイツの新鋭であったステファン・ベロフが1983年のニュルブルクリンク1,000kmの最終予選中にこの車で記録したものである[9]。
日本国内のレース戦績
1983年の全日本耐久選手権 (JSPC) に、ノバ・エンジニアリングがル・マン用ローウイング・ロングテール仕様のトラストポルシェ956を参戦させ、富士1000kmでのデビューウィン以降ほぼ全勝の輝かしい戦績を残した。 同年秋に開催された世界耐久選手権(WEC)シリーズ中の1戦、WEC-JAPAN(富士1,000Km)には956勢の中でただ1台ローウイング・ロングテール仕様で参戦。低ドラッグによる燃費の良さを生かして快走を見せ、同じカスタマー仕様の956を使用する海外の各有力プライベートチームを上回り、燃費・パワーの点で有利なボッシュモトロニックMP1.2を使用するワークスチームに次ぐ3位入賞を果たした。ヨーストをはじめとする海外有力プライベートチームも参加する中での3位入賞は、日本のプライベートチームのレベルの高さを示すことができたとされ、翌年以降、他の国内プライベートチームにも956が提供されることになった。
1984年以降は国内プライベートチームも大幅に増加し、トヨタ(WRC用グループBセリカにも使用されていた4T-Gターボを転用したトムス・83C)、日産(日産・スカイラインターボCや、マーチ製シャーシにLZ20Bターボを搭載したマーチ・83G)のワークスチームを相手に圧倒的な強さを示し続けながら、国内耐久レースを盛り上げた。 956と、その後ポルシェ・962Cの国内プライベートチーム提供によって起きた国内耐久シリーズの盛り上がりがトヨタ、日産ワークスチームのル・マン24時間レース参戦に繋がったことは間違いなく、間接的ながら国内モータースポーツ発展に大きな功績があったといえる。
ノバの森脇基恭は、956について「マシンに6ヶ月保証が付いている」「エンジンに6,000kmまでオーバーホール不要の保証が付いている」「エンジンのオーバーホールがポルシェの一般車と同じ工場で行われるため費用が格安」「WEC全戦にポルシェからサービスカーが派遣されスペアパーツがその場で購入できる」などアフターセールの良さについて絶賛している[13]。
引退
グループCの安全規定が変更(ドライバーのつま先がフロント車軸より後ろになくてはならない)されたことにより956は1987年以降は出場できなくなり、この規定に沿ってモディファイされた後継モデルの962Cにその座を譲り渡した。しかし、実質上は962Cは956の「エボリューションモデル」という位置づけになるため、基本的には同一車種として見なすことができる。
主なドライバー
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『Racing On』459号 pp.14-19。
- ^ 熊野学、『全日本富士500kmレース ニューマシン・リサーチ』、「オートスポーツ」 No.399、三栄書房 、1984年。
- ^ 「カーグラフィック」 No.524、p.199、二玄社、2004年。
- ^ a b c ポール・フレール、『トラックインプレッション:ポルシェ956』、「カーグラフィック」 No.268、1983年。
- ^ 「Racing On」 No.459、p.43、三栄書房、2012年。
- ^ 「カーグラフィック」 No.318、二玄社、1987年、pp.201-203。
- ^ 「モデルグラフィックス」 No.285、大日本絵画、2008年、p.23。
- ^ 「カーグラフィック」No.268、p.233 二玄社、1983年。
- ^ a b c d 『Racing On』459号 p.96-103「シュテファン・ベロフ」。
- ^ 「オートスポーツ」 No.408、p.38、三栄書房、1984年。
- ^ 「カーグラフィック」 No.294、p.238、二玄社、1985年。
- ^ 「カーグラフィック」 No.305、p.90、二玄社、1986年。
- ^ 森脇基恭、『GARAGE TALK 4.史上最強の耐久レースマシン、ポルシェ956のこと』、「Racing On」 No.012、武集書房、1987年。
参考文献
- 『Racing On459号 特集 ポルシェ956』三栄書房 2012年7月15日発行 ISBN 978-4779615276
- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2