フェニックス・サンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。TjBot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月23日 (水) 00:52個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.2) (ロボットによる 追加: ka:ფინიქს სანსი)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

  • チームの通算成績と情報

フェニックス・サンズPhoenix Suns)は、アリゾナ州フェニックスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。チーム名は本拠地フェニックスが砂漠の上に建造された都市であるから。砂漠に太陽は付きもののイメージである。

日本で初めて公式戦を行なったチーム(対ユタ・ジャズ)である。

歴史

サンズは1968年に拡張チームとしてリーグに加わった。初年度は16勝66敗とリーグ最下位に終わり、翌シーズンは39勝まで勝ちを増やしたものの勝ち越すことはできなかった。3年目以降は勝率5割を前後する平均的なチームとして数年を過ごした。初期のサンズではコニー・ホーキンズディック・バン・アースデールらがスター選手だった。

42勝40敗と凡庸な成績で終わった1975-76シーズンは、サンズにとって記念すべきシーズンとなった。プレイオフを勝ち進み、地区決勝で前年優勝していたゴールデンステート・ウォリアーズを4勝3敗で下し、NBAファイナルへ進出。8年目のチームであるサンズは名門ボストン・セルティックスと優勝を争った。

1976年のファイナル第5戦

設立8年目で初めてサンズが進出した1976年NBAファイナル第5戦は、今もしばしばリーグ史上最高の名勝負に挙げられる。古豪ボストン・セルティックスのホームアリーナボストン・ガーデンで同年6月4日に行われたこの試合は延長3回にも及ぶ激戦だった。この時点でシリーズ成績は2勝2敗のタイであり、勝ったチームが優勝に王手をかける重要な試合だった。

試合は規定時間48分を同点で終え、延長に入った。しかし5分の延長でも勝負がつかず、二度目の延長を迎えた。

二度目の延長も残り4秒となった時点で、サンズは1点リードした。ボールを持ったセルティックスのジョン・ハブリチェックはコートを駆け抜けシュートを放ち、逆転。セルティックスが勝ったと考えたボストンのファンがコートに溢れ出す事態となった。

審判は試合がまだ1秒残っていると判断し、ファンが観客席に戻されるとサンズボールから再開となった。ここでサンズのポール・ウェストファルはもう残されていないタイムアウトを敢えて請求。サンズのテクニカルファウルとなり、セルティックスにフリースロー1本が与えられた。セルティックスはフリースローを沈め点差は2点となったが、サンズはコート中央からボールを入れられることになった。

インバウンズパスを受けたサンズのガー・ハードがシュートを決め、三度目の延長が決まった。既に両チームとも主力選手の多くがファウルアウトしており、延長3回では普段控えの選手が活躍した。試合は128対126でセルティックスの勝利となった。試合終了後、選手たちは疲労のため立ち上がれないほどだった。

二日後に行われた第6戦をセルティックスが制し、サンズの初優勝はならなかった。NBAファイナルで延長3回にまで入ったのはこの時が初めてであり、17年後のNBAファイナルでもサンズは延長3回の試合を経験した。この二つの試合はNBAファイナル史上最長の試合と2番目に長く続いた試合である。

その後のサンズは数シーズンに渡り勝率5割を越える中堅のチームだった。1980年には55勝27敗、翌1981年には57勝25敗とリーグでも屈指の勝ち星をあげたが、プレイオフでは勝ち残れなかった。以降は次第に勝率が落ち、1973年以来チームを率いてきたジョン・マクリードヘッドコーチが1986年に退いた。

バークレーの獲得

80年代後半、サンズはヘッドコーチが定着せず成績もリーグ下位に留まっていたが、チーム初期のヘッドコーチでもあったコットン・フィッツシモンズ1989年に再びヘッドコーチに就くと、サンズは次第に西地区有数の強豪へと成長していった。1988年にトレードでやってきたケビン・ジョンソントム・チェンバーズはチームを牽引し、同じ年にドラフトで指名されたダン・マーリーも次第に中心選手となっていった。

フィッツシモンズに代わり70年代にチームのエースだったポール・ウェストファルがヘッドコーチに就いた1993年、トレードでチャールズ・バークレーがサンズに加わった。このシーズン、サンズは当時チーム史上最多の62勝20敗をあげ、バークレーはMVPに選ばれた。17年ぶりにNBAファイナルに進出したサンズは、3連覇を狙うシカゴ・ブルズと対戦。サンズはホームコートアドバンテージを得ていたものの、2勝4敗で優勝はならなかった。

キッドの時代

以降数シーズンのサンズは西地区で上位のチームだったが1996年には41勝41敗と勝率5割、この年バークレーはトレードでチームを去った。同年ドラフトでスティーブ・ナッシュを指名したものの活躍の機会は少なく、1998年にはトレードされた。この時期サンズの中心として活躍したのは、同じく96年にトレードでチーム入りしたジェイソン・キッドだった。サンズの勝率は数年に渡り6割を越え、1999-2000シーズン前に加入したアンファニー・ハーダウェイとの「バックコート2000」は話題を呼んだが、キッドは妻への暴行が批判され、2001年にはチームを離れた。

キッドとのトレードでサンズに加わったのはステフォン・マーブリーだったがチーム成績は伸び悩んだ。2003-04シーズン中にはマーベリーをトレードに出し、マイク・ダントーニをHCに迎えるなど、チーム改革に乗り出した。

ナッシュの2年連続MVPとラン&ガンオフェンス

2004-05シーズンには、かつてトレードに出したスティーブ・ナッシュを再び獲得。ダントーニ体制のもと、ナッシュ、ショーン・マリオンアマレ・スタウダマイアーを中心としたラン&ガンオフェンスはリーグを席巻するようになる。ナッシュを獲得したばかりの2004-05シーズンには62勝20敗の成績で一気にリーグ首位に駆け上がり、ナッシュはMVPを獲得した。プレーオフでもカンファレンス決勝まで勝ち上がるも、サンアントニオ・スパーズの前に敗退する。以後、サンズはこのスパーズに苦杯を舐めさせ続けられることになる。

翌2005-06シーズンにはスタウダマイアーがひざの故障のためシーズンをほぼ全休するも、ボリス・ディアウがスタウダマイアーの代行を行い、昨年の成績にやや劣るがサンズは好調を維持した。最終的にはディアウはMIP(最も成長した選手)を受賞し、ナッシュは2年連続でMVPを獲得。ナッシュの2年連続MVPの快挙はポイントガードとしてはマジック・ジョンソン以来である。プレーオフでは再びカンファレンス決勝まで勝ち上がるも、ダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスの前にスタウダマイアー不在が響き敗退し、ファイナル制覇が打ち砕かれた。

2006-07シーズンにはスタウダマイアーが復帰し、リアンドロ・バルボサがサンズ史上4人目となるNBAシックスマン賞を受賞した。シーズン中には15連勝と17連勝をし、予想通りの好調を見せ、サンズは61勝21敗の好成績を収めた。そしてプレーオフでは一回戦でマーベリックスがウォーリアーズに敗退したため、サンズがファイナル進出優勢と言われた。奇しくもカンファレンス準決勝で再びスパーズと対戦。このシリーズではナッシュの負傷、スタウダマイアー、ディアウの出場停止処分など数々の不幸がサンズを襲い、サンズは再びスパーズの軍門に降った。一説にはダントーニの浅いローテンションが仇となり、スターターを除けばあまり試合をこなしていない選手だけだったので、一気にチームとして弱まったと言われている。

2007-08シーズン中にはマリオンをトレードに出し、代わりにシャキール・オニールを獲得。移籍当初オニールにより、ラン&ガンオフェンスのスタイルが崩れると懸念されていた。大型トレード後初めの9試合、サンズは3勝6敗となり、首位から落ち、周りからトレードが失敗したと非難される。しかし、オニールとサンズのオフェンススタイルがうまく噛み始め、レギュラー・シーズンの間スパーズとの対戦成績を3勝1敗(オニール移籍以来2勝)に収め、満を持して初のファイナル制覇に向けて勝負に出た。何かの因縁かのようにプレーオフ1回戦でまたスパーズに対戦することになった。しかし、ディフェンスの弱さを露呈したサンズは再びスパーズに勝つことは出来なかった。シーズン中にダントーニのオフェンス重視とスティーブ・カーGMのディフェンス重視の方針に摩擦が起き、互いの関係に亀裂が生じたと報道された。プレーオフ敗退後、チーム戦略の違いからダントーニはサンズの環境に限界を感じ、新天地を求め始めた。会議を重ね、カーはダントーニを引きとめようとした。しかし最終的にサンズはダントーニにオファーが来ているシカゴ・ブルズニューヨーク・ニックスとの交渉の許可を与え、ダントーニはサンズの監督を辞退し、ニックスの監督に就任することを決めた。

2008-09シーズンにはヘッドコーチをテリ-・ポーターに変え、ディフェンス重視の戦術を目指すも、上手くいかずに開幕から出遅れ、オールスター直前にはポーターは解雇される。その後、ACのアルビン・ジェントリーが指揮を執り、ラン&ガンオフェンスの復活を目指すもときすでに遅し。46勝36敗でプレ-オフ進出を逃す。

2009-10シーズンは、シーズン開幕からラン&ガンオフェンスが冴え渡り、チームは好調。プレーオフにも返り咲いた。カンファレンスセミファイナルでは因縁のスパーズと対戦。これまでスパーズに苦汁をなめられていたが、持ち前のラン&ガンオフェンスでスパーズを翻弄。第3戦では控えのゴラン・ドラギッチチャニング・フライらが活躍し、第4戦ではナッシュが怪我で途中退場するアクシデントがあったが、スイープでスパーズを下し、2005-06シーズン以来のカンファレンスファイナルに駒を進めた。カンファレンス決勝では、王者ロサンゼルス・レイカーズ相手に善戦するも、2勝4敗で惜敗した。

シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
フェニックス・サンズ
1968-69 16 66 .195
1969-70 39 43 .476 ディビジョン準決勝敗退 レイカーズ 4, サンズ 3
1970-71 48 34 .585
1971-72 49 33 .598
1972-73 38 44 .463
1973-74 30 52 .366
1974-75 32 50 .390
1975-76 42 40 .512 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
サンズ 4, ソニックス 2
サンズ 4, ウォリアーズ 3
セルティックス 4, サンズ 2
1976-77 34 48 .415
1977-78 49 33 .598 1回戦敗退 バックス 2, サンズ 0
1978-79 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 2, ブレイザーズ 1
サンズ 4, カンザスシティ 1
ソニックス 4, サンズ 3
1979-80 55 27 .671 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 2, カンザスシティ 1
レイカーズ 4, サンズ 1
1980-81 57 25 .695 カンファレンス準決勝敗退 カンザスシティ 4, サンズ 3
1981-82 46 36 .561 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 2, ナゲッツ 1
レイカーズ 4, サンズ 0
1982-83 53 29 .646 1回戦敗退 ナゲッツ 2, サンズ 1
1983-84 41 41 .500 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ブレイザーズ 2
サンズ 4, ジャズ 2
レイカーズ 4, サンズ 2
1984-85 36 46 .439 1回戦敗退 レイカーズ 3, サンズ 0
1985-86 32 50 .390
1986-87 36 46 .439
1987-88 28 54 .341
1988-89 55 27 .671 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ナゲッツ 0
サンズ 4, ウォリアーズ 1
レイカーズ 4, サンズ 0
1989-90 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ジャズ 2
サンズ 4, レイカーズ 1
ブレイザーズ 4, サンズ 2
1990-91 55 27 .671 1回戦敗退 ジャズ 3, サンズ 1
1991-92 53 29 .646 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, スパーズ 0
ブレイザーズ 4, サンズ 1
1992-93 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
サンズ 3, レイカーズ 2
サンズ 4, スパーズ 2
サンズ 4, ソニックス 3
ブルズ 4, サンズ 2
1993-94 56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, ウォリアーズ 0
ロケッツ 4, サンズ 3
1994-95 59 23 .720 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, ブレイザーズ 0
ロケッツ 4, サンズ 3
1995-96 41 41 .500 1回戦敗退 スパーズ 3, サンズ 1
1996-97 40 42 .488 1回戦敗退 ソニックス 3, サンズ 2
1997-98 56 26 .683 1回戦敗退 スパーズ 3, サンズ 1
1998-99 27 23 .540 1回戦敗退 ブレイザーズ 3, サンズ 0
1999-00 53 29 .646 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, スパーズ 1
レイカーズ 4, サンズ 1
2000-01 51 31 .622 1回戦敗退 キングス 3, サンズ 1
2001-02 36 46 .439
2002-03 44 38 .537 1回戦敗退 スパーズ 4, サンズ 2
2003-04 29 53 .354
2004-05 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, グリズリーズ 0
サンズ 4, マーベリックス 2
スパーズ 4, サンズ 1
2005-06 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, レイカーズ 3
サンズ 4, クリッパーズ 3
マーベリックス 4, サンズ 2
2006-07 61 21 .744 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 4, レイカーズ 1
スパーズ 4, サンズ 2
2007-08 55 27 .671 1回戦敗退 スパーズ 4, サンズ 1
2008-09 46 36 .561
2009-10 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, ブレイザーズ 2
サンズ 4, スパーズ 0
レイカーズ 4, サンズ 2
2010-11 40 42 .488
通算勝敗 1954 1540 .559
プレイオフ 132 141 .484

主な選手

現役選手

フェニックス・サンズ ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G 8 グレイソン・アレン (Grayson Allen) アメリカ合衆国 28 (1995/10/08) 6 ft 4 in (1.93 m) 198 lb (90 kg) デューク大学 
F/C 27 ウドカ・アズブキ (Udoka Azubuike)  ナイジェリア 24 (1999/09/17) 6 ft 11 in (2.11 m) 270 lb (122 kg) カンザス大学 
G 3 ブラッドリー・ビール (Bradley Beal) アメリカ合衆国 30 (1993/06/28) 6 ft 3 in (1.91 m) 207 lb (94 kg) フロリダ大学 
F/C 11 ボル・ボル (Bol Bol) アメリカ合衆国 24 (1999/11/16) 7 ft 3 in (2.21 m) 220 lb (100 kg) オレゴン大学 
G 1 デビン・ブッカー (Devin Booker) アメリカ合衆国 27 (1996/10/30) 6 ft 6 in (1.98 m) 206 lb (93 kg) ケンタッキー大学 
F 35 ケビン・デュラント (Kevin Durant) アメリカ合衆国 35 (1988/09/29) 6 ft 10 in (2.08 m) 240 lb (109 kg) テキサス大学 
C 14 ドリュー・ユーバンクス (Drew Eubanks) アメリカ合衆国 27 (1997/02/01) 6 ft 10 in (2.08 m) 240 lb (109 kg) オレゴン州立大学 [1]
G 23 エリック・ゴードン (Eric Gordon) アメリカ合衆国 35 (1988/12/25) 6 ft 3 in (1.91 m) 215 lb (98 kg) インディアナ大学 
G/F 10 デイミオン・リー (Damion Lee) アメリカ合衆国 31 (1992/10/21) 6 ft 5 in (1.96 m) 210 lb (95 kg) ルイビル大学 
G 38 セイベン・リー (Saben Lee)  アメリカ合衆国 24 (1999/06/23) 6 ft 2 in (1.88 m) 183 lb (83 kg) ヴァンダービルト大学 
G/F 25 ナシール・リトル (Nassir Little) アメリカ合衆国 24 (2000/02/11) 6 ft 5 in (1.96 m) 220 lb (100 kg) ノースカロライナ大学 
C 20 ユスフ・ヌルキッチ (Jusuf Nurkić) ボスニア・ヘルツェゴビナ 29 (1994/08/23) 6 ft 11 in (2.11 m) 290 lb (132 kg) ボスニア・ヘルツェゴビナ 
G 2 ジョシュ・オコーギー (Josh Okogie) ナイジェリア 24 (1999/08/26) 6 ft 9 in (2.06 m) 264 lb (120 kg) ジョージア工科大学 
F 00 ロイス・オニール (Royce O'Neale) アメリカ合衆国 30 (1993/06/05) 6 ft 5 in (1.96 m) 226 lb (103 kg) ベイラー大学 
F 21 デビッド・ロディー (David Roddy) アメリカ合衆国 23 (2001/03/27) 6 ft 6 in (1.98 m) 255 lb (116 kg) コロラド州立大学 
G 4 アイザイア・トーマス (Isaiah Thomas) アメリカ合衆国 35 (1989/02/07) 5 ft 9 in (1.75 m) 185 lb (84 kg) ワシントン大学 
F 12 イシュ・ウェインライト (Ish Wainright)  アメリカ合衆国 29 (1994/09/12) 6 ft 5 in (1.96 m) 250 lb (113 kg) ベイラー大学 
F 30 サデウス・ヤング (Thaddeus Young) アメリカ合衆国 35 (1988/06/21) 6 ft 8 in (2.03 m) 225 lb (102 kg) ジョージア工科大学 

記号説明


外部リンク


更新日:2012年05月23日


年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人

1960年代

1970年代 (プレイオフ進出:3回 ファイナル進出:1回)

1980年代 (プレイオフ進出:7回)

1990年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:1回)

2000年代 (プレイオフ進出:6回)

永久欠番

日本人プレイヤー

コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

殿堂入り

日本での公式戦

  • 1990年11月に、ユタ・ジャズと共に来日し東京体育館で公式戦2試合を行った。アメリカのスポーツにおいて北米以外で行われた初めての公式戦だった。ケビン・ジョンソンとトム・チェンバースが共に1試合平均28.5得点を叩き出したが、対戦成績は1勝1敗の5分に終わった。

チーム記録

フェニックス・サンズのチーム記録

外部リンク

Template:Link GA