ウォール街

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ウォール街とブロードウェイの交差点から見たニューヨーク証券取引所

ウォール街(ウォールがい、Wall Streetウォールストリート)は、ニューヨークマンハッタンの南端部(ロウアーマンハッタン)に位置する細い通りの一つ。ブロードウェイから東へイースト・リバーに下る場所にある。

現在では通りの周辺の区域も含めて、世界の金融地区「ウォール街」として定着しており、ニューヨーク証券取引所をはじめ米国の金融史とゆかりのある地区である。米国の金融業界や証券市場を指す比喩としての用法もある。

しかし現在では多くの金融機関が、かつてウォール街に置いていた本社機能をミッドタウンニュージャージー州ブリッジポートへと移転させてしまっている。JPモルガン・チェースが最後まで残っていたが、2001年11月、本社ビルをドイツ銀行に売却した。このため、もはやウォール街には純米国資本の大手金融機関の本部は存在しない。

付近にはニューヨーク連邦準備銀行フェデラル・ホールトリニティーチャーチなどもある。ブロードウェイを南に少し下ったところにある雄牛像は有名。なお、今や観光名物となったこのブロンズ像Charging Bull(仮訳:突進する雄牛)」は、イタリアシチリア島出身の芸術家アルトゥーロ・ディ・モディカArturo Di Modica)が制作し、1989年12月15日に無許可でニューヨーク証券取引所前に設置したものだが、その後様々な手続きを経て現在の場所に至る。

歴史

ウォール街の道路標識

1652年、オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の植民地ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)を管轄していたオランダ西インド会社が、インディアンや、ニューイングランドに入植したイギリス人からの攻撃に備えて、木材などを利用して築いた防護壁(wall)に由来する。もっとも実際の戦闘で利用されることはなく、1699年に解体された。

1792年材木の取引のために商人投資家が集まり非公式に取引所を開設した。これがニューヨーク証券取引所のはじまりである。

20世紀に入るとアメリカの繁栄に従い、世界の金融の中心として発達する。

関連項目

座標: 北緯40度42分23秒 西経74度0分34秒 / 北緯40.70639度 西経74.00944度 / 40.70639; -74.00944

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