お化け屋敷

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お化け屋敷の一例
お化け屋敷入り口

お化け屋敷(おばけやしき)は、お化けの出そうな状況を作り出して客に恐怖心を煽るために作られた日本娯楽施設[1]。日本以外にも類似の施設はあり、英語では"haunted house"、"haunted attraction"などと呼ぶ。

概要

娯楽施設としてのお化け屋敷は、映像音響からくり役者などを駆使し、利用者に対し幽霊や怪物に対する恐怖を疑似体験させ、楽しませる事を目的とする施設である。遊園地等に常設される例は多い。また、日本では他、祭りに際して屋台等と並んで臨時に設けられる場合も多い。なお、仮設営業されるものは見世物小屋の一形態であり、「薮」と呼ばれた[2]

お化け屋敷を大きく分類すると、以下の種類に分けられる。

ウォークスルー型
名称の通り決められた通路を歩いて進む、最も一般的なもの。人形や音響効果などを使った仕掛けの他、最近ではよりリアリティを追求する為に独自のストーリーを持たせたり、人がお化け役として客を驚かしたりするものが多い。一部では、通路に分岐が設けられており間違えると元来た道へ戻されるというもの、靴を脱いで入らなければならないもの、入る前と出た後で心拍数を計測し、それによってランク付けされるというものなどもある。富士急ハイランドの「絶凶・戦慄迷宮」、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの「ザ・マミー・ミュージアム〜ハムナプトラ 神々の呪い〜」、ナムコ・ナンジャタウンの「怨念旅館」などがこのタイプ。
ライド型
特定の小型の乗り物に乗り、ガイドレールに沿って一定の速度で進んでいくもの。お化け役の人が出るというものは極めて少なく、客の側まで来て驚かすという事があまり無い為、お化け屋敷としてはあまり怖くない部類に入る。東京ディズニーランドの「ホーンテッドマンション」、浅草花やしきの「スリラーカー」、としまえんの「ミステリーゾーン」などがこのタイプ。
3Dサウンド型
ヘッドフォンを装着し、そこから流れてくる音声を聴くというもの。一部では部屋に仕掛けが施されているものもある。比較的狭い密室の中に案内され、終わるまで出る事ができないという恐怖感がある。富士急ハイランドの「血に飢えた病棟」、ナムコ・ナンジャタウンの「地獄便所」、浅草花やしきの「ゴーストの館」などがこのタイプ。
シアター型
比較的大人数収容できる広い部屋で、映像を観たり音声を聴いたりするというもの。富士急ハイランドの「稲川淳二の棺桶劇場」、東京ジョイポリスの「ダークチャペル」などがこのタイプ。

施設

デカンショ祭りお化け屋敷

娯楽施設では、建物内を暗くして亡霊や妖怪が出そうなシーンを演出する。皿屋敷のような怪談の幽霊が登場する場面を再現したり、各所に幽霊に扮した人や機械仕掛けの妖怪を配置したりして、訪れる人を怖がらせる。必ずしも恐怖スポットのお化け屋敷を再現しているわけではなく、古井戸などの屋外の風景や、地獄で死者が鬼に睨まれるような場面が再現されていることもある。

現在では廃墟となった病院学校家屋などをテーマにしたものが多くなってきている。また、「リング」や「呪怨」などといったホラー映画とのタイアップにより期間限定でイベントを行う事も多い。

中学校や高等学校の文化祭などでは、模擬店の一環としてお化け屋敷をしつらえる事がある。

お化け屋敷のある遊園地とその名称一覧(常設)

遊園地以外の場所にあるお化け屋敷一覧(常設)

期間限定のお化け屋敷一覧

過去に存在したお化け屋敷一覧

米国のお化け屋敷(ホーンテッドハウス)とその文化的背景

多くのアメリカ人の意識にお化け屋敷のひとつの典型として刷り込まれているものにディズニーランドのホーンテッドマンションがあるが、それが現代のハイテクによるものだと思ってしまうのは誤解であって、そのノウハウの多くは19世紀の中頃にヨーロッパで大人気を博した出し物 ファンタスマゴリーにおけるノウハウの流用・焼き直しなのである[3]

またその古典主義的な屋敷は、18世紀イギリスにおける廃墟ブームやゴシック趣味も影響を与えている。そこに見られるのは、もともとの中世の建築様式のゴシック様式なのではなく、むしろ、近現代の視点から見て異なった意味で用いられるようになった「文化としてのゴシック様式」を表現したものである。ゴシック小説におけるゴシックとも言え、言ってみればエドガー・アラン・ポー的な雰囲気を衣装としてまとった建築なのである。

イギリスではかつてヘンリー8世が、カトリックに対抗し英国独自の国教(イングランド国教会)を定め[4]、カトリックの修道院をことごとく解体した。200年も経ち18世紀になると、これらの建物が廃墟となり、この世のものとは思えない情緒をたたえるようになった。当時、墓地派と呼ばれる詩人らの活動があったこともあり、人々は廃墟の中に美を見出し、廃墟を楽しむことが流行した。廃墟風の建築を設計する建築家もひっぱりだこになったほどである。ホーンテッドマンションにはそうした文化の影響があるのである[5]

お化け屋敷クリエイター

日本では夏季のお化け屋敷需要が高く、お化け屋敷を制作するクリエイターが多く存在する。

五味弘文
1992年〜。日本のお化け屋敷プロデューサー。代表作は『ザ・13ドアーズ』。
マイケル・ティー・ヤマグチ
2004年〜。自身が日本で唯一のお化け屋敷プロデューサーであると主張している。代表作は『台場怪奇屋敷』。
平野ユーレイ幽霊ゾンビ
2005年〜。ホラープランナー。代表作は『台場怪奇学校』。
齊藤ゾンビ(幽霊ゾンビ)
2005年〜。ホラープランナー。代表作は『台場怪奇学校』。
いわたか
2012年〜。イベントプランナー。代表作は『台場怪奇学校冬季バージョン願いの叶う場所』。
学生のうちから企画を行いつつ、ホラープランナーとしても活動している。
オバケン
2012年〜。代表作は『方南町オバケン』。
映像業を行いつつ、ホラープランナーとしても活動している。
吉澤正悟(吉澤ショモジ)
2014年〜。代表作は『方南町オバケンシーズン3 SIX EXITS』。
映像業を行いつつ、ホラープランナーとしても活動している。

お化け屋敷を題材とした作品

お化け屋敷。古くさい絵も恐怖を煽り立てる。

脚注

  1. ^ 「余録」(毎日新聞2014年8月18日)によれば、お化けや怪談が夏の風物詩となったのは鶴屋南北 (4代目)の歌舞伎からで、1836年(天保7)年、江戸・両国回向院 で「寺島仕込怪物問屋(てらしまじこみばけものどんや/寺島とは尾上菊五郎)」というが評判となる。「四谷怪談」など怪談ものの場面をからくり人形で見せた。これが日本で初の本格的化け物屋敷興行という。
  2. ^ 全国的に有名で、単独で見世物化されていた八幡の藪知らずから来ていると思われる
  3. ^ 加藤 耕一 『「幽霊屋敷」の文化史』講談社現代新書(著者は東京大学大学院修了、ソルボンヌ大学研究員などを経て、近畿大学工学部で勤務する建築学研究者。)
  4. ^ クリスチャンの離婚を認めないバチカンと、離婚しようとしたヘンリー8世が衝突したことに端を発する。
  5. ^ 加藤 耕一 『「幽霊屋敷」の文化史』講談社現代新書2009。

関連項目