アッシャー家の崩壊

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アッシャー家の崩壊
The Fall of the House of Usher
オーブリー・ビアズリーによる挿絵(1894年)
オーブリー・ビアズリーによる挿絵(1894年)
著者 エドガー・アラン・ポー
ジャンル ゴシック小説短編小説
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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アッシャー家の崩壊」(アッシャーけのほうかい、"The Fall of the House of Usher")は、1839年に発表されたエドガー・アラン・ポー短編小説。旧友アッシャーが妹と二人で住む屋敷に招かれた語り手が、そこに滞在するうちに体験する様々な怪奇な出来事を描く、ゴシック風の幻想小説である。ポーの代表的な短編として知られており、美女の死と再生、あるいは生きながらの埋葬、得体の知れない病や書物の世界への耽溺など、ポー作品を特徴づけるモチーフの多くが用いられている。『バートンズ・ジェントルマンズ・マガジン』9月号に初出、1840年に『グロテスクとアラベスクの物語』に収録された。

あらすじ[編集]

語り手は少年時代の旧友ロデリック・アッシャーから突然の招待を受け、荒涼とした景色の中にたつアッシャー家の屋敷にたどり着く。ロデリックは神経を病んでおり、病状を軽減するために唯一の友人である語り手に来訪を頼んだのであった。数年ぶりに合った旧友は、かつての面影を残しながらもすっかり様子が変わっており、中でも死人のような肌と瞳の輝きが語り手を驚かせる。ロデリック自身の説明するところでは、この神経疾患はアッシャー家特有のもので治療のしようがなく、一度かかると奇妙な感覚に囚われたり、五感が異常に研ぎ澄まされて苦痛を感じさせたりするのだという。そして病の原因となっていたものは、最愛の妹(後に双子とわかる)のマデラインがいましも死に瀕しているということであった。

語り手はアッシャー家に滞在し、その間ともに書物を読んだり、ロデリックの弾くギターを聴いたりして時を過ごす。やがてある晩、ロデリックは妹マデラインがついに息を引き取ったことを告げ、二人はその亡骸を棺に納め地下室に安置する。この妹の死によって、ロデリックの錯乱は悪化していく。

それから7,8日経った晩、二人は屋敷の窓から、この屋敷全体がぼんやりと光る雲に覆われているのを見る。この奇怪な光景がロデリックの病状に障ることを恐れた語り手は、ランスロット・キャニングの『狂気の遭遇』(架空の文学作品)を朗読しロデリックの注意を引こうとする。しかし物語を読み進めるうち、語り手は屋敷のどこかから不気味な音が響いてきていることに気付く。その音はだんだん近づいてき、やがてはっきりと聞こえるようになると、ロデリックはその音が妹が棺をこじ開け、地下室を這い登ってくる音であって、自分は妹を生きていると知りながら棺の中に閉じ込めてしまっていたのだと告白する。やがて重い扉が開き、死装束を血で汚したマデラインが現れると、彼女は兄にのしかかり彼を殺してしまう。恐怖に駆られた語り手は屋敷を飛び出して逃げて行くと、その背後でアッシャーの屋敷はその亀裂から月の赤い光を放ちながら轟音を立てて崩れ落ち、よどんだ沼の中に飲み込まれていった。

解題[編集]

『ジェントルマンズ・マガジン』の「アッシャー家の崩壊」掲載号(1839年)

「アッシャー家の崩壊」は、ポーの散文作品のうち最もよく知られた作品である[1]。ポーの多くの作品と同様、この作品もゴシック小説の伝統に則って書かれており、アメリカにおけるゴシック小説の代表作と考えられている。編集者G.R.トマソンは『エドガー・アラン・ポー短編傑作集』(1970年)の序文において、「この物語は長くゴシック・ホラーの傑作と見なされてきたものであり、また劇的なアイロニーと構成的なシンボリズムを併せ持つ傑作でもある」(36頁)と書いている。また日本語版の訳者巽孝之は、ポーのこの達成がなければ、スティーブン・キングを原作としたキューブリックの映画『シャイニング』も、マーク・Z・ダニエレブスキーの『紙葉の家』も「決してありえなかっただろう」としている[2]。もっとも、ポーが「モレラ」や「ライジーア」などで用いた人物像や場面を使いまわしている、あるいは原因不明の病や狂気といったポーのお決まりのパターンを繰り返しているといったことに対しては批判も存在する[3]

ポーはこの作品をボストンのルイス・ウォーフに実在した「アッシャー家」の屋敷において起こった事件から着想を得たらしい。この事件はある船員が屋敷の主人の若妻と密通し、それを知った主人が妻とともに船員を捕らえて殺害したというもので、1800年にこの屋敷が取り壊された時、互いに抱き合った二つの遺体が地下貯蔵庫から発見された[4]。また女優であったポーの実母の親友にもアッシャーの姓を持つ女性がおり、彼女はジェイムズとアグネスという兄妹をもうけたが、ふたりは1814年に孤児となり、揃って神経を病んだという[5]

作品冒頭でエピグラフとして掲げられているド・ベランジェからの引用句「彼の心はあたかも張り詰めたリュートのようだ。ひとたび触れれば、たちまち共鳴してしまう」(巽孝之訳)は、ベランジェの原文では「彼の心(Son cœur)」ではなく「私の心(Mon cœur)」になっている。また作中で「フォン・ヴェーバー最後のワルツ」について言及があるが、このピアノ曲も実際には上述のド・ベランジェが作曲したもので、ウェーバーが1826年に死去した際に遺品の間に見つかったため誤って彼に帰せられていたものであった[6]。作中でロデリックによる歌曲として使用されているポー自身の詩「狂える城」は『ボルティモア・ミュージアム』1839年4月号が初出。ロデリックの蔵書として紹介されている書物のほとんどは実在の書物だが、最後に登場する「サー・ランスロット・キャニングの『狂気の遭遇』」という作品は架空の書物である。

翻案[編集]

映画[編集]

音楽[編集]

その他[編集]

出典[編集]

日本語訳は巽孝之訳『黒猫・アッシャー家の崩壊』(新潮文庫、2009年)および河野一郎訳「アッシャー家の崩壊」(『ポオ小説全集1』所収、創元推理文庫、1974年)を参照した。

  1. ^ Kennedy, J. Gerald. "Introduction: Poe in Our Time" collected in A Historical Guide to Edgar Allan Poe. Oxford University Press. (2001). pp. p. 9. ISBN 0-19-512150-3. http://ukcatalogue.oup.com/product/academic/series/literature/hgaa/9780195121506.do?sortby=bookTitleAscend. 
  2. ^ 巽 2009、200頁
  3. ^ Krutch, Joseph Wood (1926). Edgar Allan Poe: A Study in Genius. New York: Alfred A. Knopf. pp. p. 77. 
  4. ^ A.I.A. Guide to Boston. Susan and Michael Southworth p. 59
  5. ^ 巽 2009、201頁
  6. ^ E. A. Poe Society of Baltimore — A Few Minor Poe Topics

書誌情報[編集]

外部リンク[編集]