NDC (鉄道車両)

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JR西日本キハ120形300番台

NDC新潟鐵工所が製造した、ローカル線向け軽快気動車のシリーズ名である。JRを含めた多数の鉄道事業者に採用されている。新潟鐵工所の鉄道車両部門を継承した新潟トランシスはNDCの名称を用いていないが、本項では新潟トランシスが設計・製造した汎用的な軽快気動車を含める。

特徴[編集]

富士重工業(現在は新潟トランシスに事業譲渡)のLE-Car・LE-DCシリーズと並び、1980年代から1990年代にかけて相次ぎ転換開業した第三セクター鉄道を初めとしたローカル線向け軽快気動車の二大グループを形成した。

LE-Carシリーズでは特に初期型は車体やエンジンまでバス用のものを用いていたが、新潟鐵工所当時のNDCでは、部品類にバスとの共通品が多く用いられていたものの、車体構造等は通常の鉄道車両に近いものとなっていた。

新潟トランシスに事業移管後は、富士重から継承したLE-DCの低床車両技術などを積極的に取り込んでおり、最近では両者の特徴をもった車両も登場している。また、廉価故に車体の衝突安全性(強度および衝撃吸収性)や耐久性に難があった反省から、より通常車両構造への回帰が進み、さらにTICSと呼ばれる車両情報制御装置の装備や、電車部品との共通化などにより、コストの適正化と安全性の向上が図られている。なお、これらの新車は厳密にはNDCに含めない場合もある。[独自研究?]

標準化が徹底されてはいるが、各事業者、各線区の事情により、16 m級、18 m級、20 m級といったボディバリエーションがあり、客室窓構造、座席配置、フロントマスク、尾灯位置、貫通扉の有無、客用扉の形状とステップの有無など、多様な仕様に対応している。

変遷[編集]

NDCは30年以上にわたって製造されているため、何度かのモデルチェンジを受けており、現行型は第三世代となる。[独自研究?]

NDCの源流は三陸鉄道36-100形気動車国鉄キハ37形気動車まで遡ることができるが、1985年昭和60年)に登場した由利高原鉄道YR-1000形は試作車的な存在で、車体長14.8mの偏心台車はYR-1000形だけの特殊構造である[独自研究?][1]

  • 第二世代は1992年平成4年)のJR九州キハ125形から始まる、車体長16m - 20.8m、車体幅2.7 - 2.8m、床面高1240mm(水島臨海鉄道MRT300形のみ低床1180mm)、ステップ高980mm(ステップ段差260mm。MRT300形は200mm)、台車車輪径860mm、軸距1900mm、DMF13HZ系のエンジンを標準仕様とする[独自研究?][2]。後期型ではボルスタレス台車化された。
  • 第三世代は2001年(平成13年)の天竜浜名湖鉄道TH2000形(後にTH2100に改番)から始まる、TICS装備、車体長18m、車体幅2.8m、床面高1240mm、ステップ高980mm(ステップ段差260mm)、全面的にボルスタレス台車を採用、台車車輪径860mm、軸距2100mmが標準仕様。諸元には現れないが、客用扉の位置が車両の左右で揃えられ、より一般形気動車に近い設計となっている。[独自研究?]
土佐くろしお鉄道9640形気動車

車両[編集]

車体長14.8m[編集]

由利高原鉄道YR-1500形

16m級[編集]

北海道ちほく高原鉄道CR70形

17m級[編集]

18m級[編集]

JR東海キハ11形

20m級[編集]

三陸鉄道36-600形

21.3m[編集]

水島臨海鉄道MRT300形

新潟トランシス製気動車でNDCでないもの[編集]

伊勢鉄道イセIII型(102 - 104)、樽見鉄道ハイモ295-510形長良川鉄道ナガラ500形甘木鉄道AR300形(304以降)は新潟トランシスで製造されているものの、設計は富士重工業のものであるため、NDCではなくLE-DCに分類される。[独自研究?]

また新潟トランシス設計・製造の車両の中でも西日本旅客鉄道(JR西日本)キハ126系気動車四国旅客鉄道(JR四国)1500形気動車などはNDCをベースや参考にパーツの流用を行ってはいるものの、それぞれ個別に設計された一般形気動車で、ほとんどの場合NDCとは区別される。[独自研究?]

関東鉄道キハ2100形以降の形式は、NDCをベースにした車両ではあるが、同社の(特に常総線)通勤需要の関係からすべて3扉ロングシート車となっていて、上記に書かれたNDCのグループとは一線を画す場合が多い。

注釈[編集]

  1. ^ NDC情報局 - DC65大応援団
  2. ^ a b NDC情報局 - DC65大応援団