1793年の人間と市民の権利の宣言
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1789年の宣言については「人間と市民の権利の宣言」をご覧ください。 |
1793年の人間と市民の権利の宣言(仏: Déclaration des droits de l'Homme et du citoyen de 1793 )は、フランスの左派による政治的文書である。
それはフランス革命の期間中にルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュストやマリー=ジャン・エロー・ド・セシェル[1]らが参加した委員会によって書かれた。1793年の宣言と1789年の人間と市民の権利の宣言両者の主な違いは、その平等主義的傾向である。平等は、この宣言で普及した権利である。
原文は主にエロー・ド・セシェルが書いたものとしばし語られ、彼の筆致は委員会の文書のほとんどで確認できる。委員会はまた1793年憲法(「憲法元年」)を書いた。同憲法は適用されることはなかったが、その理想は20世紀初頭のフランス左翼にまで引き継がれた。
テルミドールのクーデターの後、1795年に憲法が改められる際には、人権宣言の特に平等部分が問題となり、1795年の人間と市民の権利・義務の宣言としてこれも改定された。これにおいては1793年版のもっていた左派的要素はきれいに削除されていた。
しかしフランス第四共和政の憲法の最初の計画もまた、この1793年版の人間と市民の権利の宣言を参照していた。
脚注・出典
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