女子美術大学付属高等学校・中学校

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女子美術大学付属高等学校・中学校
Joshibi Junior College of Art and Design.JPG
過去の名称 女子美術学校付属高等女学校
佐藤高等女学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人女子美術大学
設立年月日 1915年
創立者 横井玉子・佐藤志津
共学・別学 女子校
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 13677J
所在地 166-8538
東京都杉並区和田一丁目49番8号
外部リンク 公式サイト
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女子美術大学付属高等学校・中学校(じょしびじゅつだいがくふぞくこうとうがっこう・ちゅうがっこう)は、東京都杉並区和田一丁目に所在する私立女子高等学校中学校。略称は「女子美(じょしび)」。女子美術大学付属学校

概要[編集]

創立100年以上の歴史を持つ美術の名門女子美術大学付属校であり、国内唯一の美術大学付属校である。美術分野をはじめ各分野に多くの人材を輩出している。1900年に日本で初めて設立された女子美術教育機関として、彫刻家の藤田文蔵(元・東京美術学校教授)、教育者の横井玉子、田中晋、谷口鉄太郎らが発起人となり、私立女子美術学校が開校した。1915年に女子美術学校付属高等女学校が開校。旧佐藤高等学校を経て、現在は私立の女子中高一貫校。美術教育を中心とした教育課程を構成し、美術家デザイナークリエーターとして活躍する卒業生を多く輩出している。

創立以来、美術活動を通し感性を磨き、社会に貢献できる自立した女性を目指す教育方針が採られ、生徒の自主性を重視する教育方針が貫かれている。「知性が感性を支える」を理念に美術教育と学問の両面を重視した教育課程を構成している。

学校長は版画家の小川正明(女子美術大学名誉教授、学校法人女子美術大学理事(中等部門担当、2013年5月 - )、付属高等学校・中学校長(2013年4月 - ))。

沿革[編集]

  • 1900年 - 私立女子美術学校設立。
  • 1901年 - 本郷区弓町(現在の文京区本郷)に弓町校地が落成。初代校長に藤田文蔵が就任。
  • 1908年 - 弓町校地が火災により焼失。
  • 1909年 - 本郷菊坂町に菊坂校地が落成し弓町より移転。
  • 1915年 - 菊坂校地に女子美術学校付属高等女学校を開校。初代校長に佐藤志津(私立女子美術学校長を兼任)が就任[1]
  • 1916年 - 女子美術学校付属高等女学校を私立佐藤高等女学校へ改称(同年1月17日)。戸野みちゑが第二代学校長に就任[2]。佐藤志津は名誉校長に就任。
  • 1917年 - 鏡友会が発足(同年6月25日)[3]
  • 1919年 - 第三代学校長に浜 幸次郎が就任[4]
  • 1928年 - 菊坂校地の老朽化と狭隘化により新校地を豊多摩郡和田堀町和田に取得(同年6月)[5][6]
  • 1935年 - 杉並校地が落成し和田本町(現在の和田)へ移転[5]。菊坂校地は私立佐藤高等女学校専用校地となる[5]。「梅」「松」「桜」の3学級に「竹」を追加し4学級体制となる[7]
  • 1940年 - 第四代学校長に土田忠二が就任[8]
  • 1943年 - 私立向島高等女学校の廃校により佐藤高等女学校第三学年と第四学年にそれぞれ生徒50名を受け入れる。「菊」を追加し5学級体制となる[9]
  • 1944年 - 第五代学校長に加藤成之が就任[10]
  • 1945年 - 空襲により菊坂校地が全焼。私立佐藤高等女学校は杉並校地へ移転[5]
  • 1947年 - 学制改革により新制佐藤中学校開設(同年4月)。「先生と父母の会」(現・PTA)が発足(同年10月1日)[11]。当初の会員は430名。名誉会長に加藤成之が就任。
  • 1948年 - 学生改革により新制佐藤高等学校開設(同年3月)。
  • 1949年 - 第六代学校長に佐藤達次郎(大正10年から昭和19年まで私立女子美術学校長)が就任[12]
  • 1951年 - 佐藤高等学校・中学校を女子美術大学付属高等学校・中学校へ改称。
  • 1954年 - 桑沢洋子デザインのフレアスカート・リボン型制服を採用(同年4月より)[13]
  • 1957年 - 第七代学校長に加藤成之が再就任(女子美術大学長を兼任)[14]
  • 1960年 - 長野県軽井沢町に「軽井沢寮」を開設。女子美術大学創立60年記念祭を挙行(同年10月29・30・31日)。
  • 1962年 - 杉並校地6号館(旧・付属校舎、現・芸術学部校舎)が3月に落成し、同年5月26日に竣工式を挙行。
  • 1963年 - 中学校各学年2クラス(計6クラス)353名と高等学校1・2年各5クラス(計10クラス)、高等学校3年3クラス710名を合わせ19クラス・1063名を収容。
  • 1964年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の実施に伴い高等学校を16クラス体制とし、計22クラス・1200名を収容。「楓」を新設(3年間のみ)[15]
  • 1967年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の終了に伴い21クラス・1150名へ減員[16]
  • 1971年 - 第八代学校長に小串辰子が就任(同年1月)[17]
  • 1980年 - 女子美術大学創立80周年記念式典挙行。
  • 1996年 - 女子美術大学杉並校舎に展示施設「ガレリア ニケ」を開設。
  • 2000年 - 女子美術大学創立100周年記念式典挙行。洋画家入江観(女子美術大学名誉教授)が学校長に就任。
  • 2001年 - 女子美術大学相模原校舎に女子美術大学美術館(女子美アートミュージアム)を開設。
  • 2006年 - 小河秋好副校長が学校長へ昇格。
  • 2007年 - 杉並キャンパスの整備事業を開始。「ガレリアニケ」を休廊し学外ギャラリー「女子美ガレリア ニケ」を開廊。
  • 2008年 - 洋画家の鴫剛(元・女子美術大学洋画研究室教授)が学校長に就任。
  • 2009年 - 「女子美ガレリア ニケ」を休廊し中央区銀座に「銀座gallery女子美(GGJ)」を開廊。洋画家の継岡リツ(女子美術大学大学院兼任講師)が学校長に就任。
  • 2010年 - 旧3号館を解体し付属校舎が落成(同年1月)。旧1号館を解体し駐輪・駐車場を設置。旧和田寮を解体し体育館が落成(同年10月)。
  • 2012年 - 旧体育館を解体し7号館が落成(同年3月)。「銀座gallery女子美(GGJ)」を閉廊(同年3月)。旧東京文化幼稚園・小学校舎を取得し1号館へ改称。1号館内に「女子美ガレリア ニケ」を開廊し女子美術大学歴史資料展示室を併設。 
  • 2013年 - 旧4号館を解体しグラウンドを拡張。杉並キャンパスの整備事業を完了(同年3月)。版画家の小川正明(女子美術大学名誉教授)が学校長に就任。
  • 2015年 - 女子美術大学付属高等学校・中学校創立100周年記念式典を挙行。

教育課程[編集]

中学校では義務教育課程に加え、週4時間の美術教育が行われる。高等学校では普通科教育課程に加え、週6~10時間の美術教育が行われる。授業時間外の美術補講も行われる。

中学校では美術の基礎的な技術習得を中心に素描着彩彫塑デザイン版画染色工芸の他、素材の選び方、用具の扱い方、美術鑑賞マナーなど、美術の基礎知識の習得と、技術力、表現力の向上を目指す。

高等学校ではより高度な技術習得を目的に、素描(鉛筆・木炭)、着彩(水彩・油彩)、彫塑・彫刻、版画、染色、工芸、陶芸グラフィックデザインコンピューターグラフィックス空間構成美術史などを学び、技術力、表現力の向上と共に創造性の向上を目指す。通常授業課題(宿題)と美術課題の多い教育課程を構成している。

校風[編集]

  • クラブ活動、学校行事が盛ん。研修旅行(5月)、運動会(6月)、ガレリアニケ美術展(9月)、球技大会(9月)、10月の創立記念日前に開催される女子美祭は校内最大の催し。その他、アート大会(1月)、高等学校卒業制作展(3月)、公募作品展、美術コンクール、パリ研修(希望制)など各種行事が行われる。公募美術・作品展、書道展への入選や受賞作品多数。
  • 生徒会組織である「鏡友会」(大正6年発足)に各実行委員会を設け、運動会、女子美祭、部活動など、生徒運営による学内活動を行う。
  • 創立記念日前に開催される女子美祭は、全生徒作品の展示、全クラス展示の他、女子美祭実行委員会運営による演奏会演劇洋舞バトントワリングファッションショーなどで賑わい、杉並キャンパス女子美祭と合わせ、例年1万人を超える来場者を迎える付属校最大の催しである。
  • 女子美祭ポスターは高等学校2学年に在籍する全生徒が夏季休業中(夏休み)に制作し、教員選考を経て、全校生徒による投票で決定する伝統行事である。原画はポスターの他、フライヤー、案内状にも使用される。女子美祭期間中は採用ポスターの実物展示の他、最終選考まで残った候補作品も同時展示される。
  • 高等学校3年生は「美術コース」と「デザインコース」に分かれ卒業制作を完成させる。卒業制作は「女子美術大学付属高等学校卒業制作展」に展示され一般公開される。
  • クラス編成は中学校4クラス(松・竹・梅・桜、平成21年度入学生までは松・竹・梅の3クラス)、高等学校5クラス(松・竹・梅・桜・菊)。1964年(昭和39年)から3年間は「東京都高等学校生徒急増対策」の実施に伴い高等学校に1クラス追加し[18]、「楓」を新設した[19]

校章[編集]

女子美術学校初代校長の藤田文蔵が八咫鏡をモチーフに中央に「美」の文字を配置した校章を考案した。鏡は自らの姿と行いを映すことから自省を促し「鑑」と記され手本を意味する。「女子美生は美の心を忘れず、身を鍛え、人の手本となる真摯な女性に成長して欲しい」との願いが込められている。校章に込められた「智の美」「芸(わざ)の美」「心の美」の三つの美の柱は女子美術大学の教育理念となっている。

校舎[編集]

2010年(平成22年)1月に完成した新校舎は、女子美の美術教育に特化した校舎として設計されており、絵画室(4室)、デザイン室(3室)、デッサン室、書道室、工房、パソコン・CG教室が設置されている。生徒作品を展示するギャラリースペースは校舎内各所に設置されており、女子美生の作品を日常的に鑑賞できるレイアウトを採用している。教室間の仕切りは制作活動に合わせ大規模教室として使用できる可動間仕切りを採用している。校舎入口にエントランスギャラリーを設置し、生徒作品の展示や美術制作展会場として使用できるように設計されている。生徒が使用する机と椅子は女子美生用に設計されたオリジナル製品を使用する。

校舎は閑静な住宅地に所在し、キャンパス内の樹木は杉並区の保護樹木に指定されている。

制服[編集]

桑沢洋子デザインによる制服を「ブレザー」「ブラウス」「ジレ」の3ピース組み合わせで着用する。1954年(昭和29年)4月に採用されたフレアスカート・リボン型制服を現在に至るまで使用している[20]。襟元のリボンは工芸科OGによる手織り。

クラブ活動[編集]

文化部
  • 茶道部
  • 絵本部
  • クロッキー部
  • 漫画研究部
  • イラスト研究部
  • アニメーション部
  • 写真部
  • 文芸部
  • 演劇部
  • 管弦楽部
  • 声楽部
  • 美術部
  • 華道部
  • 書道部
  • 家庭科部
  • 英会話部
  • 社会化研究部
  • ギター部
  • ファッションアート部
運動部
  • バスケット部
  • バレーボール部
  • バドミントン部
  • 卓球部
  • 剣道部
  • テニス部
  • 弓道部
  • ワンダーフォーゲル部
  • バトン部
  • 洋舞部
同好会
  • サッカー
  • 折り紙
  • 化学
  • ミステリー研究


著名な出身者[編集]

美術家
イラストレーター
アートディレクター
映像作家
デザイナー
インテリア

文学[編集]

女優[編集]

タレント[編集]

交通[編集]

付属大学・施設[編集]

その他[編集]

  • 2005年3月、玩具デザイナーの高木ゆうき(株式会社タカラ所属、女子美付属校OG)企画による「女子美リカちゃん」(第1弾・販売元:タカラ)を発売。「女子美リカちゃん」は好評を博し完売となり、2006年3月に「女子美リカちゃん2」(第2弾)を発売した[21]
  • 杉並区と連携協定を結び、杉並区内のアートプロジェクトに参加している[22]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 女子美術大学八十年史.p288
  2. ^ 女子美術大学八十年史.p289
  3. ^ 女子美術大学八十年史.p301
  4. ^ 女子美術大学八十年史.p300
  5. ^ a b c d 女子美術大学歴史資料室ニューズレター第4号.p8
  6. ^ 女子美術大学略史.p64
  7. ^ 女子美術大学八十年史.p293
  8. ^ 女子美術大学八十年史.p314
  9. ^ 女子美術大学八十年史.p313
  10. ^ 女子美術大学八十年史.p336
  11. ^ 女子美術大学八十年史.p333
  12. ^ 女子美術大学八十年史.p330
  13. ^ 女子美術大学八十年史.p344
  14. ^ 女子美術大学八十年史.p336
  15. ^ 女子美術大学八十年史.p313
  16. ^ 女子美術大学八十年史.P364-365
  17. ^ 女子美術大学八十年史.p372
  18. ^ 当時は高1と高2が5クラス、高3が3クラス(女子美術大学八十年史.p364-365)
  19. ^ 女子美術大学八十年史.p364-365
  20. ^ 女子美術大学八十年史.p344
  21. ^ リカちゃんCLUB67限定 女子美リカちゃん(博品館)
  22. ^ 女子美術大学との連携・協働(杉並区)

公式サイト[編集]