倉敷 (倉敷市)

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倉敷
面積 140.44km2
(水島地域を含む)
総人口 185,908
男89,990人、女95,918人
(2009年5月現在)
世帯数 74,997世帯
(2009年5月現在)
倉敷市役所
所在地 〒710-8565
倉敷市西中新田640
倉敷地域の位置
電話番号 086-426-3030(代表)
外部リンク 倉敷市役所本庁

倉敷(くらしき)は、岡山県倉敷市にある地域[1]である。同市市役所の本庁直轄エリアであり、同市北中部に位置する。倉敷美観地区のある倉敷中心市街地を中枢としており、水島玉島児島とともに倉敷市の主要4地域を形成している。

倉敷市内の一地域としての「倉敷」は、当ページで説明しているエリアの他に、当地と水島を合わせた旧倉敷市域を指す事や、他に当地に支所管轄域としては小規模な茶屋町の両地域を合わせたものを指す事もあるが、市内の「倉敷」としては概ね当地をさせす事が殆どである。

また狭義では、旧倉敷町(倉敷村)域を指す事もあり、これについては「倉敷 (中心市街地)」を参照のこと。

なお便宜上、1928年から1967年まで存在した旧倉敷市についても当ページで記述している(「#旧倉敷市」参照)。

目次

[編集] 概要

岡山平野の西部を占める倉敷平野と呼ばれる広大な平地を中心にした地域である。平野の北部には福山丘陵(都窪丘陵)、東部には早島丘陵(帯江丘陵)、南部には児島山塊の北端部や連島山塊、西部は高梁川に囲まれる。中央を東西にJR山陽本線が走り、中央部には鶴形山・加須山丘陵の独立丘があり、そのすぐ北西に倉敷駅がありその南に中心市街地が広がる。

元は吉備の穴海の西部にあたる阿知の海と呼ばれる海域であったが、高梁川の河口部であったため、土砂の堆積作用で徐々に浅くなっていき干潮時には干潟が広がるようになっていた。中世末期に宇喜多秀家家臣の岡氏が指揮して干拓が行われ、倉敷平野の北部が造成されたのを皮切りに、江戸時代まで数度の干拓が行われて現在の平地が生まれた。これにより、島嶼であった児島が陸続きとなった。現在平地部に多くの用水路が張り巡らされているのは、そのためである。

当地の中心市街地、特に現在倉敷美観地区として観光地となっているあたりは古くは窪屋郡(のち都窪郡)倉敷村と呼ばれ、江戸時代に天領の代官所が置かれた陣屋町、および海に面していた時期は港として、陸地化してからも倉敷川を利用した川港として、物資の集散地として大いに栄えた。多くの豪商が生まれ、現在の白壁の町並みが築かれた[2]

明治になり廃藩置県が行われると、倉敷代官所の支配地(倉敷支配所)を前身とする倉敷県の県庁所在地となるも、明治4年に統合により小田県(深津県)となり、県庁は倉敷村から移った。さらに同8年には岡山県へ編入となる[2]

当地の直接的な前身となる旧倉敷市は、昭和2年4月1日、都窪郡倉敷町(旧)・万寿村大高村の3町村が合併し生まれた、新たな倉敷町が、後に周囲を合併して区域を広げていったものである[2]

昭和3年4月1日、新たな倉敷町は市制を施行し、倉敷市(旧)となる。これは岡山県内で岡山市に次ぐ2つめの市となった。市役所は前神町(現・中央1丁目北部)に置かれた。続いて同25年9月1日には児島郡粒江村、同26年3月26日には都窪郡帯江村中庄村菅生村を、同27年4月1日には都窪郡豊洲村、同28年1月1日には浅口郡西阿知町、同28年6月1日に浅口郡連島町および児島郡福田町(ともに現在の水島)を、さらに同29年12月1日に児島郡藤戸町をそれぞれ編入合併していき、順次市域を拡大していった[2]

そして、昭和42年2月1日に隣接する玉島市児島市と対等合併して、新たなる倉敷市(現行の倉敷市)を新設した。市役所は当地(旧倉敷市部)に置かれ、玉島・児島の旧役所には支所が設置された(後に現在の水島にも置かれる)。旧倉敷市の内、連島・福田であった地区を除いた区域は、市役所本庁の直轄となり、倉敷市内の一地域として「倉敷」と呼ばれるようになった[2]

旧市制施行後、中心地となる旧倉敷町域には昭和5年に大原美術館、昭和23年に倉敷民芸館、昭和25年に倉敷考古観など美術・学術関連の文化施設が次々と建設され、また以前から大原孫三郎等による町並み保存・景観整備運動の流れもあったことから、文化都市的要素が多分い包蔵された市勢が根付いていった。これは新・倉敷市へも引き継がれている[2]

かつては中心市街地に商業が集中し、郊外は古くは綿花、近代ではイグサの栽培が盛んで、加えて果樹や野菜などの近郊型農業が大変盛んであった。また、かつての綿花栽培に由来する繊維関連や、イグサ加工品などの地場産業が多く見られた。しかし、モータリゼーションの発展により郊外に大型幹線道路が整備され、郊外にロードサイド店舗が林立していき、また水島工業地帯や関連企業の立地により、郊外はベッドタウンとして市街化していき農地や地場産業は激減。サラリーマン家庭が増大した。これに伴い中心市街地も全盛に比べると大幅に勢力を失った。

中央省庁の出先機関をはじめ市内の広域行政機能の多くも集中する。

駅前のメインストリート

[編集] 沿革

[編集] 地勢

隣接する地域

[編集] 産業

工業

西阿知地区に小規模ながら工業団地がある。その他地域内に大小の工場が点在している。代表的な物にクラレ中国化工丸五ゴムなど。また、クラボウの創業地であり、現在も登記上では倉敷市本町に本店を置いている。

農業

古来は海だった地を新田開発のために干拓され平地化した土地であるため、かつてはをはじめとする農業は盛んだったが、現在は宅地化・市街地化が進行して農地は大幅に減少している。しかし、市街でも田畑はところどころ点在しており、郊外ではまだ田畑も多く、米・野菜を中心に農業は行われている。しかし、市内の他地域や他自治体と比べると産業としての農業は脆弱である

商業
観光

その他伝統工芸品が複数ある。

名物・銘菓・郷土料理

[編集] 地区

一部重複している地区がある。なお小・中学校の学区および旧町村域とは必ずしも一致しない。

[編集] 中部

倉敷駅周辺部
阿知・鶴形・昭和・川西町・寿町・北浜町・日ノ出町・石見町など
倉敷美観地区周辺
中央・本町・東町・船倉町など
美和
美和・幸町・大島南部・東町東部・羽島北部・向山など
倉敷警察署や備中県民局など官公庁が多く立地する官庁街的な地区。他にも倉敷郵便局倉敷中央病院など医療機関や公的機関が多く、少し南側には倉敷市民会館もある。
市役所周辺部
西中新田東部・笹沖の一部(北部)・新田の一部(北部)など
国道2号線と倉敷駅周辺・美観地区周辺の中間地域にあたり、主要幹線道路も整備されていることから、郊外型のロードサイド店舗が多く立地。
万寿
浜ノ茶屋・浜町・大島・福島・平田・寿町・北浜町・日ノ出町(大内・川入)など
老松
老松・川西町・稲荷町・南町・白楽町・田ノ上・田ノ上新町・日吉町・石見町など

[編集] 南部

葦高
笹沖・吉岡・堀南・浦田
笹沖
新田
新田が該当。なお、新田中学校区を指す場合は、上記の葦高と後述の粒江も含まれる。
粒江
粒江・粒浦・東粒浦・八軒屋など

[編集] 南西部

大高
沖・沖新町・西中新田・四十瀬・福井・東富井・西富井・上富井など

[編集] 西部

西阿知
西阿知町・片島町
中島
中島

[編集] 北西部

中洲
酒津・水江・八王子町・安江など
大型幹線道路の整備とイオンモール倉敷が立地することにより幹線道路沿いにロードサイド店が多く立地するようになった。
大内
大内・川入付近
上記地区の東側に位置し、同様の特徴を持つ。

[編集] 北部

菅生
青江・祐安・宮前・西岡・浅原・西坂・生坂・三田

[編集] 北東部

中庄
中庄・鳥羽・徳芳・黒崎など
新興住宅が多い一方、中庄駅を中心に・菅生地区に広がる新興市街地が形成されている。

[編集] 東部

帯江
羽島南部・二日市・加須山・有城・亀山・帯高など
藤戸
藤戸町
豊洲
中帯江・五日市・西田・早高・高須賀
中学校区域が同じ事から、茶屋町と同じ地域とされる場合もある。


[編集] 旧倉敷市

倉敷市
廃止日 1967年2月1日
廃止理由 新設合併
倉敷市(旧)、玉島市児島市倉敷市
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
面積 132.22km².
総人口 172,435[3]
(1967年)
隣接自治体

東:庄村茶屋町早島町
  興除村灘崎町
西:船穂町玉島市
南:児島市丸亀市

北:清音村山手村
倉敷市役所
所在地 710
岡山県倉敷市住吉町256
かつて市役所だった倉敷市立美術館)
座標 北緯34度35分41秒
東経133度46分8秒
特記事項 *市役所は新市の本庁舎として昭和55年まで使用
現在は市立美術館として利用されている
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[編集] 概要

1927年、都窪郡倉敷町(旧)・万寿村・大高村の3町村が新しい倉敷町を新設。翌1928年に岡山県内で岡山市に次いで2番目に市制移行し、倉敷市となった。その後、幾度かの周辺との編入合併を行う。1967年に周辺の児島市・玉島市と新設合併を行い、新しい倉敷市(現行の倉敷市)となり、旧・倉敷市は消滅した。

現在の倉敷地域と水島地域を合わせた地域が旧・倉敷市の範囲である。

[編集] 沿革

[編集] 歴代首長

町制期
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
関藤硯衛 1927年(昭和2年)4月1日 1928年(昭和3年)4月1日 市制施行により初代旧倉敷市長になる
市制期
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
関藤硯衛 1928年(昭和3年)4月1日 新・倉敷町長
2 平松俊太郎 1929年(昭和4年)7月27日
3 古屋野橘衛 1937年(昭和12年)7月27日
4 金子藤一郎 1947年(昭和22年)4月5日
5-9 高橋勇雄 1949年(昭和24年)2月20日
10 大山茂樹 1964年(昭和39年)11月5日 1967年(昭和42年)1月31日 新・倉敷市初代市長

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 倉敷市内にはほぼ独立した都市機能を備える倉敷・児島・玉島・水島の四つの中核エリアがあり、それぞれの頁もあるため、本頁ではこの四つエリアを便宜的に「地域」と、その「地域」内の一部分を「地区」と区別の上記載している。
  2. ^ a b c d e f 巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
  3. ^ このうち、倉敷地域は100,974人、水島地域は71,461人。
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