ラルフ・ローレン
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ラルフ・ローレン(Ralph Lauren、1939年10月14日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区出身のファッションデザイナー、また彼の持つファッションブランドの名前でもある。本名はラルフ・ルーベン・リフシッツ(Ralph Rueben Lifshitz)。
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[編集] 略歴
1939年、ニューヨークのブロンクス区に、ベラルーシ系アシュケナージ・ユダヤ人の移民で家屋塗装業を営むフランク・リフシッツ(Frank Lifshitz)とフレイドル・コトラー(Fraydl Kotlar)の間に生まれた。
ニューヨーク市立大学バルーク校にて2年間ビジネスを学ぶが中退。1962年から1964年までアメリカ陸軍に入隊。除隊後の1968年、リッキー・ロービアと結婚している。彼はファッション学校に通わず、セールスマンとしてブルックス・ブラザーズで働いた後、1967年にノーマン・ヒルトンの財政的支援の元、ネクタイ店を開業し自身のラベル「ポロ(Polo)」を含むネクタイを販売した。後にこのブランドをノーマン・ヒルトンから購入している。ローレンのファッション王国はその後、10億ドルのビジネスに成長することとなる。
1971年から婦人服も手がけている。1977年の映画『アニー・ホール』で、主演のウディ・アレンとダイアン・キートンが彼の服を着たことで「アニー・ホール・ルック」と称され一世を風靡した。
1986年には、フランス・パリ市内にアメリカ人デザイナーとして初めて路面店をオープンした。1990年代中頃、ポロ・ラルフ・ローレンは公開企業となり、シンボルであるRLの下でニューヨーク証券取引所に上場された。
2006年3月30日、東京・表参道にアジアの旗艦店となる「ラルフ・ローレン表参道」をオープン。日本の路面店は表参道の他銀座にある。
2007年現在、ラルフローレンはアメリカ国内に35ヵ所以上のブティックを持っている。またそのうち23ヵ所ではラルフローレン・パープル・レーベルを扱っている。
彼自身はデザイナーではなく自分の持つコンセプトをデザイナーへ提案する人、コンセプターであると称している(彼自身はデザイン画を描く事が苦手だと明かしている)。
[編集] 日本国内の店舗
[編集] 直営店
- ラルフローレン表参道店
[編集] 免税店
- 成田国際空港第1ターミナル 「narita nakamise」
[編集] デパート内
- 盛岡
- 仙台
- 池袋本店、有楽町、渋谷、船橋、沼津、大津、高槻、八尾、秋田
- 新宿本店、府中、立川、松戸、浦和、相模原
- 日本橋本店、名古屋栄、新潟、高松、仙台
- 銀座本店
- 名古屋本店、上野
- 日本橋、新宿、玉川、横浜、柏、大阪、京都、名古屋
- 心斎橋本店、東京、京都、神戸、札幌
- うめだ本店、千里、都筑、西宮
- 横浜、千葉、大宮、神戸、広島
[編集] 関連事項
- ボーイスカウト:制服のデザインを行い、寄贈した。
- ニューバランス:趣味のランニングでスニーカーを愛用した。
- インパクト二十一:日本市場で販売、卸を担当する企業。
- ウィンブルドン選手権:2006年 - 2010年までユニフォームを手がける。
- 北京オリンピック:アメリカ合衆国選手団の公式ウェアをデザイン。

