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「瑞應寺 (新居浜市)」の版間の差分

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生子山城11代城主松本景村により[[1448年]]([[文安]]5年)に創建された。[[1585年]]([[天正]]13年)に起きた[[天正の陣]]により消失し[[1660年]]([[万治]]3年)に再興されたが、[[1828年]]([[文政]]11年)春に全焼し復興に20年かかった。[[1897年]]([[明治]]30年)に[[僧堂|専門僧堂]]が開設され現在に至る<ref>当寺発行のパンフレットより。</ref>。
生子山城11代城主松本景村により[[1448年]]([[文安]]5年)に創建された。[[1585年]]([[天正]]13年)に起きた[[天正の陣]]により消失し[[1660年]]([[万治]]3年)に再興されたが、[[1828年]]([[文政]]11年)春に全焼し復興に20年かかった。[[1897年]]([[明治]]30年)に[[僧堂|専門僧堂]]が開設され現在に至る<ref>当寺発行のパンフレットより。</ref>。


仏教青年会を設立し精力的な教化活動で知られていた高田道見が東京と四国の往復という条件で当寺の26世として1905年に就任、47歳から65歳で没するまで18年間勤めた<ref name=fukase>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/39/2/39_2_770/_pdf/-char/ja 明治期曹洞宗における宗教運動 ]深瀬俊路、印度學佛教學研究第三十九雀第二號、平成三年三月</ref>。その間、高田を慕って多くの修行僧が集まり、[[中西悟堂]]や[[赤松月船]]も当寺で禅僧生活を送った<ref name="iguchi">[http://bungeikan.jp/domestic/detail/87/ 科学者の文藝]井口哲郎、日本ペンクラブ</ref>。高田は多くの著作をものし、54歳のとき[[曹洞宗#派生した教団|法王教]]を提唱した<ref name=fukase/><ref>[https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&viewRestrictedList=0&pageNo=3&searchWord=%E9%AB%98%E7%94%B0%E9%81%93%E8%A6%8B&facetOpenedNodeIds=&sort1=5&rows= 高田道見著作]国立国会図書館デジタルコレクション</ref>。
仏教青年会を設立し精力的な教化活動で知られていた高田道見が東京と四国の往復という条件で当寺の26世として1905年に就任、47歳から65歳で没するまで18年間勤めた<ref name=fukase>{{Cite journal|和書|author=深瀬俊路 |title=明治期曹洞宗における宗教運動 |journal=印度學佛教學研究 |issn=0019-4344 |publisher=日本印度学仏教学会 |year=1991 |volume=39 |issue=2 |pages=770-773 |naid=110002661610 |doi=10.4259/ibk.39.770 |url=https://doi.org/10.4259/ibk.39.770}}</ref>。その間、高田を慕って多くの修行僧が集まり、[[中西悟堂]]や[[赤松月船]]も当寺で禅僧生活を送った<ref name="iguchi">[http://bungeikan.jp/domestic/detail/87/ 科学者の文藝]井口哲郎、日本ペンクラブ</ref>。高田は多くの著作をものし、54歳のとき[[曹洞宗#派生した教団|法王教]]を提唱した<ref name=fukase/><ref>[https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&viewRestrictedList=0&pageNo=3&searchWord=%E9%AB%98%E7%94%B0%E9%81%93%E8%A6%8B&facetOpenedNodeIds=&sort1=5&rows= 高田道見著作]国立国会図書館デジタルコレクション</ref>。


== 伽藍 ==
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== 文化財 ==
== 文化財 ==
; 県指定有形文化財
; 県指定有形文化財
: 瑞応寺大転輪蔵(経蔵):[[足利義満]]が[[山名氏]]の冥福のために作成し京都[[北野天満宮]]に奉納されていたが、明治新政府が発した[[神仏分離|神仏分離令]]により[[1871年]](明治4年)に移転された。[[1970年]][[昭和]]45年)[[3月27日]]指定。
: 瑞応寺大転輪蔵(経蔵):[[足利義満]]が[[山名氏]]の冥福のために作成し京都[[北野天満宮]]に奉納されていたが、明治新政府が発した[[神仏分離|神仏分離令]]により[[1871年]](明治4年)に移転された。1970年(昭和45年)3月27日指定。
; 県指定天然記念物
; 県指定天然記念物
: 瑞応寺のイチョウ:樹齢は推定800年、樹高25m根回り14m目通り9.4mの雌株。[[1956年]](昭和31年)[[11月3日]]指定。
: 瑞応寺のイチョウ:樹齢は推定800年、樹高25m根回り14m目通り9.4mの雌株。1956年(昭和31年)11月3日指定。
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File:Zuiouzi0ø.jpg|大銀杏樹
File:Zuiouzi0ø.jpg|大銀杏樹

2021年7月6日 (火) 09:53時点における版

瑞應寺

法堂(本堂)
所在地 愛媛県新居浜市山根町8-1
位置 北緯33度55分9.26秒 東経133度18分6.24秒 / 北緯33.9192389度 東経133.3017333度 / 33.9192389; 133.3017333 (瑞應寺)座標: 北緯33度55分9.26秒 東経133度18分6.24秒 / 北緯33.9192389度 東経133.3017333度 / 33.9192389; 133.3017333 (瑞應寺)
山号 佛國山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 文安5年(1448)
札所等 新居浜八十八ヶ所37番
法人番号 3500005004505 ウィキデータを編集
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瑞應寺(ずいおうじ)は、愛媛県新居浜市山根町にある曹洞宗寺院である。市街地南端の四国山地山麓に位置する。冬には雲水と呼ばれる修行僧が市内を托鉢で巡ることで知られている。

概要

生子山城11代城主松本景村により1448年文安5年)に創建された。1585年天正13年)に起きた天正の陣により消失し1660年万治3年)に再興されたが、1828年文政11年)春に全焼し復興に20年かかった。1897年明治30年)に専門僧堂が開設され現在に至る[1]

仏教青年会を設立し精力的な教化活動で知られていた高田道見が東京と四国の往復という条件で当寺の26世として1905年に就任、47歳から65歳で没するまで18年間勤めた[2]。その間、高田を慕って多くの修行僧が集まり、中西悟堂赤松月船も当寺で禅僧生活を送った[3]。高田は多くの著作をものし、54歳のとき法王教を提唱した[2][4]

伽藍

  • 竜門(石柱)参道
  • 山門
  • 鐘楼門:鐘鼓楼(教体楼)
  • 本堂(法堂)
  • 長泉堂
  • 天女堂
  • 僧堂
  • 一切経堂:輪蔵(経蔵)
  • 鎮守金毘羅殿:本堂の壇から長い石段を上がったところにある。
  • 鐘楼:金毘羅殿の横にある。

文化財

県指定有形文化財
瑞応寺大転輪蔵(経蔵):足利義満山名氏の冥福のために作成し京都北野天満宮に奉納されていたが、明治新政府が発した神仏分離令により1871年(明治4年)に移転された。1970年(昭和45年)3月27日指定。
県指定天然記念物
瑞応寺のイチョウ:樹齢は推定800年、樹高25m根回り14m目通り9.4mの雌株。1956年(昭和31年)11月3日指定。

脚注

出典

  1. ^ 当寺発行のパンフレットより。
  2. ^ a b 深瀬俊路「明治期曹洞宗における宗教運動」『印度學佛教學研究』第39巻第2号、日本印度学仏教学会、1991年、770-773頁、doi:10.4259/ibk.39.770ISSN 0019-4344NAID 110002661610 
  3. ^ 科学者の文藝井口哲郎、日本ペンクラブ
  4. ^ 高田道見著作国立国会図書館デジタルコレクション