石原典子
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いしはら のりこ 石原 典子 | |
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生誕 |
石田由美子 1938年1月1日 日本 広島県広島市己斐町 (現・広島市西区己斐) |
死没 | 2022年3月8日(84歳没) |
国籍 | 日本 |
教育 | 法学士 |
出身校 | 慶應義塾大学 |
職業 | 作家 |
代表作 |
『妻がシルクロードを夢みるとき 』 『君よわが妻よ:父石田光治少尉の手紙』 |
配偶者 | 石原慎太郎 |
子供 |
長男・石原伸晃 次男・石原良純 三男・石原宏高 四男・石原延啓 |
親 | 父・石田光治 |
石原 典子(いしはら のりこ、1938年(昭和13年)1月1日 - 2022年(令和4年)3月8日)は、日本のエッセイスト。元東京都知事で小説家の石原慎太郎の夫人。旧名は石田 由美子。結婚後も本名は由美子のままであり、典子は通称である。
略歴
[編集]1938年、落下傘の紐などを製造する紡績会社・東洋麻糸に勤めていた父・石田光治が同社の彦根工場に赴任し、召集令状を受け中国戦線に出征した後、母方の実家のある広島県広島市己斐町(現在の同市西区己斐)で生まれた[1]。しかし光治は典子を一度も抱けないまま戦死した。
1955年12月に、小学生の時からの知り合いだった小説家の石原慎太郎と17歳のときに結婚する[2]。慎太郎との間に伸晃、良純、宏高、延啓の4人の子供をもうける。
その後、一念発起して慶應義塾大学法学部政治学科に入学、30歳前後で学生生活を過ごして卒業。その後、『妻がシルクロードを夢みるとき』を刊行する[3]。
1991年、伸晃の妻・田中理佐の名を「画数が悪い」と“里紗”に改名させた。自身の名も、これ以前に改名している(芸名ではない)。
2022年2月1日、膵臓がんを患っていた夫の慎太郎と死別。その約1か月後の同年3月8日、後を追うように典子は大動脈瘤破裂で死去する[4]。84歳没[2][5]。
人物
[編集]夫の慎太郎の死に顔を見詰めながら「寂しくなるわね」とつぶやいた典子も夫の後を追うように1カ月後に亡くなる[4]。長男の伸晃によると「母の死はこたえた」という[4]。
横須賀市にある典子の実家の先祖代々の墓所は継承者がおらず、長男の伸晃が「墓じまい」している[4]。
演じた俳優
[編集]著書
[編集]- 『妻がシルクロードを夢みるとき』(学研プラス、1979) ISBN 978-4050025503
- 『君よわが妻よ:父石田光治少尉の手紙』(文藝春秋、2010) ISBN 978-4163728704
脚注
[編集]- ^ 佐野眞一著『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』254-265頁。
- ^ a b 浦本 将樹「【記者が悼む】石原慎太郎氏の妻・典子さん、4人の息子だけでなくファミリー全体の「母」だった」『スポーツ報知』2022年3月10日。2022年3月12日閲覧。
- ^ 『君よわが妻よ:父石田光治少尉の手紙』著者略歴より。
- ^ a b c d “長男が明かした「父・石原慎太郎」の“知られざる終活”…最期に「死んだらつまらない」「ラーメンを食べたい」と語った父、田園調布の自宅は「取り壊し」へ、「両親の死」で考えた「墓じまい」”. 現代ビジネス (2024年1月3日). 2024年1月3日閲覧。
- ^ 石原慎太郎氏の妻典子さん死去 84歳 - 毎日新聞 2022年3月9日