生田原駅
生田原駅 | |
---|---|
駅舎(2004年7月) | |
いくたはら Ikutahara | |
◄A51 安国 (8.9 km) | |
所在地 | 北海道紋別郡遠軽町生田原 |
駅番号 | ○A53 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■石北本線 |
キロ程 | 137.7 km(新旭川起点) |
電報略号 | イハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
50人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1914年(大正3年)10月5日[1] |
備考 | 無人駅 |
生田原駅(いくたはらえき)は、北海道紋別郡遠軽町生田原にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の駅である。電報略号はイハ。事務管理コードは▲122522[2][3]。駅番号はA53。特急「オホーツク」「大雪」を含む全ての定期列車が停車する[4][注釈 1]。
歴史
[編集]野付牛駅(→北見駅)駅から、オホーツク海沿いの湧別駅に向けて建設が行われた湧別軽便線の留辺蘂 - 下生田原(後の安国駅)間の開通に合わせて上生田原駅(かみいくたはらえき)として開業した[5][6][7]。まもなく1916年(大正5年)11月7日に762ミリメートル軌間の軽便鉄道から1,067ミリメートル軌間に改軌され、1932年(昭和7年)10月1日に石北本線の駅となり[6]、その後1946年(昭和21年)3月1日に生田原駅に改称された[5]。
かつて当駅は林業・鉱業に関わる輸送の中継地として賑わい、南の常紋峠を越える列車に補助機関車を連結するため、転車台や給水設備が設置されて鉄道の運行拠点ともなっていたが、後年これら設備は撤去されている[5]。
年表
[編集]- 1914年(大正3年)10月5日:鉄道院湧別軽便線留辺蘂駅 - 下生田原駅間(軌間762mm)開業にともない上生田原駅として開業。一般駅[7]。
- 1916年(大正5年)11月7日:留辺蘂駅 - 遠軽駅間1,067mm軌間に改軌[6]。
- 1922年(大正11年)
- 1928年(昭和3年):上生田原森林軌道(馬車鉄道)開設。最長時(1944年)28.9キロ[8]
- 1942年(昭和17年):森林軌道が機関車を導入して森林鉄道となる。
- 1946年(昭和21年)3月1日:生田原駅に改称[9]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1954年(昭和29年):上生田原森林鉄道廃止。
- 1961年(昭和36年)4月1日:新旭川駅 - 網走駅間を石北本線に改称。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[1]。
- 1993年(平成5年)
- 1995年(平成7年)8月15日:簡易委託廃止[10]。
- 2002年(平成14年)12月1日:同日のダイヤ改正で特急「オホーツク」の当駅通過便(下り3・5号、上り4・8号、いずれも当時)が停車するようになり、全定期列車が停車するようになる[4][13]。
駅名の由来
[編集]隣駅の下生田原駅(→安国駅)と比して、生田原川の上流に位置することから上生田原と名づけられたが[14]、1946年(昭和21年)3月1日に下生田原駅が安国駅に改称するのと同時に、こちらが生田原村(当時)の中心駅であったことから生田原駅に改称された[5]。
なお、駅周辺の字名は改称2年前の1944年(昭和19年)2月11日に、生田原村で実施された字名の整理・行政区との区画不一致解消に伴い「上生田原」「上イクタラ」などの雑多な字名を統合し、「生田原」としている[15]。
駅構造
[編集]上下で互い違いに設置された上下方向別単式ホーム2面2線の地上駅。上り線は駅舎側のホーム(1番線)と向かい側のホーム(2番線)の両方と接するが、乗降は駅舎側のホームでのみ取り扱う[12]。両ホームは1番線の遠軽方と2番線網走方を結ぶ構内踏切で連絡する[12]。このほか、1番線の遠軽方に保守用の側線が設置されている[12]。
遠軽駅管理の無人駅。現在の駅舎は町の「生田原駅前再開発事業」に伴い建設された、鉄筋コンクリート造り2階建てのものである。建物内には遠軽町生田原図書館(旧:生田原町図書館)とオホーツク地方の文学作品をテーマとした博物館である遠軽町生田原オホーツク文学館が入居する[5][16]。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ■石北本線 | 上り | 遠軽・旭川方面 | 当駅始発は2番線 |
2 | 下り | 北見・網走方面 |
-
待合室(2022年6月)
-
1番線ホーム(2022年6月)
-
2番線ホーム(2022年6月)
-
構内踏切(2022年6月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1923年(大正12年) | 30,614 | (83.6) | [17] | ||
1932年(昭和 | 7年)23,996 | (65.7) | |||
1935年(昭和10年) | 39,274 | (107.3) | |||
1936年(昭和11年) | 42,161 | (115.5) | |||
1945年(昭和20年) | 109,798 | (300.8) | |||
1946年(昭和21年) | 137,365 | (376.3) | |||
1947年(昭和22年) | 142,912 | (390.5) | |||
1948年(昭和23年) | 131,109 | (359.2) | |||
1949年(昭和24年) | 117,544 | (322.0) | |||
1950年(昭和25年) | 123,910 | (339.5) | |||
1952年(昭和27年) | 130,625 | (357.9) | |||
1953年(昭和28年) | 134,613 | (368.8) | |||
1954年(昭和29年) | 134,613 | (368.8) | |||
1955年(昭和30年) | 142,183 | (388.5) | |||
1956年(昭和31年) | 145,877 | (399.7) | |||
1957年(昭和32年) | 145,860 | (399.6) | |||
1958年(昭和33年) | 198,141 | (542.9) | |||
1963年(昭和38年) | 135,561 | (370.4) | |||
1970年(昭和45年) | 111,014 | (304.1) | |||
1971年(昭和46年) | 103,521 | (282.8) | |||
1972年(昭和47年) | 101,771 | (278.8) | |||
1973年(昭和48年) | 103,217 | (282.8) | |||
1974年(昭和49年) | 107,255 | (293.8) | |||
1975年(昭和50年) | 100,079 | (273.4) | |||
1978年(昭和53年) | 278 | [18] | |||
1981年(昭和56年) | 261 | [19] | |||
1992年(平成 | 4年)(110.0) | [20] | 一日平均乗降客数:220 | ||
2016年(平成28年) | 34.6 | [JR北 1] | |||
2017年(平成29年) | 29.4 | [JR北 2] | |||
2018年(平成30年) | 24.0 | [JR北 3] | |||
2019年(令和元年) | 22.0 | [JR北 4] | |||
2020年(令和 | 2年)20.2 | [JR北 5] | |||
2021年(令和 | 3年)18.2 | [JR北 6] | |||
2022年(令和 | 4年)17.4 | [JR北 7] | |||
2023年(令和 | 5年)16.0 | [JR北 8] |
駅周辺
[編集]生田原市街が広がる。
- 北海道道592号湯里生田原停車場線
- 国道242号
- 遠軽町役場生田原総合支所(旧・生田原町役場)
- 遠軽警察署生田原駐在所
- 生田原郵便局
- 遠軽信用金庫生田原支店
- えんゆう農業協同組合生田原支所
- ちゃちゃワールド(木製のおもちゃをテーマとする観光施設[21]。1998年(平成10年)4月28日に開館[21]。
- 生田原コミュニティセンター
- 生田原温泉ノースキング(「生田原駅前再開発事業」の一環で、廃墟化していた国鉄官舎跡地を活用し、温泉を掘削の上開業[22])
- 北海道北見バス「生田原」停留所[23]
隣の駅
[編集]- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■石北本線
- 特急「オホーツク」「大雪」停車駅
- *
打消線は廃駅および廃止信号場
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ なお、2020年2月28日まで、金曜・日曜夜に運転していた臨時快速列車(8585D)は当駅を通過していた。
出典
[編集]- ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、919頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、245頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ a b “JR生田原駅 1日から全特急停車 「交流人口増え活性化」 町、長年の悲願達成喜ぶ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年11月29日)
- ^ a b c d e f g 伊藤丈志「驛 町のランドマーク 駅舎見聞録 16 石北本線編 生田原駅」『鉄道ジャーナル』第577号、鉄道ジャーナル社、2014年11月、138-139頁。
- ^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1 p.252
- ^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2 p.919
- ^ 河野哲也「北海道の森林鉄道,殖民軌道」『鉄道ピクトリアル』No.733
- ^ 「告示 / 運輸省 / 第50号 / 房總西線安房北條停車場等改稱/」『官報』1946年2月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e 続生田原町史編さん委員会 編『続生田原町史』生田原町、1997年、495-506頁。doi:10.11501/9541098 。2022年11月23日閲覧。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ a b c d 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、130頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 『平成14年12月ダイヤ改正について』(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2002年9月20日。オリジナルの2002年10月10日時点におけるアーカイブ 。2014年6月19日閲覧。
- ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年。NDLJP:1029473。
- ^ 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、102-103頁。doi:10.11501/9570602 。2022年11月20日閲覧。
- ^ 【わがまち遺産】オホーツク文学館(遠軽町)2016年10月2日 朝日新聞北海道版
- ^ 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、678-681頁。doi:10.11501/9570602 。2022年11月20日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、899頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、相賀徹夫 編『国鉄全線各駅停車 1 (北海道690駅)』小学館〈国鉄全線各駅停車〉、1983年7月20日、154頁。doi:10.11501/12063743。ISBN 4-09-395101-2。
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、130頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ a b “「ちゃちゃワールド」28日開館 木製がん具1万点 生田原に まるで世界旅行”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年4月3日)
- ^ 続生田原町史編さん委員会 編『続生田原町史』生田原町、1997年、284-287頁。doi:10.11501/9541098 。2022年11月23日閲覧。
- ^ “路線図 清里線(キララン清里行)”. 北海道北見バス. 2019年6月21日閲覧。
JR北海道
[編集]- ^ 「石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ 。2017年12月10日閲覧。
- ^ 「石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ 。2018年8月19日閲覧。
- ^ “石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』北海道新聞社、2008年7月。ISBN 978-4-89453-464-3。
- 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年10月1日。ISBN 4-533-02980-9。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 生田原|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 1948年撮影航空写真 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。 駅裏の広大な貯木場から下へ向かって石北本線横を並走し、下を潜って西へ向きを変えた後、浦島内川上流(左方向)と生田原川上流(左下方向)の二手に分かれて奥地へ向かう上生田原森林鉄道の軌道が確認できる。
- オホーツク文学館遠軽町