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== 成立の過程 ==
== 成立の過程 ==
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[[アーリヤ人]]の侵入以来、インドにはヴェーダ文化が栄え、祭式を中心とする伝統的な[[バラモン教|バラモン社会]]がつくりあげられた。しかし、[[紀元前7世紀]]ころより伝統的な価値観や生き方に異議を唱える[[禁欲主義]]が台頭したため、みずから「正統世界」と称した伝統社会は反省と[[世界観]]の再編成を迫られた。それは多く祭式を司った[[バラモン]]層によって担われ、紀元前6世紀ころよりさかんに進められた。[[十六大国]]時代にあった彼らは世俗の権力者である王侯の支持をとりつけて4[[ヴァルナ (種姓)|ヴァルナ]]を軸とする身分制にもとづいたヴァルナ体制社会の確立をはかって、この体制下における[[人間]]の生き方、あり方([[ダルマ]])を追究した<ref>『南アジアを知る事典』(1992)</ref>。ダルマ・スートラとはそのために編まれた教典である。

[[アーリヤ人]]の侵入以来、インドにはヴェーダ文化が栄え、祭式を中心とする伝統的な[[バラモン教|バラモン社会]]がつくりあげられた<ref name="shirujiten" />。しかし、[[紀元前7世紀]]ころより伝統的な価値観や生き方に異議を唱える[[禁欲主義]]が台頭したため、みずから「正統世界」と称した伝統社会は反省と[[世界観]]の再編成を迫られた<ref name="shirujiten" />。それは多く祭式を司った[[バラモン]]層によって担われ、紀元前6世紀ころよりさかんに進められた<ref name="shirujiten" />。[[十六大国]]時代にあった彼らは世俗の権力者である王侯の支持をとりつけて4[[ヴァルナ (種姓)|ヴァルナ]]を軸とする身分制にもとづいたヴァルナ体制社会の確立をはかって、この体制下における[[人間]]の生き方、あり方([[ダルマ]])を追究した<ref name="shirujiten">[[#知る事典|『南アジアを知る事典』(1992)]]</ref>。ダルマ・スートラとはそのために編まれた教典である。

ダルマ・スートラは、法(ダルマ)について述べた文献としてはインドにおける最初期のものであるが、実際の[[裁判]]など実用目的のための法典ではなく、あくまでもヴェーダを補完する文献の一つとして、ヴェーダを継承する諸学派によって編まれた宗教文献であり、また、要点のみを組織的に配列する「スートラ体」という極度に簡潔な独特の[[散文]]体で叙述されている<ref name="kotobank1" /><ref name="kotobank2">{{コトバンク|ダルマ・シャーストラ}}</ref>{{refnest|group="注釈"|ダルマの原義は「支えを保つ」である<ref name="nara147">[[#奈良|奈良(1991)pp.147-150]]</ref>。これを、人間を人間たらしめるものと解釈すれば「真実」、宗教者にとっては「教え」「教法」となり、社会的脈絡のなかでは「倫理」となり、倫理道徳が共同体のなかで強制力をともなう行為パターンとして固定するならば「義務」「法律」という意味になる<ref name="nara147" />。}}。ダルマの内容と権威はすべてヴェーダにもとづくが、ヴェーダそのものは天の声、神の啓示と考えられているのに対し、ダルマは賢者聖人によるものであり、ダルマ・スートラもまた権威ある聖伝聖典と考えられている<ref name="nara147" />。

ダルマ・スートラは、のちに『[[マヌ法典]]』として集大成されるヒンドゥー法典の先駆けとなった文献であるが、そこにはすでに、[[再生族]](すなわち、[[バラモン]]・[[クシャトリヤ]]・[[ヴァイシャ]]の上位3[[ヴァルナ (種姓)|ヴァルナ]])の男性)が生涯においてたどるべき四住期([[アーシュラマ]])に関する規定も存在していた<ref name="yamazaki55">[[#山崎|山崎(2004)pp.55-57]]</ref>{{refnest|group="注釈"|四住期の法も他のヴァルナの規則と同様、『マヌ法典』において最終的な確立をみる<ref name="yamazaki55" />。}}。


== ダルマ・シャーストラとの関係 ==
== ダルマ・シャーストラとの関係 ==
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ダルマ・スートラは、広義のダルマ・シャーストラには含まれるが、狭義のダルマ・シャーストラ(スムリティ)には含まれない。とくに後者が紀元前2世紀ころから西暦[[5世紀]]ないし[[6世紀]]にかけて[[サンスクリット]]の[[韻文]]体で記された法典であるのに対し、ダルマ・スートラはそれに先だつ年代において、サンスクリットの[[散文]]体で記録された教典である<ref name=fuji/>。
ダルマ・スートラは、広義の[[ダルマ・シャーストラ]]には含まれるが、狭義のダルマ・シャーストラ(スムリティ)には含まれない。『マヌ法典』をはじめする後者が紀元前2世紀ころから西暦[[5世紀]]ないし[[6世紀]]にかけて[[サンスクリット]]の[[韻文]]体で記された法典であるのに対し<ref name="yamazakikarashima96">[[#山崎辛島|山崎・辛島(2004)pp.96-97]]</ref>、ダルマ・スートラはそれに先だつ年代において、サンスクリットの[[散文]]体で記録された教典である<ref name="fujii2" />。ダルマ・スートラの一部には韻文も含んでいるが、その多くは後世の付加と考えられている<ref name="kotobank2" />。また、その独特な「スートラ体」は法典文学、すなわちダルマ・シャーストラの文学的要素にも多大な影響をおよぼした<ref name="kotobank2" />。


== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=|editor=[[辛島昇]]編|year=2004|month=3|title=南アジア史|publisher=[[山川出版社]]|series=新版世界各国史7|isbn=4-634-41370-1}}
** {{Cite book|和書|author=[[山崎元一]]|editor=辛島編|year=2004|chapter=第1章 インダス文明からガンジス文明へ|title=南アジア史|publisher=山川出版社|series=新版世界各国史7|isbn=4-634-41370-1|ref=山崎}}
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* {{Cite book|和書|author=[[奈良康明]]|year=1991|month=8|chapter=ヒンドゥー教徒の生活|title=インドの顔|publisher=[[河出書房新社]]|series=生活の世界歴史5|isbn=4-309-47215-X|ref=奈良}}
* {{Cite book|和書|author=[[藤井毅]]|year=2007|month=12|title=インド社会とカースト|publisher=[[山川出版社]]|series=世界史リブレット|isbn=4-634-34860-8|ref=藤井}}
* {{Cite book|和書|editor=辛島昇・[[前田専学]]・江島惠教ら監修|year=1992|month=10|title=南アジアを知る事典|publisher=[[平凡社]]|isbn=4-582-12634-0|ref=知る事典}}
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== 関連項目 ==
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* [[ヒンドゥー教]]
* [[ヒンドゥー教]]
* [[ダルマ・シャーストラ]]
* [[ダルマ・シャーストラ]]

== 参考文献 ==
*藤井毅インド社会とカースト[[山川出版社]]世界史リブレット86>2007.12、ISBN 4-634-34860-8
*[[辛島昇]]・前田専学・江島惠教ら監修南アジアを知る事典[[平凡社]]、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
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2020年12月28日 (月) 01:43時点における版

ダルマ・スートラ(dharma suutra)は、ヴェーダ文献における律法経のことであり[1]紀元前6世紀から紀元前2世紀にかけて叙述、記録された、ヴェーダの祭式学《カルパ・スートラ英語版》に附属した法文献の総称[2]。特定のヴェーダ学派の教義と結びつく性格を有する[1][注釈 1]

成立の過程

ダルマ・スートラは、バラモン教の天啓聖典であるヴェーダに付随する文献群のひとつとして成立しており、バラモン教社会の4つの種姓(ヴァルナ)それぞれの権利義務と日常生活のあり方を規定した[2]。ヴェーダの補助文献として成立した6種のヴェーダーンガ Vedāṅga の一つである「カルパ・スートラ」の一部分を構成する[2][注釈 2]

アーリヤ人の侵入以来、インドにはヴェーダ文化が栄え、祭式を中心とする伝統的なバラモン社会がつくりあげられた[4]。しかし、紀元前7世紀ころより伝統的な価値観や生き方に異議を唱える禁欲主義が台頭したため、みずから「正統世界」と称した伝統社会は反省と世界観の再編成を迫られた[4]。それは多く祭式を司ったバラモン層によって担われ、紀元前6世紀ころよりさかんに進められた[4]十六大国時代にあった彼らは世俗の権力者である王侯の支持をとりつけて4ヴァルナを軸とする身分制にもとづいたヴァルナ体制社会の確立をはかって、この体制下における人間の生き方、あり方(ダルマ)を追究した[4]。ダルマ・スートラとはそのために編まれた教典である。

ダルマ・スートラは、法(ダルマ)について述べた文献としてはインドにおける最初期のものであるが、実際の裁判など実用目的のための法典ではなく、あくまでもヴェーダを補完する文献の一つとして、ヴェーダを継承する諸学派によって編まれた宗教文献であり、また、要点のみを組織的に配列する「スートラ体」という極度に簡潔な独特の散文体で叙述されている[2][5][注釈 3]。ダルマの内容と権威はすべてヴェーダにもとづくが、ヴェーダそのものは天の声、神の啓示と考えられているのに対し、ダルマは賢者聖人によるものであり、ダルマ・スートラもまた権威ある聖伝聖典と考えられている[6]

ダルマ・スートラは、のちに『マヌ法典』として集大成されるヒンドゥー法典の先駆けとなった文献であるが、そこにはすでに、再生族(すなわち、バラモンクシャトリヤヴァイシャの上位3ヴァルナ)の男性)が生涯においてたどるべき四住期(アーシュラマ)に関する規定も存在していた[7][注釈 4]

ダルマ・シャーストラとの関係

ダルマ・スートラは、広義のダルマ・シャーストラには含まれるが、狭義のダルマ・シャーストラ(スムリティ)には含まれない。『マヌ法典』をはじめとする後者が紀元前2世紀ころから西暦5世紀ないし6世紀にかけてサンスクリット韻文体で記された法典であるのに対し[8]、ダルマ・スートラはそれに先だつ年代において、サンスクリットの散文体で記録された教典である[1]。ダルマ・スートラの一部には韻文も含んでいるが、その多くは後世の付加と考えられている[5]。また、その独特な「スートラ体」は法典文学、すなわちダルマ・シャーストラの文学的要素にも多大な影響をおよぼした[5]

脚注

注釈

  1. ^ バラモン教に由来する3つの学派には、ヴェーダーンタサーンキヤヨーガがある[3]
  2. ^ 「カルパ・スートラ」は、シュラウタ・スートラ(天啓経)、グリヒヤ・スートラ(家庭経)、シュルバ・スートラ(祭壇経)、ダルマ・スートラ(律法経)の4部門に分かれる[2]
  3. ^ ダルマの原義は「支えを保つ」である[6]。これを、人間を人間たらしめるものと解釈すれば「真実」、宗教者にとっては「教え」「教法」となり、社会的脈絡のなかでは「倫理」となり、倫理道徳が共同体のなかで強制力をともなう行為パターンとして固定するならば「義務」「法律」という意味になる[6]
  4. ^ 四住期の法も他のヴァルナの規則と同様、『マヌ法典』において最終的な確立をみる[7]

出典

参考文献

  • 辛島昇編 編『南アジア史』山川出版社〈新版世界各国史7〉、2004年3月。ISBN 4-634-41370-1 
    • 山崎元一 著「第1章 インダス文明からガンジス文明へ」、辛島編 編『南アジア史』山川出版社〈新版世界各国史7〉、2004年。ISBN 4-634-41370-1 
    • 山崎元一・辛島昇 著「第2章 マウリヤ帝国とその後のインド亜大陸」、辛島編 編『南アジア史』山川出版社〈新版世界各国史7〉、2004年。ISBN 4-634-41370-1 
  • 奈良康明「ヒンドゥー教徒の生活」『インドの顔』河出書房新社〈生活の世界歴史5〉、1991年8月。ISBN 4-309-47215-X 
  • 藤井毅『インド社会とカースト』山川出版社〈世界史リブレット〉、2007年12月。ISBN 4-634-34860-8 
  • 辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修 編『南アジアを知る事典』平凡社、1992年10月。ISBN 4-582-12634-0 
  • ミルチア・エリアーデ 著、島田裕巳 訳『世界宗教史3』筑摩書房ちくま学芸文庫〉、2000年5月。ISBN 4-480-08563-7 

関連項目