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'''亀池'''(かめいけ)は、[[和歌山県]][[海南市]]阪井にある[[ため池]]である。
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[[和歌山県]]の[[生石高原県立自然公園]]に指定されているとともに、[[農林水産省]]の[[ため池百選]]に選定されている<ref>{{PDFlink|[http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/pdf/3001_kame.pdf 亀池]}} - 農林水産省ホームページ</ref>。
[[和歌山県]]の[[生石高原県立自然公園]]に指定されているとともに、[[農林水産省]]の[[ため池百選]]に選定されている<ref>{{PDFlink|[http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/pdf/3001_kame.pdf 亀池]}} - 農林水産省ホームページ</ref>。[[紀の川市]]の桜池、[[平池 (和歌山県)|平池]]とともに和歌山県三大用水池の一つとされ、[[サクラ|桜]]が美しいことで知られる


== 由来 ==
== 由来 ==
亀池は[[徳川吉宗]]将軍時代に治水家として全国に知られた技師、溝ノ口村(現在の海南市野上新)出身の[[井沢弥惣兵衛]]により、亀の川の改修と併せて約4kmの導水路と供に[[1710年]](宝永7年)連日600余人(延べ55,000人)を動員し、90日間で造営された人工池であると伝えられている。現在も143haの農地を潤しているため池である。
亀池は[[徳川吉宗]]将軍時代に治水家として全国に知られた技師、溝ノ口村(現在の海南市野上新)出身の[[井沢弥惣兵衛]]により、亀の川の改修と併せて約4kmの導水路と供に[[1710年]](宝永7年)連日600余人(延べ55,000人)を動員し、90日間で造営された人工池であると伝えられている。現在も143haの農地を潤しているため池である。


== 概要 ==
== 双青閣 ==
[[サクラ|桜]]が美しいことで知られる。池の内部には人工島である「中島」があり、[[1968年]](昭和43年)に双青閣が移築されている。
池の内部には人工島である「中島」があり、[[1968年]](昭和43年)に双青閣が移築されている。亀池のほとりからは[[歩行者]]専用の[[吊り橋|つり橋]]で中島まで往来できる。


双青閣前にある説明板によると、[[紀州徳川家]]第15代当主[[徳川頼倫]][[侯爵]]が[[1920年]](大正9年)に[[和歌浦]][[紀州東照宮|東照宮]]付近に建築した別邸であり、書院建回廊式の造りをしている。[[1922年]](大正11年)に和歌山へ来訪した当時[[皇太子]]であった[[昭和天皇]]が双青閣に宿泊したという。その後、頼倫が渡欧する際に私人に払い下げられたが、その私人が和歌山県に寄贈し、改築の際に海南市阪井在住の[[田村岩友]](1000本の桜を寄贈したことを記念した碑が園内に立てられている)が買収して、[[1968年]](昭和43年)6月に現在の場所に移築保存。後、[[1974年]](昭和49年)[[2月29日]]に海南市に寄贈された。
亀池のほとりからは[[歩行者]]専用の[[吊り橋|つり橋]]で中島まで往来できる。

[[紀の川市]]の桜池、[[平池 (和歌山県)|平池]]とともに和歌山県三大用水池の一つとされている。


== 交通 ==
== 交通 ==

2014年2月13日 (木) 00:31時点における版

亀池
所在地 日本の旗 日本 和歌山県海南市阪井
位置
亀池の位置(日本内)
亀池
北緯34度09分19秒 東経135度15分40秒 / 北緯34.15528度 東経135.26111度 / 34.15528; 135.26111座標: 北緯34度09分19秒 東経135度15分40秒 / 北緯34.15528度 東経135.26111度 / 34.15528; 135.26111
面積 130 km2
周囲長 4 km
貯水量 540 km3
淡水・汽水 淡水
湖沼型 人口
プロジェクト 地形
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亀池(かめいけ)は、和歌山県海南市阪井にあるため池である。 和歌山県生石高原県立自然公園に指定されているとともに、農林水産省ため池百選に選定されている[1]紀の川市の桜池、平池とともに和歌山県三大用水池の一つとされ、が美しいことで知られる。

由来

亀池は徳川吉宗将軍時代に治水家として全国に知られた技師、溝ノ口村(現在の海南市野上新)出身の井沢弥惣兵衛により、亀の川の改修と併せて約4kmの導水路と供に1710年(宝永7年)連日600余人(延べ55,000人)を動員し、90日間で造営された人工池であると伝えられている。現在も143haの農地を潤しているため池である。

双青閣

池の内部には人工島である「中島」があり、1968年(昭和43年)に双青閣が移築されている。亀池のほとりからは歩行者専用のつり橋で中島まで往来できる。

双青閣前にある説明板によると、紀州徳川家第15代当主徳川頼倫侯爵1920年(大正9年)に和歌浦東照宮付近に建築した別邸であり、書院建回廊式の造りをしている。1922年(大正11年)に和歌山へ来訪した当時皇太子であった昭和天皇が双青閣に宿泊したという。その後、頼倫が渡欧する際に私人に払い下げられたが、その私人が和歌山県に寄贈し、改築の際に海南市阪井在住の田村岩友(1000本の桜を寄贈したことを記念した碑が園内に立てられている)が買収して、1968年(昭和43年)6月に現在の場所に移築保存。後、1974年(昭和49年)2月29日に海南市に寄贈された。

交通

脚注

  1. ^ 亀池 (PDF) - 農林水産省ホームページ

外部リンク