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Y.Yamazaki (会話 | 投稿記録)
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* [[根本純]] - 自動車ジャーナリスト。1981年日本人として初参戦し、完走・1982年・1985年・1988年 - 1997年に参戦。
* [[根本純]] - 自動車ジャーナリスト。1981年日本人として初参戦し、完走・1982年・1985年・1988年 - 1997年に参戦。
* [[立松和平]] - 作家。ナビゲーターとして2回出場し、1990年はリタイア、1991年に完走。
* [[立松和平]] - 作家。ナビゲーターとして2回出場し、1990年はリタイア、1991年に完走。
* [[佐々木隆]] - 元モトクロス国際A級ライダー。1989年は二輪で出場するもリタイア、1990年は完走、クラス3位。その他海外ラリー出場・入賞経験多数
* [[佐々木隆]] - 元モトクロス国際A級ライダー。1989年は二輪で出場するもリタイア、1990年は完走、クラス3位。
* [[岡本香織]] - 女優。パリ・ケープタウンラリー完走等の成果を残している。

その他海外ラリー出場・入賞経験多数。


; 二輪
; 二輪

2009年7月11日 (土) 17:06時点における版

パリ・ダカール・ラリーで通過する国(オレンジは1992年のパリ~ル・カップで通過した国)
ファイル:Pajero-dakar2002 masuoka.jpg
2002年の第24回大会で優勝したときの増岡浩選手のパジェロ

ダカール・ラリー(正式名称ユーロミルホー・ダカールラリー、通称パリ・ダカ)とはラリー競技大会の一つで、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。

概要

1979年から始まり毎年行われていて、例年1月1日(近年は前年の12月末)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースとなった。1981年より国際自動車連盟(FIA)と国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の公認レースとなっている。世界を代表するラリーレイドの大会のひとつである。

かつてのヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、時折死者・負傷者も出た。競技区間には、西サハラなど政治的に不安定な国も入っていることも「世界一過酷」と呼ばれるゆえんであった。

同様にヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っているだけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在し、テロの標的にされる理由の一つであった。またアフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多かった。それらの事情から、後に開催地が南米に変更された。

冠スポンサーは2007年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するユーロミルホーが務めた。過去にはテレフンケンde:telefunken:ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)等が務めている。日本企業ではパイオニアが1991年に冠スポンサーを務めた。

歴史

本ラリーの創始者はティエリー・サビーヌである。「私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう」は、1978年の第1回開催の時に彼が言ったとされる。ティエリーは運営団体としてTSO(ティエリー・サビーヌ・オーガニゼーション)を設立、主催者としてパリ・ダカを象徴する存在となる。しかし、ティエリーは1986年に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故により死去、彼の遺志とTSOは父ジルベールによって引き継がれた。だが、そのジルベールもティエリー程のカリスマ性を持つには至らず、高齢を理由に1994年1月に引退。TSOは主催者権を売却し、1994年からはフランスのアモリー・グループである「ASO」(アモリ・スポル・オルガニザシオン)が主催している。

1986年の大会では6人の死者を出したことがある。

1988年にはオート部門首位だったアリ・バタネンの車両が盗難に遭うという事態が発生した。後に失格の裁定が下されるが、致命的なトラブルを抱えていたプジョーの自作自演という説も根強く残っている。またこの時、失格の裁定を巡って、プジョーとFIA(と言うよりジャン・マリー・バレストル個人)の間で対立が生じている。

1991年にはシトロエンチームのサポートカミオンが、モーリタニア共和国内でポリサリオ戦線が敷設していた地雷を踏み、コドライバーが逃げ遅れて焼死する事件が発生した。事前警告で地雷が存在する為、メインピステから外れて走らないよう指示が出ていたのにもかかわらず、主催者から指示され、ルートブックにも記載されていたメインピステを外れて走行していたのが原因とされている。

1999年にはテレビ局の取材担当者らがテロ組織に襲われた。今日はテロ組織だけでなく強盗も現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくない。銃撃を受ける、盗賊に金品を略奪される等、枚挙に暇が無い。通行する集落の住民による投石による事故や負傷も多い。シトロエンのサポートカミオンのドライバーが何者かによって射殺されたり、ミツビシのサポートカミオンが狙撃を受ける事態すら発生している。

2008年は走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化のため、開幕前日になって全区間開催中止が発表された[1]。2008年の再開催の予定はなし。2007年末のフランス人旅行者殺害事件を契機にフランス政府が事実上のレース中止勧告をしていたほか、主催者にも直接テロの脅迫が届いていたという。レースが全面中止されるのは30年の歴史で初めてである。

主催者側はテロの危険が絶えないサハラ砂漠からの撤退を含めた議論を示唆した[2]

2008年2月4日、ASOは中止になったダカール・ラリーの代わりに中央ヨーロッパを舞台にしたラリー「ダカール・シリーズ」を創設、4月20日26日に開催すると発表した[3]ハンガリーの首都・ブダペストからスタートし、途中ルーマニアを通過、同国西部のバラトン湖までのおよそ4800kmを走る。

また、同年2月11日には2009年のダカール・ラリーは南アメリカアルゼンチンチリを舞台に行われると報じられた[4]ブエノスアイレスが発着点となる。この地が舞台となった理由として、ダカール・ラリーの特徴である砂漠や難コースを持ちながらテロの脅威がないことが挙げられている。

2009年2月、2010年も引き続き南米で開催される事が発表された。長らくトップコンテンダーとして健在だった三菱自動車が、2009年限りでワークスチーム撤退を表明した。撤退が噂されていたフォルクスワーゲンは後に参戦継続を表明しているが、パリダカールラリーはワークス主体のレースが継続されるか、初期のプライベーター主体のレースに回帰するか、開催地の問題も含め現在岐路に立たされている。

コース

コース風景(2005年)
2006年のコース図

開始当初より1991年まで元日(前年末の時もあった)にパリをスタートし、アフリカ大陸に上陸後、サハラ砂漠を経由してダカールをゴール地点とするレースフォーマットで運営されていた。そのため、本ラリーの日本国内での通称は今でも「パリ・ダカ」と言われる事がある(実際には2002年以降パリはスタート地点になっていない)。

近年の大会では、

  • 1992年 - アフリカ大陸縦断の形をとってゴールを南アフリカ共和国ケープタウン(ル・カップ)に置く(これは同年に開催されたパリ・北京ラリーへのエントリー流出を防ぐための対抗策であると言われている)。
  • 1994年 - パリとダカールを往復するコース(パリ・ダカール・パリ・ラリー)を実施。
  • 1995年 - 初めてパリ以外の都市(グラナダ)からスタート。
  • 2000年 - 前年の大会でテレビ局取材スタッフが襲撃されたことを受け、アフリカステージをダカールからスタートしてエジプトカイロのギザのピラミッドにゴールを設定した。
  • 2002年 - アラスよりスタート。この年以降、パリからはスタートしていない。

スタートとなった都市は以下のとおり。

コースはASOのコースディレクターによる事前の試走に基づいて決定される。経由地やルートは毎年変更され、前年と全く同じコースを走行する事はほとんどない。なお、コースディレクションはティエリー・サビーヌの存命中は彼自身の手によって行われ、彼亡き後はルネ・メッジやユベール・オリオールなど、本ラリーの過去の参加経験者の手によって行われている。

日々のコースは、リエゾンと呼ばれる移動区間とSS(通常のラリーではスペシャルステージの略であるが、本ラリーにおいてはセレクティブセクターもしくはそのままエスエスと呼称される事がある)と呼ばれる競技区間とで構成される。リエゾンとSSを合計した1日の走行距離はおよそ500kmから800kmにも及び、過去には1,000kmを越える競技区間が設けられた事もあった。

また、マラソンステージと呼ばれる区間が全コース中1度ないし2度設けられる。これは競技車が到着後、通常はその日のビバーク地で行う事が出来る整備を一部禁じ(具体的にはエンジン、駆動系などの部品交換が禁止される)、そのまま翌日のステージを走行するものである。2日にわたるステージをタイヤ交換などの軽整備のみで乗り切らなければならないため、ステージ内でのエンジンや駆動系の深刻なトラブルは即リタイヤに繋がる。そのため、車両を壊さないように労わりながらも速く走らなければならないという、2つの相反する要素が求められるステージとなっている。

競技期間中には1日ないし2日の休息日が必ず設けられ、競技車両の整備やクルーの休息に充てられる。

車両

競技に使用される車両は基本的にオート(自動車)、モト(オートバイ)、カミオン(トラック)に分類される。それ以外の参加車両としてバギー、ATVなどがある。ごく初期においては2輪車と4輪車にカテゴリー分けされている程度であり、ナンバープレートが取得可能な車両であればどのような車両であっても大抵の場合は参加することが可能であった。そのため、参加車両も街中を走る市販車を改造したものから自動車メーカーのプロトタイプカー、果ては軍用車両を流用したものまで非常にバリエーションに富んでいた。余談だが、かつて2輪部門にスーパーカブベスパが参戦していた事もある。

  • かつてはT1(市販車無改造クラス)、T2(市販車ベースの改造車クラス)、T3(プロトタイプ車)にグループ分けされ、オート部門にはこれにカミオン部門が加わっていたが、2001年にグループ分けが見直された。2008年現在の大まかなクラス分けは下記のとおりである。
    • プロダクション(無改造の市販車:二輪・四輪共通)
    • スーパープロダクション(市販車ベースの改造車および競技専用車。バギーを含む:二輪・四輪共通)
    • カミオン(トラックベース)
    • エクスペリメンタル(サイドカーや三輪・四輪のATVなど)

※実際には更に燃料の種類や排気量で細分化される。

1997年にワークスチームのプロトタイプカー(競技専用車)とガソリンターボエンジンを搭載しての参戦が禁止されたが、2001年から上述のようにスーパープロダクションという形でプロトタイプカーが実質解禁となった。ガソリンターボ禁止令はなおも続いているため、現在のところはガソリンNAエンジンの市販改造車が主流であるが、一方でヨーロッパではディーゼル車が見直されてきていることもあってディーゼルターボエンジンを採用するチームも増えてきた。三菱・パジェロエボリューションのライバルのひとつ、フォルクスワーゲン・レーストゥアレグはディーゼルターボを採用しており、総合優勝を狙うワークス・チームを中心に主流になりつつある。

ダカールラリーと日本

今日、日本のメーカーからは四輪部門に三菱自動車工業日産自動車(日産は2006年より選手のサポート以外の活動を自粛)が、トラック部門(カミオン)では日野自動車といったラリー関連に強いメーカーが参戦している。三菱自動車は2001年以降2007年まで現在総合優勝7連覇を果たしている。
二輪部門では現在日本メーカーのワークス参戦はないが、過去ヤマハ車は9回(メーカー別最多)、ホンダ車は5回の優勝を手にしている。
プロトタイプ(実際に市販されていない競技専用車両)も参加可能であったため、日産・テラノのシャシーに日産・パルサーGTi-R風のボディーを被せたものや三菱・パジェロを国産初の四輪駆動車PX33風に改造した車両もあった。

四輪市販車無改造部門にはトヨタランドクルーザー100にて参戦、市販車無改造部門ディーゼルクラスで1.2.3フィニッシュをしている。国産車で参戦実績があるのは前出のパジェロとランドクルーザー、レンジャーの他、トヨタ・ハイラックスサーフ(主に海外チーム)、三菱・チャレンジャー日産・サファリ日産・テラノいすゞ・ビッグホーンいすゞ・ミュースズキ・エスクード等のクロスカントリー四輪駆動車だけではなく、初期の大会では、構造上砂漠で不利なトヨタ・スターレットトヨタ・カリーナといった二輪駆動の乗用車で参戦した強者もいた(その後のレギュレーション改定にて、オフロード車である事が義務付けられた)。
市販車無改造部門とは乗員の安全を確保する装置(多点式シートベルト、補強材、補助前照灯など)、長距離を無給油で走行するため燃料タンクの増設、競技の安全を確保する装置(追い越し時の警告装置など)を装着する以外の改造が認められていない部門で、車台・駆動系・エンジン系は市販車と全く同じである。

カミオン部門では日野自動車が中型トラックのレンジャーで同社のワークスチームまたは菅原義正選手のプライベートチームから参戦して17年連続完走、1997年には部門1-2-3フィニッシュを達成している。

日本国内における大会のテレビ放送は、かつてはテレビ朝日がダイジェストを大会中毎日のように放送し、一部のニュース番組のスポーツコーナー内でも取り上げられた。総集編はテレビ東京系列や一部の衛星放送などで放映される。国内ではプロ野球サッカー、同じモータースポーツであるF1等とは異なり放送頻度が低く、認知度が低いのが現状である。

サーキット系レース以上に地域や企業のイベントで競技車両を展示したり、自動車メーカーの販売促進の一環として全国のメーカー系販売会社やショールームを選手が回って報告会を行うなどの取り組みが見られる。特に後者は三菱自動車が熱心で、篠塚建次郎選手が参戦して以来ほぼ毎年続けられ、現在は増岡浩選手の報告会が毎年2月~3月に開催されるのが恒例となっている。開催日が平日でも他府県から報告会を見に来るファンが多い。

篠塚選手が三菱自動車を退職する2002年まで篠塚・増岡両選手の報告会が開催された期間があり、2人揃って行動した年と別行動の年があった。別行動の場合は参戦車種の関係で篠塚選手がパジェロを扱うギャラン店系販売会社、増岡選手がRVRやチャレンジャーを扱っていたカープラザ系販売会社を担当した。

2009年2月4日、三菱自動車が経済情勢の激変を理由に2009年度シーズンを以てワークス活動を終了すると発表した。但し三菱車を使用するプライベートチームへの技術支援は継続するとしている。

出場した主な日本人

四輪(カミオン含む)

その他海外ラリー出場・入賞経験多数。

二輪
  • 木下博信 - 埼玉県草加市の現在の市長。同市議会議員時代の2001年に参戦し、完走した。
  • 博田巌 - 高知県出身。ラリーレイド・モンゴルなどでの優勝経験あり。パリ・ダカール・ラリーでは上位入賞を果たす。
  • 山田秀靖 - モータースポーツジャーナリスト及びカメラマン。パリ・ダカール・ラリーでは初期の頃から取材活動を続けている。日本に紹介されるこのラリーの画像の殆どは氏の撮影によるものである。パリ・ダカール・ラリーでは完走経験有り。
  • 山村レイコ - 合計5回参戦。1997年は二輪総合57位(女性クラス優勝)、夫の山村雅康と共に完走したことで敢闘賞も受賞。1998年は夫婦で四輪部門にいすゞビッグホーンで参戦し完走。
  • 柏秀樹 - ジャーナリスト。
  • 打田稔 - ジャーナリスト。
  • 松井勉 - ジャーナリスト。
  • 堀田修 - 2002年/2004年/2006年に参戦し100%完走した。総合での上位入賞はないが、クラス別や部門別では常に上位成績を収める実力派。普通の会社員(SE)でありながら有給休暇を利用して参戦した。エコエネルギー(新エネルギー)推進やフォトジャーナリストとしても活躍している。
  • 桐島ローランド - 写真家。2007年に参戦し完走した。
  • 柴田哲孝 - 作家評論家。1986年/1988年に「チーム・シンバ」として参戦。
  • 風間深志 - 冒険家。1982年に日本人として初参戦し、完走(クラス優勝で総合18位)。2004年にも再挑戦するが、リタイア。
  • 渡辺明 - 元モトクロス世界選手権チャンピオン。1991年にスズキの準ワークス体制で参戦し、完走した。

開催日程

開催日程
第1回 1978年12月26日1979年1月14日
第2回 1980年1月1日23日
第3回 1981年1月1日~20日
第4回 1982年1月1日~20日
第5回 1983年1月1日~20日
第6回 1984年1月1日~20日
第7回 1985年1月1日~22日
第8回 1986年1月1日~22日
第9回 1987年1月1日~22日
第10回 1988年1月1日~22日
第11回 1988年12月25日1989年1月13日
第12回 1989年12月25日~1990年1月16日
第13回 1990年12月29日1991年1月17日
第14回 1991年12月25日~1992年1月16日
第15回 1993年1月1日~16日
第16回 1993年12月28日1994年1月16日
第17回 1995年1月1日~15日
第18回 1995年12月30日1996年1月14日
第19回 1997年1月4日19日
第20回 1998年1月1日~18日
第21回 1999年1月1日~17日
第22回 2000年1月6日23日
第23回 2001年1月1日~21日
第24回 2001年12月18日~2002年1月13日
第25回 2003年1月1日~19日
第26回 2004年1月1日~18日
第27回 2004年12月31日2005年1月16日
第28回 2005年12月31日~2006年1月15日
第29回 2007年1月6日~21日
第30回 2008年1月5日~20日)
第31回 2009年1月3日~18日

※第30回はモーリタニアの政情不安定を理由に中止。

歴代優勝者

オート(四輪)

参加台数 完走台数 優勝ドライバー 優勝マシン
第1回 80台   フランスの旗ジエネスティエール イギリスの旗レンジローバー
第2回 116台 49台 スウェーデンの旗フレディ・コツリンスキー/ドイツの旗ルッフェルマン ドイツの旗フォルクスワーゲン
第3回 170台 60台 フランスの旗ルネ・メッジ/フランスの旗ジロー イギリスの旗レンジローバー
第4回 233台 94台 フランスの旗ベルナルド・マロー/フランスの旗マロー フランスの旗ルノー
第5回     ベルギーの旗ジャッキー・イクス/フランスの旗ブラッスール ドイツの旗メルセデス
第6回     フランスの旗ルネ・メッジ/フランスの旗ルモワン ドイツの旗ポルシェ
第7回 362台 101台 フランスの旗パトリック・ザニローリ/フランスの旗タシルバ 日本の旗三菱
第8回 282台   フランスの旗ルネ・メッジ/フランスの旗ルモワン ドイツの旗ポルシェ
第9回 154台   フィンランドの旗アリ・バタネン/フィンランドの旗ベルナルド・ジロー フランスの旗プジョー
第10回 311台   フィンランドの旗ユハ・カンクネン/フィンランドの旗ピローネン フランスの旗プジョー
第11回 241台 100台 フィンランドの旗アリ・バタネン/スウェーデンの旗ベルグルンド フランスの旗プジョー
第12回 236台 64台 フィンランドの旗アリ・バタネン/スウェーデンの旗ベルグルンド フランスの旗プジョー
第13回 184台   フィンランドの旗アリ・バタネン/スウェーデンの旗ベルグルンド フランスの旗シトロエン
第14回 133台 68台 フランスの旗ユベール・オリオール/フランスの旗モネ 日本の旗三菱
第15回 65台   フランスの旗ブルーノ・サビー/フランスの旗セリエス 日本の旗三菱
第16回 96台 57台 フランスの旗ピエール・ラルティーグ/フランスの旗ペラン フランスの旗シトロエン
第17回 86台 58台 フランスの旗ピエール・ラルティーグ/フランスの旗ペラン フランスの旗シトロエン
第18回 99台 61台 フランスの旗ピエール・ラルティーグ/フランスの旗ペラン フランスの旗シトロエン
第19回 282台 71台 日本の旗篠塚建次郎/フランスの旗マーニュ 日本の旗三菱
第20回 115台 55台 フランスの旗ジャン・ピエール・フォントネ/フランスの旗ピッカール 日本の旗三菱
第21回 88台 54台 フランスの旗ジャン=ルイ・シュレッサー/フランスの旗モネ フランスの旗シュレッサー
第22回 135台 95台 フランスの旗ジャン=ルイ・シュレッサー/フランスの旗マーニュ フランスの旗シュレッサー
第23回 133台 53台 ドイツの旗ユタ・クラインシュミット/ドイツの旗シュルツ 日本の旗三菱
第24回 117台 52台 日本の旗増岡浩/フランスの旗メモン 日本の旗三菱
第25回 130台 61台 日本の旗増岡浩/ドイツの旗シュルツ 日本の旗三菱
第26回 142台 60台 フランスの旗ステファン・ペテランセル/フランスの旗ジャンポール・コトゥレ 日本の旗三菱
第27回 165台 75台 フランスの旗ステファン・ペテランセル/フランスの旗ジャンポール・コトゥレ 日本の旗三菱
第28回 174台 67台 フランスの旗リュック・アルファン/フランスの旗ジル・ピァール 日本の旗三菱
第29回 180台 109台 フランスの旗ステファン・ペテランセル/フランスの旗ジャンポール・コトゥレ 日本の旗三菱
第30回 - - - -

モト(二輪)

参加台数 完走台数 優勝ライダー 優勝マシン
第1回 90台   フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ヤマハ
第2回 90台 25台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ヤマハ
第3回 106台 28台 フランスの旗ユベール・オリオール ドイツの旗BMW
第4回 129台 33台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ホンダ
第5回 132台 29台 フランスの旗ユベール・オリオール ドイツの旗BMW
第6回 114台 50台 ベルギーの旗ガストン・ライエ ドイツの旗BMW
第7回 135台 25台 ベルギーの旗ガストン・ライエ ドイツの旗BMW
第8回 131台 29台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ホンダ
第9回 154台 26台 フランスの旗シリル・ヌヴー 日本の旗ホンダ
第10回 183台 34台 イタリアの旗エディー・オリオリ 日本の旗ホンダ
第11回 155台 60台 フランスの旗ジル・ラレイ 日本の旗ホンダ
第12回 136台 46台 イタリアの旗エディー・オリオリ イタリアの旗カジバ
第13回 113台 46台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ
第14回 98台 45台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ
第15回 46台 12台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ
第16回 96台 47台 イタリアの旗エディー・オリオリ イタリアの旗カジバ
第17回 95台 27台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ
第18回 119台 50台 イタリアの旗エディー・オリオリ 日本の旗ヤマハ
第19回 126台 58台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ
第20回 173台 41台 フランスの旗ステファン・ペテランセル 日本の旗ヤマハ
第21回 161台 40台 フランスの旗リチャード・サンクト ドイツの旗BMW
第22回 200台 107台 フランスの旗リチャード・サンクト ドイツの旗BMW
第23回 133台 76台 イタリアの旗ファブリツィオ・メオーニ オーストリアの旗KTM (オートバイ)
第24回 167台 58台 イタリアの旗ファブリツィオ・メオーニ オーストリアの旗KTM
第25回 162台 98台 フランスの旗リチャード・サンクト オーストリアの旗KTM
第26回 195台 65台 スペインの旗ナーニ・ロマ オーストリアの旗KTM
第27回 230台 104台 フランスの旗シリル・デプレ オーストリアの旗KTM
第28回 232台 93台 スペインの旗マルク・コマ オーストリアの旗KTM
第29回 245台 132台 フランスの旗シリル・デプレ オーストリアの旗KTM
第30回 - - - -

カミオン(トラック)

参加台数 完走台数 優勝ドライバー 優勝マシン
第1回 12台      
第2回 10台 7台 フランスの旗アタクア/ブークリフ/カオーラ フランスの旗ソナコム
第3回 15台 3台 フランスの旗ヴィレット/ガブリエル/ヴォルロー フランスの旗アルム・アクマ
第4回 23台   フランスの旗グローヌ/デ・ソウリュー/マルフェリオル ドイツの旗メルセデス
第5回     フランスの旗グローヌ/デ・ソウリュー/マルフェリオル メルセデス
第6回     フランスの旗ラルー/デュルス メルセデス
第7回 55台 20台 ドイツの旗カピト兄弟 メルセデス
第8回     イタリアの旗ヴィスマーラ/ミネルーリ メルセデス
第9回 73台   オランダの旗デ・ルーイ/ジューネンス/ヴァン オランダの旗DAF
第10回 109台   チェコの旗ロプライス/スタッチュラ/イングマック チェコの旗タトラ
第11回 中止
第12回 93台 23台 イタリアの旗ヴィア/デルフィーノ/ヴィナンテ イタリアの旗ペルリニ
第13回 113台 46台 フランスの旗ウーサ/ド・ソーリウー/ボッタロ イタリアの旗ペルリニ
第14回 101台 56台 イタリアの旗ペルリニ/アルビエロ/ヴィナンテ イタリアの旗ペルリニ
第15回 42台   イタリアの旗ペルリニ/アルビエロ/ヴィナンテ イタリアの旗ペルリニ
第16回 96台 47台 チェコの旗ロプライス/スタシュラ/カリナ チェコの旗タトラ
第17回 24台 18台 チェコの旗ロプライス/スタシュラ/カリナ チェコの旗タトラ
第18回 70台 21台 ロシアの旗モストフスキー/コウジミン ロシアの旗カマズ
第19回 55台 22台 オーストリアの旗レイフ/デインホッファー 日本の旗日野
第20回 35台 8台 チェコの旗ロプライス/スタッチュラ/セルマック チェコの旗タトラ
第21回 29台 16台 チェコの旗ロプライス/スタシュラ/カリナ チェコの旗タトラ
第22回 30台 23台 ロシアの旗チャギン/ヤコボフ/サヴォステン ロシアの旗カマズ
第23回 30台 12台 チェコの旗ロプライス/カリナ チェコの旗タトラ
第24回 34台 22台 ロシアの旗チャギン/マルデエフ/サヴォステン ロシアの旗カマズ
第25回 51台 27台 ロシアの旗チャギン/ヤコボフ/サヴォステン ロシアの旗カマズ
第26回 63台 38台 ロシアの旗チャギン/ヤコボフ/サヴォステン ロシアの旗カマズ
第27回 69台 36台 ロシアの旗カブロフ/ベレイエフ/モケエフ ロシアの旗カマズ
第28回 69台 33台 ロシアの旗チャギン/ヤコボフ/サヴォステン ロシアの旗カマズ
第29回 245台 132台 オランダの旗ステイシー/ゴッドリーブ/デルキンデレン ドイツの旗マン
第30回 - - - -

参考文献

  1. ^ ダカール・ラリー2008、全面中止」。2008年1月5日、スラッシュドット ジャパン。2008年1月5日閲覧。
  2. ^ パリ・ダカ、サハラ砂漠を走らない? 主催者幹部が発言」。2008年1月5日、asahi.com。2008年1月6日閲覧。
  3. ^ パリダカ代替 4月、中欧で新ラリー開催」。2008年2月5日、Yahoo!ニュース。2008年2月5日閲覧。
  4. ^ 「パリダカ代替、来年は南米で」。2008年2月12日、読売新聞夕刊。2008年2月12日閲覧。

関連項目

外部リンク