水沢孝策
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水沢 孝策(みずざわ こうさく、1890年(明治23年)4月6日[1] - 1968年(昭和43年))は、日本の外交官。駐パナマ公使。
経歴
[編集]新潟県出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部政治科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した[1]。外務属、領事官補、スペイン公使館三等書記官、ドイツ大使館三等書記官、ポーランド領事館領事、ロサンゼルス領事、アメリカ合衆国大使館二等書記官、同一等書記官を歴任[2]。1933年(昭和8年)、外務書記官・調査部第二課長となり、翌年には香港総領事に転じた[2]。1937年(昭和12年)、ホノルル総領事に就任し、1939年(昭和14年)に駐パナマ公使に任命された[2]。
1940年(昭和15年)に退官した後は、南洋拓殖株式会社顧問を務めた[3]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]- ^ a b 大衆人事録 1943.
- ^ a b c 人事興信録 1941.
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。