コンテンツにスキップ

吉田博之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田 博之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市港南区
生年月日 (1960-10-25) 1960年10月25日(64歳)
身長
体重
173 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1978年 ドラフト4位
初出場 1979年8月14日
最終出場 1992年5月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

吉田 博之(よしだ ひろゆき、1960年10月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手捕手)。

社会人野球JR九州に同姓同名の監督がいるが、全くの別人である[1]

経歴

[編集]

横浜高校では2年次の1977年夏の甲子園神奈川大会に3番・遊撃手として出場し、注目を浴びるようになる。この時のエースは後に阪神で活躍する中田良弘であった。3年次の1978年、1年生エース・愛甲猛のストレートを捕球できる選手が吉田しかおらず、夏の大会直前の6月捕手に転向[2]。甲子園では2回戦の徳島商戦で本塁打を放ち、ベスト16まで勝ち上った。打撃と強肩がプロの目に留まり、同年のドラフト4位で南海ホークスに入団。甘いマスクと強肩で「梨田2世」とも呼ばれ、女性の人気を得た[2]

1979年8月14日ロッテ戦(大阪)で初出場を果たす。

1980年11月7日近鉄戦(大阪)で初めて先発マスクを被り、太田幸司から初安打を放つ。同年からチームに加入した香川伸行と正捕手の座を争い、3年目の1981年7月24日にはジュニアオールスターゲームナゴヤ)に出場。前日の同23日日本ハム戦(大阪)で高橋一三から適時二塁打で初打点、8月6日阪急戦(西宮)で小嶋正宣からプロ初本塁打の満塁弾を記録。同年は黒田正宏・香川に次ぐ39試合出場。

1982年岩木哲・香川に次ぐ25試合出場であった。

1983年は香川が正捕手となり、岩木が2番手、吉田は前年と同じ3番手の起用であった。

1984年には吉田が正捕手となる。

1985年には自己最多の124試合出場・自身唯一の2桁となる10本塁打をマーク。

1987年9月11日のロッテ戦(大阪)で右田一彦から3本塁打を放つ。

1988年春季キャンプ終盤の紅白戦でエース・山内孝徳から満塁本塁打を放つと、西武、阪急とのオープン戦でも2連発。開幕後も調子をキープし、10年目で自身最初で最後のオールスターゲームに出場。チームの選手会長も務めるなど活躍したが[2]、チームがダイエーに身売りし、本拠地が大阪から福岡に移転。阪急から移籍した内田強が正捕手となり、2番手にも広島から移籍した山中潔が座ったため、吉田の出番が激減する。

1990年には監督に就任した田淵幸一とリードを巡って対立し、確執もあって、同年オフに阪神との間で行なわれた5対4の大型交換トレード(ダイエー:吉田本人と藤本修二西川佳明近田豊年右田雅彦⇔阪神:池田親興岩切英司渡真利克則大野久)で移籍。

1991年6月11日ヤクルト戦(神宮)で川崎憲次郎から移籍後初本塁打を放つが、この一発が現役最後となった。新天地で出場機会を求めたものの木戸克彦山田勝彦らに阻まれ、同年10月13日広島戦(広島市民)の8番・捕手が最後のスタメンマスクで、佐々岡真司から最後の安打を放った。

1992年5月10日の広島戦(甲子園)が最終出場となる。

1993年に現役を引退。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1979 南海
ダイエー
2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1980 1 3 3 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
1981 39 100 84 7 19 3 0 1 25 9 0 1 2 2 12 0 0 15 0 .226 .323 .298 .621
1982 25 18 17 0 5 1 0 0 6 1 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .294 .294 .353 .647
1983 48 75 63 3 10 0 0 0 10 3 0 0 8 0 4 0 0 6 2 .159 .209 .159 .368
1984 84 202 172 21 46 10 0 6 74 23 0 2 8 1 19 1 2 13 5 .267 .347 .430 .777
1985 124 390 342 31 82 19 1 10 133 43 2 1 16 2 25 0 5 63 9 .240 .299 .389 .688
1986 45 118 108 11 22 3 0 4 37 7 0 0 3 0 6 0 1 11 6 .204 .252 .343 .595
1987 98 291 259 24 71 7 0 9 105 24 0 1 7 2 21 1 2 42 8 .274 .331 .405 .736
1988 121 444 393 33 100 12 1 7 135 41 2 6 8 5 38 0 0 72 14 .254 .317 .344 .660
1989 25 90 73 6 14 3 0 1 20 9 0 1 6 1 10 1 0 9 3 .192 .286 .274 .560
1990 32 76 63 8 13 1 1 1 19 6 0 2 3 0 10 0 0 8 0 .206 .315 .302 .617
1991 阪神 40 60 55 3 12 4 0 1 19 1 0 0 0 0 5 1 0 6 3 .218 .283 .345 .629
1992 3 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:14年 687 1872 1637 148 395 63 3 40 584 167 4 14 62 13 150 4 10 248 50 .241 .307 .357 .663
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

年度別守備成績

[編集]
年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1979 2 1 1 0 .000
1980 1 1 0 1 1.000
1981 39 35 27 8 .229
1982 25 5 5 0 .000
1983 39 32 27 5 .156
1984 84 57 41 16 .281
1985 124 96 64 32 .333
1986 45 49 32 17 .347
1987 93 70 47 23 .329
1988 118 90 60 30 .333
1989 25 26 16 10 .385
1990 29 31 25 6 .194
1991 36 21 17 4 .190
1992 3 4 3 1 .250
通算 663 518 365 153 .295

記録

[編集]
初記録
その他の記録

背番号

[編集]
  • 35(1979年 - 1990年)
  • 29(1991年 - 1993年)

関連情報

[編集]

[編集]

『鷹の爪』(クラウンレコード)……香川伸行加藤伸一畠山準湯上谷宏と合唱。

脚注

[編集]
  1. ^ そちらの吉田博之は1981年国士舘大学卒である。
  2. ^ a b c 【2月5日】1988年(昭63) ホークス選手会長・吉田博之“塀際”でアウト!”. SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 2011年11月15日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]