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ハンク・オーデイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハンク・オーデイ
Hank O'Day
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
生年月日 1862年7月8日
没年月日 (1935-07-02) 1935年7月2日(72歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投??打
ポジション 投手監督審判
初出場 1884年5月2日
最終出場 1890年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2013年
得票率 93.8%
選出方法 ベテランズ委員会選出

ハンク・オーデイ(Henry Francis "Hank" O'Day、1859年7月8日 - 1935年7月2日[1]は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のプロ野球選手プロ野球監督、後に1920年代までメジャーリーグの審判員を務めた。右投げ、打席左右は不明。

ナショナルリーグで選手・監督・審判の3つの職歴をフルシーズン務めた唯一の人物である。

経歴

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選手歴

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1884年アメリカン・アソシエーションのトレド・ブルーストッキングの投手として出場、トレドでは36勝を挙げたトニー・マレーンとともに投手の二枚看板を期待され41試合に登板したが、成績は9勝28敗と振るわなかった。トレド球団が一年で破綻すると、1885年にピッツバーグ・アレゲニーズで12試合に登板、翌1886年はデトロイト・ウルバリンズに居たものの出場機会はなく、9月にワシントン・ナショナルズに金銭で移籍した。ナショナルズでは1887年に8勝20敗、1888年に16勝したもののリーグ最多の29敗を喫する。最も勝ち星を挙げたシーズンは、オーデイが選手として出場した最後の年の1890年のことで、この時はプレイヤーズ・リーグのニューヨーク・ジャイアンツで22勝13敗の成績を残した。オーデイは選手時代にも審判に欠員が出た場合の代役を任せられることがあり、1890年までに6試合の審判経験があった。

オーデイは、メジャーリーグ史上初めて「代打」を送られた選手でもある。1889年9月10日の試合中オーデイは負傷し、打席に立てなくなったために、ミッキー・ウェルチが替わりに打席に立った(怪我などの理由なく代打を出せるようになったのは3年後の1892年のことである)。

審判歴・監督歴

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オーデイはプレイヤーズ・リーグ参加から5年後の1895年に75試合の審判を務め、この年以降審判員として本格的に活動しはじめる。ナショナルリーグでの審判歴は1927年まで30年以上に及ぶが、この間1912年1914年の2年は、シンシナティ・レッズとシカゴ・カブスの監督をしていたため、審判としては試合に出場していない。2年間の監督時代の戦績は2年ともほぼ5割だった。

審判としてのオーデイは、他人がどれだけ非難しようが、勇気をもって正しい判定を下す人物として評価されていた。その最たるものが、1908年9月23日に行われた、ニューヨーク・ジャイアンツ対シカゴ・カブス戦での、"マークルズ・ボナー"の判定であろう(フレッド・マークルの項を参照)。ジャイアンツのサヨナラ安打に歓喜した一塁走者のマークルが、フォースプレーにもかかわらず二塁を踏まずにベンチを下がったことをカブスのジョニー・エバースがアピールし、この試合主審だったオーデイはマークルにアウトの判定を下し、その試合を引き分け再試合と宣告した。ジャイアンツの監督だったジョン・マグローは、「オーデイがペナントを奪った」と非難したが、判定が変わることはなかった。ただこの判定には伏線があり、このプレーの二週間前、オーデイはカブスとパイレーツの試合で全く同じ状況(サヨナラ安打で一塁走者が二塁を踏まずにベンチに下がったことをアピールされる)に遭遇している。その時はプレーをよく見ていなかったためエバースのアピールを認めていなかった。

オーデイはナショナルリーグの審判を1927年まで務めた。出場試合数3986試合は引退当時史上3位の試合数で、主審試合数2710試合と10度のワールドシリーズ出場はビル・クレムについで史上2位の記録である。1935年にシカゴで死去。

2013年ベテランズ委員会の選考により、アメリカ野球殿堂入りを果たした。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1884 TOL 41 40 35 2 -- 9 28 1 -- .243 1412 326.2 335 6 66 -- 18 163 40 0 241 136 3.75 1.23
1885 PIT 12 12 10 0 -- 5 7 0 -- .417 449 103.0 110 4 16 -- 7 36 11 0 77 42 3.67 1.22
1886 WAS 6 6 6 0 -- 2 2 0 -- .500 204 49.0 41 1 17 -- -- 47 3 0 17 9 1.65 1.18
1887 30 30 29 0 -- 8 20 0 -- .286 1122 254.2 255 15 109 -- 9 86 31 0 197 118 4.17 1.43
1888 46 46 46 2 -- 16 29 2 -- .356 1680 403.0 359 19 117 -- 16 186 17 0 208 139 3.10 1.18
1889 13 13 11 0 -- 2 10 0 -- .167 500 108.0 117 7 57 -- 6 23 4 0 88 52 4.33 1.61
NYG 10 10 8 0 -- 9 1 0 -- .900 356 78.0 83 2 35 -- 7 28 0 0 51 37 4.27 1.51
'89計 23 23 19 0 -- 11 11 0 -- .500 856 186.0 200 9 92 -- 13 51 4 0 139 89 4.31 1.57
1890 NYI 43 35 32 1 -- 22 13 3 -- .629 1526 329.0 355 11 161 -- 18 94 16 0 249 154 4.21 1.57
MLB:7年 201 192 177 5 -- 73 110 4 -- .399 7062 1651.1 1655 65 578 -- *81 663 122 0 1128 687 3.74 1.35
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

年度別打撃成績

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O
P
S
1884 TOL 64 253 242 23 51 9 1 0 62 -- -- -- -- -- 10 -- 1 -- -- .211 .245 .256 .501
1885 PIT 13 50 49 7 12 2 1 0 16 3 -- -- -- -- 1 -- 0 -- -- .245 .260 .327 .587
1886 WAS 6 19 19 0 1 0 0 0 1 0 0 -- -- -- 0 -- -- 9 -- .053 .053 .053 .105
1887 36 123 116 10 23 3 0 0 26 7 1 -- -- -- 7 -- 0 15 -- .198 .244 .224 .468
1888 47 170 166 6 23 2 0 0 25 6 3 -- -- -- 4 -- 0 41 -- .139 .159 .151 .309
1889 13 47 44 1 8 1 0 0 9 5 0 -- -- -- 3 -- 0 7 -- .182 .234 .205 .439
NYG 10 36 31 5 3 0 0 0 3 2 2 -- -- -- 4 -- 1 10 -- .097 .222 .097 .319
'89計 23 83 75 6 11 1 0 0 12 7 2 -- -- -- 7 -- 1 17 -- .147 .229 .160 .389
1890 NYI 43 160 150 24 34 2 1 1 41 23 1 -- -- -- 10 -- 0 27 -- .227 .275 .273 .548
MLB:7年 232 858 817 76 155 19 3 1 183 *46 *7 -- -- -- 39 -- *2 *109 -- .190 .228 .224 .452
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

タイトル

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監督としての戦績

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年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 備考
1912年 CIN NL 155 75 78 .490 4位
1914年 CHC 156 78 76 .506 4位
通算 311 153 154 .498

審判歴

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在籍:ナショナルリーグ(1888年,1889年,1895年~1927年)

  • 出場試合数:
    • レギュラーシーズン:3986試合
    • ワールドシリーズ:57試合(1903,1905,1907,1908,1910,1916,1918,1920,1923,1926年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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