クリス・オクスプリング
基本情報 | |
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国籍 | オーストラリア |
出身地 | クイーンズランド州イプスウィッチ |
生年月日 | 1977年5月13日(47歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 アマチュアFA |
初出場 |
MLB / 2005年9月2日 NPB / 2006年4月6日 KBO / 2007年7月21日 |
最終出場 |
MLB / 2005年9月17日 NPB / 2006年8月26日 KBO / 2015年10月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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派遣歴 | |
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コーチ歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | オーストラリア |
五輪 | 2004年 |
WBC | 2009年、2013年 |
この表について
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オリンピック | ||
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オーストラリア | ||
男子 野球 | ||
銀 | 2004 | 野球 |
クリス・アンドリュー・オクスプリング(Chris Andrew Oxspring, 1977年5月13日 - )は、オーストラリア連邦クイーンズランド州イプスウィッチ出身の元プロ野球選手(投手)。韓国球界での登録名は、「オクスプリン(옥스프링)」。
経歴
[編集]チーターズ時代
[編集]イプスウイッチ州立高校を卒業後、独立リーグであるフロンティアリーグのクックカウンティ・チーターズに入団。
プロ入りとパドレス時代
[編集]2000年秋にトライアウトを受け、サンディエゴ・パドレスと契約。その後は傘下のマイナーリーグでプレーを続けた。
2004年アテネオリンピックにおける野球競技でオーストラリア代表に選出された。この大会では、エースとして2試合に登板し、14回2/3を無失点に抑える活躍を見せた。特に日本との準決勝では6回2/3を5安打無失点の好投で勝利投手となり、オーストラリア代表の銀メダル獲得に大きく貢献。
2005年は3Aで12勝を挙げ、9月2日にメジャー初昇格を果たす。
阪神タイガース時代
[編集]オリンピックでの活躍は日本関係者の目に留まり、2006年に阪神タイガースと契約。開幕前の3月には、この年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオーストラリア代表に選出されたが、阪神でのプレーに集中するために辞退した。オープン戦の序盤こそ本調子ではなかったものの、徐々に調子を上げていき見事開幕ローテーションを勝ち取った。しかし、立ち上がりが良くても4~5回あたりで突然炎上する悪癖を露呈し、シーズン4勝に終わりこの年限りで退団した。
ブルワーズ傘下時代
[編集]2006年12月15日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。
2007年は開幕から好投を続け、AAAのオールスターゲームに選出されていた。
LGツインズ時代
[編集]オールスター選出直後の2007年7月10日に、不振により解雇されたティム・ハリッカラの代役として韓国プロ野球・LGツインズと契約。入団1年目から韓国野球に適応し、4勝5敗、防御率3.24の成績を残して再契約に成功した。
2008年は、チームの先発投手陣が手薄なこともあり、右の先発1番手として活躍し10勝をマーク。チームが最下位に低迷する中、左腕エースの奉重根と共に奮闘を見せた。オフには再契約を結び残留し、同球団で3シーズン以上在籍することとなった初の外国人選手となった。
2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのオーストラリア代表に選出された[1]。しかし、WBCでの登板で肘を痛めて長期離脱が避けられなくなったため、1試合も登板しないまま開幕後に放出された。
ブルーソックス時代
[編集]2010年は手術した肘のリハビリに専念し、一時は古巣LGツインズへの復帰も検討された。11月からはこの年発足したオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)のシドニー・ブルーソックスに所属し、先発で好投を続けた。
タイガース傘下時代
[編集]2010年12月にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ。
2011年5月24日に解雇された。
パトリオッツ時代
[編集]2011年シーズン途中に、独立リーグ・アトランティックリーグのサマセット・パトリオッツと契約した。
2012年11月からはシドニー・ブルーソックスに復帰し投手兼任コーチとしてプレーした。
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのオーストラリア代表に選出され[2][3][4]、2大会連続2度目の選出となった。
ロッテ・ジャイアンツ時代
[編集]2013年3月20日、故障により開幕前に退団したスコット・リッチモンドの代役としてロッテ・ジャイアンツと契約し、4年ぶりの韓国球界復帰となった[5]。同年はチーム最多タイの13勝と活躍した。2014年も10勝を挙げ、韓国通算3度目の2ケタ勝利を記録。だが、チームがジョシュ・リンドブロムと契約することになったため、同年限りでロッテを自由契約となった。
KTウィズ時代
[編集]2014年12月22日、韓国プロ野球・KTウィズと契約した。2015年4月11日、ネクセン・ヒーローズ戦で同年より一軍公式戦に参加した新球団KTにとって初の勝利投手となった。最終的にチーム最多の12勝を記録したが、投球内容が悪かったこともあり契約更新は見送られた。
KT退団後
[編集]2016年より、ロッテ・ジャイアンツの二軍投手コーチとなった。同年8月18日に一軍コーチへ配置転換され、2018年まで務めた。
また、2016/17年シーズンにABLのシドニー・ブルーソックスで現役に復帰した。
2017年2月9日に予備投手として第4回WBC本戦のオーストラリア代表に選出された[6]が、本大会には出場しなかった。
2019年、第2回 世界野球プレミア12にオーストラリア代表のコーチとして参加した。背番号は35。
2019/20年シーズンより、ABLのシドニー・ブルーソックスで投手コーチに就任した[7]。また、オーストラリア女子野球代表の投手コーチも務めている。
プレースタイル
[編集]速球は最速で150km/hを記録した。球種はカーブ、スライダー、チェンジアップ。特にカーブはよく曲がり、この投手を特徴付けるものとなっている。
人物
[編集]阪神時代の愛称は「オックス」「オク様」など。阪神甲子園球場などでは名前が長いため「オクス/プリング」と改行されて表示されていた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2005 | SD | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 49 | 12.0 | 9 | 2 | 6 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 8 | 5 | 3.75 | 1.25 |
2006 | 阪神 | 16 | 15 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 326 | 77.1 | 78 | 8 | 23 | 0 | 3 | 51 | 4 | 1 | 45 | 44 | 5.12 | 1.31 |
2007 | LG | 14 | 13 | 1 | 0 | -- | 4 | 5 | 0 | 0 | .444 | 345 | 80.2 | 75 | 1 | 32 | 0 | 1 | 41 | 2 | 1 | 37 | 29 | 3.24 | 1.33 |
2008 | 29 | 28 | 1 | 0 | -- | 10 | 10 | 0 | 0 | .500 | 767 | 174.0 | 182 | 12 | 77 | 0 | 12 | 110 | 6 | 0 | 83 | 76 | 3.93 | 1.49 | |
2013 | ロッテ(KBO) | 30 | 30 | 1 | 1 | -- | 13 | 7 | 0 | 0 | .650 | 774 | 183.1 | 164 | 10 | 69 | 1 | 11 | 144 | 2 | 0 | 79 | 67 | 3.29 | 1.27 |
2014 | 32 | 31 | 0 | 0 | -- | 10 | 8 | 0 | 0 | .556 | 781 | 184.1 | 184 | 20 | 63 | 1 | 5 | 130 | 1 | 0 | 104 | 92 | 4.48 | 1.44 | |
2015 | KT | 31 | 31 | 3 | 0 | 0 | 12 | 10 | 0 | 0 | .545 | 806 | 185.0 | 200 | 23 | 66 | 0 | 10 | 120 | 5 | 0 | 103 | 94 | 5.12 | 1.31 |
MLB:1年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 49 | 12.0 | 9 | 2 | 6 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 8 | 5 | 3.75 | 1.25 | |
NPB:1年 | 16 | 15 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 326 | 77.1 | 78 | 8 | 23 | 0 | 3 | 51 | 4 | 1 | 45 | 44 | 5.12 | 1.31 | |
KBO:5年 | 136 | 133 | 6 | 1 | -- | 49 | 40 | 0 | 0 | .551 | 3473 | 807.1 | 805 | 66 | 307 | 2 | 39 | 567 | 19 | 1 | 396 | 350 | 3.90 | 1.38 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]- NPB
- 初登板・初先発:2006年4月6日、対広島東洋カープ1回戦(倉敷マスカットスタジアム)、7回無失点
- 初奪三振:同上、1回裏に新井貴浩から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2006年4月25日、対横浜ベイスターズ5回戦(草薙球場)、5回2失点
- 初安打:2006年5月2日、対読売ジャイアンツ4回戦(阪神甲子園球場)、3回裏にジェレミー・パウエルから左翼線安打
背番号
[編集]- 58 (2005年)
- 45 (2006年)
- 99 (2007年 - 2009年)
- 46 (2013年 - 2014年)
- 32 (2015年)
- 90 (2016年 - 2018年)
登場曲
[編集]- 「Down with the Sickness」System of a Down(2006年)
代表歴
[編集]脚注
[編集]- ^ 2009 Tournament Roster WBC公式サイト 2015年3月22日閲覧
- ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 2015年3月22日閲覧
- ^ Australia at the 2013 World Baseball Classic
- ^ “元阪神・オクスプリングが日本戦先発”. デイリースポーツ. (2013年2月22日) 2013年3月3日閲覧。
- ^ Australia boasts strong arms on WBC '17 roster MLB.com (2017年2月8日) 2017年2月28日閲覧
- ^ KRISSIE WEBB (2019年5月14日). “MEET THE TEAM: COACHING STAFF”. Sydney Blue Sox. 2021年5月3日閲覧。
関連項目
[編集]- オリンピックの野球競技・メダリスト一覧
- オーストラリア出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- アジア・オセアニア・アフリカ出身の日本プロ野球外国人選手一覧#オーストラリア
- 阪神タイガースの選手一覧
- オーストラリアン・ベースボールリーグの選手一覧
- オーストラリア出身のオーストラリアン・ベースボールリーグ選手一覧
- オーストラリアでプレーした経験があるメジャーリーグベースボール選手一覧
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、KBO
- Chris Oxspring stats MiLB.com
- Chris Oxspring ABL.com
- 個人年度別成績 クリス・オクスプリング - NPB.jp 日本野球機構
|
- オーストラリアの野球選手
- 野球オーストラリア代表選手
- ワールド・ベースボール・クラシック・オーストラリア代表選手
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック選手
- オリンピック野球オーストラリア代表選手
- オーストラリアのオリンピック銀メダリスト
- 野球のオリンピックメダリスト
- サンディエゴ・パドレスの選手
- 阪神タイガース及びその前身球団の選手
- LGツインズ及びMBC青龍の選手
- ロッテ・ジャイアンツの選手
- シドニー・ブルーソックスの選手
- KTウィズの選手
- オーストラリアの野球指導者
- 在アメリカ合衆国オーストラリア人の野球選手
- 在日外国人の野球選手
- 在日オーストラリア人
- 在韓オーストラリア人
- クイーンズランド州の人物
- 1977年生
- 存命人物