カルロス・アレクシャンドレ・トーレス

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アレクシャンドレ・トーレス
名前
本名 カルロス・アレクシャンドレ・トーレス
Carlos Alexandre Torres
ラテン文字 Alexandre TORRES
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1966-08-22) 1966年8月22日(57歳)
出身地 リオデジャネイロ
身長 187cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF (CB)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1991 ブラジルの旗 フルミネンセFC
1992-1994 ブラジルの旗 CRヴァスコ・ダ・ガマ
1995-1999 日本の旗 名古屋グランパスエイト
2000-2001 ブラジルの旗 CRヴァスコ・ダ・ガマ
代表歴
1992 ブラジルの旗 ブラジル 1 (0)
監督歴
2003 日本の旗 コンサドーレ札幌 コーチ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレクシャンドレ・トーレス (Alexandre Torres) こと、カルロス・アレクシャンドレ・トーレス(Carlos Alexandre Torres, 1966年8月22日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。日本での登録名はトーレス (Torres) 。

ブラジルサッカー史上、最も偉大なディフェンダーといわれるカルロス・アウベルトの息子である[1]

経歴[編集]

CRヴァスコ・ダ・ガマで中心的なプレーヤーとして活躍、1994年にはFIFAワールドカップのメンバーへ招集されていたが、大会開幕直前の怪我で代表を辞退した[2]

1995年名古屋グランパスエイトの監督に就任したアーセン・ベンゲルが有名選手は不要であるとして目を付け[3]、ベンゲルが自ら獲得を希望し[2][4]、グランパスへ移籍。当時のグランパスは1993年Jリーグ開幕以来、最下位を争うチーム状況であったが、ベンゲルの監督就任により、前年途中に加入していたものの日本になじめずにいた世界最高峰のMFドラガン・ストイコビッチを中心としたチームとして生まれ変わった。この年、新加入したトーレスもディフェンスリーダーとして活躍[5] 、ベンゲルがスカウトしたフランク・デュリックスと共にチームの軸として躍動した[1]

1995年5月3日ジェフ市原戦でJリーグ初ゴール[6]、6月17日のベルマーレ平塚戦では延長戦でVゴールを決めた[7]。1996年の元日にはサンフレッチェ広島を破り、チームの初タイトルとなる天皇杯で優勝した。

その後も不動のセンターバックとして活躍。敵のチャンスを未然に防ぐ守備能力に、空中戦の強さを併せ持つ[1]Jリーグ屈指のDFであった。しかし2000年、グランパスから契約延長の話が無かったこと、母国のCRヴァスコ・ダ・ガマFIFAクラブワールドカップへの出場に向けて補強をしていたことから[8]、グランパスを退団することとなった。グランパスでの最終試合となった2000年1月1日の天皇杯決勝でサンフレッチェ広島を破り2度目の天皇杯優勝(試合を決定付けるチームの2点目、ストイコビッチのゴールをアシストした[9]。)、これを花道に退団した。Jリーグでは通算142試合11ゴール、リーグカップでは31試合3ゴールの成績を残した[6]。退団に際し、空港で多くのサポーター、チームメイト、チーム関係者から見送られ、とても感動したと後年に述べている[4]

引退後の2003年にもジョアン・カルロス監督の右腕としてコンサドーレ札幌コーチとして来日している[1]

2008-09シーズン『Foot!』(#22)の番組中、ショーボールに参加し、代理人業を営んでいることが紹介された。2009年秋にはイベント参加の為来日し、グランパスの練習にも姿を見せた。2013年にはマンチェスター・ユナイテッドの南米エリアのスカウトを務めていた。

2019年に雑誌Numberのアンケートで、これまでJリーグでプレーした最強の外国人DF部門で第3位に選ばれた[10]

プレースタイル[編集]

加入当初は周囲との連携が上手くいかないこともあったが、次第に実力を発揮し、目覚ましい貢献を見せるようになった[3]。ヴェンゲルが敷いた高いディフェンスラインを巧みに統制した[3]。読みに優れ、カバーリングやインターセプト能力も高く、味方ゴール前と敵ゴール前での空中戦にも優れていて、自らボールを運んで的確な攻撃参加をするなど、そのスマートなプレーにヴェンゲルは全幅の信頼を寄せていた[3]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 名古屋 - J 36 6 - 4 0 40 6
1996 29 2 13 0 1 0 43 2
1997 5 29 2 10 1 1 0 40 3
1998 24 0 4 0 4 0 32 0
1999 J1 24 1 4 2 4 1 32 4
通算 日本 J1 142 11 31 3 14 1 187 15
総通算 142 11 31 3 14 1 187 15

その他の公式戦

その他の国際試合

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “名古屋グランパス、歴代最強外国籍選手5人。ストイコビッチの偉業、タイトルをもたらした男たち”. footballchannel.jp/. https://www.footballchannel.jp/2020/04/24/post371722/2/ 2020年4月17日閲覧。 
  2. ^ a b “ベンゲルが連れてきた名古屋の「塔」父は偉大なセレソン主将だった ページ2”. sportiva.shueisha.co.jp. https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/08/28/post_53/index_2.php 2020年8月28日閲覧。 
  3. ^ a b c d 週刊サッカーマガジン 1995 10/4 p.25
  4. ^ a b “元名古屋トーレスの変わらぬ日本愛。 「縁の下の力持ちとして支えたい」 ページ1”. web sportiva. https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/08/28/post_54/ 2023年12月9日閲覧。 
  5. ^ “ベンゲルが連れてきた名古屋の「塔」父は偉大なセレソン主将だった ページ3”. sportiva.shueisha.co.jp. https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/08/28/post_53/?page=3 2023年12月9日閲覧。 
  6. ^ a b “トーレス”. /data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=1876 2020年4月17日閲覧。 
  7. ^ “95Jリーグサントリーシリーズ 第17節”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=1306 2020年4月17日閲覧。 
  8. ^ “元名古屋トーレスの変わらぬ日本愛。 「縁の下の力持ちとして支えたい」ページ3”. web sportiva. https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/08/28/post_54/?page=3 2023年12月9日閲覧。 
  9. ^ “平成Jリーグを彩った外国人スターたち「妖精」は超絶技巧を見せた”. sportiva.shueisha.co.jp. https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2019/04/30/post_41/?cx_testId=33&cx_testVariant=cx_9&cx_artPos=8?cx_recsMode1=&cx_recsMode2=&cx_recsPosition=&cx_recsTest=#cxrecs_s 2020年8月25日閲覧。 
  10. ^ Sports Graphic Number 2019年3月14日号 973号 文藝春秋 Jリーグ最強外国人は誰だ 1993-2019 p12-13

関連項目[編集]

外部リンク[編集]