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鈴木規郎

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鈴木 規郎
名前
愛称 ノリオ[1]、ノリカル[1]
カタカナ スズキ ノリオ
ラテン文字 SUZUKI Norio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-02-14) 1984年2月14日(40歳)
出身地 千葉県千葉市
身長 177cm
体重 77kg
選手情報
ポジション DF[2] / MF[3] / FW[4]
利き足 左足[1][5]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2007 日本の旗 FC東京 100 (13)
2008-2009 日本の旗 ヴィッセル神戸 30 (02)
2009-2010 フランスの旗 アンジェSCO 8 (00)
2010-2013 日本の旗 大宮アルディージャ 31 (02)
2014 日本の旗 ベガルタ仙台 10 (00)
2015 フィリピンの旗 グローバルFC 8 (1)
通算 187 (18)
代表歴
2000  日本 U-16
2002-2003  日本 U-19/20
2003  日本 U-22
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
鈴木規郎

鈴木 規郎(すずき のりお、1984年2月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手。日本サッカー協会登録仲介人。株式会社By players代表取締役。

現役時代のポジションはディフェンダー[2](左サイドバック)、ミッドフィールダー[3](左サイドハーフなど)、フォワードウイング[4]

来歴

5歳の時に[5]サッカースクールに入り、小学校時にはジェフユナイテッド市原スクールに入会。中学に入学するとジェフ市原ジュニアユースに昇格。1998年にはU-15クラブユース選手権で全国優勝を果たした。しかし、チーム一丸のサッカーがしたい鈴木にとって各々がプロを目指し指導者へのアピールに躍起になっている市原は居心地が悪く、一方で前年度の高校選手権で「羽生(直剛)さんがいて、面白いサッカーをしている」と地元千葉の八千代高校に好印象を持ったことから[6]、ユース昇格を選ばず1999年に八千代高校へ進学。国体の優秀選手に選ばれる[7]など頭角を示した。

山崎真からの勧誘を受け[8] 2002年に高校を卒業し、FC東京へ入団[7]。同年11月のJ1セカンドステージ第13節清水戦でリーグ戦初出場。2003年にはU-20日本代表としてワールドユースに参加。左ウイングバックのポジションを山口慶山岸智と争いつつも[9]、4試合に先発出場した。鈴木によれば、ロベルト・カルロスにちなんだ[1]「ノリカル」の愛称は、U-20代表のチームメートがシュート練習の時に言い出したことがきっかけだという[8]

FC東京でも出場機会を徐々に増やし、2004年6月のナビスコカップ神戸戦では、ゴールまで約30メートルの位置から左足で強烈なフリーキックを突き刺し[10]原博実監督から「FKだけでお客を呼べる魅力のある選手」と賛辞された[11]。サポーターにとっても衝撃は大きく、この得点以降FKの際は、鈴木が助走を取るだけで場内から歓声が挙がる程だった[12]。原は「規郎は不器用だけど…」と口癖のように語っていたが[12][13]戸田光洋石川直宏に代わって先発出場することも増え[12]、左サイドからの力強い突破[12]と威力のあるシュート[8]サイドアタックを担った。

2006年、ガーロ監督によってコンバートされ、左サイドバックを経験[8][1]。自身の思うような攻撃参加はできなかったものの、DFが嫌がるプレーを実感したことで[8]、左サイドハーフへと戻ってからは一層の力を発揮。2007年には公式戦4試合連続ゴールを挙げた[14]。また、相手からの警戒を掻い潜るべく[15]右サイドハーフでもプレー[16]。右での突破を選択肢に持つことによって得意の左足シュートを活かした[16][15]

チームの主力級として活躍するまでになったことで新たな刺激を求め[17]、2008年1月、パトリック・エムボマの仲介によりフランス2部アンジェSCOの練習に参加[18][19]。紅白戦で強烈なゴールを決めたことで高評価を得て、複数年契約の正式オファーを受けたが、先んじて鈴木獲得に乗り出していたヴィッセル神戸への移籍が基本合意に至っていたことからこれを固辞した[20][21]

帰国後、推定移籍金約2億円で[22][注 1]神戸へと完全移籍[23][24]。2008年序盤は左サイドバックに配され、J1第4節千葉戦では約35メートルの距離から豪快な直接FKを決めた[25]。シーズン半ばより内山俊彦がサイドバックの定位置を確保したため、これ以後鈴木はスーパーサブとして起用された[26]2009年は攻撃的な位置での起用が考えられていたが、カイオ・ジュニオール監督との確執もあり[27]、J1第4節清水戦での先発出場を最後にベンチ外となる試合が続いた[28]

2009年6月末、依然鈴木を評価しているという[29]アンジェSCOから再オファーが届き、同クラブへと完全移籍[30]。この際、FC東京在籍時のチームメートで海外でプレーを続ける福田健二のようになりたいとコメントを残している[19]

2010年7月、大宮アルディージャに加入[31]。大宮では当初からDFで登録され[31]シーズン終了まで左サイドバックのレギュラーを確保。しかし2011年は金英權、2012年は下平匠と、このポジションを務める選手が相次いで補強され、左サイドハーフにも曺永哲が定着。試合に絡めない時期が長く続いた。2013年、攻撃力を活かしたいと[32]登録をDFからMFへ変更[2][3]FWや右サイドハーフで起用されるようになり、FWでの出場となった[33]J1第13節川崎戦で3年ぶりの公式戦ゴールを記録した。

2014年、ベガルタ仙台へ完全移籍[34][35]。大宮在籍時同様に当初はサイドバックとして構想されながらも[36][37]FWなど攻撃的ポジションに配された[38][39]。しかしアタッカーとしての結果を残すことは出来ず[37]1年限りで契約を満了[40]

2015年4月、フィリピンユナイテッド・フットボールリーググローバルFCへ完全移籍[41][4]するも、シーズン終了後に退団。

2016年は、ザスパクサツ群馬ジェフユナイテッド市原・千葉の練習に参加するも、契約には至らず、Jリーグ合同トライアウトにも参加するもオファーが届かず、現役引退をしていたことがSports Graphic Numberの取材で明らかとなっている[27]

引退後は、仲介人に転身し、2018年5月16日に「株式会社 By players」を設立。共同経営者には神戸時代のチームメイトで親友の柳川雅樹がいる[27]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 FC東京 27 J1 3 0 0 0 1 1 4 1
2003 8 0 4 0 1 0 13 0
2004 15 14 4 4 1 1 0 19 5
2005 24 3 2 0 2 1 28 4
2006 21 1 5 0 1 2 27 3
2007 30 5 7 1 3 0 40 6
2008 神戸 20 26 2 5 0 2 0 33 2
2009 4 0 2 0 - 6 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2009-10 アンジェ 11 リーグ・ドゥ 8 0 - 2 0 10 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010 大宮 24 J1 19 1 - 2 0 21 1
2011 1 0 1 0 0 0 2 0
2012 1 0 3 0 0 0 4 0
2013 10 1 2 0 3 0 15 1
2014 仙台 15 10 0 4 0 1 0 15 0
フィリピン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2015 (en グローバル 15 UFL 8 1
通算 日本 J1 171 17 39 2 17 4 227 21
フランス リーグ・ドゥ 8 0 0 0 2 0 10 0
フィリピン UFL 8 1
総通算 187 18 39 2 19 4 245 22
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC AFCカップ
2015 (en グローバル 15
通算 AFC

代表歴

脚注

脚注
  1. ^ 当時のJリーグにおいては、移籍する選手の年齢に応じて移籍係数が設定されており、この時点での鈴木の係数は「8」。推定年俸に8を乗じた結果、2億円と算出したものと思われる。
出典
  1. ^ a b c d e PLAYERS' DATABASE - ウェイバックマシン(2007年9月30日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
  2. ^ a b c d e 登録選手一覧表 - ウェイバックマシン(2014年3月13日アーカイブ分) Jリーグ (2012年12月2日)
  3. ^ a b c 登録選手一覧表 - ウェイバックマシン(2014年3月13日アーカイブ分) Jリーグ (2013年12月8日)
  4. ^ a b c Global Sign Norio Suzuki” (英語). Global Football Club (2015年4月27日). 2015年4月27日閲覧。
  5. ^ a b 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、26頁。 
  6. ^ 寺野典子『15歳の選択 僕らはこうしてJリーガーになった』河出書房新社、169-170頁。 
  7. ^ a b 鈴木規郎選手(八千代高校)来季新加入内定のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年5月13日アーカイブ分) FC東京 (2001年11月20日)
  8. ^ a b c d e インタビュー「FIELD」No.1110 - ウェイバックマシン(2007年5月28日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2006年11月17日)
  9. ^ ワールドユース現地リポート(6) 先発に山口、茂木!「個の力」をアピールしたい日本 スポーツナビ (2003年12月2日)
  10. ^ a b c 『FC東京ファンブック2005』毎日新聞社、2005年、43頁。 
  11. ^ 『サポーターが選んだFC東京 名勝負BEST10』コスミック出版、2012年、38頁。 
  12. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2006』毎日新聞社、2006年、34頁。 
  13. ^ 365日FC東京 原語録 - ウェイバックマシン(2005年10月28日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2005年7月20日)
  14. ^ ノリカル4戦連発 クラブ史上日本人初 ナビスコ杯準々決勝 第1戦 7月8日(日) vs.横浜M 東京中日スポーツ (2007年7月9日)
  15. ^ a b 【J1:第18節】鹿島 vs F東京:原博実監督(F東京)記者会見コメント (cache) J's GOAL (2007年6月30日)
  16. ^ a b ノリカル右サイド挑戦 - ウェイバックマシン(2007年6月29日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2007年6月28日)
  17. ^ ノリカル 神戸完全移籍 - ウェイバックマシン(2008年1月17日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2008年1月16日)
  18. ^ F東京・鈴木規、仏2部アンジェ練習参加へ - ウェイバックマシン(2008年1月18日アーカイブ分) スポーツ報知 (2008年1月10日)
  19. ^ a b 【神戸:鈴木規郎選手 アンジェSCOへ完全移籍】6/30(火)鈴木規郎選手コメント (cache) J's GOAL (2009年6月30日)
  20. ^ F東京・鈴木、VIPオファー断っていた…アンジェ年俸5千万&自家用車準備 - ウェイバックマシン(2008年1月18日アーカイブ分) スポーツ報知 (2008年1月18日)
  21. ^ ノリカル神戸移籍正式発表 - ウェイバックマシン(2008年1月20日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2008年1月19日)
  22. ^ F東京の鈴木が神戸完全移籍 - ウェイバックマシン(2008年1月17日アーカイブ分) スポーツ報知 (2008年1月8日)
  23. ^ 鈴木規郎選手 ヴィッセル神戸へ完全移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2008年1月19日アーカイブ分) FC東京 (2008年1月18日)
  24. ^ FC東京よりMF鈴木規郎選手完全移籍加入決定 - ウェイバックマシン(2008年1月20日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2008年1月18日)
  25. ^ 無敗守った神戸は弾丸FKの鈴木に松田監督「救ってもらった」(千葉vs神戸) ゲキサカ (2008年4月2日)
  26. ^ 神戸・鈴木がベルギー1部に練習参加 - ウェイバックマシン(2008年12月12日アーカイブ分) スポーツ報知 (2008年12月12日)
  27. ^ a b c 元FC東京“ノリカル”は引退していた。 現役時代の苦楽は仲介人で生かす。 Sports Graphic Number (2018年5月13日)
  28. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2009年12月5日)
  29. ^ 神戸・鈴木が仏2部アンジェ移籍へ - ウェイバックマシン(2009年6月30日アーカイブ分) スポーツ報知 (2009年6月29日)
  30. ^ MF鈴木規郎選手、アンジェSCO(フランス2部)へ完全移籍決定 - ウェイバックマシン(2010年11月27日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2009年6月30日)
  31. ^ a b 鈴木 規郎選手加入のお知らせ 大宮アルディージャ (2010年7月10日)
  32. ^ 『エルゴラッソ Jリーグプレーヤーズガイド2013』2013年、34頁。 
  33. ^ 【J1:第17節 大宮 vs 川崎F】試合終了後の各選手コメント (cache) J's GOAL (2013年7月17日)
  34. ^ 鈴木 規郎選手 ベガルタ仙台へ移籍のお知らせ 大宮アルディージャ (2014年1月9日)
  35. ^ 大宮アルディージャ 鈴木規郎選手 完全移籍加入のお知らせ ベガルタ仙台 (2014年1月9日)
  36. ^ ベガルタ仙台、2014補強診断。一番の痛手は手倉森監督の退任、正念場の一年に (4/5) フットボールチャンネル (2014年2月21日)
  37. ^ a b FW中原、DF鈴木 仙台退団 日刊スポーツ (2014年12月9日)
  38. ^ 仙台 FWでの出場が続く鈴木規郎「どのポジションでも準備しているが、FWならばゴールを目指す」 blogola (2014年5月22日)
  39. ^ 仙台鈴木&八反田 生き残りへ結果で示す 日刊スポーツ (2014年5月24日)
  40. ^ 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2014年12月3日http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2014/12/post-2152.html 
  41. ^ 鈴木規郎選手 フィリピン グローバルFCへ完全移籍のお知らせ”. ベガルタ仙台 (2015年4月27日). 2015年4月27日閲覧。

関連項目

外部リンク