鶴舞 (市原市)

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鶴舞
鶴舞城本丸跡の碑
鶴舞城本丸跡の碑
鶴舞の位置(千葉県内)
鶴舞
鶴舞
鶴舞の位置
北緯35度23分0.96秒 東経140度10分59.05秒 / 北緯35.3836000度 東経140.1830694度 / 35.3836000; 140.1830694
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Chiba Prefecture.svg 千葉県
市町村 Flag of Ichihara, Chiba.svg 市原市
人口
2017年(平成29年)11月1日現在)[1]
 • 合計 1,116人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
290-0512[2]
市外局番 0436[3]
ナンバープレート 袖ヶ浦

鶴舞(つるまい)は、千葉県市原市南部の地名。郵便番号は290-0512[2]

明治初期、遠江国浜松藩から移転された鶴舞藩(6万石余)によって、新たに藩庁所在地として建設された地区である。

地理 [編集]

市原市の南部に位置し、南総地区に属する[4][5]

かつて「桐木台」「鶴舞台」と呼ばれたように、標高100m前後の台地状の地形であり、上総鶴舞駅のある南西側の池和田との間には40mほどの標高差がある。小学校や郵便局のある鶴舞の「本体」は、鶴舞交差点を中心としたときに、北東に奥野、東に水沢、南西に田尾、西に池和田と接し、北西で石川と入り組んだ形で(北西に流下する石川川とその支流の崖に沿って)境界を接している。

「本体」の西方には、石川、下矢田江子田などに囲まれて飛地が点在している。鶴舞大蔵屋団地の一部や志代坊堰の周縁、鶴舞交差点から直線距離で約3km離れた市原特別支援学校つるまい風の丘分校の敷地も鶴舞の飛地である。

歴史[編集]

江戸時代には市原郡石川村の一部で、桐木原あるいは桐木台[注釈 1]と呼ばれる台地上の荒蕪地であった[6]

明治2年(1869年)2月、もと浜松藩主であった井上正直鶴舞藩主)は上総の新領地に到着し[7]、埴生郡長南宿(現在の長生郡長南町長南)に仮藩庁を置いた[7][9][10]。しかし、藩士とその家族2000人あまりが移住するにあたり[7]、長南は手狭と見られたようである[10][6]。藩庁を置き藩士の住居を建設するために注目されたのが荒蕪地の桐木原であった[6]。同年2月12日付で桐木原への庁舎造営願いが聴許されている[6]

版籍奉還後の明治3年(1870年)4月に藩庁・知事邸や藩士居宅が完成[6]。藩庁は陣屋であったが、井上家は城持大名であったために「鶴舞城」と公称した[8]。こうした成立から鶴舞を「日本最後の城下町」と称することがある[11]。「鶴舞」という地名は、鶴が翼を広げたような地形から命名されたという[12][6]。ただし、もともと「鶴舞谷」という地名があり、これを採って桐木台全体を「鶴舞」(鶴舞台)と命名したという説もある[13]

明治4年(1871年)、廃藩置県によって鶴舞藩は廃止された[注釈 2]。藩庁跡地には小学校(現在の市原市立鶴舞小学校)が建てられた[14]

鶴舞は「本格的な町作りが行われた」という評もあり[15]、1889年(明治22年)の『上総国町村誌』には「村は市街たり」と記されている[14]。『上総国町村誌』によれば人口1732人(1886年(明治19年)時点の調査という[16])を数え、市原郡役場鶴舞出張所や千葉警察鶴舞分署(市原警察署の前身のひとつ)が置かれていた[14]

1889年(明治22年)の町村制施行に際し、鶴舞村は周辺の村(田尾村・池和田村・矢田村・下矢田村・山小川村)とともに鶴舞村を発足させ、1891年(明治24年)1月には鶴舞町となった。郡内では郡庁所在地の八幡町に次いで2番目に町制をおこなった町である。1910年(明治44年)には市原郡立市原実科高等女学校(のちに千葉県立市原高等女学校、鶴舞高等学校、鶴舞商業高等学校などと変遷[注釈 3])が置かれた。

1954年(昭和29年)、昭和の大合併に伴い南総町に含まれることになり、1967年(昭和42年)に市原市へ編入された。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
鶴舞 517世帯 1,116人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17]

番地 小学校 中学校
全域 市原市立内田小学校
市原市立鶴舞小学校
市原市立南総中学校

交通[編集]

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地区の最寄駅は小湊鉄道線上総鶴舞駅である。ただし駅は本地区ではなく、池和田に所在する。1925年(大正14年)の開業当時の駅名は鶴舞町駅であり、自治体としての鶴舞町が消滅したのち1958年(昭和33年)に上総鶴舞駅に改称した。

バス[編集]

系統 経由地 行き先
牛06 鶴舞、平蔵 大多喜車庫行
牛07 鶴舞局 鶴舞行き
茂30、茂45 長南営業所 茂原駅南口行き
牛04 田尾、湯原 里見駅行き
牛04、 牛06, 07、茂30 南総中学校前 牛久駅行き
茂30 池谷田 鶴舞駅行き

[18]

近隣の田尾には市原鶴舞バスターミナルがある。

道路[編集]

近隣の山小川には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の市原鶴舞ICがある。

施設[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 読み方は文献によってまちまちであり、「桐木原」に対し「きりぎのはら」[6]「きりきはら」[7]、「桐木台」に対し「きりのきだい」[8]などと読み仮名が振られている。
  2. ^ 鶴舞県となるが、同年末には第1次府県統合により木更津県に統合された。
  3. ^ 2005年に鶴舞商業高等学校と市原園芸高等学校が合併して千葉県立鶴舞桜が丘高等学校になるが、2019年に市原高等学校との統合により閉校。

出典[編集]

  1. ^ a b 世帯数・人口(町丁字別)”. 市原市 (2017年11月7日). 2017年11月8日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 市原市役所支所設置条例”. 市原市. 2021年9月26日閲覧。
  5. ^ 南総地区社協”. 市原市社会福祉協議会. 2021年9月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 鶴舞御本営の造営”. 長柄町史(ADEAC所収). 2021年9月22日閲覧。
  7. ^ a b c d 藩領引渡”. 浜松市史 三(ADEAC所収). 2021年9月22日閲覧。
  8. ^ a b 川名登. “鶴舞藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2021年9月21日閲覧。
  9. ^ 文化財・記念物”. 長南町. 2021年9月22日閲覧。
  10. ^ a b 風間俊人 (2006-12). “ちょうなん歴史夜話 井上藩仮本営跡”. 広報ちょうなん (長南町) (353): 7. http://150.60.131.50/wp-content/uploads/2011/08/0612.pdf 2021年9月22日閲覧。. 
  11. ^ 歴史と桜のまち鶴舞”. 市原市 (2021年4月1日). 2021年9月22日閲覧。
  12. ^ 市原市内の地名の由来は?”. 市原市 (2019年8月2日). 2021年9月22日閲覧。
  13. ^ 千葉県市原郡教育会 1916, p. 1227.
  14. ^ a b c 小沢治郎左衛門 1889, p. 34.
  15. ^ 中島義一 1969, p. 229.
  16. ^ 中島義一 1969, p. 220.
  17. ^ 小学校・中学校の所在地及び通学区域一覧”. 市原市 (2017年6月2日). 2017年11月8日閲覧。
  18. ^ 小湊バス

参考文献[編集]

関連項目[編集]