辻信太郎
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辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年12月7日 - )は、サンリオの創業者・代表取締役社長。
来歴・人物[編集]
創業以来同社の社長を務めるほか、サンリオ作品の原作・脚本を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。
長男はサンリオ副社長を務めていた辻邦彦。
略歴[編集]
- 1927年12月7日 - 山梨県に生まれる。
- 1945年 - 山梨県立甲府第一高等学校卒業。
- 1947年 - 桐生工業専門学校化学工業学科(旧・桐生高等工業学校、現・群馬大学工学部)卒業。
- 1949年 - 山梨県庁入庁。
- 1960年8月 - 山梨県庁を退職。県庁の外郭団体を独立させた同名の「株式会社山梨シルクセンター」(1973年より株式会社サンリオ)を設立。代表取締役社長[1]。
- 1984年2月 - 株式会社ココロの代表取締役会長に就任[1]。
- 1987年11月12日 - 株式会社サンリオピューロランド設立、同社の代表取締役社長に就任。
- 1988年10月22日 - 株式会社ハーモニーランド設立、同社の代表取締役社長に就任[1]。
- 1990年4月 - 辻アジア交流基金(現・財団法人辻アジア国際奨学財団)設立
- 2009年7月1日 - 株式会社サンリオエンターテイメント設立、同社の代表取締役社長兼会長に就任[1]。
- 2010年 - 株式会社サンリオエンターテイメント代表取締役会長に就任(代表取締役社長は佐藤誠)[1]。
- 2013年11月20日 - 株式会社サンリオ代表取締役副社長の辻邦彦(長男)死去[2]。
エピソード[編集]
- 武田信玄の二十四将の一人山県昌景の子孫と称している(武川重太郎『小説山県大弐』)
- 桐生工専では応用化学を専攻し、在学中はサッカリンや石鹸などを作って闇市で販売した[3]。
- 山梨県庁退職の際は県政功労者として3階級の昇進を受けた。知事から酒類販売業免許を受けたが、社員に重量物を運ばせることは信念に反するとして返納している[3]。
- 著書の中で、マクシム・ゴーリキーの戯曲『どん底』、アンドレ・ジッドの小説『狭き門』、ジャン=ポール・サルトルの小説『壁』に感銘を受けたと記している[3]。いちご新聞の連載などでは、中国の古典からの引用も見られる。
- サンリオが発行する『いちご新聞』で毎号コラムを掲げる「いちごの王様」本人。
主な作品[編集]
- 愛のファミリー(製作総指揮) - 第50回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞[4][5]。
- くるみ割り人形(企画・脚本)
- シリウスの伝説(原作・企画・製作)
- キキとララの青い鳥(製作総指揮)
- 森のメルヘン - 白い子鹿 ミエル(原作)
- 想い出を売る店(原作)
- 妖精フローレンス(原作)
- ちっちゃな英雄(原作)
主な著書[編集]
- 『湖のメルヘン』サンリオ、2008年 ISBN 978-4-387-08087-9
- 『いちごの王さまのメッセージ』 サンリオ、2007年12月 ISBN 9784387071419
- 『大切な仲間たち 〜ねずみ物語〜』サンリオ、2007年 ISBN 978-4-387-07039-9
- 『卯歳生まれは、ベタモテ運の人―気のつかい過ぎは優しさの証明』三五館、2004年 ISBN 9784883202966
- 『これがサンリオの秘密です。』扶桑社、2000年 ISBN 9784594028664
- 『社長大学―ホンネで語る20の極意』日本経済新聞社、1989年 ISBN 9784532094881
脚注[編集]
関連項目[編集]
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