「髙谷裕亮」の版間の差分

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!colspan="2"|通算:6
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!colspan="2"|通算:7
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* 2012年度シーズン終了時
* 2013年度シーズン終了時


=== 記録 ===
=== 記録 ===

2013年11月20日 (水) 20:04時点における版

髙谷 裕亮
福岡ソフトバンクホークス #12
2012年7月16日 福岡Yahoo!JAPANドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県小山市
生年月日 (1981-11-13) 1981年11月13日(42歳)
身長
体重
178 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2007年4月18日
年俸 1,450万円(2011年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手捕手)。

来歴・人物

プロ入り前

小山北桜高校時代に内野手から強肩と体を張ったブロックや、勇気のあるショートバウンド捕り等を買われ捕手に転向。当時一つ上の兄が投手をしており、兄弟バッテリーを組んだ[1]。甲子園などへの出場経験はなかったが、逸材として注目されていた。高校卒業後は富士重工業に進んだものの、2年目に怪我のため退部。その後は家業の造園業を手伝いながら受験勉強に取り組み、1年間の浪人生活の末に一般受験で地元の白鴎大学へ進学。このような異色の経歴が取り沙汰されることもあったが、キャプテンとして白鴎大学野球部を全国の舞台へと導いた。打者としても関甲新リーグ新記録となる、16本塁打を記録している。

2006年の大学生・社会人ドラフト3巡指名を受け福岡ソフトバンクホークスへ入団した。背番号12に決まった。

プロ入り後

捕手難というチーム事情もあり、早くも正捕手として期待する声もあったが、1年目は12試合の出場に留まり1軍定着とはならなかった。

2008年は2軍で経験を積む予定であったが、的山哲也が右膝を痛めたこともあり7月5日に一軍に昇格。7月15日西武ライオンズ戦では自身初の3安打猛打賞に加え2打点を記録し、初めてヒーローインタビューを受ける。翌16日には涌井秀章からプロ初本塁打を放ち、延長12回に自身初のサヨナラ打を放つ活躍で連夜のヒーローとなった。8月20日には新垣渚の女房役としてマスクを被ったものの、ショートバウンドが多く5暴投を許しボールを体で止められないと試合後非難を浴びせられた。後半戦からはほぼレギュラーに定着し、捕手陣では最多となる62試合に出場。盗塁阻止率.344を記録したが、一方で打率は1割台に終わるなど課題も残した。

2009年は初の開幕マスクを任されたが、前年と同様に打撃は振るわなかった。逆に打撃を売りにした田上秀則が台頭し、5月2日以来試合出場がなかった。

2010年は、山崎勝己が正捕手を務め田上が第2捕手として起用されたため、さらに出場機会が減少しスタメン出場も1試合にとどまった。

2011年は、西武からFAで移籍した細川亨が加わったため、スタメン出場は去年と同じ1試合に留まった。この年は、ペナントレース・クライマックスシリーズ・日本シリーズ優勝の胴上げ参加時に「白戸家のお父さん」のぬいぐるみを持った。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 ソフトバンク 12 30 23 2 3 2 0 0 5 4 0 0 2 0 5 1 0 15 0 .130 .286 .217 .503
2008 62 215 189 17 34 4 0 2 44 13 0 0 8 1 16 0 1 57 2 .180 .246 .233 .479
2009 25 72 62 2 13 1 0 0 14 5 0 0 2 0 7 0 1 18 2 .210 .300 .226 .526
2010 23 22 18 1 2 1 0 0 3 1 0 0 1 0 3 0 0 6 1 .111 .238 .167 .405
2011 12 3 3 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .667 .667 .667 1.333
2012 64 144 133 8 28 8 0 0 36 10 1 1 3 1 7 0 0 25 2 .211 .248 .271 .519
2013 22 28 26 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 2 0 0 9 1 .077 .143 .077 .220
通算:7年 220 514 454 31 84 16 0 2 106 34 1 1 16 2 40 1 2 131 8 .185 .253 .233 .486
  • 2013年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 12 (2007年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、20-21頁。

関連項目