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「解離性同一性障害」の版間の差分

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{{Medical}}'''解離性同一性障害'''(かいりせいどういつせいしょうがい、略称は'''DID''')は、DSM-IV-TR([[アメリカ精神医学会]]・[[精神疾患の分類と診断の手引]] 第四版テキスト修正版)において分類10群の[[解離性障害]](Dissociative Disorders)に含まれる精神障害のひとつ。英語名はDissociative Identity Disorder。旧基準DSM-IIIでは多重人格障害(Multiple Personality Disorder)と呼んでいたが、現基準において定義を明確化するとともに、概念としてより整理された現在の名称に変更された。「多重人格」は一般に通称に近い用いられ方をする。尚、[[世界保健機関]] (WHO) の[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類]](ICD-10)では、現在でも多重人格障害(Multiple Personality Disorder、F44.81)として定義されているが、ICD-10が編集されたのはDSM旧版の時代である。尚本稿で何もことわらずにDSMと呼んだ場合はDSM-IV-TRを、DSM旧版と呼んだ場合はDSM-III-Rを指す。
{{Medical}}'''解離性同一性障害'''(かいりせいどういつせいしょうがい)は[[解離性障害]]の一種で、事故などの強い[[心的外傷]]から逃れようとした結果、[[解離 (心理学)|解離]]により一人の人間に二つ以上の[[同一性]]または人格状態が入れ替わって現れるようになり、自我の同一性が損なわれる疾患。略称は'''DID''' (Dissociative Identity Disorder) である。

なお、一般に使われている「'''多重人格'''(たじゅうじんかく)」(もしくは「'''二重人格'''(にじゅうじんかく)」)という語は必ずしもこの疾患を指しているとは限らない。かつてはこの疾患を'''多重人格障害'''(略称MPD, Multiple Personality Disorder)と呼んでいたが、これは[[精神障害の診断と統計の手引き|DSM]]-IIIにおける旧称、または、[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類|ICD]]-10における呼称である。発症原因に不明の部分が多く、現象論ばかり展開される傾向にあるので予断は禁物である。

この項でこの疾患と書いた場合、便宜的に解離性同一性障害のことを指すこととする。また、斜体の言葉については、[[#用語|用語の節]]に説明を付す。


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== 概要 ==
==概要==
解離性同一性障害(以下DID)は、精神的な苦痛に対する本能的な防衛としての[[解離 (心理学)|解離]]がベースであり、それが極度に進んだものである。親カテゴリーの[[解離性障害]]に含まれる複数の症状、解離性健忘や離人症を含み、更に元々の人格から切り離された別の人格を生み出した状態の障害をいう。
多重人格障害の旧称が表す通り、明確に独立した[[性格]]、[[記憶]]、属性を持つ複数の[[人格]]が1人の人間に現れるという症状を持つ。ほとんどが人格の移り変わりによって高度の[[記憶喪失]]を伴うため、診断が遅れたり、[[誤診]]されることが非常に多い疾患である。つまりは精神科医療の分野でも正確な知識を持たない医師、臨床経験が無い医師が多く、精神科で受診しても治療不能となる場合も多々あるのが現状である。<!--また、「多重人格障害」と言う言葉さえもない、精神病自体未発達やその概念もなかった時代も、今で言う解離性同一性障害のようなものがあった可能性はある。だがその時代においては、人格が変容するものが特徴的で、悪い見方としては[[悪霊]]に[[憑依]]されたとして忌避の対象、良い見方としては[[神]]や[[仏]]の言葉の代弁者などと言って神聖視されていた可能性もある。

要出典-->
別の人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分などが心の中で切り離されて成長してゆく。多くの場合元々の自分は切り離された自分のことを知らない。そして普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何がどうしたのか解らない。

それぞれの交代人格は、その人が生き延びる為に必要があって生まれてきたのであり、それぞれがその人の一部なのだという理解が重要である。
「人格を多く持ちすぎることが本質的な問題ではなく、(健康な)人格をひとつも持てないことが問題」なのである<ref>
和田秀樹が『多重人格』1998年p.56 で紹介した岡野健一郎の言葉。このとき岡野はアメリカでDIDの治療にあたっていた。カッコ内は「健全な」であったがここだけ平易に置き換えた。
</ref>。
防衛的適応も精神的な苦痛がそれさえも乗り越えてしまうほど大きいとき破綻する。<br>
その精神的な苦痛が一過性のものであれば例え破綻しても[[急性ストレス障害]](ASD)のように時間の経過とともに治まっていくこともある。しかし慢性的な場合はその破綻は反作用や後遺症を伴い深刻で複雑な症状を呈する。[[うつ症状]]、[[不安障害]]、[[摂食障害]]、[[薬物乱用]]、[[不眠]]、性的不能、心因性の[[身体障害]]、そして[[パニック障害]]、[[アスペルガー障害]]、[[境界性パーソナリティ障害]]、[[統合失調症]]によく似た症状をみせ<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.140 他
</ref>、[[リストカット]]のような自傷行為に止まらず、本当に自殺しようとすることが多い。

つまり元になる精神的な不安定さ、そして人格交代から引き起こされる実生活面での混乱や困難さが問題の中心である。
治療はそれぞれの人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育てていくこととされる。
しかしDIDに熟知した[[精神科医]]や[[臨床心理士]]が少ないこともあり、他の疾患に誤診されやすい。

==解離とその因子==
===解離を生むストレス要因===
生理学的障害ではなく心因性の障害である。心因性障害の因果関係は外科や内科のように明確に解明されている訳ではなく、時代により人によって見解は統一されていない。治療の方向性はある程度は見えてきてはいるものの最終的には試行錯誤である。むしろ多因性と考え、あるいは一人一人違うと考えた方が実情に即しており、以下もあくまで一般的な理解のまとめに止まる。

DIDは[[PTSD]](心的外傷後ストレス障害)や[[境界性パーソナリティ障害]]とともに外傷性精神障害と分類する意見もあり、発症する人のほとんどが幼児期から児童期に強い精神的[[ストレス (生体) |ストレス]]を受けている。ただしそのストレスは国・社会によって異なる。日本の場合は、(1)[[いじめ]]、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ない、(3)育児放棄や徹底した無視などの[[ネグレクト]]、(4)家族や周囲からの[[身体的虐待]]、[[児童性的虐待|性的虐待]]、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる<ref>
『こころのりんしょう a・la・carte(特集)解離性障害』Vol.28 No.2 (以下『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年と略)Q&A集Q5では(3)と(4)を合わせて虐待とまとめているが、ここでは説明の都合上2つを分ける。</ref>。

この内、(4)(5)がイメージしやすい[[心的外傷]](trauma)であり、陽性外傷とも云われる。北米の事例で象徴的なのは慢性的な(4)のケースである。(3)のネグレクトを原因とするDID症例も多く、ネグレクトを陰性外傷と呼ぶこともあり<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.61
</ref>心的外傷(trauma)に含める見方が現在では主流である。(5)などの1度だけの外傷体験(traumatic experience)は通常は解離には結びつかず、いつまでも鮮明に記憶に残るケースが多い<ref>
レノア・テア(Terr,L.) 『記憶を消す子供たち』1994年 p.25</ref>。
しかしある程度下地が出来上がっているところにそうした外傷体験(traumatic experience)が重なるとそれも解離の原因になる。

日本においては(1)(2)を要因とする症例も多い。(2)は「関係性のストレス」<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.103-112
</ref>とも呼ばれる。過保護でありながら支配的な家庭環境によるストレスが中心だが中にはこんなケースも含まれる。母親はすごく良い子で手がかからずスムーズに育ってきたと思っていた。しかし娘は、いい子でいなくてはと親の気持ちをくみ取りながら生きているうちに自分の気持ちが内側にこもり解離が始まりだす<ref>
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.271(座談会)。柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.13.の冒頭の「症例エミ」も虐待もネグレクトもない家庭環境である。</ref>。
このようなケースでは母親は娘の発症に訳も判らぬまま自分を責めることがしばしばある。従ってDIDに児童虐待という先入観をもつことは場合によっては偏見となり、当事者達をいっそう苦しめることになりかねない<ref>
本項もそうだが、インターネット上にはDIDの患者自身のサイトを含めて多くの情報がある。柴山雅俊は『解離性障害』 2007年 p.28で「インターネットの情報はあくまで参考程度に」と勧めている。</ref>。

===クラフトの四因子論===
心的外傷(trauma)体験などの強いストレスを受けたからといって、必ずしもDIDに結びつく訳ではない。1984年にリチャード・クラフト(Kluft,R.)はそのメカニズムの四因子をまとめている。

*第一因子として、正常な範囲での[[解離 (心理学)|解離傾向]]や、自己催眠傾向のような解離ができる下地があること。(被暗示性の高さとも言い換えられる。)
*第二因子として、その子供の自我の適応的な機能では対処しきれないくらいの圧倒的な体験にさらされること。
*第三因子として、解離によってある人格状態を作り出す基盤があること。空想力、つまり想像力を持っていないと別人格はつくり得ない。その空想によってつくりあげる別人格にはその人の体験や文化的な背景なども影響する。
*第四因子として、第二の因子の刺激、ストレスに対して、親などから保護や修復、つまり理解や慰めが十分に与えらなかったこと。

クラフト(Kluft,R.)の四因子を「素因」、「要因」、「保護」に分ければ、第一因子と第三因子が「素因」、つまりその人の下地である。第二因子の「圧倒的な体験」が解離を生み出す「要因」である。そして第四因子が「保護」となる。この定義は1984年段階の北米でのもので、第二因子の「要因」にイメージされていたのは幼児期の身体的虐待、性的虐待である。しかしその北米でも、ロス(Ross,C.A.)は1989年の四つの経路説(後述)で、児童虐待経路の他にネグレクト経路を追加した。現在日本で云われているのは更に広く前述のストレス要因の(1)から(5)である。その全てが第二因子に当てはまる。

クラフト(Kluft,R.)の四因子論の重要な点は「素因」と「要因」、つまり被暗示性とか空想力という下地と、解離の引き金になるストレス要因が全て揃っていても、「保護」つまり周りに悲しい気持ち苦しい気持ちを解ってもらえる人がいればこの障害にはならないということである。それが無くて出口無しになってしまうときにこの障害が起こる。

===解離の素因===
アメリカの心理学者ウイルソン(Wilson,S.C.)とバーバー(Barber,T.X.)は1982年に「[http://psycnet.apa.org/psycinfo/1983-22322-001 ファンタジーを起こしやすい性格:理解画像、催眠、および超心理学現象の影響]」という論文で空想傾向(fantasy-proneness)について発表した。
催眠に掛かりやすい人は空想傾向があり、かつ深く没入する。ここでいう「空想傾向」とは普通の人にも当てはまるレベルではなく、その傾向が顕著な一群であり、人口の約4%が該当とする。彼らは幼児期から空想の世界に浸り、実際に体験したことと空想の記憶を混同してしまう傾向がある。イマジナリーフレンド(後述)と遊び、小さな妖精や守護天使、樹木の精霊などが実在していると信じ、また多くは遊んでいた人形や動物のおもちゃが実際に生きていると信じていた。
この研究はクラフト(Kluft,R.)の第一因子と第三因子、被暗示性と空想力、想像力、そして正常な範囲での解離傾向につながりがあることを示している<ref>
一方で催眠感受性と空想傾向の間の相関はわずかであり、高い催眠感受性を持つ対象者の大多数は空想傾向であるということはできないが、高い催眠感受性を持つ対象者は低い傾向の人と比較すればより高い空想傾向を持ってはいるとするLynn & Rhueの1991年の研究もある。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154 )<br>
Lynn, S. J., Rhue, J. W., & Green, J. P.は1988年に「空想傾向が虐待や心的外傷(trauma)のエピソード以前から発達していたのか、その後に発達させたかについては定かではないが、過酷な子ども時代の環境が空想傾向と結びつくことによりその個人が後に多重人格と診断される可能性が増大するのであろう」と述べている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154 )<br>
西澤哲が「PTSDの診断をめぐる問題」(『臨床心理学(特集)心的外傷』 2003年 pp.781-789)において発表した被虐待児童のTSCC(後述)の結果を発表しており、その中に空想傾向も含まれている。そこでは擁護施設に収容された児童は一般家庭の児童よりも若干空想傾向は高いものの、サンプル数の面からも有意差があるとは云えず、また擁護施設内の虐待児童とそうでない児童の差はほとんど無い。それらのことからも、空想傾向が虐待などによるものとは考えにくい。また空想傾向であればDIDになるという訳ではなく、ポジティブな面ももちろんある。
<br>
ただし、パトナム( Putnam,F.W.)は1998年には「催眠と解離との関係はほどんどない」と述べ、クラフト(Kluft,R.)の四因子論にみられるような「外傷-自己催眠仮説」「解離連続体仮説」から離散的行動状態モデル(discrete behavior states)つまり病的解離モデルにシフトしている。
</ref>。

柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソン(Wilson,S.C.)らが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることである<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.123</ref>。
空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした素因、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、その防衛として空想に逃げ込み、重傷の場合はDIDになると理解するのが自然である。

===安心していられる場所の喪失===
心的外傷(trauma)は[[PTSD]]など様々な現れ方をするが、柴山雅俊はそのなかでDIDに傾く特徴、重傷化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」ととらえている<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.73-79(症例K 初診時33歳女性)によくあらわれている。
</ref>。柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.117。両親の不仲が自傷群では約80%にも達し非自傷群ではその半分である。また学校での持続的ないじめの経験は同じく約70%対約40%である。両方経験している者が自傷群の半数以上ということになる。両親の離婚、両親からの虐待はともに自傷群で約40%、非自傷群ではやはり半分である。性的外傷体験は約35%対約20%で差は縮まり、家庭内での性的外傷体験は無かったとする。親のアルコール中毒、母子分離、交通事故、暴力などは両群であまり差は無かったという。ただしサンプル数が少ないため、統計学的に有意差が認められるのは「両親の不仲」だけであった。
</ref>、
DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷(trauma)では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷(trauma)では学校でのいじめであるとする。
「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.221。中でも性的虐待はその点でもっとも際だっているとする。</ref>
に追い込まれ、逃げることも出来ずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。

[[愛着理論|愛着関係]](attachment)における心的外傷(trauma)を「愛着外傷(attachment trauma)」<ref>
最近では発達心理学の愛着理論(Attachment theory)の方から幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。愛着理論ではAタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン(Main,M.)とソロモン (Solomon,J.)が発見したDアタッチメント・タイプ(無秩序・無方向型)が新たに加わる。
1990年にはメインらはDアタッチメント・タイプは養育者の生活史における未解決の外傷や喪失と関連があることを示し、更に外傷を負った親の養育態度に関係するのではないかとした。それ以降、1991年に愛着関係(attachment)と解離との関係をバラック(Barach,P)が概念化し、1996年にはメインらが「トランス様状態とおそらく解離していると考えられる行動が非統合型の子供の一部に見られる」と報告している。(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.36-39)
<br>
2003年にはライオンズ-ルース(Lyons-Ruth.K)によって、明確な心的外傷(trauma)以外が無くとも、Dアタッチメント・タイプ、つまり愛着対象が脅威の対象であるような葛藤に満ちた、歪んだ愛着関係(attachment)にあった子供は解離性障害になる可能性が高いとした。(野間俊一「解離研究の歴史」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.282)
<br>
2006年にはリオッタ(Liotti.G.)もこのDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱している(白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう。(特集)解離性障害』 2009年 p.302)
<br>
尚、愛着関係(Attachment)に起因する脆弱性はあくまで幼児期の養育者とのコミュニケーションに起源をもつもので、「解離の素因」にあげた被暗示性や空想傾向などの生得的なものとは異なる。
</ref>というが、自分を傷つけた相手が本来なら自分を癒すはずの相手であるために、心の傷を他者との関係で癒すことが出来ない<ref>
これは北米での近親者からの児童虐待・性的虐待でも同じである。</ref>。
こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.119。</ref>。
「安心していられる場所の喪失」も心の傷ではあるが、PTSDでイメージしやすい戦争体験、災害、犯罪被害、事故、性暴力などと比べると心の傷の性格が異なる。

===解離した人格===
「ネガティブな心的内容」を切り離すことは本能的な防衛反応とも云えるが、それが度重なると反作用が離人症として現れる。離人反応も一時的なもので済めば防衛反応であるが、恒常化すればそれは既に防衛反応の破綻である。
その記憶を抑圧し切り離しても、それも自分の一部であるので何らかの形で自分を縛っている。そこからのいわば後遺症が、例えば押さえつけたものが児童期以前の性的虐待の記憶であれば、成人となってからも性的エクスタシーを感じられないなどの形で現れる。それが更に進んで切り離した自分の意識が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身がひとつの「わたし」となる。「切り離したわたし」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離したわたし」のことを知っていることが多い。

「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を柴山雅俊は「身代わり部分」「犠牲者としての私」、「切り離したわたし」を「生存者としての私」「存在者としての私」と呼んでいる。「犠牲者としての私」は心の中で生き続けている「まなざしとしての私」でもある。「存在者としての私」は「まなざしとしての私」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.64-68
<br>
バン・デア・ハート(Van der Hart)らの構造的解離理論(「参考文献以外の専門書」項で翻訳中としたもの)では「あたかも正常に見える人格部分(apparently normal parts of personality.ANP)」と「情動的人格部分(emotional parts of personality.EP)」に分けている。ANPは日常生活をこなそうとする人格部分(personality parts)であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。そしてその組み合わせにより、構造的解離(structural dissociation)は3つに分類され、第1次構造的解離(primary structural dissociation)は単純型PTSDや解離性障害の単純型。第2次構造的解離(secondary structural dissociation)は複雑型PTSD、特定不能の解離性障害、境界性パーソナリティ障害。第3次構造的解離(tertiary structural dissociation)をDIDとする(柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.137-138)。もちろんこの分類は現在のDSMとは異なる。
</ref>。
「元々のわたし」「切り離したわたし」を主人格(host parsonality)、または基本人格(original pasonality)と呼ぶ。それに対して「切り離されたわたし」が、解離した別人格であり、交代人格(alter personality)<ref>
一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 2003年 p.807 及び柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.136によるとalter identity、つまり交代アイデンティティとか交代同一性ということもあるようだが、少なくとも日本の文献では交代人格と書くものがほとんどである。
</ref>という。まれに交代人格がその体を支配していることもある。この場合は主にその体を支配している交代人格を主人格と呼び、基本人格と区別することもある<ref>
これは人による。例えば町沢静夫は『告白多重人格―わかって下さい』 2003年 p.34でその体を支配している交代人格はあくまで交代人格。8年間眠っている元々の人格を主人格と呼んでいる。ただしここまで来ると、本来の人格と交代人格との差はほとんど無くなる(柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.137)。断片化し過ぎれば残ったものもまた断片に過ぎないというのに似ている)。</ref>。
交代人格は「元々のわたし」の主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次ぎのようなものである。

*主人格と同性の、同い年の別人格。ただし性格が全く異なる。
*子供の人格もよく出てくる。 4~7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている<ref>
大矢大「<生き残る>ということ」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.352、</ref>。
*その他、受け持つ事件が起こったときの年齢が現れることもある。
*女性なのに男の別人格とか男なのに女性の別人格など、別性の人格も現れる。
*他の人格の存在を知らない人格、別人格が表に現れているときの記憶を全く持たない人格がある。主人格もそれに該当する場合が多いので、幻聴や健忘に困惑しても本人は多重人格であることに気がつかない。
*逆に主人格や、他の別人格の行動を心の中から見て知っている別人格もある。
*怒りを体現する人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ人格。[[リストカット]]や睡眠薬で自殺を図ろうとする自傷的な人格もそのなかに多い。 性的に奔放な人格が現れることもある。
*逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な人格。危機的状況で現れて、その女性の体格では考えられない腕力でその子を守る別人格もある。
*実在の人間の人格もある。極端な例では幼児期に自分に性的虐待を行った人間の人格の例が国内にある<ref>
服部雄一 『多重人格者の真実』 1998年 p.60</ref>。また自分を極度に厳しく育てた祖母の交代人格があらわれた事例も北米にある<ref>
コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.122</ref>。


それらの人格は表情も、話言葉も、書く文字も異なり、嗜好についても全く異なる<ref>
例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。絵も年齢相応になる。また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。利き腕が変わる。そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す。
</ref>。顔も全く違う。勿論同じ人間なのだから同じ顔ではあるが普通の表情の違いとは全く違う。
尚、治療者(例えばパトナムなど)はそれぞれの治療方針に基づいて様々な分類を行うことがある。しかしそれらはその治療者にとって意味のあることでも、周囲の者やましてや本人にとって意味のあることではない。

==歴史 ==
===前史・ヒステリー研究===
学問レベルで最初にあらわれたのは1791年のドイツの精神科医エバーハルト・グメーリン(Gmelin,E)の症例報告『人格の入れ替え』である<ref>
フランス貴婦人に交代するドイツ人女性の症例、和田秀樹『多重人格』1998年 p.19</ref>。
DIDの親カテゴリである解離性障害は19世紀にはフランスやイギリスの精神科医が[[ヒステリー]]症状の研究の中でとらえられていた。特にパリのサルベトリエール病院の[[ジャン=マルタン・シャルコー|シャルコー]](Charcot)が有名で、[[ピエール・ジャネ|ジャネ]](Janet,P)や[[ジークムント・フロイト|フロイト]](Freud,S.)もその影響を受けている。

「解離」という概念の命名はそのジャネ(Janet,P)である。ジャネは1889年の著書『心理自動症』の中で「意識の解離」を論じ、「ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れさられるかのような状態」を「解離による下意識」と呼び、その結果生じる諸症状がヒステリーであるとした。そして現在のDIDと全く同じ意味で「継続的複数存在」を論じ、その心理規制を「心理的解離」と呼んだ<ref>
野間俊一「解離研究の歴史」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年pp.278-279</ref>。
同じフランスの心理学者アルフレッド・ピネー(Pinney.A)も、1896年の『人格の変容』の中で「互いに相手を知らない二つの意識状態の精神の中における共存」と、現在の DIDに通じる概念を論じている。

===フロイト精神分析の影響===
ヒステリーの研究ではフロイト(Freud,S.)も有名であり、
1896年のウイーン精神医学神経学会での「ヒステリーの病因について」という講演では「最後には必ず(幼児期の)性的体験の領域に到達する」と論じている<ref>
鈴木晶 『フロイト以後』1992年 p.55</ref>。
つまり幼児期の性的虐待のような嫌な体験、堪えられないほどの苦痛を無意識の中に抑圧し、それによって自分の精神状態を守ろうとする。しかし、抑圧されたものはそのままじっとしてはいないで、身体症状に転換されて表れるのがヒステリー症状であるとした。これを「誘惑理論」と呼ぶ。この段階では多少の表現の違いはあっても、ジャネ(Janet,P)やピネー(Pinney.A)と極めて近い見解である。

しかしその説はウイーンの学会や上流社会ではまったく相手にされず、翌年にはフロイト(Freud,S.)自身がその「誘惑理論」を放棄して、「欲動理論」を中心に据える<ref>
最近は完全に「誘惑理論」を放棄していた訳ではないとも云われているが、しかしそれも再発見されるまでは精神分析の世界では忘れ去られていたのは確かである。尚この「誘惑」つまり実際にあった性的外傷か、それとも「欲動」想像の産物なのかという問題は精神分析の世界を離れた現実の場で再燃するのが「虚偽記憶」問題(後述)である。</ref>。
この「欲動理論」においては患者の幼児期の性的体験は患者の幻想であって現実ではないということになる。それ以降フロイト(Freud,S.)の精神分析は上流社会にも受け入れられて精神医学の一方の主流になる<ref>
もう一方は伝統的生理学的な精神病理学である。
</ref>。
そしてフロイト(Freud,S.)は、かつての「誘惑理論」に似た精神的外傷による「解離」論を事実上認めなかった。

20世紀に入ってからの多重人格の事例は、1905年にアメリカのモールトン・プリンス(Prince,M.)が発表したミス・ピーチャムの詳細な症例『人格の解離(The dissociation of a personality)』 <ref>
邦題は『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』。尚、この概要は1900年にパリで開かれた国際心理学会において「多重人格の諸問題」というタイトルで発表されている。
</ref>がある。しかしその発表も「虚言症的な患者に騙された虚像、あるいは催眠によって作り出された医原性疾患<ref>
邦訳『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』の訳者あとがき
</ref>」との批判を受ける。こうしてフロイト(Freud,S.)の精神分析学の興隆とともに、「解離」という概念は精神医学の世界から忘れ去られた。ジャネ(Janet,P)とピネー(Pinney.A)が再発見され、「解離」という概念が再び表に現れたのは1970年のエレンベルガー(Ellenberger, H.F.)『無意識の発見-力動精神医学発達史』においてである。

===精神分裂病概念の影響===
多重人格の診断名が消えたもうひとつの原因は、1911年に[[オイゲン・ブロイラー]] (Bleuler,E.)が精神分裂病概念(現在の[[統合失調症]])を発表したことである。1920年代後半にはその診断名が浸透しはじめた。アメリカのローゼンハム(Rosenham)によると、1914年から1926年までは診断名に統合失調症より多重人格の方が多かったが、それ以降は逆転する。そして1930年代からは多重人格という診断名は精神医学の世界から事実上消え去っていた。

それ以降DID患者に診断されたのがこの統合失調症である。実存主義哲学者としても有名なドイツの精神科医[[カール・ヤスパース]](Jaspers,K.T.)は「了解不能」な症状は統合失調症と診断する決め手であるとした。幻聴や幻覚はまさにそれにあたる。実際ローゼンハム(Rosenham)は[http://en.wikipedia.org/wiki/Rosenhan_experiment 実験]としてローゼンハム自身と8人の仲間がアメリカ各地の12の精神科病院に患者を装って訪れた。彼らは診察で「ドサッという幻聴が一時的に聞こえた」と訴えたところ、11の病院で統合失調症と診断され入院となったという(残りひとつの病院では躁うつ病の診断だった)。幻聴は統合失調症と[[解離性障害]]、従ってDIDにも共通するエピソードである。

===多重人格概念の復活===
1955年にセグペン(Thigpen, C.H.)とクレックレー(Cleckley,H.M.)らが『イブの3つの顔』という有名な症例の最初の報告を行う。その症例は1957年に出版(邦題:『私という他人―多重人格の病理』)され、ベストセラーとなり映画化までされた<ref>
『イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン、20世紀フォックス。多重人格者イブ役のジョアン・ウッドワードはアカデミー主演女優賞を取る。DVD化されて20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパンKKより発売されている。
</ref>。
精神医学界への影響はあまり無かったが<ref>
相変わらず非常にまれであるか、あるいは催眠術による人工的なもの、つまり医原性のものと考えられていたようである。(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98)
</ref>、北米の一般の人に「多重人格」の認識が広まり、自分は多重人格ではないかとクリニックを訪れる人が増える。1968年のDSM-IIにおいて、それまでのヒステリーが解離型と転換型に分離し、現在の解離性障害が疾患名として診断基準に登場する。しかし多重人格はその解離型の中の一症状に過ぎなかった。

多重人格概念復活の直接の契機は、1973年に精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー(Schreiber,F.R.)が著した精神分析医コーネリア・ウィルバー(Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『[[失われた私|シビル]]』<ref>
邦題『失われた私』(参考文献参照)
</ref>である。性的虐待とDIDの関連を最初に明確に報告したのが同書でり、16もの人格が認められた。
この本も刊行後数ヶ月にわたってベスト・セラーのトップ10に名を連ね、1976年には映画にもなった<ref>
尚、『失われた私』ではシビルは治療を終え教職を得てウィルバー(Wilburn,C.B.)の元を離れたことになっており、「物語」の最後は「私は彼女の物語がハッピーエンドで終わったことが嬉しかった」と結んであるが、残念ながらここだけは事実ではない。治療終結は実際にはウィルバーの転勤によるものらしい。シビルは本名をShirley Arbell Mason という。結婚もぜず古い友人や家族とも接触を断って、人目を避けてウィルバーの家の近くで暮らし1998年に亡くなった。J.ブロイアー(Breuer,J.)の患者アンナ,O.や『イブの3つの顔』のセグペン(Thigpen, C.H.)とイブことクリス・コスナー・サイズモアのハッピーエンドの嘘を思い出すが、ブロイアー(Breuer,J.)やセグペン(Thigpen, C.H.)の場合と違うところもある。ウィルバーは少なくともシビルが近くに越してきてからはその支えになり、ウィルバーが1992年に亡くなったときにはかなりの遺産をシビルに残している。(鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学』 2003年p.83)
</ref>。そこまではセグペン(Thigpen, C.H.)の『イブの3つの顔』の反響と同様であるが、違うところは精神医学の世界にも大きな影響を及ぼしたことである。
それには以下のような社会的背景があった。
*1962年に発表されたケンペ(Kempe,C.H.)らの「被虐待児症候群」(The battered-child syndrome)という論文の影響もあって1963年から1967年までの間にアメリカ全州に虐待通報制度が制定されたこと。1974年には児童虐待防止法が制定され、通報の範囲が拡大して、更に実態が明らかになった<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 pp.114-115.
</ref>。
*ベトナム戦争帰還兵の心的外傷(trauma)が大きな社会問題となりPTSDに代表される外傷性精神障害の研究が進んだこと。
*1970年代後半にかけて児童虐待や誘拐、レイプ、近親姦などでもベトナム戦争帰還兵に似た外傷性精神障害が見られることが徐々に明らかになったことである。

そして、現実のベトナム戦争というだれが見ても因果関係の明らかな大量の外傷性精神障害の発生から、「誘惑理論」を放棄したフロイト理論、精神分析学への非難に近い批判が巻き起こり、「解離」と「多重人格」を抑圧していた力が弱まる。そして直接心的外傷(trauma)に焦点を当てた PTSDの研究とともに、多重人格の症例にも光があたり、現在に繋がる「解離」「多重人格」の再発見が始まっていく。

===診断基準への登場===
そのような背景のもと米国精神医学会の診断基準などにも正式に取り上げられていった。
*1980年のDSM-IIIにおいて、多重人格(Multiple Personality)が障害の一症状ではなく、単独の障害に格上げされた。これによって症例数は飛躍的に倍増する<ref>西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98</ref>。1981年には「Minds of Billy Milligan」(邦訳『24人の[[ビリー・ミリガン]]』)が出版される<ref>一般的には「多重人格」のドキュメンタリーとして有名であるが、日本国内では、自己顕示欲が強く、周りの者を思うがままに操作している処などむしろ人格障害とアレキシサイミア(失感情症)の合併症ではなかろうかという意見もある。酒井和夫 『分析・多重人格のすべて』1995年 p.104</ref>。

*1987年のDSM-III-R において多重人格の定義が手直しされる(後述)。1989年にはフランク・W.・パトナム( Putnam,F.W.)が『多重人格性障害』を著し、しばらくはそれが多重人格研究の教科書のようになる<ref>そこでは治療の焦点を「心的外傷からの回復と治療的除反応」とおいていた(後述)。
</ref>。
*1992年、 ICD-10においても「F44.8 その他の解離性(転換性)障害」(Other dissociative[conversion] disorders)の中に多重人格障害(Multiple personality disorders)が取り上げられた(後述)。

*1994年、DSM-IVにおいて、解離性同一性障害に名称が変更され、2000年のテキスト改訂版(DSM-IV-TR)においも再録された。

==診断基準での定義==
===DSM-IV-TRでの定義と「同一性」===
[[アメリカ精神医学会]](American Psychiatric Association)の診断基準DSM-IV-TR(2000年テキスト改訂版)での定義は以下の通りである。

{{Quotation|
A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性(identity)または人格状態(personality states)の存在 (その各々はそれぞれ固有の比較的持続する様式をもち、環境および自我を知覚し、かかわり、思考する)。

B. これらの同一性(identity)または人格状態(personality states)の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。

C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い。

D. この障害は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般的疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理的作用によるものではない。

注:子供の場合、その症状が想像上の遊び仲間(イマジナリーフレンド imaginary friend)、または他の空想的遊びに由来するものではない。
}}
旧基準では上記のABのみであり、かつ「人格または人格状態」とされていたが、現基準では「人格」を「同一性」に変更している処がもっとも大きな特徴である<ref>
尚、事実上DIDであっても、現在の定義を完全に満たすことが難しく、多くが「特定不能の解離性障害」に分類されてしまうことなどから、現在検討中の次期DSM改訂5版で、上記定義が変更される可能性もある。</ref>。

除外される「一般的疾患の直接的な生理的作用」とは、例えば交通事故で脳しんとうを起こし、その事故を思い出せないというケースなどである。「酒を飲み過ぎて」も含めて、他に十分説明の出来る生理学的原因がある場合はこの疾患には含まれない。またイマジナリーフレンドは座敷童に相当と考えれば理解しやすい。日本では子供が親には見えない座敷童と遊ぶのは古くから知られ異常ではない(後述)。

'''「人格」か「同一性」か'''<br>
「歴史」の項で見た通り、DSMの定義は2回変更されている。1980年のDSM-IIIでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格が存在」とあった部分が、1987年のDSM-III-Rでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格または人格状態が存在」となり、1994年のDSM-IVでは「2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在」となっている。つまり「人格(personality)」と言われていたものが「人格または人格状態(personality or personality states )」と薄められ、更に「同一性または人格状態(identity or personality states)」となって「人格(personality)」という表現が無くなっている。「人格状態(personality states)」は「人格のごとき状態」であって「人格」ではない。<br>
この名称変更は、「解離」の役割を強調し、かつ、人格(personality)障害との混乱を避ける為」というのが理由のひとつであるが、もうひとつ「いくつもの人格が実態として存在するのではなく、個人の主観的体験の一部だということをはっきりさせる<ref>
「DSM-IVガイドブック」。和田秀樹『多重人格』1998年p.54より。
</ref>」ことも目的とされている<ref>
実はこの名称変更に裏にはDSM-IV 編集時の確執があったという。アリソン(Allison,R.)によればDSMの検討メンバーの中に「多重人格症の存在を疑う人達」が居て、その主張が「一人の人にはひとつの人格が原則である」というものであったという。それらのメンバーの意見の一部を取り入れ「多重人格」という言葉を避けて解離性同一性障害という名称を用いることで政治的決着を見たらしい。(岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.33-34)
</ref>。
後者について、DIDの代表的な専門家であるコリン・A・ロス(Ross,C.A.)はこう説明している。
{{Quotation|
多重人格者は複数の人格を持つわけではない。別の人格達は実際は一つの人格の断片である。別の人格は異常な形で擬人化され、お互いに分離して、相互に記憶喪失の状態に陥る。我々はこうした人格の断片を昔から「人格」と呼んでいる。多重人格症の存在を疑う人達がいる。彼らの疑問は、多重人格者は複数の人格を持つという誤解を前提にしている。実際の問題として、一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ないのである。 <ref>
コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.11
</ref>
}}

'''欧米人の人格(personality)へのこだわり'''<br>
最近の構造化解離理論<ref>
奥田ちえ「構造的解離理論の基本概念と治療アプローチ」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.337、「The Haunted Self: Structural Dissociation and the Treatment of Chronic Traumatization 」; New York, W. W. Norton, 2006
</ref>では「人格(personality)」はひとつであるという立場から「交代人格(alter personality)」という言葉を避け、それを「人格の部分(personality parts)」と呼んでいる。ただし欧米人の人格(personality)という言葉へのこだわりには日本人には理解しずらい背景もある。キリスト教においては、personality(人格)は神キリストに向き合う人間そのものであって、それがアメリカの法律に分かちがたく組み込まれている。そして「人格」を多重に持つ被告の登場に司法の場で様々な混乱と困惑が起こった。それを回避することもDSM-IVでの名称変更の真意のひとつであった。

「identity(同一性)」は「personality(人格)」についての哲学的、あるいはアメリカ法的議論を回避する為に選ばれた言葉であり、正確な病名としては「解離性同一性障害」と呼ぶが、その説明の中では「人格」という言葉をあいまいに普通に使っている。
日本語で「同一性」というとピンとこないが、疾患の範囲が変わった訳ではない。「人格状態」(personality statesの直訳)も含めて、日本語の「人格」「別人」をイメージしておけばよい<ref>
ここでの「同一性」は、エリクソン(Erickson,E.H.)が「同一性拡散」という場合の「同一性」とは別物である(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.100)。
障害名の理解としては上記で十分である。更に英語と日本語の翻訳の誤差というものもある。personalityにはいくつもの意味がある。そのひとつが「人間であること、人間としての存在」であり、ロス(Ross,C.A.)が「一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ない」というときの「人格」の意味はこれである。しかし「個性、性格」の意味の方が辞書では上位であって、「a personality test」は性格検査であり、「a television personality」はテレビタレント、「personality journalism」はゴシップジャーナリズムである。これを「人格検査」「テレビ人格」「人格ジャーナリズム」と機械的に直訳すると訳がわからなくなる。一方「identity」は「同一人であること、本人であること、正体、身元」「独自性、主体性、本性、帰属意識」である。</ref>。ただしロスもいうようにそこでの「人格」も「別人」もあくまでその人の一部である。

===ICD-10での定義===
[[世界保健機関]] (WHO) によって 1992年に公表された「[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類]](International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems第10版、略称ICD-10)」での定義では、DSMの「解離性障害」に相当するのが「F44 解離性〔転換性〕障害」であり、その下に「F44.0 解離性健忘」、「F44.1 解離性遁走」、「F44.2 解離性昏迷」、「F44.3 トランス及び憑依障害」、「F44.4 解離性運動障害」、「F44.5 解離性けいれん」、「F44.6 解離性無感覚及び感覚脱失」、「F44.7 混合性解離性〔転換性〕障害」、「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」などに分かれる。

解離性同一性障害に該当するものは「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」の更に下に「F44.81 多重人格障害(Multiple Personality (Disorder)」として定義されている。つまりDSMよりも1段下がった位置づけである。そしてその定義の冒頭には「この症状はまれであり、どの程度医原性であるのか、あるいは文化的特異的であるのかについては議論が分かれる」と書かれている。医原性とは治療者の催眠術や暗示によって作り出されたものではないかということである(後述)。これはICD-10がリリースされた1992年以前にはその事例が北米に集中し、他国ではあまり報告がなく、多くの国の精神科医が懐疑的であったことをあらわしている。定義自体はDSMの旧基準に近く<ref>
ICD-10の作成時のDSMはIII-Rだったので、その時点では同期は取れていた。
</ref>以下の通りである。
{{Quotation|
主な症像は、2つ以上の別個の人格が同一個人にはっきりと存在し、そのうち1つだけがある時点で明らかであるというものである。おのおのは独立した記憶、行動、好みをもった完全な人格である。それらは病前の単一な人格と著しく対象的なこともある。
}}

==統計報告の日米比較==
===北米での報告===
一時期の北米での報告には患者のほとんどが幼児期に何らかの虐待、特に性的虐待を受けているとするものが多い。こうした統計で有名なものはパトナム( Putnam,F.W.)やロス(Ross,C.A.)らの報告がある<ref>
服部雄一 『多重人格者の真実』 1998年 p.191、及び細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.21</ref>。
{{Quotation|
*パトナム(Putnam,F.W.)による1986年のアメリカの統計報告:<br>調査人数100人、女性92%、児童虐待体験97%(性的虐待83%、近親姦68%、身体的虐待75%)、死の目撃45%
*クーンズ(Coons,P.M.)による1988年のアメリカの統計報告:<br>調査人数50人、児童虐待体験96%(性的虐待68%、身体的虐待60%、ネグレクト22%)
*ロス(Ross,C.A.)の1989年によるカナダの統計報告:<br>調査人数236人、女性88%、児童虐待体験89%(性的虐待79%、身体的虐待75%)
*ロス(Ross,C.A.)の1990年のアメリカとカナダの統計報告:<br>調査人数102人、女性90%、児童虐待体験95%(性的虐待90%、身体的虐待82%)
*ブーン(Boon,S)による1993年のオランダの統計報告:<br>調査人数71人、女性96%、児童虐待体験94%(性的虐待78%、身体的虐待80%)
}}

===北米統計への疑問===
これら北米統計での児童虐待、特に性的虐待の多さには、日本でDIDの治療にあたる精神科医にも疑問をもつ者が多い。何故そうなるのかについては様々な意見がある。例えば北米では日本以上に児童虐待が多いからという見方。そして北米での児童虐待に対する関心の高さである。

一方で、退行催眠により回復された記憶は信頼性に問題があり、睡眠療法を行う者の先入観がこれほどの性的虐待症例を生み出したのではないかという意見もある。この意見は日本からと云うよりも実はアメリカにおいて強かった。日本の精神科医らが北米統計の取り扱いに慎重なのは次ぎのような一連の騒動の影響もある。

====娘達の回復された記憶====
退行催眠により回復された記憶の信頼性が取りざたされる背景には、1980年以降の[[悪魔的儀式虐待]]の「生存者」物語から始まる一連の騒動がある。発端のひとつは1980年の『ミシェルは覚えている<ref>
この記憶は流産のあと心理療法を受けていたとき、催眠によるトランス状態の中で想起されたものである。Michelle Smith & Lawrence Pazder 「Michelle Remembers」 Congdon and Lattes,1980。d同書は邦訳はされていないが、ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.101に同書についての記述がある。
</ref>』という本である。ミシェルは催眠により、自分が悪魔崇拝者集団による黒魔術儀式で性的虐待([http://en.wikipedia.org/wiki/Satanic_ritual_abuse Satanic-Ritual Abuse])を受けていたことを思い出した。

そこから始まったのが「[[保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖]]」現象であり、一連の託児所虐待告発事件である。
同種の告発は相当数に登ったが客観的な証拠は何もなかった。この悪魔的儀式虐待の妄想による告訴で有名なものに[[マクマーティン保育園裁判]](1984から1990年)がある。

1988年の『癒す勇気(The Courage to Heal)<ref>
邦題『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』、「近親相姦を思い出す運動のバイブル」ともされ、著者のエレン・バスと(Bass, E.)ローラ・デイビス(Davis,L.)は詩人と短編小説家であり臨床心理学を修めた臨床心理士(clinical psychologist)ではない。しかし両者とも「記憶回復のワークショップ」を運営している。
</ref>』は近親姦を思い出す運動のバイブルともされるが、その出版以降、女性が思い出した記憶をもとに親を訴える事態が多発する<ref>
偽記憶症候群財団の調査では親を告訴した者の90%は女性でそのほとんどが『生きる勇気と癒す力』を読んでいる。ちなみに一人っ子はわずか2%で平均は3.6人である。75%のケースでは他の兄弟姉妹は告発内容を信じなかったという。(ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.222)</ref>。
一部のセラピストは広告に「近親姦と幼児虐待、それを思い出すことこそ癒しへの第一歩」と掲げ、更にその訴訟を成功報酬で請け負う弁護士も多くいたという
<ref>日本の[[臨床心理士]]は大学院で臨床心理学を学んでいることが前提のひとつだが、アメリカのサイコセラピストは病院勤務の場合を除いてそれほど厳格ではなく、州によっては届出だけで良いところすらある(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.207他)。『生きる勇気と癒す力』も、先の広告もそれ自体が暗示である。そうしたあやしげなセラピスト、カウンセラー達の多くは退行催眠を行った。</ref>。
こちらも悪魔的儀式虐待の妄想がらみで事実無根のものも多く含まれていた。有名なものは1988年のポール・イングラム冤罪事件<ref>
ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』(1994年)。キリスト教[[ペンテコステ派]]のある一派の牧師がほとんど集団睡眠状態の中で「この中に性的虐待を受けた人間がいる」と透視したことから、信者たちは「それは私のことだ」と次々に告白し始めた。ポール・イングラムはそうした二人の娘から告発される。娘たちはこの村に悪魔崇拝のカルトの拠点が存在するとまで主張した。ポール・イングラムは娘達からの告発を聞いて、そうだったような気がしだして自白してしまうという冤罪事件である。親子ともに暗示にかかりやすく解離傾向にあったのだろうとされる。
</ref>である。それらの告発に共通するのはストーリーの類似性と証拠のなさである。

悪魔的儀式ではなくストーリーの類似性もないので同列にはあつかえないが、実際に性的虐待の後に子供を殺した事例として1990年の「20年前の殺人事件の目撃者」アイリーンの事件<ref>
レノア・テア(Terr,L.)『記憶を消す子供たち』(1994年)
</ref>も有名である。

====親達の反撃・虚偽記憶====
そうした風潮の中で懐疑的な意見も出てくる。まず悪魔的儀式虐待の存在については、1992年にFBIがそんな事実はないと[http://www.skeptictank.org/fbi1992.htm 結論]を下した。同年にギャナウエイ(Ganaway,G.K.)が論文「記憶の成立について」において、悪魔的儀式虐待の犠牲者とされるものが想起したものの多くは「[[虚偽記憶]](False Memory)」であって、一般的には「患者とセラピストの間の相互欺瞞だとするのが妥当」、悪魔的儀式虐待における「共通分母はセラピスト自身に他ならない」とした。
「虚偽記憶」の概念はこのあたりから始まる。

身に覚えの無い親たちはこの暗示や退行催眠による児童の性的虐待に関しての記憶を虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と呼び、同じ年に偽記憶症候群財団 (FMSF:False Memory Syndrome Foundation)も結成される。そして性的虐待の記憶は催眠により引き起こされた医療事故だとした逆訴訟が親の側から始まった。そしてこうした騒動にうんざりし、かつDIDの存在に懐疑的であった心理学者や精神科医からは、DIDも催眠によってつくりだされたものとの主張が強まる。

====虐待比率の複雑さ====
北米における児童への性的虐待はかなりの数にのぼるだろうが、その比率についての確実な統計はない<ref>
岡村毅、杉下和行、柴山雅俊「解離性障害の疫学と虐待の記憶」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.345</ref>。
北米でも日本でも、性的虐待とカウントされるもののほとんどは自己申告である。DIDの患者が初期に「虐待」を訴えたとしても、本当にそうかもしれないし、そうでないかもしれない<ref>
1992年8月の米国心理学協会(American Psychological Association)の大会でテネシー大学のマイケル・ナッシュは宇宙人によって誘拐されたという記憶をもつ患者の臨床例を報告し「臨床面での有効性という点では、事件が本当に起こったのか否かとことは大して重要ではない。・・・結局のところ、臨床家としての我々には、過去をめぐって堅く信じこまれた幻想と、過去のれっきとした記憶を区別する術はないのだ。」と述べている。(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 pp.109-110)
<br>
DIDの事例ではないが、先のポール・イングラム冤罪事件の家庭では、厳格な父親と、その父親が末っ子には優しい父親になったという、まるで岡野のいう「関係性のストレス」に近い様相が見いだせる。(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.31)</ref>。
もちろん性的虐待、特に近親姦など無いということではなく、先にあげた統計の虐待の比率の中には事実と相違するものも含まれているだろうという範囲である。

「解離の素因」で触れた空想傾向の強い人は「空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向」がある<ref>
ウイルソン(Wilson,S.C.)とバーバー(Barber,T.X.)は1983年の論文で、空想傾向の強い対象者の65%は「全ての感覚モダリティにおいて幻覚的な強度をもつ空想を経験することができ、また85%は(対象群が24%であったのに対して)彼らは空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向がある」としている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.153)</ref>。
DIDの患者は暗示や催眠に掛かりやすいだけでなく相手の気持ちに敏感であり、相手の意にそうように振る舞おうという傾向がほとんど条件反射的に染みついており、自己暗示にかかりやすいことなどもある。実際に『イブの三つの顔』のようなDIDの映画を見て人格が増えてしまったりもする<ref>
コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.84。ただしこのロス(Ross,C.A.)の患者が医原性だというのではなく、ロス(Ross,C.A.)は冷静に元々の交代人格と、患者がセラピーを続けたいが為に生み出した人格とを分けている。</ref>。
従って、DIDの素因、要因を持った人がトランス状態の中でDIDになってしまったり、あるいはDIDの人が更に人格を増やして重傷化してしまうということも十分にありうる。
一方で、実際の虐待と解離に相関関係があることを示した国内の研究もある<ref>
西澤哲は擁護施設の子供110名を対象にTSCCを実施した。TSCC(Trauma Symptom Checklist for Children)は子供のトラウマ症状のアセスメントの為にBriereが1996年に開発したもので、トラウマ反応を「不安」「抑鬱」「怒り」「ポストトラウマ・ストレス」「解離」という5つの尺度で評価する。
ここでは自己申告ではなく、児童相談所と擁護施設がともに「虐待」を認識している子供達をグルーピングしている。ネグレクトと思われるものはここでは含んでいない。
その子供達は、「不安」「抑鬱」「怒り」「ポストトラウマ・ストレス」「解離」の全てについて他の子供達よりも有意に高い得点を示したが、特に顕在的解離において他の反応よりも優位に高かったとしている(西澤哲「PTSDの診断をめぐる問題」『臨床心理学(特集)心的外傷』 2003年 pp.781-789 )。
TSCCはスクリーニングテストであり、検出された者の全てがPTSDであったり解離性障害であったりする訳ではないが、一般に虐待、特に性的虐待を受けたと告げるDID患者に重傷者が多いという云われていることに付合する。</ref>。

===コリン・ロスの四つの経路 ===
北米でのDIDの事例を元に、コリン・ロス(Ross,C.A.)は1989年に四経路論を発表した。

'''児童虐待経路'''

これがクラフト(Kluft,R.)の四因子論をすべて満たす典型的な解離性同一障害ということになる。10歳までにはっきりとした解離が現れ、様々な症状を呈するとされる。DES(後述)の平均値は40%前後が普通。
'''ネグレクト経路'''

幼児期に母親が[[うつ病]]や[[アルコール依存症]]であったり、または親自身がDIDであったりなどして、しっかりとした[[愛着理論|愛着関係]]がもてなかったために生じる<ref>
ライオンズ-ルース(Lyons-Ruth.K)やリオッタ(Liotti.G.)が指摘した愛着理論でのDタイプを示すような養育状況もこれにあたる。</ref>。
愛着対象がなかった埋め合わせに、想像上の世界に引きこもったり、他の人格をうみ出してしまう。DESの平均値は30%前後。

'''虚偽性経路'''

身体的・心理的症状の意図的捏造のことである。意図的であり本人も自覚していて、治療の前には何ら解離症状を呈していない。しかし通常の詐病のように経済的利益とか、法的責任の回避といった利益が無い。複雑で多種の治療歴、薬物依存からの離脱症状のふり、レイプの虚偽陳述、頻繁な検査歴、ドクターショッピング、処方薬物の乱用などを抱えていることがある。過剰に演技しているのでDESの平均値は70%と高い。日本ではあまり聞かない。

'''医原性経路'''

催眠術や破壊的[[カルト]]等によって作り出されたもの。性格は依存型がポイントかもしれないが定説には至らない。退行催眠と虚偽記憶については前章で見たとおりである。解離体験尺度(DES)の平均値は70%と高くなる。

ロス(Ross,C.A.)の経験によるとダラスの解離性障害病棟で治療した1000人以上の患者の内、感覚的に半分が児童虐待経路、残りはネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路が1/3づつ(全体の1/6づつ)と云う。
この四つの経路説の第一の特徴は、身体的・性的虐待を内容とした児童虐待経路以外にネグレクト経路を取り上げたことである。そして第二には虚偽性のものや医原性のものも確かにあると認めたことである。

===日本での報告===
一方の国内には以下の報告がある。
{{Quotation|
*安 克昌、 1997年の報告:<br>調査人数15人。女性87%、情緒的虐待87%、性的虐待73%、身体的虐待60%<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54</ref>
*町沢静夫、 2003年の報告:<br>調査人数70人。女性89%、父母との別離及び夫婦喧嘩16%、親の情緒的虐待4%、身体的虐待37%、性的虐待26%、他人からの性的トラウマ30%、いじめ29%、交通事故及び死の目撃3% <ref>
町沢静夫編著 『告白 多重人格―わかって下さい』(2003年)、全て%とし小数点以下は四捨五入した。</ref>。
*柴山雅俊、 2007年の報告:<br>調査人数42人。両親の不仲60%、性的外傷30%、近親姦9%、両親からの虐待30%、学校でのいじめ60%、交通事故20%。 <ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.117、尚調査対象はDIDを含む解離性障害者であり、数字は何割との表記を%に改めた。</ref>。
*岡野憲一郎、2009年の報告:<br>調査人数28人。女性96%、情緒的虐待29%、性的虐待22%、身体的虐待18% <ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54</ref>
*白川美也子、2009年の報告:<br>調査人数DIDとMPDの28人。身体的虐待61%、心理的虐待74%、ネグレクト43%、家庭内性的虐待22%、家庭外性的虐待30%(一部家庭内と重複)、DV目撃65%。<br>解離性障害全体では、調査人数112人。身体的虐待58%、心理的虐待84%、ネグレクト49%、家庭内性的虐待32%、家庭外性的虐待43%(一部家庭内と重複)、DV目撃64%である<ref>
白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.307
</ref>。
}}

白川の報告は[http://www.ncnp.go.jp/hospital/index.html 国立精神・神経センター病院]での2000年から2006年3月までの集計であり、同病院は警察や児童相談所、行政の困難例からのからの紹介が多い。従って白川自身がいうように虐待症例の集まりやすい医療機関であるが、それでも前述の北米の報告より虐待比率が少ない。 岡野は一般的見解として、情緒的虐待は軽いものまでふくめれば大多数。身体的虐待は推定では半数ぐらい。性的虐待については説によって大きく異なり不明としている<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54</ref>。

尚、DIDではなく[[解離性障害]]での日米の差ということでは、日本では解離性健忘障害の中の全生活史健忘(いわゆる記憶喪失)が多くDIDが少ないのに対し、北米ではそれが逆であるという意見もある<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年p.68
</ref>。

===日本の治療者と症例の傾向===
日本での症例報告に、虐待、特に性的虐待が少ないことは治療者の方針の違いもあるかもしれない。
先の北米統計の報告者の一人で、DIDの代表的研究者パトナム( Putnam,F.W.)は、「心的外傷(trauma)体験をワークスルーしなければ解離は永遠に解消することがない」との立場をとる。
しかし患者にその精神的準備が整わない内にそれに触れることで、フラッシュバックに襲われて大混乱におちいり、人格の交代が激しくなって治療が維持出来なくなることすらある(「治療」で後述)。
そうしたことから日本には「心的外傷(trauma)体験はできればそっとしておきたい」と思う治療者が多い<ref>
柴山雅俊「ヒステリーの時間・空間的障害についての一考察」1992年(『解離の構造』 2010年収録 p.9 )
<br>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.164
<br>
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.190-192
<br>
上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.198
<br>
一丸藤太郎「解離性同一性障害への最近の取り組み」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.206
<br>
尚、北米においてはそのような考え方はしないのかというとそうでもなく、パトナムやロスも2000年前後を境に徐々に変わりつつあるという見方もある。またリオッタ(Liotti.G.)などの愛着理論からのアプローチには日本の治療者も注目している。(「除反応か自然治癒力強化か」で再度触れる)
</ref>。
犯人捜しが治療の目的ではない。それよりも患者(クライアント)のパートナーなどへの信頼感、安心感を育てることによって心の平安を得て、普通の生活がおくれるようになればなによりだ、という趣旨である。そこから治療者は虐待、特に性的虐待についてあえて聞きだそうとはしないかもしれない。

では日米の違いは治療者の姿勢だけなのかというとそうでもない。岡野憲一郎は10数年間アメリカで治療してきた患者と日本に戻ってから2007年までに見た患者18人の差をまとめ、日本特有の現象としての「関係性のストレス」という概念を提示した<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.119</ref>。
アメリカの患者の母親は、直接の加害者であるか、あるいは虐待を黙認していたケースがほとんどであり、虐待をしていた父親はとうの昔に離婚して行方知れずというケースが多い。
それに対して日本では、母親が初診時に付き添ってくるなど両親が積極的に治療に関わるとする。
虐待のケースはもちろんあるがそれだけとは思えない。では何かというと日本では両親の精神的支配が原因のひとつになっているのではないかというのである。
例えば娘が母親に自分の気持ちや考えを自由に表現出来ず、それを自分の心の底に閉じこめ続けた結果、解離が促進されるというものである<ref>
心理療法研究会『わかりやすい「解離性障害」入門』(2010年)の中にも5例の紹介がある。前述の『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.266「座談会」のケースもこの例である。ただしそういう目で北米の症例を眺めてみると、北米においてもそうした関係がみられるケースが思いの外多い気がする。</ref>。

前述の柴山報告や白川報告では両親の不仲やDV目撃が大きいし、表に現れないものも相当数に登るだろうが、それでも日本ではアメリカのDID患者ほどの家庭崩壊は少ないという意見も多い<ref>
和田秀樹『多重人格』1998年p.105 など。
</ref>。
一方で日本でもDIDの症状の重いものは性的外傷体験を語ることが多く、重傷度との相関関係はあると思われている<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.191 鼎談での柴山雅俊の発言その他。<br>
一丸藤太郎は「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 2003年 p.808で古典的DIDと現代的DIDを分け、その決定的違いは深刻な虐待を体験しているかどうかであるとしている。 現代的DIDは交代人格の数が多く、またシュナイダー(Schneider,K.)の一級症状に該当したり、境界性パーソナリティ障害を併発するなど付随する症状が多彩であるとする。
</ref>。
以上により、北米での児童虐待・性的虐待の高さ、日本での児童虐待・性的虐待事例の平均的な低さは、いずれも背景を理解し研究の変遷も考慮しながら読む必要がある。

==その他の争点==
===北米特有の現象か・架空の病気か===
前述のICD-10冒頭の「議論が分かれる」との記載からも判る通り、その事例が北米に集中しており他の国の精神科医は懐疑的な意見が多かったように見受けられる。ただし21世紀に入ってからはそのような主張は下火になっており既に終わった争点である。

*'''北米特有の現象か'''<br>日本で多重人格が話題になったのは1990年代であるが、しかしその70年以上前の1919年に中村古峡の2例の報告が『変態心性の研究』(大同館書店1919年)にある。前史でも見たように、忘れ去られていたとはいえ19世紀にフランスやイギリスの精神科医が取り上げており、19世紀末にはヒステリー症状の研究の中で多重人格を含む解離が扱われたていた。比較的最近では2000年のトルコとオランダの精神科入院患者に対する調査で8~29%が解離性障害、2~6%がDIDと診断されている。また1999年のオランダの報告では、精神科医の40%が少なくとも1度はDIDの診断を下したことがあるとする。これらのケースでは北米のように催眠は使われてはいない<ref>西村良二編 『解離性障害』 2006年p.101</ref>。

*'''架空の病気か'''<br>1972年のケンタッキー大学医学部精神科の6人の医師が報告した黒人男性の症例<ref>
「ある多重人格の客観的研究」1972年。尚この6人の医師の一人はシビルの治療をしたコーネリア・ウィルバー(Wilburn,C.B.)である。フランク・W・パトナム( Putnam,F.W.)他『多重人格障害-その精神生理学的研究』収録 pp.97-133。
</ref>などは人格の交代をまのあたりにして始めて多重人格と認識され、かつ元妻やその他の証言から入院する以前からそれが現れていることが確認されている。そのことだけでも「架空の病気」とすることは出来ない。尚、医原性、詐病も相当含まれるのではないかという議論は米国内にも根強い。米国でのDIDの代表的研究者コリン・ロス(Ross,C.A.)自身が、患者数の約1/3ぐらいは医原性あるいは詐病の可能性があることを認めている(後述「コリン・ロスの四つの経路」)。しかしそれとそもそも架空の病気ではないかという話とは別物である。

===宮﨑勤事件===
日本で多重人格という言葉が有名になったのは[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]のマスコミ報道によってである。そこから宮﨑勤は多重人格障害であるかの印象を与えた。しかし同事件の精神鑑定書は事実上3つあり、1つが「極端な性格の偏り(人格障害)」(鑑定者6名)、2つ目が「離人症およびヒステリー性解離症状(多重人格)を主体とする反応性精神病」鑑定者2名)、3つめが「精神分裂病(破瓜型)」鑑定者1名)である。このうちの多重人格だけが強い印象を与えて記憶に刻み込まれているが、判決では「性格の極端な偏り(人格障害)以外に精神病的な状態にあったとは思われない」と明確に否定していることはあまり知られていない。

もちろん裁判官は精神医学の専門家ではない。しかしヒステリー性解離症状との鑑定を行った学者は交代人格に出会ってはいない。次ぎに第1次精神鑑定の段階で[[拘禁反応]]<ref>
拘禁性神経症、ただしDSMの分類には無い。
</ref>が観察されているので、更にその2年後の第2次精神鑑定がどこまで正確に出来るものかを考慮する必要がある<ref>
酒井和夫『分析・多重人格のすべて』1995年 p.128 </ref>。

DIDを含む精神障害患者はその理解しがたさやマスコミでの話題性などから、「犯罪を犯しそう」と思われがちだが、それは先入観であり偏見であって、多くの精神障害患者やその経験者に精神的苦痛を与えている。これまで誰も気づかず、治療の機会も得られなかった疾患者が少年院などで見つかることもあるが、交通関係を除く刑法犯検挙人員中の精神障害患者の占める割合は、全人口に占める精神障害患者の比率よりも少ないというような情報はマスコミにはほとんど登場しない。

==DIDの兆候==
===正常な範囲===
====性格の多面性====
酔うと人が変わる。散々暴言を吐いておきながら翌日にはそのことを覚えていない。相手によって態度や発言が変わる。おとなしい人が突然激高する。これらは普通の人間にも良くあることであって異常ではない。時として自分の内なる声を感じるとか別の自分を感じることがある。しかしこれも通常は人間の多面性の表れ、日常的な迷いや葛藤であって疾患ではない<ref>
本明寛が『あなたに潜む多重人格の心理』(1997年)で述べた内容はほぼ正常な範囲である。それは多面性であって障害ではない。</ref> 。

====イマジナリーフレンド====
イマジナリーフレンドは座敷童と考えれば理解しやすい。これは正常である。幼児期には20%から30%もその体験を持つ者がいて、一人っ子か女性の第一子に多い。2歳から4歳の間に生まれ、8歳から12歳ぐらいの間に消えてしまう。ただDIDはイマジナリーフレンドを持っている比率が高く一般の倍の60%。また通常の一人か二人よりも多く平均6人程度で、思春期や青年期まで持続するという報告もある<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.128。イマジナリーフレンドの周辺にはヌイグルミや人形などを擬人化して対話するケースもある。尚パーセンテージは報告により異なる。多い方では白川が正常児に20~60%、解離性障害の子供には42~84%とする(白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.301)。</ref>。
これはDIDは空想力が高いこと(クラフト第三因子)、あるいは寂しさの現れでもあるかもしれないがそれ自体は解離ではない。『わかりやすい「解離性障害」入門』に4つの事例が報告されている。

====軽度または一時的な解離====
大学等の退屈な講義の最中に空想の世界へ入り込み、チャイムで我にかえる。小説やゲームに没入して友達が話しかけてもまったく気がつかない。飲み過ぎた翌朝、昨日のことが全く思い出せない。これらは広い意味での解離ではあるが、だれにでもあり解離性障害ではない。[[金縛り]]や金縛り中の[[体外離脱]]体験なども通常は解離ではない。また[[憑依]]現象(日本では狐憑きとか)や宗教性の一時的[[トランス状態]]は、その人が住んでいる文化圏で普通に受け入れられているものならDIDではなくそもそも障害とはみなさない。

DIDとみなされるのはうつ症状や頭痛、原因の解らない不安、その他の著しい精神的な苦痛もたらす症状が継続的である人の中で、交代人格をもっている人である。そのことのために対人関係の困難が生じている場合である。かつては正常な範囲の解離から病的な解離まで連続的であると理解されていたが、現在では連続的ではなくその二つの類型が存在するという理解が主流である。また、DIDでも記憶が共有されている、別人格がふだんは表には現れないなどで、社会生活に支障が無いのであれば障害ではない。

===本人にとっての兆候===
ここでは本人が、または本人の話からDIDの可能性を考える手がかりとして、普通の人間にも解りやすい代表的な兆候だけをあげる。このどれかに該当したらDIDだという訳では決してない。しかし以下のような体験がしばしばあり、それによって日常生活に支障をきたし、あるいは不安を感じているなら一度専門家に相談した方がよいとされる。DIDでなくともほかの障害の場合もあり、早めに治療に取りかかれれば悪化を防げる。ただの杞憂であればその杞憂から解放される。 

*'''苦しむ自分を見ている自分'''<br>夢と現実の区別が付きにくい。生きている実感が薄れて無感覚になる。もう一人の自分が離れた場所からそれを眺めているように感じる。言い換えれば、自分の心が体から離れてしまう。

*'''幻聴が聞こえる'''<br>頭の中で自分に何かを命令したり、非難したりする声が聞こえる。本人が解離した他の人格に気づいていない場合でも、他の人格が本人に語りかけていたり、あるいは他の交代人格同士が心の中で会話しているような場合、その声が判別不能な雑音のような形で聞こえる場合がある。

*'''記憶が途切れる'''<br>過去の何年間かについて全く記憶がなかったり、昨日の、または数時間前の記憶が全く無い。もちろん正常な人間でも忘れることはあるがそういうレベルではない。また、気がつくと別の場所に居てどうやってそこに行ったのか記憶にない。自分では着た覚えのない服を着ている。全く買った覚えのない服や品物がいつの間にかある、気がついたら[[リストカット]]をしているなどのエピソードである。他の交代人格が体を支配している間、本人にとっては記憶が途切れている。

*'''知らない人が'''<br>全く知らない人が友人や恋人のようになれなれしく近づいてきて、「あなただれ?」というとビックリした顔をする。メールや電話がくるがその人は全く記憶にない。知らない人へのメール送信の記録がある。


===周りから見ての兆候===
==歴史==
*'''突然「貴方だれ!」と'''<br>親に対してはあまり無いが、友人、恋人、夫または妻、あるいは会社の同僚に対して突然「貴方だれ!」と言い出し、例えば会社の中などでパニック状態になる。その会社に勤務していることを知らない交代人格が職場で突然表に現れれば、当然同僚の顔は知らず、パニック状態になるのは理解できる。
*[[1886年]] - 小説''Dr. Jekyll and Mr. Hyde''が出版される。邦訳''ジキル博士とハイド氏''
*[[1932年]] - 映画[[ジキル博士とハイド氏]]公開。いわゆる'''二重人格'''が話題となる
*[[1980年]] - '''DSM-III'''において多重人格(''Multiple Personality Disorder'')が取り上げられる
*[[1981年]] - [[アメリカ合衆国]]において''Minds of Billy Milligan''が出版される
*[[1992年]] - '''ICD-10'''においても多重人格が取り上げられる。''Minds of Billy Milligan''の邦訳'''24人のビリー・ミリガン'''が出版され、日本でも再度多重人格が話題になる
*[[1994年]] - [[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]の被疑者が多重人格障害(当時)であるとする精神鑑定書が出される。'''DSM-IV'''において、解離性同一性障害に名称が変更される
*[[2000年]] - '''DSM-IV-TR'''において、解離性同一性障害が再録される。


*'''年齢・性格にそぐわない態度'''<br>例えば成人の女性であるのに恋人や夫に突然子供のような振る舞いで甘えてくる。通常の甘えとは明らかに異なり、4歳とか6歳児のようなしゃべり方をすることもある。あるいは逆に極めて乱暴な口調、場合によっては男言葉で罵倒しはじめる。しぐさや服装、好みがガラリと変わる。
==解離==
{{main|解離性障害}}
[[解離 (心理学)|解離]]とは、[[記憶]]や[[意識]]、[[知覚]]など、本来ならば一人の[[人間]]が連続して、かつ、統合して持っているべき精神機能がうまく統一されていない状態を指す。[[白昼夢]]に耽ってふと我を忘れるのは軽い解離の一例である。


*'''自分じゃないと'''<br>明らかに自分がやったのに自分じゃないと言い張る。絶対に言い逃れできない状況であって、「嘘つき」ならもっとましな言い逃れをするはずだと思う場合があるかどうか。決め手にはならないが、初診時に申し添えておいたら診察者にとって重要な手がかりになるかもしれない。
一方、人間は想像を絶する苦痛に見舞われた場合に[[防衛機制]]として解離を起こすことがある。[[痛覚]]などの[[知覚]]や、記憶、[[意識]]などを[[自我]]から切り離すことによって苦痛から逃れるのである。現実逃避と混同されがちだが、現実逃避が単なる遁走であるのに対し、解離は実際に痛みを全く感じなくなったり、苦痛の記憶が丸ごと消失したりする点で大きく異なる。


*'''リストカット'''<br>解離が起こっている人間はリストカット等自傷行為を繰り返すことがある。多くは人の気をひくためではない。本当に自殺しようとする場合もあるが、現実感の喪失から痛みで生きていることを実感しようとする場合も多い。普通の人には理解しがたいが、消えようとする自分を取り戻すための防衛的行為であることもある。現実感の喪失は解離の副作用である。<ref>
==同一性==
川谷大治「解離と自傷」『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.169 </ref>
人間は成長するに従って、その身体に対応した1つの確固とした人格とそれに対応した記憶がそれぞれ形成されてゆき、時間や場所が変わってもこれらが変化することはない。自分の体は自分だけのものであり、自分の記憶は全て自分だけのものであり、いつどこにいようともそれが変化することはない。これを[[自我同一性]]と呼び、この疾患を持たない者にはごく当然のことである。


*'''性格'''<br>兆候ではないが(1)幼い頃からおとなしく自己主張出来ない。(2)受け身で依存的である。(3)自分を抑えていて聞き分けがいいよい子であると親の目には映る。前述のエピソードに加えてその人がこのような性格であればDIDか、または他の解離性障害の可能性は高まる。<ref>
==解離性同一性障害==
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.143.「症例エミ」のケースが解りやすい。</ref>
解離性同一性障害は、この解離が高度に、かつ繰り返し起こることによって自我の同一性が損なわれる(同一性が複数存在するとも解釈できる)精神疾患である。


==DIDの治療==
人間は(特に幼児期に)、繰り返し強い[[心的外傷]]([[トラウマ]])を受けた場合、[[自我]]を守るために、その心的外傷が自分とは違う「別の誰か」に起こったことだとして記憶や意識、知覚などを高度に解離してしまうことがある。心的外傷を受けるたびに「別の誰か」になり代わり、それが終わると「元の自分」に戻って日常生活を続けるのである。
===スクリーニングテスト===
*'''DES(解離体験尺度)'''<br>DES(Dissociative Experience Scale)はパトナム( Putnam,F.W.)らが1986年に開発したスクリーニングテストである。正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象までについて尋ねた 28項目の質問に0%から100%までの11段階で答え、全28 項目の平均体験率をDES得点とする<ref>本来「%」だがここでは「点」と呼ぶ。ロス(Ross,C.A.)が1991年にカナダで行った一般人1,055人の調査では30点未満が95%となった。カールソン(Carlson,E.B.)とパトナム( Putnam,F.W.)らの1993年の報告では、DES得点が30点より少ない人の99%はDIDではなく、平均値が30点以上の人の17%はDIDと診断された。何点以上はDIDというものではない。また精神疾患者にこのテストを行うと中央値は統合失調症では20.6点、PTSDでは31.3点、DIDでは57.1点だったという。他の複数の報告でも得点は変わっても傾向は同じである。(岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.290)</ref>。DESで30点以上の場合解離性障害をまず疑ってみるという使い方をする。


*'''DES-TとDES-Taxon'''<br>DES-Tは1996年にニルス・ウォーラー(Waller,N.G.)とDESの開発者パトナム( Putnam,F.W.)が前述のDESの28項目から、病的な解離性障害に関わる 3,5,7,8,12,13,22,27 の8項目に絞ったもので、やはり0%から100%までの11段階で答えてもらい平均を出す。<ref>「T」はTaxonの頭文字である。Taxonとは類計学的モデルのことでこれは単なる簡易版ではない。DESは正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象まで連続しているという立場である。それに対しDES-TとDES-Taxonは、正常な解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在する、従って正常範囲の解離度と精神病的な解離度の平均をとってもあまり意味はないという立場である。(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.35)</ref>。[http://www.isst-d.org/education/des-taxon-portal.htm DES-Taxon]はそのバージョンアップ版とも云える。<ref>こちらは頭文字ではなくフルスペルを名前にした。ウォーラー(Waller,N.G.)とロス(Ross,C.A.)らの1997年の論文で発表された。</ref>DES-TaxonはDESの得点パターンから、統計的にボトムアップして求められたものである<ref>それぞれの項目に閾値を設定しておき、どの項目で閾値を超えたか、それは何項目かにより解離性障害の推定確率を統計ソフトのSASやExcelでもとめる。田辺肇「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」(『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.285)では、例えばDESの5番目の「買った覚えがない新しい持ち物がある」という質問の閾値60%を超える回答があって、他の項目では閾値を超えていなかったなら解離性障害の推定確率は約11%。DESの5番目の他もう1項目で閾値を超えていれば推定確率85%以上。どれであれ3項目以上で閾値を超えていれば推定確率99%以上というような求めかたをする。</ref>。
解離が進み、「別の誰か」になっている間の記憶や意識の喪失が顕著になり、あたかも「別の誰か」が一つの独立した[[人格]]を持っているかのようになって自己の[[同一性]]が高度に損なわれた状態が解離性同一性障害である。事実、解離性同一性障害の患者は「別の誰か(以降、''交代人格''と呼ぶ)」になっている間のことを一切覚えていない事が多く、交代人格は交代人格で「普段の自分(''主人格''と呼ばれる)」とは独立した記憶を持っている事がほとんどである。


*'''DDIS'''<br>DDIS(Dissociative Disorders Interview Schedule:解離性障害インタビュースケジュール)は、ロス(Ross,C.A.)が作成した132項目のインタビューフォームで、頭痛などの身体的訴えの有無、薬物依存、精神科の治療歴、うつ症状、シュナイダーの1級症状、夢遊歩行やトランス体験、児童虐待体験、DID特有の症状、超自然体験等、境界性パーソナリティ障害に関するもの、最後に解離性障害系の個々の障害に関する質問などである。これに「ある」「ない」「わからない」と答えてもらう綿密な構造化テストである<ref>和田秀樹『多重人格』1998年p.182。ロス(Ross,C.A.)が前述の1991年カナダでのテストの際、一般人1,055人のうち454人にこのインタビューフォームを用いると11%に解離性障害の疑いが見られたという。1997年のロス(Ross,C.A.)のテストでは、一般人の中で何らかの解離性障害を有するものが12%。DIDは3%ということになってしまった。精神科の患者ではないので比率として高すぎる気もするが、しかしスクリーニングテストとしての信頼性は高い。</ref>。
このような理由から、解離性同一性障害の患者のほとんどが幼児期に何らかの[[虐待]]、特に[[児童虐待]]を受けている。


*'''SCID-D'''<br>SCID-D (Structured Clinical Intervier for DSM-IV Dissociative Disorders)はスティンバーグ(Steinberg,M.)が1994年に発表したDSM-IVの定義に基づく解離性障害のための構造化面接である。解離性障害をひとつの連続体、スペクトラムと考え、解離現象を「健忘」「離人症」「現実感喪失」「同一性変容」「同一性混乱」という5つの中核的症状にわけて質問し評価する。北米での論文にはよく用いられる<ref>この評価を解離性健忘障害に当てはめると、「健忘」が重傷、他は軽傷で「同一性混乱」はほとんど無し。解離性遁走障害は「健忘」が重傷、「離人症」「現実感喪失」は軽傷で「同一性変容」「同一性混乱」は重傷より若干下がる程度。DIDは全体に重傷だが「健忘」「離人症」「現実感喪失」が若干低め。特定不能の解離性障害はDIDよりも若干下がるが中等症よりは上というようなプロフィールになる。(西村良二編 『解離性障害』 2006年 pp.36-37)</ref>。
なお、欧米には[[イマジナリーフレンド]]([[:en:imaginary friend|imaginary friend]]=想像上の友人)という概念があるが、これは幼少の子供に普通に見られる現象で成長するにつれ消失するのが普通である。イマジナリーフレンドが強いストレスにより交代人格化することはあり得るが、単なるイマジナリーフレンドを持つことでこの疾患と診断することはできない。このことは、DSMの定義にも明記されている。


DES、DDISやSCID-Dなどの構造化面接、診断面接の順に要する時間が長くなり信頼性も増す。スクリーニングテストでDIDが疑われても、診断面接で他の疾患に分類されることもある<ref>
「普段の自分」と「別の誰か」は基本的には上記のように別の記憶をもっているが、「別の誰か」が「普段の自分」に対し【記憶を引き継いでもいい】と判断した場合は、「普段の自分」に記憶が引き継がれる。 但し、「記憶の引継ぎ」のタイミングについては個人差があり、数日後若しくは数週間後に突然記憶が引き継がれるケースもあり「普段の自分」が困惑してしまうケースがある。
岡村毅、杉下和行、柴山雅俊「解離性障害の疫学と虐待の記憶」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.341</ref>。
ただし精神科入院患者、外来患者などへの解離性障害有症率調査で主に使用されるツールであり、臨床の現場で常時用いられている訳ではない。


==診断==
===精神療法===
====何を解消するのか====
診断基準にはDSMやICDが使われることが多い。両者に共通するものとして、次のような症状が挙げられる。
概要に述べたように別の人格がいることが障害なのではない。そこから引き起こされる精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さが問題なのであり、それを和らげて最後には解消することが治療の目的とされる。うつ症状や焦燥感、極度の不安などを感じているときには、抗うつ剤や抗不安剤などでそれらを抑えることはあるが、それは周辺症状に対する補助的なもので基本は精神療法、簡単にいうとカウンセリングである。それをどのように行うかは治療者<ref>
精神科医、または臨床心理士。
</ref>、さらにそれぞれの患者<ref>
臨床心理士はクライアントと呼ぶ。
</ref>の状況によって異なる。


====精神療法の基本的前提====
*2つ以上の複数の明確な''人格状態''が存在する
柴山雅俊は「解離に対する精神療法の基本的前提」として以下の10項目を挙げている<ref>
*その複数の人格状態が患者の肉体を入れ替わり支配している
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.198。尚、前著『解離性障害』 2007年 p.191にもほぼ同じ10項目であげている。変わったところは「隠れた攻撃性や葛藤について」が無くなり、「連携をはかる」相手に「恋人」が加わったことか。</ref>。
*人格間の記憶は独立しており、これにより、物忘れでは説明できないほどの強い記憶喪失を伴う
{{Quotation|
*薬物のような物質的作用や生理的作用によるものではない
#安全な環境と安心感の獲得
#有害となる刺激を取り除く
#人格の統合や心的外傷への直面化を焦らない
#幻想の肥大化と没入傾向の指摘
#支持的に接し、生活一般について具体的に助言する
#病気と治療について解りやすく明確に説明する
#自己評価の低下を防ぎ、つねに回復の希望がもてるように支える
#破壊的行動や自傷行為などについては行動制限を設ける
#家族、友人(恋人)、学校精神保健担当者との連携をはかる
#言語化困難な状態であるため、患者に様々な表現を促す
}}


3番目は2つの問題に分割される。「除反応か自然治癒力強化か」「人格の統合がゴールか」という2点である。
しかし、これらを短時間で確認することは困難である上、人格交代間は記憶喪失を起こしているため、他人格の存在に患者本人が気付いていない場合が多く、診断には時間がかかるとされる。事実、この疾患の多くは幼少期に発症するが、10代のうちに診断を受けることはむしろ稀である。


====除反応か自然治癒力強化か====
なお、DSMでは子供の空想や[[薬物]]の影響によるものはこの疾患に含めない。この薬物の作用とは、具体的には[[アルコール飲料]]を飲んだ時の一時的な性格の変容や記憶喪失などを言う。
1989年当時、パトナム( Putnam,F.W.)は治療の焦点を「心的外傷(trauma)からの回復と治療的除反応(Abreaktion)」とおいた。除反応はカタルシス療法とも呼び、フロイト(Freud,S.)の初期の共同研究者であったJ.ブロイアー(Breuer,J.)の患者アンナ,O.自身が発明し「煙突掃除」と呼んだ方法である<ref>
鈴木晶 『フロイト以後』1992年 p.49</ref>
。単純に云えば心の奥底にあるものを思い出して言語化すれば症状は消失するという療法である。催眠を使う場合は記憶を呼び覚まし再体験させる<ref>
上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.195</ref>。


しかしその「心の奥底にあるもの」が深刻な虐待、またはそれに類する外傷体験(traumatic experience)である場合には、不用意にそれに直面するとフラッシュバックを起こして収拾がつかなくなり、逆に症状を悪化させることすらよくある<ref>
患者の解離の程度を測定するために、DES(Dissociative Experiences Scale)、SDQ-5またはSDQ-20(5/20-item Somatoform Dissociation Questionnaire)、DDIS(Dissociative Disorders Interview Schedule)、SCID-DR(Structured Clinical Interview for DSM-IV dissociative disorders, Revised)などのスケールが補助的に利用されることがある。
大矢大「心的外傷と解離」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.166<br>
柴山雅俊「ヒステリーの時間・空間的障害についての一考察」1992年(『解離の構造』 2010年収録 pp.3-18 )の症例では柴山は「もうこれ以上(思い)出すのは止めなさい。もう十分に出したと思う」と強く指示したと書いている。このケースでは「現実と空想、過去と現在がごっちゃ」になっていた。患者は「じゃあどうするんですか、昔のことを思い出さなければ良くならない」と泣いて抵抗したというが、翌週には「頑張って(思い)出さないようにしている」といい、暫くして次第に改善しだしたという。尚、昔のことを思い出せば改善すると思いそう云ったのはその夫である。自ら解離屋を名乗る精神科医岡野憲一郎が『忘れる技術-思い出したくない過去を乗り越える11の方法』という本を書いていることも、この件と重ね合わせると興味深い。岡野は除反応の本家本元であるフロイト正統派・国際精神分析協会の正会員である。
</ref>。DIDは精神障害の中で自殺企画率が高いとも云われるが、特に記憶回復、除反応を始めると増加するという報告すらある<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年 p.153
</ref>。
除反応どころか再外傷体験となってしまうのである。
クラフト(Kluft,R.)は1988年段階でも、十分な信頼関係を築けた後に治療者が除反応的なアプローチが必要と思った場合でも、言葉を選んで環境も整え、相手の意志を尊重して、一気にではなく小出しに、分節化(fractionated abreaktion)してそれに当たるとしている<ref>
岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年pp.238-243。「環境も整え」とは、屈強な看護師を待機させ、外来の場合には最初の1/3をそれに充て、かつ患者に付き添いの人を同伴してもらうなども含む。岡野は「患者が除反応のあと解離状態のままクリニックを出て、道にふらふらと飛び出して事故などに遇いはしないか、などという懸念は現実的なものである」と述べている。
尚、パトナム( Putnam,F.W.)は自分のDID患者との面接時間は90分であり、特に除反応を行うときは50分では短かすぎるとしている。しかし日本の精神科での診療時間で90分もかけられる病院は無い。柴山雅俊は東大病院に居た2007年当時には「もう7、8分、ときにはもっと短い。なさけない話ですが」(岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.181 鼎談での柴山雅俊の発言)と云い、2010年の『解離の構造』の中では10分から20分と書いている。岡野憲一郎の15分から30分(前述の鼎談)は柴山に「うらやまし過ぎますよ」と云われるほどである。心理療法士による保険対象外のカウンセリングでやっと50分ぐらいというところである。もちろん時間が取れれば除反応を行ってもよいということではないが。</ref>。


しかし現在では除反応よりもそれぞれの人格が受け持つ不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感を育てていくことが主眼とされている<ref>
==性差==
一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』p.811</ref>。
解離性同一性障害に限らず、解離症状は主に女性の割合の方が男性より高い。成人女性は成人男性に比べておよそ3 - 9倍の頻度で診断される。また、確認される同一性の数についても女性の方が多いと言う研究結果が出ている。
ロス(Ross,C.A.)は1989年段階から除反応には慎重な姿勢を示し、1997年には除反応行わないと宣言した<ref>
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40</ref>。
国内でも最近は「外傷体験を聞き出しての除反応に治療者が夢中になるのは非治療的」と考えられている<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年 p.115
</ref>。
細澤 仁は「心理療法において、外傷記憶の想起は必ずしも必要ない」ばかりか「患者は外傷記憶を治療の場で語らない方がよい」「臨床家は患者が外傷記憶を語らないように積極的に働きかけるべきである」とまで云っている
<ref>
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.190。外傷記憶を既に語ってしまった患者に対しては、今後語らないようにと云っても実りがないが、その場合は、現在の対人関係における葛藤や怒り、不満などのネガティブな気持ちが外傷記憶を想起させやすくしていると説明し、現在の問題への対処に再度方向を修正するのがよいとしている。
<br>
除反応を説いたパトナム( Putnam,F.W.)自身も1997年の『解離』では、リクラゼーションにより患者の自然治癒力を強める方向を重視しはじめた。『解離』(1998年)の副題は「若年期における病理と治療」であり、児童に関してはとの保留付きであるが、除反応を治療技法として用いることに反対を表明し、治療の根本は自然回復力が発揮されるのを援助することであって「重視すべきことは、自己統御、感情と衝動の調整、行動の統合、意識と自己の表象との統一の強化」であるとしている。細澤 仁は『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40 で「パトナム( Putnam,F.W.)の病理理解が発達論に傾いたことからの論理的必然であると思われる」とコメントしている。
<br>
2006年にリオッタ(Liotti.G.)はDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱しているが(「安心していられる場所の喪失」の脚注14参照)、愛着理論の立場では、統合された自己はその子が成長する過程で獲得されるものであり、その過程が養育状況により頓挫するのが解離、あるいは解離性障害の前提となる脆弱性であるという理解である。
リオッタ(Liotti.G.)は、深い悲しみをもつDID患者に対して、治療者が共感的理解を提供することで、その治療関係の中でDID患者の愛着システムが活性化され、安定型(Bタイプ)の愛着を経験しはじめる。また患者は、脱価値化や自他への攻撃ということの背景には他者によって理解されたい、苦しみを癒してほしいという動機が存在していることを理解するようになる。それらによって患者は統合へ向かうとしている(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.36-40)。
この愛着理論(Attachment theory)の側からの治療論は、大筋において1997年以降のパトナム( Putnam,F.W.)や、現在の日本の治療者のスタンスに共通するところが多い。
</ref>。


====人格の統合がゴールか====
なお、小児期では診断される割合の男女比はほぼ1:1だが、データが限られている上に、小児期はそもそも解離性同一性障害が引き起こされる原因の同一性や自我が未発達なために、解離性同一性障害の診断が難しく、正確な研究結果ではない<ref>[[精神障害の診断と統計の手引き]]第4版修正版(DSM-IV-TR) 日本語版</ref>。
昔は人格の統合がゴールとして強調されたが最近はあまり云われていない。
実はパトナム( Putnam,F.W.)でさえ1989年に統合は「多くの患者にとっては端的に非現実的な目標かもしれない」と述べ、更に「統合を治療の中心に据えるのは間違いである。治療は非適応的な反応と行動を、より適切な形の対処行動に置き換えることを目標とすべきである」と述べている<ref>
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.26
</ref>。解りにくい言い回しだが、平易に言い直せばこの章の冒頭に書いた「精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さ・・・を和らげて最後には解消すること」である。


彼らは記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたのであって、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねない。「統合」の話題は「あんた医者だね。私に消えろ、死ねというんでしょ!」と反発する人格が現れたり、夜中に「怖いよ!私が消えちゃう!」と泣き叫んだりと、今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えることがある。
==治療==
そうした別人格の反発や恐怖は、別人格だけでなく、その人自身の隠れた反発や恐怖と理解する必要がある。
この疾患においては、本格的な研究が始まったばかりであることから、確立された治療法はまだ存在しない。完治することがあるのかどうかさえ議論の対象になることがあるが、完治の報告が存在することを踏まえると、不治の病と断定するのは早計である。


「今はバラバラなジグソーパズルだけど、ジグソーパズルはピースがひとつでも欠けたら完成しないよ」とか、「みんなが仲良くなってそれぞれの気持ちを大事に出来るといいね」「みんなが幸せになれるといいね」というような接し方をしながらやさしく包みこみ、それぞれの人格の「コミュニケーションを促す」<ref>
また、この疾患においては、「完治」の定義が曖昧になることがある。大きくわけて、「完治」とされる状態は次の2つに分けられる。
奥田ちえ「座談会-解離性障害によりよく対応するために」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.275
</ref>、「橋を築く」<ref>
上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.198
</ref>、分かれてしまっている記憶や体験を「つなげていく」<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.153
</ref>、「融合する」<ref>
松木繁「人格障害への臨床催眠法」『臨床心理学』・Vol.8, No.5 (金剛出版, 2008年)., pp.661-667
</ref>、「むすぶ」<ref>
柴山雅俊は2010年の『解離の構造』の最後の章「解離の治療論」をこう結んでいる。”解離性障害の治療において重要なことはたんにひとつの人格にすることではない。必要なことはそれぞれの魂が「包まれる」とともに「つながり」を回復してゆく課程であり、それによって〈むすび〉すなわち生成する生命の力を奮いたたせることにある”。「むすぶ」ということばは「つつむ」(=掬ぶ)ことと「つなぐ」(=結ぶ)ことの両義を持ち、神道では「産霊」を〈むすび〉と読む。「むす」は「産す」「生す」であり「ひ」は霊力のことである。従って柴山のいう「むすぶ」とは単に人格を結合することではなく、鎮魂の意味も込めている。何を鎮魂するのかというと「ネガティブな心的内容」を受け持った、心的外傷をひとりで抱え込んだ「切り離されたわたし」「身代わり部分」としての別人格である。誰がというとそれは治療者でありパートナーや家族であり、そして何よりも身代わり人格によって助けられていた本人自身によってである。それによって身代わり人格はその存在意義を認められ、尊厳を回復して止まっていた時間が動きだし、記憶をみんなで分かち合うことに目を開く。
</ref>方向が大切であるとされる。
解離はその人の人格が薄まっている状態であり、治療者は患者自身の治癒力が強まるように支援<ref>
細澤仁も人格の統合を治療目的とは考えていない。それどころか交代人格を区別しそれぞれの名前で呼ぶこともしない。細澤のユニークな精神分析的治療論を要約することは難しいが、簡単に云えば患者自身の治癒力を高めることで症状は改善し、結果として交代人格は統合されてゆくとする。(『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.62-63)
</ref>してゆくが、統合するかどうかは本人達が決めることである。統合はあくまでその人その人達の回復、つまり心の安定の結果に過ぎない。


===周囲の役割と接し方===
*人格状態が1つになり、記憶がすべて戻った状態
治療は精神科医や臨床心理士だけで出来るものではなく、周囲の協力が大きな力になる。本人にとってストレスの元になっている人を除いてだが、親や兄弟、そしてパートナーとの間の安心出来るつながりや、感情表現の機会を作ってあげることはとても大切である。患者という船を安心できる港に着岸させることを治療の目的と考えれば、精神科医やセラピストは水路を熟知している[[水先案内人]]であり、実際に牽引して着岸させる[[タグボート]]が周囲の者と考えれば解りやすい。その為にもパートナーや家族は必要に応じて治療者との面談を行いアドバイスを受けることが推奨される。特にパートナーや配偶者は非常に大きな力になる<ref>
*人格状態は複数のままだが、日常生活に支障がない状態
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.27
<br>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.198
<br>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.9
</ref>。
周囲の接し方としては以下の3点が基本である。


*障害であることを受け止める。 「異常」あつかいをしない。
2番目については違和感を覚えるかもしれないが、例えばDSMによれば「日常生活を送るのに支障がない」限りそれはこの疾患の要件を満たさない。したがって、依然として複数の人格が存在する状態であっても、問題なく日常生活が送ることができるようになれば、それを「完治」としても差し支えがないと考えるのである。
*どの人格にも愛情をもって接する。依怙贔屓しない。 
*気持ちを受け止める。


攻撃的人格の場合は憎悪をぶつけてくるので、普通の人間にはその気持ちを受け止めることは非常に難しいが、出来る限りきちんと話を聞き、言っていることを理解しようとしている姿勢を見せることは重要とされる。やってはいけないことは、幾つの人格があるかをほじくりかえすなど、昔の治療者の悪い真似をすることである。
この疾患では強い不安やうつ状態、不眠などを伴うことが多く、[[カウンセリング]]による治療は必須であると考えられているので、[[医師]]と[[セラピスト]](心理[[カウンセラー]])の両者を適宜利用することが求められる。医師にはカウンセリングを行う余裕がない場合が多く、セラピストは[[睡眠導入剤]]などの必要な投薬をすることができないからである。


===治療機関===
以前は、人格統合を行うのが最善の治療であると考えられていた。人格統合とは、人格を1人ずつ消していく(医師・セラピストの中には人格に自殺をさせたり、[[悪霊払い]]のような手法をとるものもある)、あるいは似通った人格同士をカウンセリングにより''統合''することで最終的に1人の人格に戻すという治療法である。しかし、最近ではこの治療法については否定的な意見も多く、複数の人格はその必要があるから存在しているのであって、無理に消去することはかえって患者の状況を悪化させると考えられている。人格統合の手法を取らず、人格同士がお互いに協力し合って生活を送れるようにする「共存」を目指す治療法も存在する。
DIDは日本においても広く知られるようにはなったが、この障害を熟知した精神科医や臨床心理士はまだ少ない。「身近な人の理解を助ける書籍」の項に挙げた『わかりやすい「解離性障害」入門』の巻末に「対応可能な機関一覧」があるが掲載されているのは東京近郊のみである。ただし地方でも大学病院の精神科には専門医がいる可能性があり、医師のネットワークを通じて他の専門医につないでもらえることも期待される。


==他の疾患との関係==
現在では、まず患者の状態を正確に把握すること、次に人格同士の誤解や対立をなくすと同時に主人格を含む各人格の精神の安定を目指すことが第一だとされる。つまり、''システム''の把握と安定であるが、これには長い年月を要する場合が多い。ほとんどの場合、主人格の知らない[[心的外傷]](いわゆるトラウマ)体験の記憶を交代人格が別個に持っており、その場合交代人格に対しても別個に心的外傷の処理が必要とされる。患者の安全を考えた場合、この作業は人格同士の統合や共存よりも優先されるべきであろう。
DIDが誤診される他の疾患の代表的なものは[[統合失調症]]、[[境界性パーソナリティ障害]]、[[うつ病]]である。やっかいなことにDIDが併発することのある疾患にも境界性パーソナリティ障害とうつ病が入る。尚、DSMでは複数の疾患名を併記して良いことになっている。また同じ原因から発症すると思われる疾患には [[PTSD]]と境界性パーソナリティ障害がある。


===統合失調症===
喪失した記憶を無理に引き出すことは良くないとされる。交代人格から聞いた心的外傷体験を、その体験の記憶のない人格に知らせることも同様である。この疾患を持つものは心理的に非常に不安定な状態にあることが多く、また、抱えている心的外傷も長期にわたる凄まじいものである場合が多いので、いたずらに心的外傷を想起させることは、パニックや自殺などの大きな危険を伴うからである。
「歴史」で見たように、DIDが再発見されるまで彼らは[[統合失調症]](schizophrenie)として診断されていたと思われる。現在は日本でもDIDの知名度は上がっているが、しかしそれを熟知し、診断経験のある精神科医は少ない。更に現在においてもDIDに懐疑的な精神科医も残っている。そうした場合はDIDは統合失調症と診断される可能性が高い。
統合失調症の判定項目として有名なものに[[クルト・シュナイダー|シュナイダー]](Schneider,K.)の1級症状があり、以下の項目である<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.165-175。ただし注釈はこちらで付けている。順番も1~3が「幻聴」、4~6が「思考過程の障害」、7は感情、思考、行為、または意志、感情、欲動の「させられ」とまとめている。最後の8と9はDIDでは基本的にみられないものである。「幻聴」「思考過程の障害」「させられ」について統合失調症とDIDの差を柴山雅俊は『解離の構造』で述べている。
</ref>。
{{Quotation|
#対話性幻声 (問答形式の幻声、複数の声が互いに会話しているような幻聴)
#行動を解説する幻声 (自分の行為にいちいち口出ししてくる幻聴)
#思考化声 (自分の考えが声になって聴こえる)
#思考吹入 (他者の考えが自分に吹入れられる)
#思考奪取 (他者が自分の考えを抜き取られてしまうような感じ)
#思考伝播 (自分の考えが周囲につつ抜けになっているように感じる)
#させられ体験 (感情、思考、行為が何者かにあやつられているような感じ。)
#身体的被影響体験 (何者かによって身体に何かイタズラをされているような感じ)
#妄想知覚 (見るもの聞くものが妄想のテーマに一致して曲解・誤認される)
}}


1939年に発表されたもので、シュナイダー(Schneider,K.)はこの1級症状のうち一つ以上が存在すれば「控え目に」統合失調症を疑うことができるとした。しかしクラフト(Kluft,R.)はDIDの可能性を示す主な兆候として15項目をあげ、その11番目に「妄想知覚を除くシュナイダーの第1級症状」をあげている<ref>
このようなさまざまな理由から、患者とセラピストの信頼関係の確立も重要な要素となる。システムの安定に伴い、心的外傷体験の想起と再記憶といった[[心的外傷後ストレス障害|PTSD]]の治療に似たプロセスが慎重に行われる。
一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』 2002年 p.810</ref>。
「身体的被影響体験」も解離性障害でみられることはまずないが、その2つ以外はむしろDIDに多く該当する。
実際に統合失調症患者ではこのシュナイダーの1級症状の適合は1~3項目ぐらいであるに対し、DID患者では3~6項目とほとんど倍ぐらいである<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.148</ref>。


シュナイダー(Schneider,K.)が1級症状を考えた時代はDIDが精神科医の意識から消えていた時代である。統合失調症の原名(独名)「schizophrenie」はオイケン・ブロイラー(Bleuler,E.)の造語で、語彙は「schizo(分かれた)phrenie(心)」である<ref>
投薬は、対症的に[[抗不安薬]]や睡眠導入剤などが多く使われる。症状が重い場合は[[抗精神病薬]]が用いられる場合もある。しかし、この疾患の治療には非常に長い時間がかかるため、身体への負担を考慮してなされるべきであろう。また一般にこの疾患の患者が[[薬物依存]]を生じやすい傾向にあるとされる点にも留意する必要がある。
ブロイラー (Bleuler, E.)の説明の中にはこうある。「私は早発性痴呆をschizophrenieと呼ぶが、それは異なる心的機能の多少なりとも明確なスプリッティングを目の当たりにする。もし病気が顕著であるならば、人格は統合を失う。・・・ひとつの複合が人格を支配し、ほかの考えや動因によるグループはスプリットオフされ一部が、あるいは完全に無力化されてしまうのである。 (Gainer,K 1994 : Dissociation and Schizophrenie :an historrical review of conceptual development and relevant treatment approaches.Dissociation 7,261-269 より岡野訳。岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.87)</ref>。
ブロイラー (Bleuler, E.)もシュナイダー(Schneider,K.)も、そしてヤスパース(Jaspers,K.T.)も、現在のDIDの患者を含めてschizophrenie(統合失調症)概念やその1級症状を考えていたとしたら<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98
</ref>、シュナイダーの1級症状が現在のDID患者に高い比率で、それもしばしば統合失調症患者より高い比率で当てはまるのは当然ということになる<ref>
やっかいなことは、数は少ないものの併発しているケースもあることである。
この事例は岡野憲一郎 『解離性障害』 (2007年)収録の対談(p.191)で柴山雅俊が具体例に紹介している。また柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 pp.150-152にも記述がある。</ref>。


しかし問題なのは両者の治療方法が異なることである。現在の統合失調症向けに開発された抗精神病薬はDIDの治療自体には役にはたたない。
治療には何年も要するのが普通であり、医師やセラピストの適切な指導のもとで根気強い治療が必要である。
より正確に云えば、周辺症状(緊張症状)を抑えるために一時的に少量使用<ref>
それは家族に対しても同様であり、家族内のものがこの疾患についてより学び、本当の意味での苦楽を共有することも必要である。
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.154
</ref>する範囲なら非常に有効とされる。しかしそれを統合失調症と思いこみ、抗精神病薬の投与が常態化するとかえって増悪ないしは遷延<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.195-198
</ref>しかねないし、なかなか効かないからと薬を強くされたら残るのは副作用だけである<ref>
1980年代には北米の多くのDID研究者が抗精神病薬を用いた場合に、高い確率で有害な副作用をもたらすことを発表している。(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.111)
</ref>。


===境界性パーソナリティ障害===
==解離性同一性障害に対する誤解==
DIDは自分が別れる(解離)のに対して、[[境界性パーソナリティ障害]](以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。それを印象として記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。攻撃性を他者へ向けるなどである。このBPDとDIDの鑑別も難しいとされる。
解離性同一性障害は精神医学で認知されてからの歴史が非常に浅く、その特徴的な症状から比較的誤解されやすい疾患であると言える。


というのはBPDと解離性障害は非情に近い関係にあると認識されており、DSM基準ではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている。それだけではなく、DSMのBPD診断基準は幅広であり、それに従えば多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまい、DIDを含む解離性障害の診断がなされてもBPDも併記されてしまうことになる<ref>
===架空の病気であるという誤解===
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.209-212
もっとも大きな誤解が、この疾患は存在しない架空の病気であるという考えである。
</ref>。更にBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。この場合は既に交代人格が把握されていて、そのひとつの人格が明らかに狭義のBPDの兆候を現している場合などである。


しかし併記ならDIDの治療も受けられるがDIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限りその極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い<ref>
その理由の一つとしてよく挙げられるのが、近年における急激な症例の増加である。そもそもこの症例は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で主に報告され、その他の地域では滅多に見られないとされていた。[[文化依存症候群]]とみなす人もいたほどである。
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.67
</ref>。


BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる<ref>
ところがアメリカのDSM-III(関連用語の項参照)で多重人格が取り上げられて以降、世界中で症例の報告が相次ぎ、12年後にはICD-10(関連用語参照)にも多重人格のカテゴリが作られることになる。この現象の説明として、この疾患の存在を知った者が相次いでこの症状を詐病したのだという主張である。
鈴木 茂「境界例の病理と患者への実践的な対処法」2000年の講演、『人格の臨床精神病理学』(2003年)に収録。pp.88-98</ref>。
しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し<ref>
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』「座談会-解離性障害によりよく対応するために」2009年 p.269
</ref>、心を閉じてしまうことすらある。そうなるともう治療はおぼつかない。


===うつ病===
しかし、この疾患は、[[統合失調症]]の診断基準の一つである[[クルト・シュナイダー]]の一級症状の全て、あるいはその大半を満たすケースが多く、同時に[[うつ病]]や[[境界性人格障害]]に似た症状を示す(あるいは併発する)ことが多いため、DSM-III以前は他の疾患と誤診されてきたのだろうと考える方が妥当である。事実、多くのこの疾患の患者は、その診断が下される前に何らかの誤診を受けている。
[[うつ症状]]は多くの精神疾患に現れるが、DIDの場合も気分変調症または大うつ病を合併していることがある<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年p.111
</ref>。
1986年のパトナム( Putnam,F.W.)らが発表した報告<ref>
パトナム( Putnam,F.W.)他 「多重人格障害の100症例の臨床現象」1986年、服部雄一 『多重人格者の真実』 (1998年)収録
</ref>によればDID患者の初診時の症状でもっとも多いのがこれであり、約90%にものぼる。DIDと判定される前に診断されていた病名でも一番多く約70%にもなる。
周辺症状なのだが本人にとっての精神的負担が大きいときにはそれを抑えるために抗うつ剤を処方することがある<ref>
ただし柴山雅俊は「少なくとも攻撃的で衝動的な交代人格の存在が推定されるケースでは抗うつ薬の選択は慎重にすべきであろう」と述べている。(『解離の構造』 2010年 p.197)
</ref>。
また、近年増えてきたと云われる否定形うつ病には解離傾向を示すものが少なくない<ref>
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』「座談会-解離性障害によりよく対応するために」2009年 p.65
<br>
中塚尚子「他責的うつは、なりそこないの解離性障害である」『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 pp.212-213
</ref>。


===PTSD===
また、この疾患があまりに特徴的であるため今まで[[憑依]]現象(例えば[[狐憑き|キツネ憑き]]、[[狸憑き]]、[[馬憑き]])などの[[心霊現象]]として片付けられていた可能性も高い。広義の[[シャーマニズム]]は世界中に存在し、憑依が起こる様子がこの疾患の人格交代時の挙動に類似しているケースも多い。
[[PTSD]](Post-traumatic stress
disorder)の日本語訳は心的外傷後ストレス障害である。精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状や、時としてショック状態に陥り、フラッシュバックを起こす場合がある。PTSDというと戦争とか災害などの一過性の心的外傷(trauma)が原因として有名であるが、ハーマン(Herman,J.L.)<ref>
[[ジュディス・ハーマン]](Herman,J.L.)『心的外傷と回復』1992年 邦訳 みすず書房 1996年
</ref>などのようにこれを「単純型PTSD」とし、性的暴力や家庭内暴力などの、心的外傷(trauma)が繰り返し長期間にわたるものを「複雑PTSD」(complex PTSD)とするなど、PTSDの枠を拡げる見解も発表されている<ref>
岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.122.<br>
西村良二編 『解離性障害』 2006年p.97</ref>。
併発という点ではあまり顕著ではないが、心的外傷(trauma)という共通性とDSMのPTSD定義にある一部の症状の共通性、例えば「解離性フラッシュバックのエピソード」などからもDIDとは近い関係にある。


===特定不能の解離性障害===
さらにその特徴的で他人の興味を引きやすい症状から、[[虚偽性障害]]や詐病の対象となることが多い事実も挙げられる。このことがこの疾患の誤った認識を生み、またこの疾患の診断をより難しいものにしているとも言える。
親分類である[[解離性障害]]には解離性同一性障害(DID)の他に解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、特定不能の解離性障害がある。そして障害とは云えない正常な解離から、解離性健忘、解離性遁走、特定不能の解離性障害、そして最後に一番重いDIDに繋がると一般にいわれる<ref>もちろん解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在するという立場の方が優勢ではあるが。</ref>。離人症性障害はDIDも含め他の多くの精神疾患の症状としても見られる。解離性障害の下位の障害の内、離人症性障害、解離性健忘・遁走はDIDの症状として含まれるが、含まれないのが特定不能の解離性障害である。


*'''DIDと同様に扱われるもの'''<br>DIDに酷似しているがその診断基準を満たさないものも特定不能の解離性障害となる。その数は治療者により異なるが概ねDIDよりも多い。治療はDIDと同じであり、どこまでを特定不能の解離性障害とし、どこからをDIDとみなすかは治療者により異なる。柴山は解離性障害のうち、DIDは約20%、離人症性障害が約10%、解離性健忘が5%、解離性遁走は1%、残りの約60%が特定不能の解離性障害に分類されるとする<ref>柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.34</ref>。DSMでの特定不能の解離性障害の定義の1番目にはこうある。
===他の疾患との混同===
{{Quotation|
もう一つの誤解が、別の疾患との混同である。専門家の中にさえ、この疾患を統合失調症の症状の一つだと断定しているものもいるが、統合失調症とこの疾患は、類似する症状が多いものの、全く別の疾患であるというのが現在の考え方である。
臨床状態が解離性同一性障害に酷似しているが その疾患の基準全てを満たさないもの。例としては、a) 2つ又はそれ以上の、はっきりと他と区別される人格状態が存在していない。 または b) 重要な個人的情報に関する健忘が生じていない。<ref>問題は b)であり、DIDの定義では「C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」の部分である。主人格と交代人格が互いの存在を知っている場合などは「重要な個人的情報の想起が不能」とはならず、よってDIDではないということになる。
次期改訂版(DSM-5)ではこの問題をワーキンググループで検討中ということだが、どう決着するのかは不明である。</ref>
}}


*'''区別されるもの'''<br>特定不能の解離性障害の4番目は解離性トランス障害である。イタコなども含めるとすればここになるが、その国・社会の文化に組み込まれているのなら治療の対象、つまり障害とはならない。DSMにはこう書かれている。
また、以前は[[解離性障害]]が[[ヒステリー]](転換性障害と解離性障害の総称。現在はこの用語は用いられない)の一種としてカテゴライズされていたため現在でもこの疾患が俗語的な意味でのヒステリー(一時的な感情の爆発)の一種と誤解されることがある。しかし、感情の爆発で人が変わったようになることとこの疾患とは何の関係もない。


{{Quotation|
さらに、解離性障害と境界性(人格)障害、多重人格障害と[[人格障害]]など疾患名の相似からこの疾患と[[境界性人格障害]]とを混同している例も非常に多く見られる。'''''解離性人格障害'''''という両者を完全に混同した病名を目にすることも多い。この疾患が境界性人格障害に似た症状を示す(または併発する)例が多いこと、逆に境界性人格障害の患者が同一性の障害や解離を示す例が多い事実が、この混同をより深刻なものにしている。かつて「多重'''人格障害'''」という診断名が用いられていたことから誤解が生じる場合があるが、この時期から現在に至るまで、この疾患は一貫して「解離性障害」の一種とされ'''人格障害に分類されたことはない'''。
解離性トランス状態:特定の地域および文化に固有な単一の、または挿話性の意識状態、同一性または記憶の障害。解離性トランスは、直接接している環境に対する認識の狭窄化、常同的行動または動作で、自己の意志の及ぶ範囲を越えていると体験されるものに関するものである。憑依トランスは、個人としてのいつもの同一性感覚が、新しい同一性に置き変わるもので、魂、力、神または他の人の影響を受け常同的な”不随意”運動 または健忘を伴うものに関するものであり、おそらくアジアでもっとも多く見られる解離性障害である。
}}


==身近な人の理解を助ける書籍==
====その他、混同されやすい類似した名称をもつ疾患====
ここでは本疾患と思われる人と、その身近に居る普通の人が、その本人の状況を理解する助けになるものを易しい順にあげる。1と2の最後には対応可能な機関一覧がある。 
次の疾患はいずれも解離性障害には含まれず、全く別の疾患である。
*[[回避性人格障害]]
*[[性同一性障害]]


#岡野憲一郎監修 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』 (イラスト版)
===性格の多面性との混同===
#心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』
この疾患に対し「人間誰しも多重人格的な部分がある」と言うものもあるが、性格の多面性とこの疾患とは根本的な違いがある。前者が単に口調や応対の変化に留まるのに対し、この疾患の患者は人格ごとに独立した記憶を持っている点である。これはそれぞれの人格にとって、記憶喪失として現れる。
#柴山雅俊 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』
#柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』


これ以外の下記「参考文献」や「著名な専門書」は専門的すぎたり、古かったり、日本の実情には合わなかったりすることも多い。
また、氏名・性別・年齢・食(服)の好み・口調・筆跡などもまったく異なる。


==参考文献==
上部の記述にあるが、「普段の自分」と「別の誰か」は基本的には上記のように別の記憶をもっているが、「別の誰か」が「普段の自分」に対し【記憶を引き継いでもいい】と判断した場合は、「普段の自分」に記憶が引き継がれる。 但し、「記憶の引継ぎ」のタイミングについては個人差があり、数日後若しくは数週間後に突然記憶が引き継がれるケースもあり「普段の自分」が困惑してしまうケースがある。
学説は年代をおって変わってゆくので、ここでは年代順(邦訳本は原書の)に並べる。参考にする場合は新しいもので概要を抑えた後に、古い文献にあたることを推奨する。尚、和田秀樹、本明 寛、鈴木茂は少なくとも下記書籍の執筆時点ではDIDの治療経験がない。


*モートン プリンス 『ミス・ビーチャムあるいは失われた自己』(1905年、邦訳 中央洋書出版部 1991年)
== 用語 ==
*H.M.クレックレー、C.H.セグペン 『私という他人―多重人格の病理』 (1957年、邦訳 講談社1973年)
;システム : system。この疾患の患者個人が持つ全ての人格状態とそれらの関連、それらを取り巻く全ての精神的要素などを1つの体系とみなし、便宜的にこう呼ぶ。人格システムともいう。
*フローラ・リータ・シュライバー 『[[失われた私]]』(早川書房 文庫 1978年)
;人格状態 : ego stateの訳語。システムに複数見られる、あたかもそれぞれが一個人かのように独立した自我状態のこと。名前、性別、年齢などが戸籍上のものと異なる場合もある。単に'''人格'''(personality)と呼ぶこともある。同一性(identity)とも。
*鈴木 晶 『フロイト以後』(講談社現代新書、1992年)
;基本人格 : original personalityの訳語。オリジナル人格とも。出生時に持っていた本来の人格。複数の人格状態を持った時点で基本人格は失われるとする見方もある。
*レノア・テア 『記憶を消す子供たち』(1994年 邦訳 草思社 1995年)
;主人格 : host personalityの訳語。基本人格と混同されがちだが、こちらは普段外的に活動している時間が長い人格のことを指して呼ぶ。戸籍上とは異なる名前を持っていたり、ある時期から主人格が別の人格状態に交代するケースも珍しくない。
*コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス―多重人格患者達のカルテ』(1994年 邦訳 PHP研究所 1996年)
;交代人格 : alter personalityの訳語。主人格かつ/または基本人格以外の人格状態を指す場合が多い。
*ローレンス ライト 『悪魔を思い出す娘たち―よみがえる性的虐待の「記憶」』(1994年 邦訳 柏書房 1999年)
;保護人格 : 保護者人格とも。交代人格のうち、システムやその肉体を守る行動を取る人格。これとは逆に肉体や精神に意図的に危害を加えようとする人格もまた存在する。
*酒井和夫 『分析・多重人格のすべて―知られざる世界の探究』(リヨン社 1995年)
;ISH : Inner Self Helperの略。「内的自己救済者」。ラルフ・B・アリソンが1974年に最初に提唱した概念で、アリソンは、誰もが持つ「超自我」または「理性」が人格システムに見えている状態がISHであるとした。アリソンの考えに従えば、ISHは統合の対象とはならず、通常システムにつき1人しか存在しないことになる(ただしアリソン自身、複数のISHが「階層的」に存在するケースを認めている)。ISHの本質については、リチャード・P・クラフトがアリソンのものよりも曖昧な定義を発表するなど、専門家の間や熟練した治療者の間でも意見の相違がある<ref>[[フランク・W・パトナム]] 『多重人格障害 ――その診断と治療――』 安克昌・仲居久夫訳、岩崎学術出版社、2000年、278頁</ref>。
*本明 寛 『あなたに潜む多重人格の心理』(河出書房新社 1997年)
;統合 : integrationの訳語。人格状態同士を結びつけることでシステム中の人格状態の数を減らすこと。狭義には人格状態を1つにすること。以前はこの疾患の治療目的と考えられていた。
*服部雄一  『多重人格者の真実』 (講談社 1998年)
*和田秀樹 『多重人格』 (講談社現代新書 1998年)
*フランク・W・パトナム他 『多重人格障害-その精神生理学的研究』(邦訳 春秋社 1999年)
*鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学―多重人格・PTSD・境界例・統合失調症』(金剛出版 2003年)
*町沢静夫編著 『告白 多重人格―わかって下さい』(海竜社 2003年01月)
*『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院; 新訂版 2003年)
*『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 (金剛出版 2003年)
*岡田斉・松岡和生・轟知佳「質問紙による空想傾向の測定─ Creative Experience Questionnaire 日本語版(CEQ-J)の作成」『人間科学研究』第26号 文教大学人間科学部 2004年
*西村良二編・樋口輝彦監修 『解離性障害』 (新興医学出版社・新現代精神医学文庫 2006年)
*柴山雅俊 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』 (ちくま新書 2007年)
*岡野憲一郎 『解離性障害―多重人格の理解と治療』 (岩崎学術出版社 2007年)
*細澤 仁 『解離性障害の治療技法』(みすず書房 2008年)
*岡野憲一郎監修 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(講談社こころライブラリーイラスト版 2009年2月)
*岡野憲一郎 『新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて』 (岩崎学術出版社 2009年8月)
*『精神療法 第35巻 第2号 特集 解離とその治療』(金剛出版 2009年4月)
*『こころのりんしょう a・la・carte〈特集〉解離性障害』Vol.28 No.2(星和書店 2009年6月)
*心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』(星和書店 2010年8月)
*柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 (岩崎学術出版社 2010年)


==参考文献以外の著名な専門書==
==診断基準によるこの疾患の名称の相違==
*[[精神障害の診断と統計の手引き|DSM]]-III(1980) Multiple Personality Disorder(略称MPD), 和名 多重人格障害
**親カテゴリ: Dissociative Disorder, 和名 解離性障害
*[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類|ICD-10]](1992) Multiple Personality Disorder(略称MPD), 和名 多重人格障害, ICD10コード F44.81
** 親カテゴリ: Dissociative [conversion] disorders, 和名 その他の解離性[転換性]障害
*DSM-IV(1994) / DSM-IV-TR(2000) Dissociative Identity Disorder(略称DID), 和名 解離性同一性障害
**親カテゴリ: Dissociative Disorder, 和名 解離性障害


*フランク・W・パトナム 『多重人格性障害―その診断と治療』 安克昌・仲居久夫訳、(1989年 邦訳 岩崎学術出版社 2000年) <br>Frank W. Putnam (1989) 「Diagnosis and Treatment of Multiple Personality Disorder (Foundations of Modern Psychiatry)」 
現在は'''DSM-IV''' / '''DSM-IV-TR'''に従い解離性同一性障害と呼ぶのが一般的である。
*フランク・W・パトナム 『解離―若年期における病理と治療』(1997年 邦訳 みすず書房 2001年) <br>Frank W. Putnam (1997) 「Dissociation in Children and Adolescents: A Developmental Perspective」
*Ross CA, Heber S, Anderson G, et al. (1989) 「Differentiating multiple personality disorder and complex partial seizures」
*Van der Hart, Ellert R. S. Nijenhuis, and Kathy Steele(2006) 「The Haunted Self:-Structural Dissociation and the Treatment of Chronic Traumatization」 ,(ISSTD日本支部 解離研究会で翻訳中)


==理解を助ける作品==
== 参考文献 ==
ここではDIDに関わる精神科医、臨床心理学者らが関わっている、または肯定的に取り上げているドキュメンタリーや作品をあげる。以下に挙げなかった『ジキル博士とハイド氏』は二重人格の代名詞にまでなっているが、そのモデルは昼間は実業家で夜間に盗賊として盗みを働き、スコットランド税務局の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人間であり別物である。ゲームやマンガに登場する多重人格によってDIDを語ることは偏見の助長にしかならない。
<references />


*『[[失われた私]]』を原作とする映画:『シビル(Sybil)』:サリー・フィールド主演:1976年)、同TVドラマ『多重人格・シビルの記憶』。ビデオ化もDVD化もされてなくWOWOWのみで放送された。
== 関連書籍 ==
*『イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン (20世紀フォックス 1957年)『私という他人―多重人格の病理』を原案とする映画。同TVドラマ『[[私という他人]]』 (TBS 1974年 主演:三田佳子 脚本:矢代静一、ジェームス三木)
*'''[[ダニエル・キイス]]'''(1981)、''The Minds of Billy Milligan''、邦訳''24人のビリー・ミリガン''(1992)、Bantam Books(邦訳[[早川書房]])、ISBN 0-55-326381-1 (邦訳 上巻ISBN 4-15-110104-7 下巻ISBN 4-15-110105-5)
*クリス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (上記の映画『イブの三つの顔』のモデルとなった女性の著書 早川書房 文庫1995年)
*'''服部雄一'''(1998)、''多重人格者の真実''、講談社、ISBN 4-06-269010-1
*[[ダニエル・キイス]] 『24人の[[ビリー・ミリガン]]―ある多重人格者』 (早川書房 1992年、文庫1999年)
*'''American Psychiatric Association'''(2000)、''Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders '''DSM-IV-TR'''''、American Psychiatric Publishing Inc.、ISBN 0-89-042025-4
*ダニエル・キイス 『ビリー・ミリガンと23の棺(上下)』(早川書房 文庫1999年)
*'''Deborah Bray Haddock'''(2001)、''The Dissociative Identity Disorder Sourcebook''、Contemporary Books、ISBN 0-7373-0394-8
*TVドラマ『[[存在の深き眠り]]』 (NHK総合水曜シリーズ 脚本:ジェームス三木)
*'''A.T.W.'''(2005)、''Got Parts?''、Loving Healing Press、 ISBN 1-932690-03-4 患者向けに執筆されている
*ジェームス三木『存在の深き眠り』 (NHKライブラリー 1997年)TVドラマの小説化
*多島 斗志之 『症例A 』(角川文庫 2003年)
*[[ロバート・オクスナム]] 『多重人格者の日記-克服の記録』 (青土社 2006年)
*リチャード・ベア 『17人のわたし ある多重人格女性』(2007 邦訳 エクスナレッジ 2008年8月)


尚、治療者の中には患者本人がこういう作品を読むことはあまり良い結果をもたらさないという意見もある。DID患者は没入傾向が強く、影響をうけて解離症状が顕在化、ないしは増悪する場合があるからという理由である<ref>
== 解離性同一性障害が登場する作品 ==
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.11、p.190、p.95</ref>。
*小説
その一方で、専門書も含めてそれらを患者本人や家族など周囲の者が読んで理解を深めることは有益な側面もあると考える治療者もいる<ref>
**『[[ジーキル博士とハイド氏]]』([[スティーヴンソン]])
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.98</ref>。<br>
**『[[五番目のサリー]]』([[ダニエル・キイス]])
ただし自伝はともかく、小説として書かれているものは途中まではその症状や状況をリアルに解りやすく描き出しているが、クライマックス近くになると小説以外のなにものでもないことには留意する必要がある。
**『[[二重人格]]』([[フョードル・ドストエフスキー]])
**『[[24人のビリー・ミリガン]]』([[ダニエル・キイス]])ノンフィクション
**『[[失われた私]]─[[シビル]]─』([[フローラ・シュライバー]])ノンフィクション
**『[[症例A]]』([[多島斗志之]])フィクション
**『阿修羅』[[玄侑宗久]] フィクション
**『十三番目の人格(ペルソナ)―ISOLA』([[貴志祐介]])フィクション
*漫画
**『[[多重人格探偵サイコ]]』
**『[[ダズハント|多重夢]]』
**『[[トライガン・マキシマム]]』
**『[[まほらば]]』
**『[[さよなら絶望先生]]』
**『[[幽☆遊☆白書]]』
**『[[よろず屋東海道本舗]]』
**『[[遊☆戯☆王]]』
**『[[グラップラー刃牙]]』
*アニメ
**『[[機動戦士ガンダム00]]』
**『[[イナズマイレブン]]』
*ゲーム
**『[[ゼノギアス]]』
**『[[ダブルキャスト (ゲーム)|ダブルキャスト]]』
**『[[Remember11 -the age of infinity-]]』
**『[[鬼畜眼鏡]]』
**『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』
**『[[好きなものは好きだからしょうがない!!]]』
*PCゲーム
**『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』([[ケロQ]])
**『[[Lost Memory]]』
**『[[俺たちに翼はない]]』
**『[[CARNIVAL]]』
*TVドラマ
**ヤヌスの鏡(大映テレビ製作、フジテレビ放送)
**[[あなただけ見えない]](フジテレビ放送)
**『[[青の時代 (テレビドラマ)|青の時代]]』([[小松江里子 (脚本家)|小松江里子]]脚本)
**『[[存在の深き眠り]]』([[大竹しのぶ]]主演、[[ジェームス三木]]脚本。NHK)
*映画
**『東京少年』([[堀北真希]]主演)


==脚注==
<references/>
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[解離 (心理学)|解離]]
* [[解離性障害]]
* [[解離性障害]]
* [[憑依]]
* [[憑依]]
* [[統合失調症]]
* [[ビリー・ミリガン]]
* [[ロバト・オクス]]
* [[境界性パリティ障害]]
* [[北川和歌子]]
* [[意識の境界問題]]
* [[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)
* [[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)
* [[児童虐待]]
* [[児童虐待]]

2011年5月10日 (火) 03:46時点における版

解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、略称はDID)は、DSM-IV-TR(アメリカ精神医学会精神疾患の分類と診断の手引 第四版テキスト修正版)において分類10群の解離性障害(Dissociative Disorders)に含まれる精神障害のひとつ。英語名はDissociative Identity Disorder。旧基準DSM-IIIでは多重人格障害(Multiple Personality Disorder)と呼んでいたが、現基準において定義を明確化するとともに、概念としてより整理された現在の名称に変更された。「多重人格」は一般に通称に近い用いられ方をする。尚、世界保健機関 (WHO) の疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD-10)では、現在でも多重人格障害(Multiple Personality Disorder、F44.81)として定義されているが、ICD-10が編集されたのはDSM旧版の時代である。尚本稿で何もことわらずにDSMと呼んだ場合はDSM-IV-TRを、DSM旧版と呼んだ場合はDSM-III-Rを指す。

解離性同一性障害のデータ
ICD-10 F44.81
DSM-IV-TR 300.14
統計
世界の患者数 不明
日本の患者数 不明
学会
日本 国際トラウマ解離研究学会日本支部
世界 国際トラウマ解離研究学会
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概要

解離性同一性障害(以下DID)は、精神的な苦痛に対する本能的な防衛としての解離がベースであり、それが極度に進んだものである。親カテゴリーの解離性障害に含まれる複数の症状、解離性健忘や離人症を含み、更に元々の人格から切り離された別の人格を生み出した状態の障害をいう。

別の人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分などが心の中で切り離されて成長してゆく。多くの場合元々の自分は切り離された自分のことを知らない。そして普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何がどうしたのか解らない。

それぞれの交代人格は、その人が生き延びる為に必要があって生まれてきたのであり、それぞれがその人の一部なのだという理解が重要である。 「人格を多く持ちすぎることが本質的な問題ではなく、(健康な)人格をひとつも持てないことが問題」なのである[1]。 防衛的適応も精神的な苦痛がそれさえも乗り越えてしまうほど大きいとき破綻する。
その精神的な苦痛が一過性のものであれば例え破綻しても急性ストレス障害(ASD)のように時間の経過とともに治まっていくこともある。しかし慢性的な場合はその破綻は反作用や後遺症を伴い深刻で複雑な症状を呈する。うつ症状不安障害摂食障害薬物乱用不眠、性的不能、心因性の身体障害、そしてパニック障害アスペルガー障害境界性パーソナリティ障害統合失調症によく似た症状をみせ[2]リストカットのような自傷行為に止まらず、本当に自殺しようとすることが多い。

つまり元になる精神的な不安定さ、そして人格交代から引き起こされる実生活面での混乱や困難さが問題の中心である。 治療はそれぞれの人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育てていくこととされる。 しかしDIDに熟知した精神科医臨床心理士が少ないこともあり、他の疾患に誤診されやすい。

解離とその因子

解離を生むストレス要因

生理学的障害ではなく心因性の障害である。心因性障害の因果関係は外科や内科のように明確に解明されている訳ではなく、時代により人によって見解は統一されていない。治療の方向性はある程度は見えてきてはいるものの最終的には試行錯誤である。むしろ多因性と考え、あるいは一人一人違うと考えた方が実情に即しており、以下もあくまで一般的な理解のまとめに止まる。

DIDはPTSD(心的外傷後ストレス障害)や境界性パーソナリティ障害とともに外傷性精神障害と分類する意見もあり、発症する人のほとんどが幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けている。ただしそのストレスは国・社会によって異なる。日本の場合は、(1)いじめ、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ない、(3)育児放棄や徹底した無視などのネグレクト、(4)家族や周囲からの身体的虐待性的虐待、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる[3]

この内、(4)(5)がイメージしやすい心的外傷(trauma)であり、陽性外傷とも云われる。北米の事例で象徴的なのは慢性的な(4)のケースである。(3)のネグレクトを原因とするDID症例も多く、ネグレクトを陰性外傷と呼ぶこともあり[4]心的外傷(trauma)に含める見方が現在では主流である。(5)などの1度だけの外傷体験(traumatic experience)は通常は解離には結びつかず、いつまでも鮮明に記憶に残るケースが多い[5]。 しかしある程度下地が出来上がっているところにそうした外傷体験(traumatic experience)が重なるとそれも解離の原因になる。

日本においては(1)(2)を要因とする症例も多い。(2)は「関係性のストレス」[6]とも呼ばれる。過保護でありながら支配的な家庭環境によるストレスが中心だが中にはこんなケースも含まれる。母親はすごく良い子で手がかからずスムーズに育ってきたと思っていた。しかし娘は、いい子でいなくてはと親の気持ちをくみ取りながら生きているうちに自分の気持ちが内側にこもり解離が始まりだす[7]。 このようなケースでは母親は娘の発症に訳も判らぬまま自分を責めることがしばしばある。従ってDIDに児童虐待という先入観をもつことは場合によっては偏見となり、当事者達をいっそう苦しめることになりかねない[8]

クラフトの四因子論

心的外傷(trauma)体験などの強いストレスを受けたからといって、必ずしもDIDに結びつく訳ではない。1984年にリチャード・クラフト(Kluft,R.)はそのメカニズムの四因子をまとめている。

  • 第一因子として、正常な範囲での解離傾向や、自己催眠傾向のような解離ができる下地があること。(被暗示性の高さとも言い換えられる。)
  • 第二因子として、その子供の自我の適応的な機能では対処しきれないくらいの圧倒的な体験にさらされること。
  • 第三因子として、解離によってある人格状態を作り出す基盤があること。空想力、つまり想像力を持っていないと別人格はつくり得ない。その空想によってつくりあげる別人格にはその人の体験や文化的な背景なども影響する。
  • 第四因子として、第二の因子の刺激、ストレスに対して、親などから保護や修復、つまり理解や慰めが十分に与えらなかったこと。

クラフト(Kluft,R.)の四因子を「素因」、「要因」、「保護」に分ければ、第一因子と第三因子が「素因」、つまりその人の下地である。第二因子の「圧倒的な体験」が解離を生み出す「要因」である。そして第四因子が「保護」となる。この定義は1984年段階の北米でのもので、第二因子の「要因」にイメージされていたのは幼児期の身体的虐待、性的虐待である。しかしその北米でも、ロス(Ross,C.A.)は1989年の四つの経路説(後述)で、児童虐待経路の他にネグレクト経路を追加した。現在日本で云われているのは更に広く前述のストレス要因の(1)から(5)である。その全てが第二因子に当てはまる。

クラフト(Kluft,R.)の四因子論の重要な点は「素因」と「要因」、つまり被暗示性とか空想力という下地と、解離の引き金になるストレス要因が全て揃っていても、「保護」つまり周りに悲しい気持ち苦しい気持ちを解ってもらえる人がいればこの障害にはならないということである。それが無くて出口無しになってしまうときにこの障害が起こる。

解離の素因

アメリカの心理学者ウイルソン(Wilson,S.C.)とバーバー(Barber,T.X.)は1982年に「ファンタジーを起こしやすい性格:理解画像、催眠、および超心理学現象の影響」という論文で空想傾向(fantasy-proneness)について発表した。 催眠に掛かりやすい人は空想傾向があり、かつ深く没入する。ここでいう「空想傾向」とは普通の人にも当てはまるレベルではなく、その傾向が顕著な一群であり、人口の約4%が該当とする。彼らは幼児期から空想の世界に浸り、実際に体験したことと空想の記憶を混同してしまう傾向がある。イマジナリーフレンド(後述)と遊び、小さな妖精や守護天使、樹木の精霊などが実在していると信じ、また多くは遊んでいた人形や動物のおもちゃが実際に生きていると信じていた。 この研究はクラフト(Kluft,R.)の第一因子と第三因子、被暗示性と空想力、想像力、そして正常な範囲での解離傾向につながりがあることを示している[9]

柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソン(Wilson,S.C.)らが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることである[10]。 空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした素因、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、その防衛として空想に逃げ込み、重傷の場合はDIDになると理解するのが自然である。

安心していられる場所の喪失

心的外傷(trauma)はPTSDなど様々な現れ方をするが、柴山雅俊はそのなかでDIDに傾く特徴、重傷化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」ととらえている[11]。柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果[12]、 DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷(trauma)では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷(trauma)では学校でのいじめであるとする。 「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」[13] に追い込まれ、逃げることも出来ずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。

愛着関係(attachment)における心的外傷(trauma)を「愛着外傷(attachment trauma)」[14]というが、自分を傷つけた相手が本来なら自分を癒すはずの相手であるために、心の傷を他者との関係で癒すことが出来ない[15]。 こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする[16]。 「安心していられる場所の喪失」も心の傷ではあるが、PTSDでイメージしやすい戦争体験、災害、犯罪被害、事故、性暴力などと比べると心の傷の性格が異なる。

解離した人格

「ネガティブな心的内容」を切り離すことは本能的な防衛反応とも云えるが、それが度重なると反作用が離人症として現れる。離人反応も一時的なもので済めば防衛反応であるが、恒常化すればそれは既に防衛反応の破綻である。 その記憶を抑圧し切り離しても、それも自分の一部であるので何らかの形で自分を縛っている。そこからのいわば後遺症が、例えば押さえつけたものが児童期以前の性的虐待の記憶であれば、成人となってからも性的エクスタシーを感じられないなどの形で現れる。それが更に進んで切り離した自分の意識が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身がひとつの「わたし」となる。「切り離したわたし」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離したわたし」のことを知っていることが多い。

「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を柴山雅俊は「身代わり部分」「犠牲者としての私」、「切り離したわたし」を「生存者としての私」「存在者としての私」と呼んでいる。「犠牲者としての私」は心の中で生き続けている「まなざしとしての私」でもある。「存在者としての私」は「まなざしとしての私」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す[17]。 「元々のわたし」「切り離したわたし」を主人格(host parsonality)、または基本人格(original pasonality)と呼ぶ。それに対して「切り離されたわたし」が、解離した別人格であり、交代人格(alter personality)[18]という。まれに交代人格がその体を支配していることもある。この場合は主にその体を支配している交代人格を主人格と呼び、基本人格と区別することもある[19]。 交代人格は「元々のわたし」の主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次ぎのようなものである。

  • 主人格と同性の、同い年の別人格。ただし性格が全く異なる。
  • 子供の人格もよく出てくる。 4~7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている[20]
  • その他、受け持つ事件が起こったときの年齢が現れることもある。
  • 女性なのに男の別人格とか男なのに女性の別人格など、別性の人格も現れる。
  • 他の人格の存在を知らない人格、別人格が表に現れているときの記憶を全く持たない人格がある。主人格もそれに該当する場合が多いので、幻聴や健忘に困惑しても本人は多重人格であることに気がつかない。
  • 逆に主人格や、他の別人格の行動を心の中から見て知っている別人格もある。
  • 怒りを体現する人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ人格。リストカットや睡眠薬で自殺を図ろうとする自傷的な人格もそのなかに多い。 性的に奔放な人格が現れることもある。
  • 逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な人格。危機的状況で現れて、その女性の体格では考えられない腕力でその子を守る別人格もある。
  • 実在の人間の人格もある。極端な例では幼児期に自分に性的虐待を行った人間の人格の例が国内にある[21]。また自分を極度に厳しく育てた祖母の交代人格があらわれた事例も北米にある[22]


それらの人格は表情も、話言葉も、書く文字も異なり、嗜好についても全く異なる[23]。顔も全く違う。勿論同じ人間なのだから同じ顔ではあるが普通の表情の違いとは全く違う。 尚、治療者(例えばパトナムなど)はそれぞれの治療方針に基づいて様々な分類を行うことがある。しかしそれらはその治療者にとって意味のあることでも、周囲の者やましてや本人にとって意味のあることではない。

歴史

前史・ヒステリー研究

学問レベルで最初にあらわれたのは1791年のドイツの精神科医エバーハルト・グメーリン(Gmelin,E)の症例報告『人格の入れ替え』である[24]。 DIDの親カテゴリである解離性障害は19世紀にはフランスやイギリスの精神科医がヒステリー症状の研究の中でとらえられていた。特にパリのサルベトリエール病院のシャルコー(Charcot)が有名で、ジャネ(Janet,P)やフロイト(Freud,S.)もその影響を受けている。

「解離」という概念の命名はそのジャネ(Janet,P)である。ジャネは1889年の著書『心理自動症』の中で「意識の解離」を論じ、「ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れさられるかのような状態」を「解離による下意識」と呼び、その結果生じる諸症状がヒステリーであるとした。そして現在のDIDと全く同じ意味で「継続的複数存在」を論じ、その心理規制を「心理的解離」と呼んだ[25]。 同じフランスの心理学者アルフレッド・ピネー(Pinney.A)も、1896年の『人格の変容』の中で「互いに相手を知らない二つの意識状態の精神の中における共存」と、現在の DIDに通じる概念を論じている。

フロイト精神分析の影響

ヒステリーの研究ではフロイト(Freud,S.)も有名であり、 1896年のウイーン精神医学神経学会での「ヒステリーの病因について」という講演では「最後には必ず(幼児期の)性的体験の領域に到達する」と論じている[26]。 つまり幼児期の性的虐待のような嫌な体験、堪えられないほどの苦痛を無意識の中に抑圧し、それによって自分の精神状態を守ろうとする。しかし、抑圧されたものはそのままじっとしてはいないで、身体症状に転換されて表れるのがヒステリー症状であるとした。これを「誘惑理論」と呼ぶ。この段階では多少の表現の違いはあっても、ジャネ(Janet,P)やピネー(Pinney.A)と極めて近い見解である。

しかしその説はウイーンの学会や上流社会ではまったく相手にされず、翌年にはフロイト(Freud,S.)自身がその「誘惑理論」を放棄して、「欲動理論」を中心に据える[27]。 この「欲動理論」においては患者の幼児期の性的体験は患者の幻想であって現実ではないということになる。それ以降フロイト(Freud,S.)の精神分析は上流社会にも受け入れられて精神医学の一方の主流になる[28]。 そしてフロイト(Freud,S.)は、かつての「誘惑理論」に似た精神的外傷による「解離」論を事実上認めなかった。

20世紀に入ってからの多重人格の事例は、1905年にアメリカのモールトン・プリンス(Prince,M.)が発表したミス・ピーチャムの詳細な症例『人格の解離(The dissociation of a personality)』 [29]がある。しかしその発表も「虚言症的な患者に騙された虚像、あるいは催眠によって作り出された医原性疾患[30]」との批判を受ける。こうしてフロイト(Freud,S.)の精神分析学の興隆とともに、「解離」という概念は精神医学の世界から忘れ去られた。ジャネ(Janet,P)とピネー(Pinney.A)が再発見され、「解離」という概念が再び表に現れたのは1970年のエレンベルガー(Ellenberger, H.F.)『無意識の発見-力動精神医学発達史』においてである。

精神分裂病概念の影響

多重人格の診断名が消えたもうひとつの原因は、1911年にオイゲン・ブロイラー (Bleuler,E.)が精神分裂病概念(現在の統合失調症)を発表したことである。1920年代後半にはその診断名が浸透しはじめた。アメリカのローゼンハム(Rosenham)によると、1914年から1926年までは診断名に統合失調症より多重人格の方が多かったが、それ以降は逆転する。そして1930年代からは多重人格という診断名は精神医学の世界から事実上消え去っていた。

それ以降DID患者に診断されたのがこの統合失調症である。実存主義哲学者としても有名なドイツの精神科医カール・ヤスパース(Jaspers,K.T.)は「了解不能」な症状は統合失調症と診断する決め手であるとした。幻聴や幻覚はまさにそれにあたる。実際ローゼンハム(Rosenham)は実験としてローゼンハム自身と8人の仲間がアメリカ各地の12の精神科病院に患者を装って訪れた。彼らは診察で「ドサッという幻聴が一時的に聞こえた」と訴えたところ、11の病院で統合失調症と診断され入院となったという(残りひとつの病院では躁うつ病の診断だった)。幻聴は統合失調症と解離性障害、従ってDIDにも共通するエピソードである。

多重人格概念の復活

1955年にセグペン(Thigpen, C.H.)とクレックレー(Cleckley,H.M.)らが『イブの3つの顔』という有名な症例の最初の報告を行う。その症例は1957年に出版(邦題:『私という他人―多重人格の病理』)され、ベストセラーとなり映画化までされた[31]。 精神医学界への影響はあまり無かったが[32]、北米の一般の人に「多重人格」の認識が広まり、自分は多重人格ではないかとクリニックを訪れる人が増える。1968年のDSM-IIにおいて、それまでのヒステリーが解離型と転換型に分離し、現在の解離性障害が疾患名として診断基準に登場する。しかし多重人格はその解離型の中の一症状に過ぎなかった。

多重人格概念復活の直接の契機は、1973年に精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー(Schreiber,F.R.)が著した精神分析医コーネリア・ウィルバー(Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『シビル[33]である。性的虐待とDIDの関連を最初に明確に報告したのが同書でり、16もの人格が認められた。 この本も刊行後数ヶ月にわたってベスト・セラーのトップ10に名を連ね、1976年には映画にもなった[34]。そこまではセグペン(Thigpen, C.H.)の『イブの3つの顔』の反響と同様であるが、違うところは精神医学の世界にも大きな影響を及ぼしたことである。 それには以下のような社会的背景があった。

  • 1962年に発表されたケンペ(Kempe,C.H.)らの「被虐待児症候群」(The battered-child syndrome)という論文の影響もあって1963年から1967年までの間にアメリカ全州に虐待通報制度が制定されたこと。1974年には児童虐待防止法が制定され、通報の範囲が拡大して、更に実態が明らかになった[35]
  • ベトナム戦争帰還兵の心的外傷(trauma)が大きな社会問題となりPTSDに代表される外傷性精神障害の研究が進んだこと。
  • 1970年代後半にかけて児童虐待や誘拐、レイプ、近親姦などでもベトナム戦争帰還兵に似た外傷性精神障害が見られることが徐々に明らかになったことである。

そして、現実のベトナム戦争というだれが見ても因果関係の明らかな大量の外傷性精神障害の発生から、「誘惑理論」を放棄したフロイト理論、精神分析学への非難に近い批判が巻き起こり、「解離」と「多重人格」を抑圧していた力が弱まる。そして直接心的外傷(trauma)に焦点を当てた PTSDの研究とともに、多重人格の症例にも光があたり、現在に繋がる「解離」「多重人格」の再発見が始まっていく。

診断基準への登場

そのような背景のもと米国精神医学会の診断基準などにも正式に取り上げられていった。

  • 1980年のDSM-IIIにおいて、多重人格(Multiple Personality)が障害の一症状ではなく、単独の障害に格上げされた。これによって症例数は飛躍的に倍増する[36]。1981年には「Minds of Billy Milligan」(邦訳『24人のビリー・ミリガン』)が出版される[37]
  • 1987年のDSM-III-R において多重人格の定義が手直しされる(後述)。1989年にはフランク・W.・パトナム( Putnam,F.W.)が『多重人格性障害』を著し、しばらくはそれが多重人格研究の教科書のようになる[38]
  • 1992年、 ICD-10においても「F44.8 その他の解離性(転換性)障害」(Other dissociative[conversion] disorders)の中に多重人格障害(Multiple personality disorders)が取り上げられた(後述)。
  • 1994年、DSM-IVにおいて、解離性同一性障害に名称が変更され、2000年のテキスト改訂版(DSM-IV-TR)においも再録された。

診断基準での定義

DSM-IV-TRでの定義と「同一性」

アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association)の診断基準DSM-IV-TR(2000年テキスト改訂版)での定義は以下の通りである。

A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性(identity)または人格状態(personality states)の存在 (その各々はそれぞれ固有の比較的持続する様式をもち、環境および自我を知覚し、かかわり、思考する)。

B. これらの同一性(identity)または人格状態(personality states)の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。

C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い。

D. この障害は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般的疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理的作用によるものではない。

注:子供の場合、その症状が想像上の遊び仲間(イマジナリーフレンド imaginary friend)、または他の空想的遊びに由来するものではない。

旧基準では上記のABのみであり、かつ「人格または人格状態」とされていたが、現基準では「人格」を「同一性」に変更している処がもっとも大きな特徴である[39]

除外される「一般的疾患の直接的な生理的作用」とは、例えば交通事故で脳しんとうを起こし、その事故を思い出せないというケースなどである。「酒を飲み過ぎて」も含めて、他に十分説明の出来る生理学的原因がある場合はこの疾患には含まれない。またイマジナリーフレンドは座敷童に相当と考えれば理解しやすい。日本では子供が親には見えない座敷童と遊ぶのは古くから知られ異常ではない(後述)。

「人格」か「同一性」か
「歴史」の項で見た通り、DSMの定義は2回変更されている。1980年のDSM-IIIでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格が存在」とあった部分が、1987年のDSM-III-Rでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格または人格状態が存在」となり、1994年のDSM-IVでは「2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在」となっている。つまり「人格(personality)」と言われていたものが「人格または人格状態(personality or personality states )」と薄められ、更に「同一性または人格状態(identity or personality states)」となって「人格(personality)」という表現が無くなっている。「人格状態(personality states)」は「人格のごとき状態」であって「人格」ではない。
この名称変更は、「解離」の役割を強調し、かつ、人格(personality)障害との混乱を避ける為」というのが理由のひとつであるが、もうひとつ「いくつもの人格が実態として存在するのではなく、個人の主観的体験の一部だということをはっきりさせる[40]」ことも目的とされている[41]。 後者について、DIDの代表的な専門家であるコリン・A・ロス(Ross,C.A.)はこう説明している。

多重人格者は複数の人格を持つわけではない。別の人格達は実際は一つの人格の断片である。別の人格は異常な形で擬人化され、お互いに分離して、相互に記憶喪失の状態に陥る。我々はこうした人格の断片を昔から「人格」と呼んでいる。多重人格症の存在を疑う人達がいる。彼らの疑問は、多重人格者は複数の人格を持つという誤解を前提にしている。実際の問題として、一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ないのである。 [42]

欧米人の人格(personality)へのこだわり
最近の構造化解離理論[43]では「人格(personality)」はひとつであるという立場から「交代人格(alter personality)」という言葉を避け、それを「人格の部分(personality parts)」と呼んでいる。ただし欧米人の人格(personality)という言葉へのこだわりには日本人には理解しずらい背景もある。キリスト教においては、personality(人格)は神キリストに向き合う人間そのものであって、それがアメリカの法律に分かちがたく組み込まれている。そして「人格」を多重に持つ被告の登場に司法の場で様々な混乱と困惑が起こった。それを回避することもDSM-IVでの名称変更の真意のひとつであった。

「identity(同一性)」は「personality(人格)」についての哲学的、あるいはアメリカ法的議論を回避する為に選ばれた言葉であり、正確な病名としては「解離性同一性障害」と呼ぶが、その説明の中では「人格」という言葉をあいまいに普通に使っている。 日本語で「同一性」というとピンとこないが、疾患の範囲が変わった訳ではない。「人格状態」(personality statesの直訳)も含めて、日本語の「人格」「別人」をイメージしておけばよい[44]。ただしロスもいうようにそこでの「人格」も「別人」もあくまでその人の一部である。

ICD-10での定義

世界保健機関 (WHO) によって 1992年に公表された「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems第10版、略称ICD-10)」での定義では、DSMの「解離性障害」に相当するのが「F44 解離性〔転換性〕障害」であり、その下に「F44.0 解離性健忘」、「F44.1 解離性遁走」、「F44.2 解離性昏迷」、「F44.3 トランス及び憑依障害」、「F44.4 解離性運動障害」、「F44.5 解離性けいれん」、「F44.6 解離性無感覚及び感覚脱失」、「F44.7 混合性解離性〔転換性〕障害」、「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」などに分かれる。

解離性同一性障害に該当するものは「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」の更に下に「F44.81 多重人格障害(Multiple Personality (Disorder)」として定義されている。つまりDSMよりも1段下がった位置づけである。そしてその定義の冒頭には「この症状はまれであり、どの程度医原性であるのか、あるいは文化的特異的であるのかについては議論が分かれる」と書かれている。医原性とは治療者の催眠術や暗示によって作り出されたものではないかということである(後述)。これはICD-10がリリースされた1992年以前にはその事例が北米に集中し、他国ではあまり報告がなく、多くの国の精神科医が懐疑的であったことをあらわしている。定義自体はDSMの旧基準に近く[45]以下の通りである。

主な症像は、2つ以上の別個の人格が同一個人にはっきりと存在し、そのうち1つだけがある時点で明らかであるというものである。おのおのは独立した記憶、行動、好みをもった完全な人格である。それらは病前の単一な人格と著しく対象的なこともある。

統計報告の日米比較

北米での報告

一時期の北米での報告には患者のほとんどが幼児期に何らかの虐待、特に性的虐待を受けているとするものが多い。こうした統計で有名なものはパトナム( Putnam,F.W.)やロス(Ross,C.A.)らの報告がある[46]

  • パトナム(Putnam,F.W.)による1986年のアメリカの統計報告:
    調査人数100人、女性92%、児童虐待体験97%(性的虐待83%、近親姦68%、身体的虐待75%)、死の目撃45%
  • クーンズ(Coons,P.M.)による1988年のアメリカの統計報告:
    調査人数50人、児童虐待体験96%(性的虐待68%、身体的虐待60%、ネグレクト22%)
  • ロス(Ross,C.A.)の1989年によるカナダの統計報告:
    調査人数236人、女性88%、児童虐待体験89%(性的虐待79%、身体的虐待75%)
  • ロス(Ross,C.A.)の1990年のアメリカとカナダの統計報告:
    調査人数102人、女性90%、児童虐待体験95%(性的虐待90%、身体的虐待82%)
  • ブーン(Boon,S)による1993年のオランダの統計報告:
    調査人数71人、女性96%、児童虐待体験94%(性的虐待78%、身体的虐待80%)

北米統計への疑問

これら北米統計での児童虐待、特に性的虐待の多さには、日本でDIDの治療にあたる精神科医にも疑問をもつ者が多い。何故そうなるのかについては様々な意見がある。例えば北米では日本以上に児童虐待が多いからという見方。そして北米での児童虐待に対する関心の高さである。

一方で、退行催眠により回復された記憶は信頼性に問題があり、睡眠療法を行う者の先入観がこれほどの性的虐待症例を生み出したのではないかという意見もある。この意見は日本からと云うよりも実はアメリカにおいて強かった。日本の精神科医らが北米統計の取り扱いに慎重なのは次ぎのような一連の騒動の影響もある。

娘達の回復された記憶

退行催眠により回復された記憶の信頼性が取りざたされる背景には、1980年以降の悪魔的儀式虐待の「生存者」物語から始まる一連の騒動がある。発端のひとつは1980年の『ミシェルは覚えている[47]』という本である。ミシェルは催眠により、自分が悪魔崇拝者集団による黒魔術儀式で性的虐待(Satanic-Ritual Abuse)を受けていたことを思い出した。

そこから始まったのが「保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖」現象であり、一連の託児所虐待告発事件である。 同種の告発は相当数に登ったが客観的な証拠は何もなかった。この悪魔的儀式虐待の妄想による告訴で有名なものにマクマーティン保育園裁判(1984から1990年)がある。

1988年の『癒す勇気(The Courage to Heal)[48]』は近親姦を思い出す運動のバイブルともされるが、その出版以降、女性が思い出した記憶をもとに親を訴える事態が多発する[49]。 一部のセラピストは広告に「近親姦と幼児虐待、それを思い出すことこそ癒しへの第一歩」と掲げ、更にその訴訟を成功報酬で請け負う弁護士も多くいたという [50]。 こちらも悪魔的儀式虐待の妄想がらみで事実無根のものも多く含まれていた。有名なものは1988年のポール・イングラム冤罪事件[51]である。それらの告発に共通するのはストーリーの類似性と証拠のなさである。

悪魔的儀式ではなくストーリーの類似性もないので同列にはあつかえないが、実際に性的虐待の後に子供を殺した事例として1990年の「20年前の殺人事件の目撃者」アイリーンの事件[52]も有名である。

親達の反撃・虚偽記憶

そうした風潮の中で懐疑的な意見も出てくる。まず悪魔的儀式虐待の存在については、1992年にFBIがそんな事実はないと結論を下した。同年にギャナウエイ(Ganaway,G.K.)が論文「記憶の成立について」において、悪魔的儀式虐待の犠牲者とされるものが想起したものの多くは「虚偽記憶(False Memory)」であって、一般的には「患者とセラピストの間の相互欺瞞だとするのが妥当」、悪魔的儀式虐待における「共通分母はセラピスト自身に他ならない」とした。 「虚偽記憶」の概念はこのあたりから始まる。

身に覚えの無い親たちはこの暗示や退行催眠による児童の性的虐待に関しての記憶を虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と呼び、同じ年に偽記憶症候群財団 (FMSF:False Memory Syndrome Foundation)も結成される。そして性的虐待の記憶は催眠により引き起こされた医療事故だとした逆訴訟が親の側から始まった。そしてこうした騒動にうんざりし、かつDIDの存在に懐疑的であった心理学者や精神科医からは、DIDも催眠によってつくりだされたものとの主張が強まる。

虐待比率の複雑さ

北米における児童への性的虐待はかなりの数にのぼるだろうが、その比率についての確実な統計はない[53]。 北米でも日本でも、性的虐待とカウントされるもののほとんどは自己申告である。DIDの患者が初期に「虐待」を訴えたとしても、本当にそうかもしれないし、そうでないかもしれない[54]。 もちろん性的虐待、特に近親姦など無いということではなく、先にあげた統計の虐待の比率の中には事実と相違するものも含まれているだろうという範囲である。

「解離の素因」で触れた空想傾向の強い人は「空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向」がある[55]。 DIDの患者は暗示や催眠に掛かりやすいだけでなく相手の気持ちに敏感であり、相手の意にそうように振る舞おうという傾向がほとんど条件反射的に染みついており、自己暗示にかかりやすいことなどもある。実際に『イブの三つの顔』のようなDIDの映画を見て人格が増えてしまったりもする[56]。 従って、DIDの素因、要因を持った人がトランス状態の中でDIDになってしまったり、あるいはDIDの人が更に人格を増やして重傷化してしまうということも十分にありうる。 一方で、実際の虐待と解離に相関関係があることを示した国内の研究もある[57]

コリン・ロスの四つの経路

北米でのDIDの事例を元に、コリン・ロス(Ross,C.A.)は1989年に四経路論を発表した。

児童虐待経路

これがクラフト(Kluft,R.)の四因子論をすべて満たす典型的な解離性同一障害ということになる。10歳までにはっきりとした解離が現れ、様々な症状を呈するとされる。DES(後述)の平均値は40%前後が普通。

ネグレクト経路

幼児期に母親がうつ病アルコール依存症であったり、または親自身がDIDであったりなどして、しっかりとした愛着関係がもてなかったために生じる[58]。 愛着対象がなかった埋め合わせに、想像上の世界に引きこもったり、他の人格をうみ出してしまう。DESの平均値は30%前後。

虚偽性経路

身体的・心理的症状の意図的捏造のことである。意図的であり本人も自覚していて、治療の前には何ら解離症状を呈していない。しかし通常の詐病のように経済的利益とか、法的責任の回避といった利益が無い。複雑で多種の治療歴、薬物依存からの離脱症状のふり、レイプの虚偽陳述、頻繁な検査歴、ドクターショッピング、処方薬物の乱用などを抱えていることがある。過剰に演技しているのでDESの平均値は70%と高い。日本ではあまり聞かない。

医原性経路

催眠術や破壊的カルト等によって作り出されたもの。性格は依存型がポイントかもしれないが定説には至らない。退行催眠と虚偽記憶については前章で見たとおりである。解離体験尺度(DES)の平均値は70%と高くなる。

ロス(Ross,C.A.)の経験によるとダラスの解離性障害病棟で治療した1000人以上の患者の内、感覚的に半分が児童虐待経路、残りはネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路が1/3づつ(全体の1/6づつ)と云う。 この四つの経路説の第一の特徴は、身体的・性的虐待を内容とした児童虐待経路以外にネグレクト経路を取り上げたことである。そして第二には虚偽性のものや医原性のものも確かにあると認めたことである。

日本での報告

一方の国内には以下の報告がある。

  • 安 克昌、 1997年の報告:
    調査人数15人。女性87%、情緒的虐待87%、性的虐待73%、身体的虐待60%[59]
  • 町沢静夫、 2003年の報告:
    調査人数70人。女性89%、父母との別離及び夫婦喧嘩16%、親の情緒的虐待4%、身体的虐待37%、性的虐待26%、他人からの性的トラウマ30%、いじめ29%、交通事故及び死の目撃3% [60]
  • 柴山雅俊、 2007年の報告:
    調査人数42人。両親の不仲60%、性的外傷30%、近親姦9%、両親からの虐待30%、学校でのいじめ60%、交通事故20%。 [61]
  • 岡野憲一郎、2009年の報告:
    調査人数28人。女性96%、情緒的虐待29%、性的虐待22%、身体的虐待18% [62]
  • 白川美也子、2009年の報告:
    調査人数DIDとMPDの28人。身体的虐待61%、心理的虐待74%、ネグレクト43%、家庭内性的虐待22%、家庭外性的虐待30%(一部家庭内と重複)、DV目撃65%。
    解離性障害全体では、調査人数112人。身体的虐待58%、心理的虐待84%、ネグレクト49%、家庭内性的虐待32%、家庭外性的虐待43%(一部家庭内と重複)、DV目撃64%である[63]

白川の報告は国立精神・神経センター病院での2000年から2006年3月までの集計であり、同病院は警察や児童相談所、行政の困難例からのからの紹介が多い。従って白川自身がいうように虐待症例の集まりやすい医療機関であるが、それでも前述の北米の報告より虐待比率が少ない。 岡野は一般的見解として、情緒的虐待は軽いものまでふくめれば大多数。身体的虐待は推定では半数ぐらい。性的虐待については説によって大きく異なり不明としている[64]

尚、DIDではなく解離性障害での日米の差ということでは、日本では解離性健忘障害の中の全生活史健忘(いわゆる記憶喪失)が多くDIDが少ないのに対し、北米ではそれが逆であるという意見もある[65]

日本の治療者と症例の傾向

日本での症例報告に、虐待、特に性的虐待が少ないことは治療者の方針の違いもあるかもしれない。 先の北米統計の報告者の一人で、DIDの代表的研究者パトナム( Putnam,F.W.)は、「心的外傷(trauma)体験をワークスルーしなければ解離は永遠に解消することがない」との立場をとる。 しかし患者にその精神的準備が整わない内にそれに触れることで、フラッシュバックに襲われて大混乱におちいり、人格の交代が激しくなって治療が維持出来なくなることすらある(「治療」で後述)。 そうしたことから日本には「心的外傷(trauma)体験はできればそっとしておきたい」と思う治療者が多い[66]。 犯人捜しが治療の目的ではない。それよりも患者(クライアント)のパートナーなどへの信頼感、安心感を育てることによって心の平安を得て、普通の生活がおくれるようになればなによりだ、という趣旨である。そこから治療者は虐待、特に性的虐待についてあえて聞きだそうとはしないかもしれない。

では日米の違いは治療者の姿勢だけなのかというとそうでもない。岡野憲一郎は10数年間アメリカで治療してきた患者と日本に戻ってから2007年までに見た患者18人の差をまとめ、日本特有の現象としての「関係性のストレス」という概念を提示した[67]。 アメリカの患者の母親は、直接の加害者であるか、あるいは虐待を黙認していたケースがほとんどであり、虐待をしていた父親はとうの昔に離婚して行方知れずというケースが多い。 それに対して日本では、母親が初診時に付き添ってくるなど両親が積極的に治療に関わるとする。 虐待のケースはもちろんあるがそれだけとは思えない。では何かというと日本では両親の精神的支配が原因のひとつになっているのではないかというのである。 例えば娘が母親に自分の気持ちや考えを自由に表現出来ず、それを自分の心の底に閉じこめ続けた結果、解離が促進されるというものである[68]

前述の柴山報告や白川報告では両親の不仲やDV目撃が大きいし、表に現れないものも相当数に登るだろうが、それでも日本ではアメリカのDID患者ほどの家庭崩壊は少ないという意見も多い[69]。 一方で日本でもDIDの症状の重いものは性的外傷体験を語ることが多く、重傷度との相関関係はあると思われている[70]。 以上により、北米での児童虐待・性的虐待の高さ、日本での児童虐待・性的虐待事例の平均的な低さは、いずれも背景を理解し研究の変遷も考慮しながら読む必要がある。

その他の争点

北米特有の現象か・架空の病気か

前述のICD-10冒頭の「議論が分かれる」との記載からも判る通り、その事例が北米に集中しており他の国の精神科医は懐疑的な意見が多かったように見受けられる。ただし21世紀に入ってからはそのような主張は下火になっており既に終わった争点である。

  • 北米特有の現象か
    日本で多重人格が話題になったのは1990年代であるが、しかしその70年以上前の1919年に中村古峡の2例の報告が『変態心性の研究』(大同館書店1919年)にある。前史でも見たように、忘れ去られていたとはいえ19世紀にフランスやイギリスの精神科医が取り上げており、19世紀末にはヒステリー症状の研究の中で多重人格を含む解離が扱われたていた。比較的最近では2000年のトルコとオランダの精神科入院患者に対する調査で8~29%が解離性障害、2~6%がDIDと診断されている。また1999年のオランダの報告では、精神科医の40%が少なくとも1度はDIDの診断を下したことがあるとする。これらのケースでは北米のように催眠は使われてはいない[71]
  • 架空の病気か
    1972年のケンタッキー大学医学部精神科の6人の医師が報告した黒人男性の症例[72]などは人格の交代をまのあたりにして始めて多重人格と認識され、かつ元妻やその他の証言から入院する以前からそれが現れていることが確認されている。そのことだけでも「架空の病気」とすることは出来ない。尚、医原性、詐病も相当含まれるのではないかという議論は米国内にも根強い。米国でのDIDの代表的研究者コリン・ロス(Ross,C.A.)自身が、患者数の約1/3ぐらいは医原性あるいは詐病の可能性があることを認めている(後述「コリン・ロスの四つの経路」)。しかしそれとそもそも架空の病気ではないかという話とは別物である。

宮﨑勤事件

日本で多重人格という言葉が有名になったのは東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件のマスコミ報道によってである。そこから宮﨑勤は多重人格障害であるかの印象を与えた。しかし同事件の精神鑑定書は事実上3つあり、1つが「極端な性格の偏り(人格障害)」(鑑定者6名)、2つ目が「離人症およびヒステリー性解離症状(多重人格)を主体とする反応性精神病」鑑定者2名)、3つめが「精神分裂病(破瓜型)」鑑定者1名)である。このうちの多重人格だけが強い印象を与えて記憶に刻み込まれているが、判決では「性格の極端な偏り(人格障害)以外に精神病的な状態にあったとは思われない」と明確に否定していることはあまり知られていない。

もちろん裁判官は精神医学の専門家ではない。しかしヒステリー性解離症状との鑑定を行った学者は交代人格に出会ってはいない。次ぎに第1次精神鑑定の段階で拘禁反応[73]が観察されているので、更にその2年後の第2次精神鑑定がどこまで正確に出来るものかを考慮する必要がある[74]

DIDを含む精神障害患者はその理解しがたさやマスコミでの話題性などから、「犯罪を犯しそう」と思われがちだが、それは先入観であり偏見であって、多くの精神障害患者やその経験者に精神的苦痛を与えている。これまで誰も気づかず、治療の機会も得られなかった疾患者が少年院などで見つかることもあるが、交通関係を除く刑法犯検挙人員中の精神障害患者の占める割合は、全人口に占める精神障害患者の比率よりも少ないというような情報はマスコミにはほとんど登場しない。

DIDの兆候

正常な範囲

性格の多面性

酔うと人が変わる。散々暴言を吐いておきながら翌日にはそのことを覚えていない。相手によって態度や発言が変わる。おとなしい人が突然激高する。これらは普通の人間にも良くあることであって異常ではない。時として自分の内なる声を感じるとか別の自分を感じることがある。しかしこれも通常は人間の多面性の表れ、日常的な迷いや葛藤であって疾患ではない[75]

イマジナリーフレンド

イマジナリーフレンドは座敷童と考えれば理解しやすい。これは正常である。幼児期には20%から30%もその体験を持つ者がいて、一人っ子か女性の第一子に多い。2歳から4歳の間に生まれ、8歳から12歳ぐらいの間に消えてしまう。ただDIDはイマジナリーフレンドを持っている比率が高く一般の倍の60%。また通常の一人か二人よりも多く平均6人程度で、思春期や青年期まで持続するという報告もある[76]。 これはDIDは空想力が高いこと(クラフト第三因子)、あるいは寂しさの現れでもあるかもしれないがそれ自体は解離ではない。『わかりやすい「解離性障害」入門』に4つの事例が報告されている。

軽度または一時的な解離

大学等の退屈な講義の最中に空想の世界へ入り込み、チャイムで我にかえる。小説やゲームに没入して友達が話しかけてもまったく気がつかない。飲み過ぎた翌朝、昨日のことが全く思い出せない。これらは広い意味での解離ではあるが、だれにでもあり解離性障害ではない。金縛りや金縛り中の体外離脱体験なども通常は解離ではない。また憑依現象(日本では狐憑きとか)や宗教性の一時的トランス状態は、その人が住んでいる文化圏で普通に受け入れられているものならDIDではなくそもそも障害とはみなさない。

DIDとみなされるのはうつ症状や頭痛、原因の解らない不安、その他の著しい精神的な苦痛もたらす症状が継続的である人の中で、交代人格をもっている人である。そのことのために対人関係の困難が生じている場合である。かつては正常な範囲の解離から病的な解離まで連続的であると理解されていたが、現在では連続的ではなくその二つの類型が存在するという理解が主流である。また、DIDでも記憶が共有されている、別人格がふだんは表には現れないなどで、社会生活に支障が無いのであれば障害ではない。

本人にとっての兆候

ここでは本人が、または本人の話からDIDの可能性を考える手がかりとして、普通の人間にも解りやすい代表的な兆候だけをあげる。このどれかに該当したらDIDだという訳では決してない。しかし以下のような体験がしばしばあり、それによって日常生活に支障をきたし、あるいは不安を感じているなら一度専門家に相談した方がよいとされる。DIDでなくともほかの障害の場合もあり、早めに治療に取りかかれれば悪化を防げる。ただの杞憂であればその杞憂から解放される。 

  • 苦しむ自分を見ている自分
    夢と現実の区別が付きにくい。生きている実感が薄れて無感覚になる。もう一人の自分が離れた場所からそれを眺めているように感じる。言い換えれば、自分の心が体から離れてしまう。
  • 幻聴が聞こえる
    頭の中で自分に何かを命令したり、非難したりする声が聞こえる。本人が解離した他の人格に気づいていない場合でも、他の人格が本人に語りかけていたり、あるいは他の交代人格同士が心の中で会話しているような場合、その声が判別不能な雑音のような形で聞こえる場合がある。
  • 記憶が途切れる
    過去の何年間かについて全く記憶がなかったり、昨日の、または数時間前の記憶が全く無い。もちろん正常な人間でも忘れることはあるがそういうレベルではない。また、気がつくと別の場所に居てどうやってそこに行ったのか記憶にない。自分では着た覚えのない服を着ている。全く買った覚えのない服や品物がいつの間にかある、気がついたらリストカットをしているなどのエピソードである。他の交代人格が体を支配している間、本人にとっては記憶が途切れている。
  • 知らない人が
    全く知らない人が友人や恋人のようになれなれしく近づいてきて、「あなただれ?」というとビックリした顔をする。メールや電話がくるがその人は全く記憶にない。知らない人へのメール送信の記録がある。

周りから見ての兆候

  • 突然「貴方だれ!」と
    親に対してはあまり無いが、友人、恋人、夫または妻、あるいは会社の同僚に対して突然「貴方だれ!」と言い出し、例えば会社の中などでパニック状態になる。その会社に勤務していることを知らない交代人格が職場で突然表に現れれば、当然同僚の顔は知らず、パニック状態になるのは理解できる。
  • 年齢・性格にそぐわない態度
    例えば成人の女性であるのに恋人や夫に突然子供のような振る舞いで甘えてくる。通常の甘えとは明らかに異なり、4歳とか6歳児のようなしゃべり方をすることもある。あるいは逆に極めて乱暴な口調、場合によっては男言葉で罵倒しはじめる。しぐさや服装、好みがガラリと変わる。
  • 自分じゃないと
    明らかに自分がやったのに自分じゃないと言い張る。絶対に言い逃れできない状況であって、「嘘つき」ならもっとましな言い逃れをするはずだと思う場合があるかどうか。決め手にはならないが、初診時に申し添えておいたら診察者にとって重要な手がかりになるかもしれない。
  • リストカット
    解離が起こっている人間はリストカット等自傷行為を繰り返すことがある。多くは人の気をひくためではない。本当に自殺しようとする場合もあるが、現実感の喪失から痛みで生きていることを実感しようとする場合も多い。普通の人には理解しがたいが、消えようとする自分を取り戻すための防衛的行為であることもある。現実感の喪失は解離の副作用である。[77]
  • 性格
    兆候ではないが(1)幼い頃からおとなしく自己主張出来ない。(2)受け身で依存的である。(3)自分を抑えていて聞き分けがいいよい子であると親の目には映る。前述のエピソードに加えてその人がこのような性格であればDIDか、または他の解離性障害の可能性は高まる。[78]

DIDの治療

スクリーニングテスト

  • DES(解離体験尺度)
    DES(Dissociative Experience Scale)はパトナム( Putnam,F.W.)らが1986年に開発したスクリーニングテストである。正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象までについて尋ねた 28項目の質問に0%から100%までの11段階で答え、全28 項目の平均体験率をDES得点とする[79]。DESで30点以上の場合解離性障害をまず疑ってみるという使い方をする。
  • DES-TとDES-Taxon
    DES-Tは1996年にニルス・ウォーラー(Waller,N.G.)とDESの開発者パトナム( Putnam,F.W.)が前述のDESの28項目から、病的な解離性障害に関わる 3,5,7,8,12,13,22,27 の8項目に絞ったもので、やはり0%から100%までの11段階で答えてもらい平均を出す。[80]DES-Taxonはそのバージョンアップ版とも云える。[81]DES-TaxonはDESの得点パターンから、統計的にボトムアップして求められたものである[82]
  • DDIS
    DDIS(Dissociative Disorders Interview Schedule:解離性障害インタビュースケジュール)は、ロス(Ross,C.A.)が作成した132項目のインタビューフォームで、頭痛などの身体的訴えの有無、薬物依存、精神科の治療歴、うつ症状、シュナイダーの1級症状、夢遊歩行やトランス体験、児童虐待体験、DID特有の症状、超自然体験等、境界性パーソナリティ障害に関するもの、最後に解離性障害系の個々の障害に関する質問などである。これに「ある」「ない」「わからない」と答えてもらう綿密な構造化テストである[83]
  • SCID-D
    SCID-D (Structured Clinical Intervier for DSM-IV Dissociative Disorders)はスティンバーグ(Steinberg,M.)が1994年に発表したDSM-IVの定義に基づく解離性障害のための構造化面接である。解離性障害をひとつの連続体、スペクトラムと考え、解離現象を「健忘」「離人症」「現実感喪失」「同一性変容」「同一性混乱」という5つの中核的症状にわけて質問し評価する。北米での論文にはよく用いられる[84]

DES、DDISやSCID-Dなどの構造化面接、診断面接の順に要する時間が長くなり信頼性も増す。スクリーニングテストでDIDが疑われても、診断面接で他の疾患に分類されることもある[85]。 ただし精神科入院患者、外来患者などへの解離性障害有症率調査で主に使用されるツールであり、臨床の現場で常時用いられている訳ではない。

精神療法

何を解消するのか

概要に述べたように別の人格がいることが障害なのではない。そこから引き起こされる精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さが問題なのであり、それを和らげて最後には解消することが治療の目的とされる。うつ症状や焦燥感、極度の不安などを感じているときには、抗うつ剤や抗不安剤などでそれらを抑えることはあるが、それは周辺症状に対する補助的なもので基本は精神療法、簡単にいうとカウンセリングである。それをどのように行うかは治療者[86]、さらにそれぞれの患者[87]の状況によって異なる。

精神療法の基本的前提

柴山雅俊は「解離に対する精神療法の基本的前提」として以下の10項目を挙げている[88]

  1. 安全な環境と安心感の獲得
  2. 有害となる刺激を取り除く
  3. 人格の統合や心的外傷への直面化を焦らない
  4. 幻想の肥大化と没入傾向の指摘
  5. 支持的に接し、生活一般について具体的に助言する
  6. 病気と治療について解りやすく明確に説明する
  7. 自己評価の低下を防ぎ、つねに回復の希望がもてるように支える
  8. 破壊的行動や自傷行為などについては行動制限を設ける
  9. 家族、友人(恋人)、学校精神保健担当者との連携をはかる
  10. 言語化困難な状態であるため、患者に様々な表現を促す

3番目は2つの問題に分割される。「除反応か自然治癒力強化か」「人格の統合がゴールか」という2点である。

除反応か自然治癒力強化か

1989年当時、パトナム( Putnam,F.W.)は治療の焦点を「心的外傷(trauma)からの回復と治療的除反応(Abreaktion)」とおいた。除反応はカタルシス療法とも呼び、フロイト(Freud,S.)の初期の共同研究者であったJ.ブロイアー(Breuer,J.)の患者アンナ,O.自身が発明し「煙突掃除」と呼んだ方法である[89] 。単純に云えば心の奥底にあるものを思い出して言語化すれば症状は消失するという療法である。催眠を使う場合は記憶を呼び覚まし再体験させる[90]

しかしその「心の奥底にあるもの」が深刻な虐待、またはそれに類する外傷体験(traumatic experience)である場合には、不用意にそれに直面するとフラッシュバックを起こして収拾がつかなくなり、逆に症状を悪化させることすらよくある[91]。DIDは精神障害の中で自殺企画率が高いとも云われるが、特に記憶回復、除反応を始めると増加するという報告すらある[92]。 除反応どころか再外傷体験となってしまうのである。 クラフト(Kluft,R.)は1988年段階でも、十分な信頼関係を築けた後に治療者が除反応的なアプローチが必要と思った場合でも、言葉を選んで環境も整え、相手の意志を尊重して、一気にではなく小出しに、分節化(fractionated abreaktion)してそれに当たるとしている[93]

しかし現在では除反応よりもそれぞれの人格が受け持つ不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感を育てていくことが主眼とされている[94]。 ロス(Ross,C.A.)は1989年段階から除反応には慎重な姿勢を示し、1997年には除反応行わないと宣言した[95]。 国内でも最近は「外傷体験を聞き出しての除反応に治療者が夢中になるのは非治療的」と考えられている[96]。 細澤 仁は「心理療法において、外傷記憶の想起は必ずしも必要ない」ばかりか「患者は外傷記憶を治療の場で語らない方がよい」「臨床家は患者が外傷記憶を語らないように積極的に働きかけるべきである」とまで云っている [97]

人格の統合がゴールか

昔は人格の統合がゴールとして強調されたが最近はあまり云われていない。 実はパトナム( Putnam,F.W.)でさえ1989年に統合は「多くの患者にとっては端的に非現実的な目標かもしれない」と述べ、更に「統合を治療の中心に据えるのは間違いである。治療は非適応的な反応と行動を、より適切な形の対処行動に置き換えることを目標とすべきである」と述べている[98]。解りにくい言い回しだが、平易に言い直せばこの章の冒頭に書いた「精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さ・・・を和らげて最後には解消すること」である。

彼らは記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたのであって、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねない。「統合」の話題は「あんた医者だね。私に消えろ、死ねというんでしょ!」と反発する人格が現れたり、夜中に「怖いよ!私が消えちゃう!」と泣き叫んだりと、今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えることがある。 そうした別人格の反発や恐怖は、別人格だけでなく、その人自身の隠れた反発や恐怖と理解する必要がある。

「今はバラバラなジグソーパズルだけど、ジグソーパズルはピースがひとつでも欠けたら完成しないよ」とか、「みんなが仲良くなってそれぞれの気持ちを大事に出来るといいね」「みんなが幸せになれるといいね」というような接し方をしながらやさしく包みこみ、それぞれの人格の「コミュニケーションを促す」[99]、「橋を築く」[100]、分かれてしまっている記憶や体験を「つなげていく」[101]、「融合する」[102]、「むすぶ」[103]方向が大切であるとされる。 解離はその人の人格が薄まっている状態であり、治療者は患者自身の治癒力が強まるように支援[104]してゆくが、統合するかどうかは本人達が決めることである。統合はあくまでその人その人達の回復、つまり心の安定の結果に過ぎない。

周囲の役割と接し方

治療は精神科医や臨床心理士だけで出来るものではなく、周囲の協力が大きな力になる。本人にとってストレスの元になっている人を除いてだが、親や兄弟、そしてパートナーとの間の安心出来るつながりや、感情表現の機会を作ってあげることはとても大切である。患者という船を安心できる港に着岸させることを治療の目的と考えれば、精神科医やセラピストは水路を熟知している水先案内人であり、実際に牽引して着岸させるタグボートが周囲の者と考えれば解りやすい。その為にもパートナーや家族は必要に応じて治療者との面談を行いアドバイスを受けることが推奨される。特にパートナーや配偶者は非常に大きな力になる[105]。 周囲の接し方としては以下の3点が基本である。

  • 障害であることを受け止める。 「異常」あつかいをしない。
  • どの人格にも愛情をもって接する。依怙贔屓しない。 
  • 気持ちを受け止める。

攻撃的人格の場合は憎悪をぶつけてくるので、普通の人間にはその気持ちを受け止めることは非常に難しいが、出来る限りきちんと話を聞き、言っていることを理解しようとしている姿勢を見せることは重要とされる。やってはいけないことは、幾つの人格があるかをほじくりかえすなど、昔の治療者の悪い真似をすることである。

治療機関

DIDは日本においても広く知られるようにはなったが、この障害を熟知した精神科医や臨床心理士はまだ少ない。「身近な人の理解を助ける書籍」の項に挙げた『わかりやすい「解離性障害」入門』の巻末に「対応可能な機関一覧」があるが掲載されているのは東京近郊のみである。ただし地方でも大学病院の精神科には専門医がいる可能性があり、医師のネットワークを通じて他の専門医につないでもらえることも期待される。

他の疾患との関係

DIDが誤診される他の疾患の代表的なものは統合失調症境界性パーソナリティ障害うつ病である。やっかいなことにDIDが併発することのある疾患にも境界性パーソナリティ障害とうつ病が入る。尚、DSMでは複数の疾患名を併記して良いことになっている。また同じ原因から発症すると思われる疾患には PTSDと境界性パーソナリティ障害がある。

統合失調症

「歴史」で見たように、DIDが再発見されるまで彼らは統合失調症(schizophrenie)として診断されていたと思われる。現在は日本でもDIDの知名度は上がっているが、しかしそれを熟知し、診断経験のある精神科医は少ない。更に現在においてもDIDに懐疑的な精神科医も残っている。そうした場合はDIDは統合失調症と診断される可能性が高い。 統合失調症の判定項目として有名なものにシュナイダー(Schneider,K.)の1級症状があり、以下の項目である[106]

  1. 対話性幻声 (問答形式の幻声、複数の声が互いに会話しているような幻聴)
  2. 行動を解説する幻声 (自分の行為にいちいち口出ししてくる幻聴)
  3. 思考化声 (自分の考えが声になって聴こえる)
  4. 思考吹入 (他者の考えが自分に吹入れられる)
  5. 思考奪取 (他者が自分の考えを抜き取られてしまうような感じ)
  6. 思考伝播 (自分の考えが周囲につつ抜けになっているように感じる)
  7. させられ体験 (感情、思考、行為が何者かにあやつられているような感じ。)
  8. 身体的被影響体験 (何者かによって身体に何かイタズラをされているような感じ)
  9. 妄想知覚 (見るもの聞くものが妄想のテーマに一致して曲解・誤認される)

1939年に発表されたもので、シュナイダー(Schneider,K.)はこの1級症状のうち一つ以上が存在すれば「控え目に」統合失調症を疑うことができるとした。しかしクラフト(Kluft,R.)はDIDの可能性を示す主な兆候として15項目をあげ、その11番目に「妄想知覚を除くシュナイダーの第1級症状」をあげている[107]。 「身体的被影響体験」も解離性障害でみられることはまずないが、その2つ以外はむしろDIDに多く該当する。 実際に統合失調症患者ではこのシュナイダーの1級症状の適合は1~3項目ぐらいであるに対し、DID患者では3~6項目とほとんど倍ぐらいである[108]

シュナイダー(Schneider,K.)が1級症状を考えた時代はDIDが精神科医の意識から消えていた時代である。統合失調症の原名(独名)「schizophrenie」はオイケン・ブロイラー(Bleuler,E.)の造語で、語彙は「schizo(分かれた)phrenie(心)」である[109]。 ブロイラー (Bleuler, E.)もシュナイダー(Schneider,K.)も、そしてヤスパース(Jaspers,K.T.)も、現在のDIDの患者を含めてschizophrenie(統合失調症)概念やその1級症状を考えていたとしたら[110]、シュナイダーの1級症状が現在のDID患者に高い比率で、それもしばしば統合失調症患者より高い比率で当てはまるのは当然ということになる[111]

しかし問題なのは両者の治療方法が異なることである。現在の統合失調症向けに開発された抗精神病薬はDIDの治療自体には役にはたたない。 より正確に云えば、周辺症状(緊張症状)を抑えるために一時的に少量使用[112]する範囲なら非常に有効とされる。しかしそれを統合失調症と思いこみ、抗精神病薬の投与が常態化するとかえって増悪ないしは遷延[113]しかねないし、なかなか効かないからと薬を強くされたら残るのは副作用だけである[114]

境界性パーソナリティ障害

DIDは自分が別れる(解離)のに対して、境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。それを印象として記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。攻撃性を他者へ向けるなどである。このBPDとDIDの鑑別も難しいとされる。

というのはBPDと解離性障害は非情に近い関係にあると認識されており、DSM基準ではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている。それだけではなく、DSMのBPD診断基準は幅広であり、それに従えば多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまい、DIDを含む解離性障害の診断がなされてもBPDも併記されてしまうことになる[115]。更にBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。この場合は既に交代人格が把握されていて、そのひとつの人格が明らかに狭義のBPDの兆候を現している場合などである。

しかし併記ならDIDの治療も受けられるがDIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限りその極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い[116]

BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる[117]。 しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し[118]、心を閉じてしまうことすらある。そうなるともう治療はおぼつかない。

うつ病

うつ症状は多くの精神疾患に現れるが、DIDの場合も気分変調症または大うつ病を合併していることがある[119]。 1986年のパトナム( Putnam,F.W.)らが発表した報告[120]によればDID患者の初診時の症状でもっとも多いのがこれであり、約90%にものぼる。DIDと判定される前に診断されていた病名でも一番多く約70%にもなる。 周辺症状なのだが本人にとっての精神的負担が大きいときにはそれを抑えるために抗うつ剤を処方することがある[121]。 また、近年増えてきたと云われる否定形うつ病には解離傾向を示すものが少なくない[122]

PTSD

PTSD(Post-traumatic stress disorder)の日本語訳は心的外傷後ストレス障害である。精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状や、時としてショック状態に陥り、フラッシュバックを起こす場合がある。PTSDというと戦争とか災害などの一過性の心的外傷(trauma)が原因として有名であるが、ハーマン(Herman,J.L.)[123]などのようにこれを「単純型PTSD」とし、性的暴力や家庭内暴力などの、心的外傷(trauma)が繰り返し長期間にわたるものを「複雑PTSD」(complex PTSD)とするなど、PTSDの枠を拡げる見解も発表されている[124]。 併発という点ではあまり顕著ではないが、心的外傷(trauma)という共通性とDSMのPTSD定義にある一部の症状の共通性、例えば「解離性フラッシュバックのエピソード」などからもDIDとは近い関係にある。

特定不能の解離性障害

親分類である解離性障害には解離性同一性障害(DID)の他に解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、特定不能の解離性障害がある。そして障害とは云えない正常な解離から、解離性健忘、解離性遁走、特定不能の解離性障害、そして最後に一番重いDIDに繋がると一般にいわれる[125]。離人症性障害はDIDも含め他の多くの精神疾患の症状としても見られる。解離性障害の下位の障害の内、離人症性障害、解離性健忘・遁走はDIDの症状として含まれるが、含まれないのが特定不能の解離性障害である。

  • DIDと同様に扱われるもの
    DIDに酷似しているがその診断基準を満たさないものも特定不能の解離性障害となる。その数は治療者により異なるが概ねDIDよりも多い。治療はDIDと同じであり、どこまでを特定不能の解離性障害とし、どこからをDIDとみなすかは治療者により異なる。柴山は解離性障害のうち、DIDは約20%、離人症性障害が約10%、解離性健忘が5%、解離性遁走は1%、残りの約60%が特定不能の解離性障害に分類されるとする[126]。DSMでの特定不能の解離性障害の定義の1番目にはこうある。

臨床状態が解離性同一性障害に酷似しているが その疾患の基準全てを満たさないもの。例としては、a) 2つ又はそれ以上の、はっきりと他と区別される人格状態が存在していない。 または b) 重要な個人的情報に関する健忘が生じていない。[127]

  • 区別されるもの
    特定不能の解離性障害の4番目は解離性トランス障害である。イタコなども含めるとすればここになるが、その国・社会の文化に組み込まれているのなら治療の対象、つまり障害とはならない。DSMにはこう書かれている。

解離性トランス状態:特定の地域および文化に固有な単一の、または挿話性の意識状態、同一性または記憶の障害。解離性トランスは、直接接している環境に対する認識の狭窄化、常同的行動または動作で、自己の意志の及ぶ範囲を越えていると体験されるものに関するものである。憑依トランスは、個人としてのいつもの同一性感覚が、新しい同一性に置き変わるもので、魂、力、神または他の人の影響を受け常同的な”不随意”運動 または健忘を伴うものに関するものであり、おそらくアジアでもっとも多く見られる解離性障害である。

身近な人の理解を助ける書籍

ここでは本疾患と思われる人と、その身近に居る普通の人が、その本人の状況を理解する助けになるものを易しい順にあげる。1と2の最後には対応可能な機関一覧がある。 

  1. 岡野憲一郎監修 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』 (イラスト版)
  2. 心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』
  3. 柴山雅俊 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』
  4. 柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』

これ以外の下記「参考文献」や「著名な専門書」は専門的すぎたり、古かったり、日本の実情には合わなかったりすることも多い。

参考文献

学説は年代をおって変わってゆくので、ここでは年代順(邦訳本は原書の)に並べる。参考にする場合は新しいもので概要を抑えた後に、古い文献にあたることを推奨する。尚、和田秀樹、本明 寛、鈴木茂は少なくとも下記書籍の執筆時点ではDIDの治療経験がない。

  • モートン プリンス 『ミス・ビーチャムあるいは失われた自己』(1905年、邦訳 中央洋書出版部 1991年)
  • H.M.クレックレー、C.H.セグペン 『私という他人―多重人格の病理』 (1957年、邦訳 講談社1973年)
  • フローラ・リータ・シュライバー 『失われた私』(早川書房 文庫 1978年)
  • 鈴木 晶 『フロイト以後』(講談社現代新書、1992年)
  • レノア・テア 『記憶を消す子供たち』(1994年 邦訳 草思社 1995年)
  • コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス―多重人格患者達のカルテ』(1994年 邦訳 PHP研究所 1996年)
  • ローレンス ライト 『悪魔を思い出す娘たち―よみがえる性的虐待の「記憶」』(1994年 邦訳 柏書房 1999年)
  • 酒井和夫 『分析・多重人格のすべて―知られざる世界の探究』(リヨン社 1995年)
  • 本明 寛 『あなたに潜む多重人格の心理』(河出書房新社 1997年)
  • 服部雄一  『多重人格者の真実』 (講談社 1998年)
  • 和田秀樹 『多重人格』 (講談社現代新書 1998年)
  • フランク・W・パトナム他 『多重人格障害-その精神生理学的研究』(邦訳 春秋社 1999年)
  • 鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学―多重人格・PTSD・境界例・統合失調症』(金剛出版 2003年)
  • 町沢静夫編著 『告白 多重人格―わかって下さい』(海竜社 2003年01月)
  • 『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院; 新訂版 2003年)
  • 『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 (金剛出版 2003年)
  • 岡田斉・松岡和生・轟知佳「質問紙による空想傾向の測定─ Creative Experience Questionnaire 日本語版(CEQ-J)の作成」『人間科学研究』第26号 文教大学人間科学部 2004年
  • 西村良二編・樋口輝彦監修 『解離性障害』 (新興医学出版社・新現代精神医学文庫 2006年)
  • 柴山雅俊 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』 (ちくま新書 2007年)
  • 岡野憲一郎 『解離性障害―多重人格の理解と治療』 (岩崎学術出版社 2007年)
  • 細澤 仁 『解離性障害の治療技法』(みすず書房 2008年)
  • 岡野憲一郎監修 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(講談社こころライブラリーイラスト版 2009年2月)
  • 岡野憲一郎 『新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて』 (岩崎学術出版社 2009年8月)
  • 『精神療法 第35巻 第2号 特集 解離とその治療』(金剛出版 2009年4月)
  • 『こころのりんしょう a・la・carte〈特集〉解離性障害』Vol.28 No.2(星和書店 2009年6月)
  • 心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』(星和書店 2010年8月)
  • 柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 (岩崎学術出版社 2010年)

参考文献以外の著名な専門書

  • フランク・W・パトナム 『多重人格性障害―その診断と治療』 安克昌・仲居久夫訳、(1989年 邦訳 岩崎学術出版社 2000年)
    Frank W. Putnam (1989) 「Diagnosis and Treatment of Multiple Personality Disorder (Foundations of Modern Psychiatry)」 
  • フランク・W・パトナム 『解離―若年期における病理と治療』(1997年 邦訳 みすず書房 2001年)
    Frank W. Putnam (1997) 「Dissociation in Children and Adolescents: A Developmental Perspective」
  • Ross CA, Heber S, Anderson G, et al. (1989) 「Differentiating multiple personality disorder and complex partial seizures」
  • Van der Hart, Ellert R. S. Nijenhuis, and Kathy Steele(2006) 「The Haunted Self:-Structural Dissociation and the Treatment of Chronic Traumatization」 ,(ISSTD日本支部 解離研究会で翻訳中)

理解を助ける作品

ここではDIDに関わる精神科医、臨床心理学者らが関わっている、または肯定的に取り上げているドキュメンタリーや作品をあげる。以下に挙げなかった『ジキル博士とハイド氏』は二重人格の代名詞にまでなっているが、そのモデルは昼間は実業家で夜間に盗賊として盗みを働き、スコットランド税務局の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人間であり別物である。ゲームやマンガに登場する多重人格によってDIDを語ることは偏見の助長にしかならない。

  • 失われた私』を原作とする映画:『シビル(Sybil)』:サリー・フィールド主演:1976年)、同TVドラマ『多重人格・シビルの記憶』。ビデオ化もDVD化もされてなくWOWOWのみで放送された。
  • 『イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン (20世紀フォックス 1957年)『私という他人―多重人格の病理』を原案とする映画。同TVドラマ『私という他人』 (TBS 1974年 主演:三田佳子 脚本:矢代静一、ジェームス三木)
  • クリス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (上記の映画『イブの三つの顔』のモデルとなった女性の著書 早川書房 文庫1995年)
  • ダニエル・キイス 『24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者』 (早川書房 1992年、文庫1999年)
  • ダニエル・キイス 『ビリー・ミリガンと23の棺(上下)』(早川書房 文庫1999年)
  • TVドラマ『存在の深き眠り』 (NHK総合水曜シリーズ 脚本:ジェームス三木)
  • ジェームス三木『存在の深き眠り』 (NHKライブラリー 1997年)TVドラマの小説化
  • 多島 斗志之 『症例A 』(角川文庫 2003年)
  • ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』 (青土社 2006年)
  • リチャード・ベア 『17人のわたし ある多重人格女性』(2007 邦訳 エクスナレッジ 2008年8月)

尚、治療者の中には患者本人がこういう作品を読むことはあまり良い結果をもたらさないという意見もある。DID患者は没入傾向が強く、影響をうけて解離症状が顕在化、ないしは増悪する場合があるからという理由である[128]。 その一方で、専門書も含めてそれらを患者本人や家族など周囲の者が読んで理解を深めることは有益な側面もあると考える治療者もいる[129]
ただし自伝はともかく、小説として書かれているものは途中まではその症状や状況をリアルに解りやすく描き出しているが、クライマックス近くになると小説以外のなにものでもないことには留意する必要がある。

脚注

  1. ^ 和田秀樹が『多重人格』1998年p.56 で紹介した岡野健一郎の言葉。このとき岡野はアメリカでDIDの治療にあたっていた。カッコ内は「健全な」であったがここだけ平易に置き換えた。
  2. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.140 他
  3. ^ 『こころのりんしょう a・la・carte(特集)解離性障害』Vol.28 No.2 (以下『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年と略)Q&A集Q5では(3)と(4)を合わせて虐待とまとめているが、ここでは説明の都合上2つを分ける。
  4. ^ 岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.61
  5. ^ レノア・テア(Terr,L.) 『記憶を消す子供たち』1994年 p.25
  6. ^ 岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.103-112
  7. ^ 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.271(座談会)。柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.13.の冒頭の「症例エミ」も虐待もネグレクトもない家庭環境である。
  8. ^ 本項もそうだが、インターネット上にはDIDの患者自身のサイトを含めて多くの情報がある。柴山雅俊は『解離性障害』 2007年 p.28で「インターネットの情報はあくまで参考程度に」と勧めている。
  9. ^ 一方で催眠感受性と空想傾向の間の相関はわずかであり、高い催眠感受性を持つ対象者の大多数は空想傾向であるということはできないが、高い催眠感受性を持つ対象者は低い傾向の人と比較すればより高い空想傾向を持ってはいるとするLynn & Rhueの1991年の研究もある。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154 )
    Lynn, S. J., Rhue, J. W., & Green, J. P.は1988年に「空想傾向が虐待や心的外傷(trauma)のエピソード以前から発達していたのか、その後に発達させたかについては定かではないが、過酷な子ども時代の環境が空想傾向と結びつくことによりその個人が後に多重人格と診断される可能性が増大するのであろう」と述べている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154 )
    西澤哲が「PTSDの診断をめぐる問題」(『臨床心理学(特集)心的外傷』 2003年 pp.781-789)において発表した被虐待児童のTSCC(後述)の結果を発表しており、その中に空想傾向も含まれている。そこでは擁護施設に収容された児童は一般家庭の児童よりも若干空想傾向は高いものの、サンプル数の面からも有意差があるとは云えず、また擁護施設内の虐待児童とそうでない児童の差はほとんど無い。それらのことからも、空想傾向が虐待などによるものとは考えにくい。また空想傾向であればDIDになるという訳ではなく、ポジティブな面ももちろんある。
    ただし、パトナム( Putnam,F.W.)は1998年には「催眠と解離との関係はほどんどない」と述べ、クラフト(Kluft,R.)の四因子論にみられるような「外傷-自己催眠仮説」「解離連続体仮説」から離散的行動状態モデル(discrete behavior states)つまり病的解離モデルにシフトしている。
  10. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.123
  11. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.73-79(症例K 初診時33歳女性)によくあらわれている。
  12. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.117。両親の不仲が自傷群では約80%にも達し非自傷群ではその半分である。また学校での持続的ないじめの経験は同じく約70%対約40%である。両方経験している者が自傷群の半数以上ということになる。両親の離婚、両親からの虐待はともに自傷群で約40%、非自傷群ではやはり半分である。性的外傷体験は約35%対約20%で差は縮まり、家庭内での性的外傷体験は無かったとする。親のアルコール中毒、母子分離、交通事故、暴力などは両群であまり差は無かったという。ただしサンプル数が少ないため、統計学的に有意差が認められるのは「両親の不仲」だけであった。
  13. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.221。中でも性的虐待はその点でもっとも際だっているとする。
  14. ^ 最近では発達心理学の愛着理論(Attachment theory)の方から幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。愛着理論ではAタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン(Main,M.)とソロモン (Solomon,J.)が発見したDアタッチメント・タイプ(無秩序・無方向型)が新たに加わる。 1990年にはメインらはDアタッチメント・タイプは養育者の生活史における未解決の外傷や喪失と関連があることを示し、更に外傷を負った親の養育態度に関係するのではないかとした。それ以降、1991年に愛着関係(attachment)と解離との関係をバラック(Barach,P)が概念化し、1996年にはメインらが「トランス様状態とおそらく解離していると考えられる行動が非統合型の子供の一部に見られる」と報告している。(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.36-39)
    2003年にはライオンズ-ルース(Lyons-Ruth.K)によって、明確な心的外傷(trauma)以外が無くとも、Dアタッチメント・タイプ、つまり愛着対象が脅威の対象であるような葛藤に満ちた、歪んだ愛着関係(attachment)にあった子供は解離性障害になる可能性が高いとした。(野間俊一「解離研究の歴史」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.282)
    2006年にはリオッタ(Liotti.G.)もこのDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱している(白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう。(特集)解離性障害』 2009年 p.302)
    尚、愛着関係(Attachment)に起因する脆弱性はあくまで幼児期の養育者とのコミュニケーションに起源をもつもので、「解離の素因」にあげた被暗示性や空想傾向などの生得的なものとは異なる。
  15. ^ これは北米での近親者からの児童虐待・性的虐待でも同じである。
  16. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.119。
  17. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.64-68
    バン・デア・ハート(Van der Hart)らの構造的解離理論(「参考文献以外の専門書」項で翻訳中としたもの)では「あたかも正常に見える人格部分(apparently normal parts of personality.ANP)」と「情動的人格部分(emotional parts of personality.EP)」に分けている。ANPは日常生活をこなそうとする人格部分(personality parts)であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。そしてその組み合わせにより、構造的解離(structural dissociation)は3つに分類され、第1次構造的解離(primary structural dissociation)は単純型PTSDや解離性障害の単純型。第2次構造的解離(secondary structural dissociation)は複雑型PTSD、特定不能の解離性障害、境界性パーソナリティ障害。第3次構造的解離(tertiary structural dissociation)をDIDとする(柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.137-138)。もちろんこの分類は現在のDSMとは異なる。
  18. ^ 一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 2003年 p.807 及び柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.136によるとalter identity、つまり交代アイデンティティとか交代同一性ということもあるようだが、少なくとも日本の文献では交代人格と書くものがほとんどである。
  19. ^ これは人による。例えば町沢静夫は『告白多重人格―わかって下さい』 2003年 p.34でその体を支配している交代人格はあくまで交代人格。8年間眠っている元々の人格を主人格と呼んでいる。ただしここまで来ると、本来の人格と交代人格との差はほとんど無くなる(柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.137)。断片化し過ぎれば残ったものもまた断片に過ぎないというのに似ている)。
  20. ^ 大矢大「<生き残る>ということ」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.352、
  21. ^ 服部雄一 『多重人格者の真実』 1998年 p.60
  22. ^ コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.122
  23. ^ 例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。絵も年齢相応になる。また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。利き腕が変わる。そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す。
  24. ^ フランス貴婦人に交代するドイツ人女性の症例、和田秀樹『多重人格』1998年 p.19
  25. ^ 野間俊一「解離研究の歴史」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年pp.278-279
  26. ^ 鈴木晶 『フロイト以後』1992年 p.55
  27. ^ 最近は完全に「誘惑理論」を放棄していた訳ではないとも云われているが、しかしそれも再発見されるまでは精神分析の世界では忘れ去られていたのは確かである。尚この「誘惑」つまり実際にあった性的外傷か、それとも「欲動」想像の産物なのかという問題は精神分析の世界を離れた現実の場で再燃するのが「虚偽記憶」問題(後述)である。
  28. ^ もう一方は伝統的生理学的な精神病理学である。
  29. ^ 邦題は『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』。尚、この概要は1900年にパリで開かれた国際心理学会において「多重人格の諸問題」というタイトルで発表されている。
  30. ^ 邦訳『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』の訳者あとがき
  31. ^ 『イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン、20世紀フォックス。多重人格者イブ役のジョアン・ウッドワードはアカデミー主演女優賞を取る。DVD化されて20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパンKKより発売されている。
  32. ^ 相変わらず非常にまれであるか、あるいは催眠術による人工的なもの、つまり医原性のものと考えられていたようである。(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98)
  33. ^ 邦題『失われた私』(参考文献参照)
  34. ^ 尚、『失われた私』ではシビルは治療を終え教職を得てウィルバー(Wilburn,C.B.)の元を離れたことになっており、「物語」の最後は「私は彼女の物語がハッピーエンドで終わったことが嬉しかった」と結んであるが、残念ながらここだけは事実ではない。治療終結は実際にはウィルバーの転勤によるものらしい。シビルは本名をShirley Arbell Mason という。結婚もぜず古い友人や家族とも接触を断って、人目を避けてウィルバーの家の近くで暮らし1998年に亡くなった。J.ブロイアー(Breuer,J.)の患者アンナ,O.や『イブの3つの顔』のセグペン(Thigpen, C.H.)とイブことクリス・コスナー・サイズモアのハッピーエンドの嘘を思い出すが、ブロイアー(Breuer,J.)やセグペン(Thigpen, C.H.)の場合と違うところもある。ウィルバーは少なくともシビルが近くに越してきてからはその支えになり、ウィルバーが1992年に亡くなったときにはかなりの遺産をシビルに残している。(鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学』 2003年p.83)
  35. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 pp.114-115.
  36. ^ 西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98
  37. ^ 一般的には「多重人格」のドキュメンタリーとして有名であるが、日本国内では、自己顕示欲が強く、周りの者を思うがままに操作している処などむしろ人格障害とアレキシサイミア(失感情症)の合併症ではなかろうかという意見もある。酒井和夫 『分析・多重人格のすべて』1995年 p.104
  38. ^ そこでは治療の焦点を「心的外傷からの回復と治療的除反応」とおいていた(後述)。
  39. ^ 尚、事実上DIDであっても、現在の定義を完全に満たすことが難しく、多くが「特定不能の解離性障害」に分類されてしまうことなどから、現在検討中の次期DSM改訂5版で、上記定義が変更される可能性もある。
  40. ^ 「DSM-IVガイドブック」。和田秀樹『多重人格』1998年p.54より。
  41. ^ 実はこの名称変更に裏にはDSM-IV 編集時の確執があったという。アリソン(Allison,R.)によればDSMの検討メンバーの中に「多重人格症の存在を疑う人達」が居て、その主張が「一人の人にはひとつの人格が原則である」というものであったという。それらのメンバーの意見の一部を取り入れ「多重人格」という言葉を避けて解離性同一性障害という名称を用いることで政治的決着を見たらしい。(岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.33-34)
  42. ^ コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.11
  43. ^ 奥田ちえ「構造的解離理論の基本概念と治療アプローチ」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.337、「The Haunted Self: Structural Dissociation and the Treatment of Chronic Traumatization 」; New York, W. W. Norton, 2006
  44. ^ ここでの「同一性」は、エリクソン(Erickson,E.H.)が「同一性拡散」という場合の「同一性」とは別物である(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.100)。 障害名の理解としては上記で十分である。更に英語と日本語の翻訳の誤差というものもある。personalityにはいくつもの意味がある。そのひとつが「人間であること、人間としての存在」であり、ロス(Ross,C.A.)が「一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ない」というときの「人格」の意味はこれである。しかし「個性、性格」の意味の方が辞書では上位であって、「a personality test」は性格検査であり、「a television personality」はテレビタレント、「personality journalism」はゴシップジャーナリズムである。これを「人格検査」「テレビ人格」「人格ジャーナリズム」と機械的に直訳すると訳がわからなくなる。一方「identity」は「同一人であること、本人であること、正体、身元」「独自性、主体性、本性、帰属意識」である。
  45. ^ ICD-10の作成時のDSMはIII-Rだったので、その時点では同期は取れていた。
  46. ^ 服部雄一 『多重人格者の真実』 1998年 p.191、及び細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.21
  47. ^ この記憶は流産のあと心理療法を受けていたとき、催眠によるトランス状態の中で想起されたものである。Michelle Smith & Lawrence Pazder 「Michelle Remembers」 Congdon and Lattes,1980。d同書は邦訳はされていないが、ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.101に同書についての記述がある。
  48. ^ 邦題『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』、「近親相姦を思い出す運動のバイブル」ともされ、著者のエレン・バスと(Bass, E.)ローラ・デイビス(Davis,L.)は詩人と短編小説家であり臨床心理学を修めた臨床心理士(clinical psychologist)ではない。しかし両者とも「記憶回復のワークショップ」を運営している。
  49. ^ 偽記憶症候群財団の調査では親を告訴した者の90%は女性でそのほとんどが『生きる勇気と癒す力』を読んでいる。ちなみに一人っ子はわずか2%で平均は3.6人である。75%のケースでは他の兄弟姉妹は告発内容を信じなかったという。(ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.222)
  50. ^ 日本の臨床心理士は大学院で臨床心理学を学んでいることが前提のひとつだが、アメリカのサイコセラピストは病院勤務の場合を除いてそれほど厳格ではなく、州によっては届出だけで良いところすらある(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.207他)。『生きる勇気と癒す力』も、先の広告もそれ自体が暗示である。そうしたあやしげなセラピスト、カウンセラー達の多くは退行催眠を行った。
  51. ^ ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』(1994年)。キリスト教ペンテコステ派のある一派の牧師がほとんど集団睡眠状態の中で「この中に性的虐待を受けた人間がいる」と透視したことから、信者たちは「それは私のことだ」と次々に告白し始めた。ポール・イングラムはそうした二人の娘から告発される。娘たちはこの村に悪魔崇拝のカルトの拠点が存在するとまで主張した。ポール・イングラムは娘達からの告発を聞いて、そうだったような気がしだして自白してしまうという冤罪事件である。親子ともに暗示にかかりやすく解離傾向にあったのだろうとされる。
  52. ^ レノア・テア(Terr,L.)『記憶を消す子供たち』(1994年)
  53. ^ 岡村毅、杉下和行、柴山雅俊「解離性障害の疫学と虐待の記憶」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.345
  54. ^ 1992年8月の米国心理学協会(American Psychological Association)の大会でテネシー大学のマイケル・ナッシュは宇宙人によって誘拐されたという記憶をもつ患者の臨床例を報告し「臨床面での有効性という点では、事件が本当に起こったのか否かとことは大して重要ではない。・・・結局のところ、臨床家としての我々には、過去をめぐって堅く信じこまれた幻想と、過去のれっきとした記憶を区別する術はないのだ。」と述べている。(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 pp.109-110)
    DIDの事例ではないが、先のポール・イングラム冤罪事件の家庭では、厳格な父親と、その父親が末っ子には優しい父親になったという、まるで岡野のいう「関係性のストレス」に近い様相が見いだせる。(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.31)
  55. ^ ウイルソン(Wilson,S.C.)とバーバー(Barber,T.X.)は1983年の論文で、空想傾向の強い対象者の65%は「全ての感覚モダリティにおいて幻覚的な強度をもつ空想を経験することができ、また85%は(対象群が24%であったのに対して)彼らは空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向がある」としている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.153)
  56. ^ コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.84。ただしこのロス(Ross,C.A.)の患者が医原性だというのではなく、ロス(Ross,C.A.)は冷静に元々の交代人格と、患者がセラピーを続けたいが為に生み出した人格とを分けている。
  57. ^ 西澤哲は擁護施設の子供110名を対象にTSCCを実施した。TSCC(Trauma Symptom Checklist for Children)は子供のトラウマ症状のアセスメントの為にBriereが1996年に開発したもので、トラウマ反応を「不安」「抑鬱」「怒り」「ポストトラウマ・ストレス」「解離」という5つの尺度で評価する。 ここでは自己申告ではなく、児童相談所と擁護施設がともに「虐待」を認識している子供達をグルーピングしている。ネグレクトと思われるものはここでは含んでいない。 その子供達は、「不安」「抑鬱」「怒り」「ポストトラウマ・ストレス」「解離」の全てについて他の子供達よりも有意に高い得点を示したが、特に顕在的解離において他の反応よりも優位に高かったとしている(西澤哲「PTSDの診断をめぐる問題」『臨床心理学(特集)心的外傷』 2003年 pp.781-789 )。 TSCCはスクリーニングテストであり、検出された者の全てがPTSDであったり解離性障害であったりする訳ではないが、一般に虐待、特に性的虐待を受けたと告げるDID患者に重傷者が多いという云われていることに付合する。
  58. ^ ライオンズ-ルース(Lyons-Ruth.K)やリオッタ(Liotti.G.)が指摘した愛着理論でのDタイプを示すような養育状況もこれにあたる。
  59. ^ 岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54
  60. ^ 町沢静夫編著 『告白 多重人格―わかって下さい』(2003年)、全て%とし小数点以下は四捨五入した。
  61. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.117、尚調査対象はDIDを含む解離性障害者であり、数字は何割との表記を%に改めた。
  62. ^ 岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54
  63. ^ 白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.307
  64. ^ 岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54
  65. ^ 西村良二編 『解離性障害』 2006年p.68
  66. ^ 柴山雅俊「ヒステリーの時間・空間的障害についての一考察」1992年(『解離の構造』 2010年収録 p.9 )
    岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.164
    細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.190-192
    上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.198
    一丸藤太郎「解離性同一性障害への最近の取り組み」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.206
    尚、北米においてはそのような考え方はしないのかというとそうでもなく、パトナムやロスも2000年前後を境に徐々に変わりつつあるという見方もある。またリオッタ(Liotti.G.)などの愛着理論からのアプローチには日本の治療者も注目している。(「除反応か自然治癒力強化か」で再度触れる)
  67. ^ 岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.119
  68. ^ 心理療法研究会『わかりやすい「解離性障害」入門』(2010年)の中にも5例の紹介がある。前述の『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.266「座談会」のケースもこの例である。ただしそういう目で北米の症例を眺めてみると、北米においてもそうした関係がみられるケースが思いの外多い気がする。
  69. ^ 和田秀樹『多重人格』1998年p.105 など。
  70. ^ 岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.191 鼎談での柴山雅俊の発言その他。
    一丸藤太郎は「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 2003年 p.808で古典的DIDと現代的DIDを分け、その決定的違いは深刻な虐待を体験しているかどうかであるとしている。 現代的DIDは交代人格の数が多く、またシュナイダー(Schneider,K.)の一級症状に該当したり、境界性パーソナリティ障害を併発するなど付随する症状が多彩であるとする。
  71. ^ 西村良二編 『解離性障害』 2006年p.101
  72. ^ 「ある多重人格の客観的研究」1972年。尚この6人の医師の一人はシビルの治療をしたコーネリア・ウィルバー(Wilburn,C.B.)である。フランク・W・パトナム( Putnam,F.W.)他『多重人格障害-その精神生理学的研究』収録 pp.97-133。
  73. ^ 拘禁性神経症、ただしDSMの分類には無い。
  74. ^ 酒井和夫『分析・多重人格のすべて』1995年 p.128
  75. ^ 本明寛が『あなたに潜む多重人格の心理』(1997年)で述べた内容はほぼ正常な範囲である。それは多面性であって障害ではない。
  76. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.128。イマジナリーフレンドの周辺にはヌイグルミや人形などを擬人化して対話するケースもある。尚パーセンテージは報告により異なる。多い方では白川が正常児に20~60%、解離性障害の子供には42~84%とする(白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.301)。
  77. ^ 川谷大治「解離と自傷」『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.169
  78. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.143.「症例エミ」のケースが解りやすい。
  79. ^ 本来「%」だがここでは「点」と呼ぶ。ロス(Ross,C.A.)が1991年にカナダで行った一般人1,055人の調査では30点未満が95%となった。カールソン(Carlson,E.B.)とパトナム( Putnam,F.W.)らの1993年の報告では、DES得点が30点より少ない人の99%はDIDではなく、平均値が30点以上の人の17%はDIDと診断された。何点以上はDIDというものではない。また精神疾患者にこのテストを行うと中央値は統合失調症では20.6点、PTSDでは31.3点、DIDでは57.1点だったという。他の複数の報告でも得点は変わっても傾向は同じである。(岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.290)
  80. ^ 「T」はTaxonの頭文字である。Taxonとは類計学的モデルのことでこれは単なる簡易版ではない。DESは正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象まで連続しているという立場である。それに対しDES-TとDES-Taxonは、正常な解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在する、従って正常範囲の解離度と精神病的な解離度の平均をとってもあまり意味はないという立場である。(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.35)
  81. ^ こちらは頭文字ではなくフルスペルを名前にした。ウォーラー(Waller,N.G.)とロス(Ross,C.A.)らの1997年の論文で発表された。
  82. ^ それぞれの項目に閾値を設定しておき、どの項目で閾値を超えたか、それは何項目かにより解離性障害の推定確率を統計ソフトのSASやExcelでもとめる。田辺肇「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」(『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.285)では、例えばDESの5番目の「買った覚えがない新しい持ち物がある」という質問の閾値60%を超える回答があって、他の項目では閾値を超えていなかったなら解離性障害の推定確率は約11%。DESの5番目の他もう1項目で閾値を超えていれば推定確率85%以上。どれであれ3項目以上で閾値を超えていれば推定確率99%以上というような求めかたをする。
  83. ^ 和田秀樹『多重人格』1998年p.182。ロス(Ross,C.A.)が前述の1991年カナダでのテストの際、一般人1,055人のうち454人にこのインタビューフォームを用いると11%に解離性障害の疑いが見られたという。1997年のロス(Ross,C.A.)のテストでは、一般人の中で何らかの解離性障害を有するものが12%。DIDは3%ということになってしまった。精神科の患者ではないので比率として高すぎる気もするが、しかしスクリーニングテストとしての信頼性は高い。
  84. ^ この評価を解離性健忘障害に当てはめると、「健忘」が重傷、他は軽傷で「同一性混乱」はほとんど無し。解離性遁走障害は「健忘」が重傷、「離人症」「現実感喪失」は軽傷で「同一性変容」「同一性混乱」は重傷より若干下がる程度。DIDは全体に重傷だが「健忘」「離人症」「現実感喪失」が若干低め。特定不能の解離性障害はDIDよりも若干下がるが中等症よりは上というようなプロフィールになる。(西村良二編 『解離性障害』 2006年 pp.36-37)
  85. ^ 岡村毅、杉下和行、柴山雅俊「解離性障害の疫学と虐待の記憶」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.341
  86. ^ 精神科医、または臨床心理士。
  87. ^ 臨床心理士はクライアントと呼ぶ。
  88. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.198。尚、前著『解離性障害』 2007年 p.191にもほぼ同じ10項目であげている。変わったところは「隠れた攻撃性や葛藤について」が無くなり、「連携をはかる」相手に「恋人」が加わったことか。
  89. ^ 鈴木晶 『フロイト以後』1992年 p.49
  90. ^ 上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.195
  91. ^ 大矢大「心的外傷と解離」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.166
    柴山雅俊「ヒステリーの時間・空間的障害についての一考察」1992年(『解離の構造』 2010年収録 pp.3-18 )の症例では柴山は「もうこれ以上(思い)出すのは止めなさい。もう十分に出したと思う」と強く指示したと書いている。このケースでは「現実と空想、過去と現在がごっちゃ」になっていた。患者は「じゃあどうするんですか、昔のことを思い出さなければ良くならない」と泣いて抵抗したというが、翌週には「頑張って(思い)出さないようにしている」といい、暫くして次第に改善しだしたという。尚、昔のことを思い出せば改善すると思いそう云ったのはその夫である。自ら解離屋を名乗る精神科医岡野憲一郎が『忘れる技術-思い出したくない過去を乗り越える11の方法』という本を書いていることも、この件と重ね合わせると興味深い。岡野は除反応の本家本元であるフロイト正統派・国際精神分析協会の正会員である。
  92. ^ 西村良二編 『解離性障害』 2006年 p.153
  93. ^ 岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年pp.238-243。「環境も整え」とは、屈強な看護師を待機させ、外来の場合には最初の1/3をそれに充て、かつ患者に付き添いの人を同伴してもらうなども含む。岡野は「患者が除反応のあと解離状態のままクリニックを出て、道にふらふらと飛び出して事故などに遇いはしないか、などという懸念は現実的なものである」と述べている。 尚、パトナム( Putnam,F.W.)は自分のDID患者との面接時間は90分であり、特に除反応を行うときは50分では短かすぎるとしている。しかし日本の精神科での診療時間で90分もかけられる病院は無い。柴山雅俊は東大病院に居た2007年当時には「もう7、8分、ときにはもっと短い。なさけない話ですが」(岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.181 鼎談での柴山雅俊の発言)と云い、2010年の『解離の構造』の中では10分から20分と書いている。岡野憲一郎の15分から30分(前述の鼎談)は柴山に「うらやまし過ぎますよ」と云われるほどである。心理療法士による保険対象外のカウンセリングでやっと50分ぐらいというところである。もちろん時間が取れれば除反応を行ってもよいということではないが。
  94. ^ 一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』p.811
  95. ^ 細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40
  96. ^ 西村良二編 『解離性障害』 2006年 p.115
  97. ^ 細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.190。外傷記憶を既に語ってしまった患者に対しては、今後語らないようにと云っても実りがないが、その場合は、現在の対人関係における葛藤や怒り、不満などのネガティブな気持ちが外傷記憶を想起させやすくしていると説明し、現在の問題への対処に再度方向を修正するのがよいとしている。
    除反応を説いたパトナム( Putnam,F.W.)自身も1997年の『解離』では、リクラゼーションにより患者の自然治癒力を強める方向を重視しはじめた。『解離』(1998年)の副題は「若年期における病理と治療」であり、児童に関してはとの保留付きであるが、除反応を治療技法として用いることに反対を表明し、治療の根本は自然回復力が発揮されるのを援助することであって「重視すべきことは、自己統御、感情と衝動の調整、行動の統合、意識と自己の表象との統一の強化」であるとしている。細澤 仁は『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40 で「パトナム( Putnam,F.W.)の病理理解が発達論に傾いたことからの論理的必然であると思われる」とコメントしている。
    2006年にリオッタ(Liotti.G.)はDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱しているが(「安心していられる場所の喪失」の脚注14参照)、愛着理論の立場では、統合された自己はその子が成長する過程で獲得されるものであり、その過程が養育状況により頓挫するのが解離、あるいは解離性障害の前提となる脆弱性であるという理解である。 リオッタ(Liotti.G.)は、深い悲しみをもつDID患者に対して、治療者が共感的理解を提供することで、その治療関係の中でDID患者の愛着システムが活性化され、安定型(Bタイプ)の愛着を経験しはじめる。また患者は、脱価値化や自他への攻撃ということの背景には他者によって理解されたい、苦しみを癒してほしいという動機が存在していることを理解するようになる。それらによって患者は統合へ向かうとしている(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.36-40)。 この愛着理論(Attachment theory)の側からの治療論は、大筋において1997年以降のパトナム( Putnam,F.W.)や、現在の日本の治療者のスタンスに共通するところが多い。
  98. ^ 細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.26
  99. ^ 奥田ちえ「座談会-解離性障害によりよく対応するために」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.275
  100. ^ 上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.198
  101. ^ 岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.153
  102. ^ 松木繁「人格障害への臨床催眠法」『臨床心理学』・Vol.8, No.5 (金剛出版, 2008年)., pp.661-667
  103. ^ 柴山雅俊は2010年の『解離の構造』の最後の章「解離の治療論」をこう結んでいる。”解離性障害の治療において重要なことはたんにひとつの人格にすることではない。必要なことはそれぞれの魂が「包まれる」とともに「つながり」を回復してゆく課程であり、それによって〈むすび〉すなわち生成する生命の力を奮いたたせることにある”。「むすぶ」ということばは「つつむ」(=掬ぶ)ことと「つなぐ」(=結ぶ)ことの両義を持ち、神道では「産霊」を〈むすび〉と読む。「むす」は「産す」「生す」であり「ひ」は霊力のことである。従って柴山のいう「むすぶ」とは単に人格を結合することではなく、鎮魂の意味も込めている。何を鎮魂するのかというと「ネガティブな心的内容」を受け持った、心的外傷をひとりで抱え込んだ「切り離されたわたし」「身代わり部分」としての別人格である。誰がというとそれは治療者でありパートナーや家族であり、そして何よりも身代わり人格によって助けられていた本人自身によってである。それによって身代わり人格はその存在意義を認められ、尊厳を回復して止まっていた時間が動きだし、記憶をみんなで分かち合うことに目を開く。
  104. ^ 細澤仁も人格の統合を治療目的とは考えていない。それどころか交代人格を区別しそれぞれの名前で呼ぶこともしない。細澤のユニークな精神分析的治療論を要約することは難しいが、簡単に云えば患者自身の治癒力を高めることで症状は改善し、結果として交代人格は統合されてゆくとする。(『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.62-63)
  105. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.27
    柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.198
    岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.9
  106. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.165-175。ただし注釈はこちらで付けている。順番も1~3が「幻聴」、4~6が「思考過程の障害」、7は感情、思考、行為、または意志、感情、欲動の「させられ」とまとめている。最後の8と9はDIDでは基本的にみられないものである。「幻聴」「思考過程の障害」「させられ」について統合失調症とDIDの差を柴山雅俊は『解離の構造』で述べている。
  107. ^ 一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』 2002年 p.810
  108. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.148
  109. ^ ブロイラー (Bleuler, E.)の説明の中にはこうある。「私は早発性痴呆をschizophrenieと呼ぶが、それは異なる心的機能の多少なりとも明確なスプリッティングを目の当たりにする。もし病気が顕著であるならば、人格は統合を失う。・・・ひとつの複合が人格を支配し、ほかの考えや動因によるグループはスプリットオフされ一部が、あるいは完全に無力化されてしまうのである。 (Gainer,K 1994 : Dissociation and Schizophrenie :an historrical review of conceptual development and relevant treatment approaches.Dissociation 7,261-269 より岡野訳。岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.87)
  110. ^ 西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98
  111. ^ やっかいなことは、数は少ないものの併発しているケースもあることである。 この事例は岡野憲一郎 『解離性障害』 (2007年)収録の対談(p.191)で柴山雅俊が具体例に紹介している。また柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 pp.150-152にも記述がある。
  112. ^ 岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.154
  113. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.195-198
  114. ^ 1980年代には北米の多くのDID研究者が抗精神病薬を用いた場合に、高い確率で有害な副作用をもたらすことを発表している。(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.111)
  115. ^ 柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.209-212
  116. ^ 岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.67
  117. ^ 鈴木 茂「境界例の病理と患者への実践的な対処法」2000年の講演、『人格の臨床精神病理学』(2003年)に収録。pp.88-98
  118. ^ 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』「座談会-解離性障害によりよく対応するために」2009年 p.269
  119. ^ 西村良二編 『解離性障害』 2006年p.111
  120. ^ パトナム( Putnam,F.W.)他 「多重人格障害の100症例の臨床現象」1986年、服部雄一 『多重人格者の真実』 (1998年)収録
  121. ^ ただし柴山雅俊は「少なくとも攻撃的で衝動的な交代人格の存在が推定されるケースでは抗うつ薬の選択は慎重にすべきであろう」と述べている。(『解離の構造』 2010年 p.197)
  122. ^ 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』「座談会-解離性障害によりよく対応するために」2009年 p.65
    中塚尚子「他責的うつは、なりそこないの解離性障害である」『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 pp.212-213
  123. ^ ジュディス・ハーマン(Herman,J.L.)『心的外傷と回復』1992年 邦訳 みすず書房 1996年
  124. ^ 岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.122.
    西村良二編 『解離性障害』 2006年p.97
  125. ^ もちろん解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在するという立場の方が優勢ではあるが。
  126. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.34
  127. ^ 問題は b)であり、DIDの定義では「C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」の部分である。主人格と交代人格が互いの存在を知っている場合などは「重要な個人的情報の想起が不能」とはならず、よってDIDではないということになる。 次期改訂版(DSM-5)ではこの問題をワーキンググループで検討中ということだが、どう決着するのかは不明である。
  128. ^ 柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.11、p.190、p.95
  129. ^ 岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.98

関連項目