マクマーティン保育園裁判
マクマーティン保育園裁判(マクマーティンほいくえんさいばん、The McMartin Preschool Trial)、通称マクマーティン事件(McMartin case)は、1984年から1990年まで行われたアメリカ合衆国における子供の性的虐待事件に関する刑事裁判。マクマーティンは、本件で起訴された一家が経営する保育園の名に因む。
公判前捜査も含め1984年から6年間続いた刑事裁判の結果、証拠は存在しないことが明らかになり、1990年までに全容疑者について公訴棄却、無罪、審議不成立となった。アメリカ史上最も長く、最も高価(約1500万ドル)な刑事裁判であった。
この事件に関する報道は、全米に保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖という一種のモラル・パニックを引き起こした。保育園関係者に対する社会からの酷い非難は、魔女狩りにも喩(たと)えられた。本件は、面子と選挙のために、罪のない一家を不当に苦しめた事件として認識される結果となった。結局のところ、史上最悪の児童虐待事件とまで言われた本事件の真相は、社会を疑いに駆り立てた大規模な混乱と大掛かりな冤罪事件であった。
経緯
[編集]1983年8月12日、カリフォルニア州ロサンゼルス郡のマンハッタンビーチで、ジュディ・ジョンソンという女性が、「別居中の夫と、マクマーティン保育園の保育師であるレイモンド・バッキーに、2歳の息子が性的虐待を受けた」と届け出た。ジョンソンの主張は、息子が便通に苦しみ、肛門が腫れていて、出血があるという事実に基づいていた[1]。ジョンソンは息子をUCLA医療センターへ連れていき、医師は肛門および陰茎からA群溶血性レンサ球菌を検出したが、肛門の炎症とは関係がないと判断、ジョンソンに主張されるがまま「性的虐待による外傷・炎症の可能性あり」と診断した[2]。
警察およびロバート・フィルボシアン地方検事率いるロサンゼルス郡地方検事局が父親に対する捜査の過程で、この告発が離婚・親権トラブルに絡むものであること、またジョンソン自身に妄想型精神分裂病(現・統合失調症)を含む重度の精神病歴があることを把握した。もし父親を起訴すれば、ジョンソンの精神異常や虚偽告発の動機が法廷で露呈し、マクマーティン保育園に対する起訴全体の信頼性が崩壊することを懸念。そのため、父親への容疑のみを最初から切り離し、世間の注目を集めるマクマーティン保育園への容疑のみを立証する姿勢を取った。
1983年9月7日、マンハッタンビーチ警察は、園長の孫でもあるレイモンド・バッキーを逮捕したが、証拠不十分ですぐに釈放された[3]。
警察は同校の親に質問状を送り、虐待の有無の調査をした。1983年10月17日、検事局は国際児童研究所(CII)のキー・マクファーレンに調査を依頼した。結果、被害児童18人、115件の虐待と調査結果を報告されたが、物的証拠は何一つ発見されなかった[4] 。
1984年2月2日、この事件はロサンゼルスのABC系列テレビ局KABC-TVのリポーター、ウェイン・サッツによりセンセーショナルに報道され、アメリカ全土でパニックになった。当時アメリカでは多くの母親が子供を保育園や託児所に預けて働くようになっており、働く母親に対して批判的な風潮や、母親側にも子供を他人に預けることへの罪悪感があることが背景にあった。さらに事件がきっかけで起きたパニックで次々と同種の「事件」が報じられ保育園が閉鎖に追い込まれた[5] 。
1984年3月22日、レイモンド・バッキー、母親のペギー・マクマーティン・バッキー、姉のペギー・アン・バッキー、祖母のヴァージニア・マクマーティン、同校に勤めるメアリー・アン・ジャクソン、ベティ・レイダー、バベット・スピットラーの7名が、大陪審に起訴された。
1984年3月24日、上述の容疑者7名が115件の児童虐待の罪で逮捕された[6]。
1984年4月、CIIは、被害児童360人と報告。
1984年5月23日、ロサンゼルス郡地方検事局は、115件の起訴状を一度破棄し、改めて、容疑を計208件へと引き上げた新たな告訴状を再提出した。これはフィルボシアン地方検事が、自身の地方検事選の再選のためのアピールだった[7]。
大陪審の起訴が破棄され、告訴状が提出されたことで、弁護士のダニエル・デイヴィスは、カリフォルニア州法に基づき、予備審問を要求した[7]。
1984年6月5日、ロバート・フィルボシアン地方検事は、予備選挙でアイラ・ライナーが過半数の票を獲得して勝利したため、落選が確定(立候補者が予備選挙で過半数の票を得ると、本選挙を行わず、当選確定するシステム)。
1984年8月17日、合同予備審問(Consolidated preliminary hearing)が開始[7]。
証言台に立った児童は、奇怪でしばしば物理法則を無視した被害があったと証言した。何人かは、性的虐待を受けたことに加えて、「魔女が飛ぶのを見た」と主張し、「熱気球で旅行したこと」、「秘密の地下トンネル(調査者によって探索されたが、結局発見されていない)を通った」ことなどを語った。さらに、「教会で動物を殺し、血を飲まされた」「先生にハリーズ・マーケット(マンハッタン・ビーチの食料品店)で裸にされ、店主や一般客に写真を撮られた」などという主張もあったが、その証拠も痕跡も一切発見されなかった。店主は「完全な捏造である」として激しく抗議し、警察の家宅捜索でも一切の物証が出なかった。しかし、検事局がこの裏付けのない証言を公表しメディアが追随したことで、同店は激しい不買運動に晒されて廃業へと追い込まれた[8]。またデイヴィス弁護士は、「墓地で遺体を掘り起こした」と証言した少年への反対尋問で、意図的に全く無関係な人物の写真を混ぜた複数の写真を見せ、「墓地へ一緒に行った人物がいれば示してほしい」と質問した。少年は、当時ロサンゼルス市検事に当選したばかりのジェームズ・ハーン市検事と、俳優チャック・ノリスの写真を示した。デイヴィスは「あまりに荒唐無稽である。物理的に不可能であり、悪質な誘導尋問によって作られた記憶だ」としてMotion to strike(証言の抹消申し立て)を何度も要求したが、アヴィヴァ・ボブ判事は認めなかった。検事局は、押収された手品用のローブやウサギのぬいぐるみを提出し、「恐怖で記憶が曲がっているだけだ」と主張した[9]。
1984年12月3日、アイラ・ライナーがロサンゼルス郡地方検事に就任。
最初に告発したジュディ・ジョンソンの精神不安定は明らかだったが、担当弁護士のデイヴィスへは伝えられていなかった。ジョンソンは検事補のグレン・スティーブンスに電話をかけ、「地元のジムの従業員、ロザンゼルス教育委員会までもが自分の子供を狙っている」、「レイモンド・バッキーは空を飛べる、息子はステープラーで耳を刺され、目をハサミで刺された」、「保育園の遠足で、ライオンの尾を引っ張らせた」と主張した[10]。
1986年1月17日、後任のアイラ・ライナー地方検事は、前任のフィルボシアン地方検事が進めたバージニア・マクマーティン、ペギー・アン・バッキー、メアリー・アン・ジャクソン、ベティ・レイダー、バベット・スピットラーの5名を、証拠薄弱のため、公訴棄却した。7人の容疑は321件まで膨れ上がっていた。
1986年1月30日、スティーブンス検事補は、「担当検事補のラエル・ルービンらがジョンソンの精神不安定を弁護側へ隠していたこと」、「児童が当初レイモンドを犯人と指していなかったこと」、「児童の面接テープを確認し、誘導尋問による捏造だと確信したこと」などを理由に、検事局を退職した。映画製作、脚本家のアビー・マンとその妻マイラ・マンが独自に調査し、スティーブンスにインタビューをし、その証拠を提出した。その結果、開かれた公判前聴聞会にスティーブンスが出席し、完全な免責を得たうえで、「検事局が意図的に証拠を隠蔽した(ブレイディ反証開示義務違反)。私は二人が有罪だとは思っていない」と証言した[10]。スティーブンスは、「予備審問で証言した児童はまだマシなほうだった。多くの児童の話は荒唐無稽であり、裁判は維持できないと分かっていた」と語った。法廷へ呼ばれなかった大半の児童たちの面接記録には、「宇宙船で宇宙へ連れて行かれた」「首が360度回転するロボットに変えられた」といった、より一層非現実的な供述が溢れていた[11]。
1986年11月2日、アビー・マン、マイラ・マン夫妻の働きかけで、公訴棄却された5名がCBS放送の『60ミニッツ』に出演し、その悲痛な現状を全米に訴えた。未だ事件の風当たりが強く、通常のスタジオでは危険が伴うと判断され、マン夫妻の自宅で極秘収録された。レイモンド・バッキーも拘置所内で取材に答え、「検事局とメディアは、私に一生消えることのない罪の烙印を押した。この烙印は一生消えないだろう」と語った。ライナー地方検事もインタビューに応じ、「前任者フィルボシアンが進めた起訴は、法外に誇張されたものだった」と認めた。さらに「CIIは児童に対して、非常に誘導的で示唆的な質問を繰り返して、無理やり証言を作っていた」と発表した。この全米ネットワーク放送で、一般の視聴者の目を覚まさせるきっかけとなった[12]。
1986年11月、ペギー・アン・バッキーは教師の資格を復活させるように申し立てた[13]。
1986年12月19日、ジュディ・ジョンソンが急性アルコール中毒で死亡した。
1987年、ウェイン・サッツは本件とは別の不祥事で、KABCを解雇された[14]。
公判からその後
[編集]19ヶ月に及ぶ予備審問を経て、1987年7月14日、レイモンド・バッキーとペギー・マクマーティン・バッキーの両名は、72件(レイモンド52件、ペギー20件)の児童虐待と陰謀容疑により公判にかけられた。
冒頭陳述において、検察側のラエル・ルービン検事補は「信頼の裏切り」を強調し、児童が「裸の映画スター・ゲーム」を強要されたなどと主張。これに対し弁護側のデイヴィス、ディーン・ギッツ弁護士らは、本事件は行き過ぎた検事局とメディアの煽りによって作られた集団ヒステリーの産物であると反論した[15]。
1989年7月29日、検察側は直接的な物証(写真や医学的データ)の不在を補うため、被害児童とされる複数の親たちを順次証言台に呼び、情緒不安定や血便といった児童の過去の異変を涙ながらに証言させる感情戦を展開した。しかし、デイヴィス弁護士らによる激しい反対尋問により、親たちの語る異変の記憶の多くが、CIIのビデオ面接やサッツによるテレビ報道を観た後に、過去の日常の出来事を後付けで虐待と結びつけさせられた「記憶の汚染」であることが浮き彫りとなった[16]。
さらに検察側は、児童を診断したブルース・ウッドリング医師らを投入して身体的異変を立証しようとしたが、弁護側から解剖学的な矛盾を突かれ、医師側が「これらの症状は性的虐待がなくても一般の児童に普通に見られる個体差であり、虐待と断定はできない」と法廷で認めざるを得なくなるなど、検察側の初期の立証活動は完全に失敗に終わった[15]。
1987年9月、レイモンド・バッキーと拘置所で同室だったジョージ・フリーマンは、「レイモンドから虐待の話を詳細に聞いた」と証言した[17]。しかしフリーマンは児童虐待の前科を含む9回の重罪歴があり、さらに過去にも偽証罪に問われていたが、デイヴィスには直前まで伝えられなかった。デイヴィスは「フリーマンと検事補が司法取引をし、故意に偽証させた」と主張し、メディアに「殺人罪と本件の偽証では司法取引できないだろう。彼を殺人罪で有罪にしてみせる」と発表した。フリーマンは証言の日に法廷に現れず、姉の家に隠れているところを拘束された。翌日、法廷でデイヴィスは彼に児童虐待の前科があることを暴露し、「あなたの証言は信用できますか?」と問うと、フリーマンは「過去にも司法取引で偽証した。本件の証言も全て嘘だ」と答えた[18]。
1988年8月、偏向報道の張本人だったサッツはマクファーレンと恋人関係であることが判明[19]し、ほかのメディアは、サッツがその関係を明かさずに、身内から情報提供を受けて報道したことを、「ジャーナリズムの信頼を失墜させた」と痛烈に批判した。
1988年8月8日、CIIのキー・マクファーレンが証言台に立ち、自身の経歴をアピールしながら、自身のセラピーがいかに有効かを証言した。しかし、弁護側の反対尋問で、マクファーレンがカリフォルニア州のほか、あらゆる州の臨床心理士やソーシャルワークの資格も持たないこと、精神医学に関する知識もないことが明らかとなった。彼女は「psychiatric(精神医学)」という単語の意味すら理解できなかった。マクファーレンは子供たちが「虐待はなかった。覚えていない」と主張すると、「思い出せないのはバカで臆病者だ。みんな“やった”と言っている」「嘘をつくと帰れない」と反復的に質問し、「覚えている」と答えると褒めそやした。またマクファーレンは人形を使い、子供たちから虐待の話を引き出したが、レイモンド役の人形を殴らせたり、醜い人形を使ったりして、話を引き出していた。「この手法は、子供たちにレイモンドが悪人だと思い込ませるためだ」とデイヴィス弁護士は主張した。マクファーレンは、「これは聴取ではなく、セラピーである。これらのセラピーには研究結果も根拠もある」と主張したが、デイヴィスの「誰の著書か?題名は?」という質問には答えられなかった。さらに、サッツとの「寝室での癒着・公私混同」が法廷で徹底的に追及された[20]。
さらにマクファーレンは、400人以上に上った園児たちに面接するため、ビデオカメラ・オペレーターとして雇っていたスタッフにも同様の手法をさせていた。これらの事実が法廷で明らかになり、マクファーレンは児童心理士の権威などではなく、ただの素人ということが明るみになった[20]。
ペギー・アンの申し立てに対して、裁判所は「ペギー・アンは事件に関わっておらず、資格停止の根拠はない」「面接を受けた子供たち、そしてCIIの面接自体信用できない」と認めた。1989年1月6日、サクラメントの信任委員会はペギー・アンの資格を復活させた[21]。これにより、検事局の武器であった、CIIと子供たちの証言は全て正式に否定されることになった。
1989年2月15日、レイモンド・バッキー逮捕から5年が経って、150万ドルの保釈金と弁護人管理下に置くという条件で保釈が認められた。デイヴィスは、被告の不動産や支援者からの寄付を集め、保釈金を工面した。
1989年7月26日、レイモンドへの被告人尋問では、ルービン検事補がレイモンドが10代前半のころに描いた、裸の女性のスケッチを証拠として提示した。「裸体の特徴が細かく描かれている。被告は幼少のころから、性に歪んだ関心を持っていた」と主張した。レイモンドは「成人雑誌を模写したのだから当然だ」と反論した。結局、検事局側は事件とは全く無関係な「過去にマリファナの経験が数度あること」「下着を履かないこと」「かつてピラミッドパワーを信じ、ピラミッド型の帽子を被って、運転していたこと」「成人雑誌を愛読していること」「24歳まで童貞だったこと」を立証したに過ぎなかった。しかし「成人雑誌を愛読するということは、性的対象は成人女性」だと逆に証明する結果となった[22]。
父親であるチャールズ・バッキーは「下着を履かずに保育園で働くことには問題視しなかった。マンハッタンビーチの若者の間では普通のことだ」と証言した[23]。
ルービン検事補は「ピラミッドへ興味を持つことは、“不適切な教師を採用しない”というマクマーティン園長の主張とは矛盾する。ピラミッドへの興味が、悪魔的儀式に関与しているという何よりの証拠だ」と主張した。レイモンドは「今は全く信じていない。当時、よく眠れる、ただのマイブームだった」と主張した。さらにルービンは「マリファナで児童に幻覚を起こさせ、記憶を曖昧にさせた」と主張したが、弁護側は「ビーチに住む若者の若気の至りであり、数回のマリファナの経験など誰にでもある。常習者ではない」と反論した[22]。
ルービンは、「レイモンドはピラミッド展示会で、バーバラ・ゴレスという女性と親密になったが、決してなびかなかった」と主張し、「これが成人女性との性交を行えない証拠」だと主張した。1989年8月21日、ゴレスは弁護側の証人として出廷し、「7年前の捜査官に、結婚生活を守るために嘘をついた。実際には性交渉があった」、「子供たちがレイモンドに駆け寄り、足に抱きつく姿を見て、彼が性的虐待する人間ではないと確信していた」と証言した。ルービンは「ゴレス氏は嘘をついている。レイモンドは小児性愛を隠すために、ゴレス氏との関係を作り上げた」と主張したが、それは全く立証できなかった[24]。
そして1990年1月18日、6年間の証言審理および9週間の陪審による議論の後に、レイモンド、ペギーの両名には無罪判決が下った。レイモンドは52件のうち、2人の陪審員の合意が形成されず、13件評決不一致があった。マスコミはこの2人を批判した。ルービン検事補は「彼らは運が良かっただけだ」とコメントした。検事局はこの13件のうち、8件の再審を請求した[25]。
1990年1月20日、ニューヨーク・タイムズは、「ルービン検事補の拘置所の情報屋を証言台に立たせたやり方」を「Sleazy(卑劣)」と表現し、さらに「ルービン検事補はプロ失格」「中世の魔女狩り」だと表現した社説を載せた。ルービンは担当を外され、マルティネス検事補が後任に当たった[26]。
1990年4月、マルティネス検事補は、デイヴィス弁護士に不抗争の答弁(罪は認めないが、裁判では争わない)を主張させ、「1人1件認めれば、勾留期間と相殺する」という司法取引を持ちかけたが、レイモンドは激怒し、「私は無実だ。形式的であれ、罪を認める気などない。小児性愛者などと記録されるつもりはない」と拒否した。デイヴィスは、その会議を隠し録音しており、5月16日、メディアに公開した。メディアは保身のために、まだ悪あがきをする検事局を批判した[27]。
1990年6月5日、ライナー地方検事は、カリフォルニア州司法長官に立候補していたが、カリフォルニア州民主党予備選に対立候補のアーロ・スミスに、この一件もあり敗北した。
1990年7月27日、審理はまたも陪審員の意見が一致せず評決不成立となった。検事局は有罪をあきらめ、起訴をすべて取り下げた[28]。
1992年9月18日、ライナー地方検事は、留まろうとしたロサンゼルス郡地方検事選でも惨敗した。
1992年11月24日、パニック報道の張本人であったサッツは自宅で心臓発作のため死亡した[29]。
2000年12月15日、ペギー・バッキーは、神経衰弱と広場恐怖症と戦いながら、カリフォルニアの病院で亡くなった。担当だったデイヴィス弁護士は「彼女は、アメリカの司法が最も恥じるべき、取り返しのつかない大罪の被害者だった」と語った[30]。
2017年に、テキサス大学の心理学・法医学の教授ジェームズ・M・ウッドによる、当時のカルテ再検証により、全ての発端だったジョンソンの息子の症状は、A群溶血性レンサ球菌感染による皮膚炎、および掻きむしったことによる腫れと出血だと医学的に実証されている[2]。1983年当時、溶連菌が肛門の炎症を引き起こすことは、アメリカの医学会ではほとんど知られていなかった。つまり、最初の被害者すら存在しなかったのである。
子どもへの面接方法をめぐる評価
[編集]陪審員らの評決不能により有罪判決は回避された。しかし、容疑者らは、この冤罪の裁判に要した多額の費用により経済的に破綻した上、家庭は崩壊し、社会からの厳しい非難から職探しも困難な状況に陥った。また、検事局・警察側としても、裁判や調査に多額の税金を投じたにも関わらず有罪を勝ち取ることができず、不毛な結果に終わった。本事件は多くの関係者にとって極めて悲惨な結末となった。
子どもの発達、記憶、被暗示性に配慮した司法面接の重要性を示す事例の一つとされている。イギリスの精神医学の教授、マイケル・マローニーは明確な誘導尋問があったとして批判している。
マクマーティン保育園裁判では、子どもに対する面接方法の誘導性が問題とされ、その後の子どもからの聴取方法に関する研究で参照されてきた。Garvenらの研究では、同事件の面接記録に基づく手法が、単純な暗示質問よりも、幼児に虚偽の申告を生じさせやすいことが示されている。[31]
また、近時の文献でも、子どもの司法面接においては、自由再生を促す質問の使用、暗示的な質問の回避、グラウンドルールの説明、エピソードを語る練習などが、証拠に基づく面接手法の基礎とされている。[32]
後にマクマーティン事件を取り上げて批判的に検討し、ピューリッツァー賞を授与されたデビッド・ショーは、1990年の事件に関する一連の記事において、「これらの訴えは、結局のところ一つも立証されなかったが、メディアは、大事件が起きた時にしばしばそうなるように、概ね集団となって行動し、記者たちの書く記事も放送される内容も、お互いを参照しあいながら、恐怖のエコーチェンバーを創り上げていた。[原文 1]」と述べた。また、ショーは報道機関の「根本的な欠陥があらわになった [原文 2]」とし、「怠慢、浅薄、馴れ合い [原文 3]」や「最新の衝撃的な主張を最初に伝えようと躍起になって探る姿勢[原文 4]」で、ジャーナリズムの原則である「公正と懐疑[原文 5]」を「記者や編集者たちはしばしば放棄している [原文 6]」と述べた他、「しばしばヒステリー、センセーショナリズム、さらに、ある編集者の言葉を借りれば「群衆リンチ症候群」が、そこに直結されていく[原文 7]」とも述べた。
映像化
[編集]脚本家のアビー・マンと妻マイラ・マンは、公判が始まる前から彼らの無実を信じて、事件を独自に調査し、インタビューを行っていた。さらに、入手した隠蔽の証拠やインタビュー記録を、被告側の弁護団やカリフォルニア州司法長官のオフィスに提出していた。「悪魔の手先」と言われ、自宅を放火される事件も起きている。検事局側もマン夫妻に圧力をかけ、証拠の捏造で逮捕すると脅しをかけていた。マン夫妻は、自身の職業とは関係なく、給料も1セントも発生しない状況で、事件の異常性を調査していたのである。
1995年、夫妻の脚本、製作総指揮で、HBOによってテレビ映画化された。映画的なドラマを織り交ぜつつも、ほぼ実際の事件通りに物語は進行する。一部のメディアやビデオ映像は実際のものを使用している。
日本では、2021年7月にNHK BSプレミアムにおいて放送の『ダークサイドミステリー』「子どもたち400人に何が起きたのか? 〜マクマーティン児童施設裁判〜」において当時の状況が紹介されている。また2023年3月の『奇跡体験!アンビリバボー』「全米震撼! 人気保育園に潜む悪魔!?」でも、再現ドラマつきで取り上げられた。
注釈
[編集]- ↑ None of these charges was ultimately proved, but the media largely acted in a pack, as it so often does on big events, and reporters' stories, in print and on the air, fed on one another, creating an echo chamber of horrors.
- ↑ exposed basic flaws
- ↑ Laziness. Superficiality. Cozy relationships
- ↑ a frantic search to be first with the latest shocking allegation
- ↑ fairness and skepticism
- ↑ Reporters and editors often abandoned
- ↑ frequently plunged into hysteria, sensationalism and what one editor calls 'a lynch mob syndrome.'
出典
[編集]- ↑ “Chronology of the McMartin Preschool Abuse Trials”. 2026年9月9日閲覧。
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