毛利元春
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(毛利師親から転送)
時代 | 南北朝時代 - 室町時代 |
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生誕 | 元亨3年(1323年)[1][2] |
死没 | 不詳 |
改名 | 師親(初名)[1][2]→元春[1]→元阿(法名)[2] |
別名 | 少輔太郎(通称)[1][2]、郡山殿、親衡[2] |
戒名 | 元阿大禅定門[3] |
墓所 | 広島県安芸高田市吉田町吉田の毛利氏歴代墓所 |
官位 | 従五位下[1][2]、右馬頭[1][2]、備中守、左近将監[1][2]、権大丞[1][2] |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利尊氏→義詮→義満 |
氏族 | 大江姓毛利氏 |
父母 | 父:毛利親衡[1][2]、母:長井三田入道の娘[1][2] |
兄弟 | 元春、坂匡時[1]、有富直衡[1] |
子 | 広房[3][2]、厚母元房[3][2]、広内[3][2]、中馬忠広[4][2]、福原広世[4][2]、元淵[4][2] |
毛利 元春(もうり もとはる)は、南北朝時代から室町時代の安芸国の国人。安芸国吉田荘地頭職[1]。
生涯
[編集]曽祖父・時親の代官として足利尊氏に一貫して従った。その忠勤により、13歳で元服した際には、足利家執事高師直の兄弟・師泰から一字拝領し「
祖父の貞親、父の親衡は南朝に従って越後国南条荘にて活躍し、一族で対立することとなる。後見役の時親はそうした争乱の最中の南朝:興国2年/北朝:暦応4年(1341年)に没し、安芸国吉田荘の支配は元春が引き継ぐことになった。
元春は19歳で家督を相続し「郡山殿」と呼ばれるようになった。南朝方の一族を敵に回して勝ち残った元春は、九州探題・今川了俊に従って、九州へ下向して北朝方として戦いを繰り広げることとなる。一方、敵対関係にあった父・親衡が、九州の南朝方勢力、周防国の大内弘世などと結んで、九州出陣中の元春の領地へ侵攻した。
南朝:元中2年/北朝:至徳2年(1385年)に嫡子・広房が安芸国西条にて討死するに及び、孫の光房に跡を継がせ、その成長まで後見することとなる。
元春の代前後から庶子家が派生し、兄弟の坂氏・有富氏、庶子の麻原氏・中馬氏・福原氏などが生まれている。また坂氏から、さらに桂氏・光永氏・志道氏などの庶流家が生まれ、内訌と協力を繰り返しながら、後に戦国大名としての毛利氏を支える一門家臣となっていく。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 河合正治『安芸毛利一族』新人物往来社、1984年11月。ISBN 440401239X。 NCID BN01455089。OCLC 672973935。全国書誌番号:85019269。
- 國司由行 著「國司家に伝わる元就公からの感状」、新人物往来社 編『「毛利一族」のすべて』新人物往来社〈別冊歴史読本, 92 . 一族シリーズ〉、1997年3月、35頁。ISBN 4404024665。 NCID BA36814619。OCLC 170119475。
- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編「第15号」『大日本古文書』 家わけ八ノ一 毛利家文書之1-4、東京帝国大学、1920年11月30日。 NCID BN04859787。OCLC 33677381。全国書誌番号:73018527。国立国会図書館デジタルコレクション
- 時山弥八編『国立国会図書館デジタルコレクション 稿本もりのしげり』1916年。 NCID BN04718592 。
- 防長新聞社山口支社 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション