毛利包詮

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毛利 包詮(もうり かねあき、明和9年(1772年) - 文化元年7月25日1804年8月30日))は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の10代当主。

父は吉敷毛利家第7代当主・毛利就将。養父は毛利房直(※包詮より年少である)。養子に毛利房裕(※包詮より年長である)。通称は辰次郎、式部、久米之允。

生涯[編集]

明和9年(1772年)、吉敷第7代領主・毛利就将の次男として生まれる。翌安永2年(1773年)に就将は隠居し、既に養子となっていた就兼がまだ幼い辰次郎(包詮)に代わって家督を継いだ。

寛政3年(1791年)に義兄の就兼が、享和3年(1803年)にも3月16日に就兼の婿養子房直5月29日熙載毛利斉房斉熙の実弟)が相次いで早世したため、遺跡を相続し吉敷領主となるが、包詮もまた翌文化元年(1804年)7月25日に早世した。享年33。

なお、「包詮」の名は家祖・毛利秀包偏諱を取って名乗ったもので、本来ならば慣例に倣って本家筋の長州藩主(当時は毛利斉房)から偏諱を受けて改名すべきところ、家督相続後わずか1年ほどで死去したため、「房」の字の授与はされていない。

包詮亡き後、家督は繁沢就貞(後の阿川毛利就貞)の次男の房裕が相続した。

参考文献[編集]

  • 山口市史
  • 石川卓美著「防長歴史用語辞典」