毛利就言

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毛利 就言(もうり なりこと、宝暦5年(1755年) - 安永5年8月23日1777年9月24日))は、長州藩一門家老である大野毛利家の6代当主。

父は毛利広圓。母は毛利政苗の娘(毛利重就猶子)。子は毛利親頼。幼名は武次郎。通称は彦次郎。元服時に藩主の毛利重就より偏諱を受け就言と名乗る。

生涯[編集]

宝暦5年(1755年)、長州藩一門家老大野毛利家5代広圓の長男として生まれる。明和7年(1770年)、広圓の死去により家督を相続する。しかし、7年も経たない頃の安永5年(1777年)8月23日に没し、大照院境内に埋葬された。法名は大要院三應了玄。享年23と若くしての死去であったが、嗣子はおり、幼少の嫡男・安次郎(のちの親頼)が家督を相続している。母は享和3年(1803年)に没している。

参考文献[編集]