毛利元亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

毛利 元亮(もうり もとすけ、文政元年(1818年) - 明治20年(1887年3月21日)は、長州藩一門家老である右田毛利家の11代当主。

父は吉敷毛利家毛利房謙。祖父は厚狭毛利家毛利就宣。曽祖父は右田毛利家7代毛利広定。養父は毛利房顕。妻は厚挟毛利元美の娘。子は毛利祥久毛利忠三。養子は毛利親信

通称は筑前。藩主の毛利斉元より偏諱の授与を受けて元亮と名乗る。は元亮のほかに、元敬(もとたか)、元統(もとむね)が伝わる。

生涯[編集]

文政元年(1818年)、一門吉敷毛利房謙の次男として生まれる。天保6年(1835年)、一門右田毛利房顕の養子となって家督相続する。弘化元年(1844年)、領内に郷校学文堂を開設する。嘉永3年(1850年)当職(国家老・執政)、安政3年(1856年)には国元加判役として藩主毛利敬親(斉元の子)に仕えた。

文久3年(1863年)、幕府による第一次長州征討を受けると、三田尻の防衛を担当する。慶応元年(1865年)、藩内の革新派が政権を取ると国政と国用方を兼務する。第二次長州征討四境の戦いでも三田尻の防衛を担当する。

明治20年(1887年)3月21日死去。享年70。

家督は養父毛利房顕の孫、親信が相続した。元亮の長男の祥久は親信の跡を継ぎ、明治30年(1897年)に男爵に叙された。

参考文献[編集]

  • 「萩藩諸家系譜」