山口県立徳山高等学校

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山口県立徳山高等学校
Tokuyama HS.JPG
過去の名称 山口県立徳山中学校
山口県立徳山高等学校
山口県立徳山西高等学校
国公私立の別 公立学校(県立)
設置者 山口県
学区 【全日制課程普通科】
 山口県周南学区
【全日制課程理数科】
 山口県全県学区
【定時制課程普通科】
 山口県全県学区
併合学校 山口県立徳山高等女学校
山口県立徳山女子高等学校
山口県立徳山東高等学校
校訓 「真・健・和」
 (真実・健全・和気)
設立年月日 1880年明治13年)
共学・別学 男女共学
分校 徳山北分校
鹿野分校
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 【全日制課程】
 普通科
 理数科
【定時制課程】
 普通科
学期 2学期制
高校コード 35119K
所在地 745-0061
山口県周南市鐘楼町2-50
外部リンク 公式サイト
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山口県立徳山高等学校(やまぐちけんりつとくやまこうとうがっこう:Yamaguchi Prefectural Tokuyama High School)は、山口県周南市鐘楼町にある県立高等学校。通称は「徳高」(とっこう)。

概要[編集]

前身は、旧制徳山中学校ならびに旧制徳山高等女学校。山口県周南学区(周南市下松市光市)に属しており、県内有数の進学校である。

文武両道」を校風としている。学校の伝統として、「オガタマの木」(かぐわしく世を支える人物たれ)、および「耿光(こうこう)の碑」(明らかな光 徳盛んなる様)がある。また、すべてのHR教室に冷房が完備され、学食売店もある。 また、市街地に位置しているため少し離れた所に第2運動場(野球場)があったり、部活動によっては学校施設以外の場所を使用している部もある。

2010年、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定され(1期目:平成22〜26年度)、2015年現在も継続して指定されている(2期目:平成27〜31年度)。

設置学科[編集]

 全日制普通科(定員280名)
 全日制理数科(定員40名)
 定時制普通科(定員40名:4年制・場合によっては3年)

全日制普通科
2年次からコース制を採り、文系理系に分かれるが、特徴として近年は理系に進む生徒が多い。定員280名。
全日制理数科
理科3科目(生物物理化学)を履修でき、岩国高校山口高校と合同でセミナー合宿を行ったり、大学で講義を受けたりすることが出来る。また、3年生は卒業研究ともいえる、島田川の水質調査などを行う。定員40名。

沿革[編集]

前史

  • 1785年天明5年)- 徳山藩第7代藩主毛利就馴が藩学「鳴鳳館」を創立。
  • 1852年嘉永5年)- 藩学・鳴鳳館を「興譲館」に改称。
  • 1871年明治4年)- 徳山藩の山口藩への合併に伴い、興譲館を「山口県立山口中学校徳山部小学」に改称。
  • 1872年明治5年)- 山口県立山口中学校徳山部小学を廃し、「桜馬場小学」創設。
  • 1873年明治6年)- 旧徳山藩士族子弟のために「小学義塾」開校。
  • 1875年明治8年)- 桜馬場小学に「員外塾」(後に、「岐陽学舎」に改称)を付設。
  • 1877年明治10年)- 桜馬場小学・岐陽学舎を合併し、「岐陽小学」に改称。


旧制山口県立徳山中学校・山口県立徳山西高等学校

  • 1880年明治13年)6月 - 山口県5中学の一つとして、「山口県都濃郡徳山中学校」開校。《創立年
  • 1884年明治17年)2月 - 「山口県立山口中学校徳山分校」に改称。
  • 1887年明治20年)3月 - 「徳山高等小学校別科」に改称。
  • 1887年明治20年)12月 - 「山口県都濃郡徳山学校」に改称。
  • 1890年明治23年)4月 - 県立学校の私立防長教育会移管により「私立徳山学校」に改称。
  • 1897年明治30年)9月 - 県立移管により「山口県尋常中学校徳山分校」に改称。
  • 1899年明治32年)9月 - 「山口県山口中学校徳山分校」に改称。
  • 1900年明治33年)4月 - 「山口県徳山中学校」に改称。校地を鐘楼丁岡田原(現校地)に定める。
  • 1901年明治34年)4月 - 第1回記念運動会(現、徳高大運動会)を開催。
  • 1901年明治34年)5月 - 「山口県立徳山中学校」に改称。
  • 1902年明治35年)4月 - 補習科を設置。
  • 1919年大正8年)3月 - 補習科を廃止。
  • 1945年昭和20年)7月 - 第2回徳山空襲で校舎全焼(記念図書館、倉庫のみ残る)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日
    • 学制改革(6・3制の実施)により、旧制中学校の募集を停止の上、新制中学校を併設(以下・併設中学校)
      • 同年3月時点で旧制中学1・2年生の生徒を新制中学2・3年として収容。
  • 1948年昭和23年)
    • 3月31日 - 旧制山口県立徳山中学校が廃止される。
    • 4月1日 - 学制改革(6・3・3制の実施)により「山口県立徳山高等学校」(新制高等学校・男子校)となる。併設中学校を継承。
      • 併設中学校・他の新制中学校の卒業生を新制高校1年生、旧制中学4年生を新制高校2年生、旧制中学卒業生の希望者を新制高校3年生として収容。
    • 9月1日 - 定時制課程を併設。
  • 1949年昭和24年)
    • 3月31日 - 最後の卒業生[1]を送り出し、旧制中学校・併設新制中学校を廃止。
    • 4月1日 - 山口県立徳山高等学校を「山口県立徳山西高等学校」に改称。
      • 全日制普通科、定時制普通科を設置。


旧制山口県立徳山高等女学校・山口県立徳山東高等学校

  • 1886年明治19年)4月 - 「徳山婦人講習会」設立。
  • 1887年明治20年)9月 - 徳山婦人講習会を「私立白蓮女学校」に改称。
  • 1890年明治23年)4月 - 私立白蓮女学校を「私立徳山女学校」に改称。
  • 1911年明治45年)4月 - 「都濃郡立都濃高等女学校」開校。
  • 1920年大正9年)11月 - 「山口県都濃高等女学校」に改称。
  • 1922年大正11年)4月 - 補習科を設置。
  • 1923年大正12年)4月 - 「山口県立徳山高等女学校」に改称。
  • 1924年大正13年)3月 - 補習科を廃止。
  • 1936年昭和11年)4月 - 補習科を復活。
  • 1943年昭和18年)4月 - 補習科を廃止し、専攻科を設置。
  • 1945年昭和20年)7月 - 第2回徳山空襲で校舎全焼(農業用倉庫のみ残る)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日
    • 学制改革(6・3制の実施)により、旧制高等女学校の募集を停止の上、新制中学校を併設(以下・併設中学校)
  • 1948年昭和23年)
    • 3月31日 - 旧制山口県立徳山高等女学校が廃止される。
    • 4月1日 - 学制改革(6・3・3制の実施)により「山口県立徳山女子高等学校」(新制高等学校・女子校)となる。
  • 1949年昭和24年)
    • 3月31日 - 併設新制中学校を廃止。
    • 4月1日 - 山口県立徳山女子高等学校を「山口県立徳山東高等学校」に改称。
      • 全日制普通科を設置。


山口県立徳山高等学校

学校歌[編集]

山口県立徳山高等学校 校歌
作詞:高野辰之[2]、作曲:信時潔
 鼓海(こかい)の水は深くして
 百船(ももふね)千船(ちふね)入り(つど)
 岐山(きさん)の松は高くして
 千年(ちとせ)の霜に(おご)るなり
 此の徳山に成育(そだ)つ身の
 我等の幸よ(はか)りなし
 春()(めぐ)青柳(あおやぎ)
 (さきがけ)せよと教えつつ
 底に雄々しさ蓄へて
 世に(ふさ)ふべき(のり)を見す
 此の学校に学ぶ身の
 我等の幸よ(はか)りなし
三 (戦後廃止)
 大御光(おほみひかり)のかがよひし
 光栄(ほまれ)(むね)に刻みつつ
 皇国(みくに)(つく)赤誠(まごころ)
 (あした)(ゆふべ)にみがかなむ
 此の覚悟(こころ)もて励む身の
 我等の幸よ(はか)りなし


過去には四番、五番もあったが現在は失われている。その他に、応援歌「山は岐山」と生徒歌「熱い血潮」があり、野球応援をはじめとした各種学校行事で歌われる。

教育方針[編集]

個々の学力向上と進路実現に向けて、2000(平成12)年度からは2学期制(前・後期)を導入している。

総合的な学習の時間には魁(さきがけ)講座という進路指導を行っている。魁とは本校校歌2番の歌詞よりとられている。

人権教育を大切にしており、生徒の心の育成を指導している。

進学成績[編集]

東大京大阪大などの旧帝国大、山口大広島大などの地元国立大や早稲田大慶應大同志社大立命館大などの私立大に大半の卒業生が進学する(徳山高校ウェブサイト)。

校則・服装など[編集]

  • アルバイトは禁止
  • 携帯電話の校内への持ち込み・使用を認めるなど、きまりは大変緩やかである。
  • 制服
    • 夏服…男子は、学校指定のワイシャツまたは開襟シャツ(半袖・長袖)。女子は、夏用の白いセーラー服    
    • 冬服…男子は、詰襟学生服。女子は、冬用の紺のセーラー服(他に、女子用の学校指定のセーターがある)。

学校行事[編集]

徳高二大行事[編集]

昨今では授業時間確保のため、行事を縮小する進学校が相次いでいるが、山口県内でも最大規模の学校行事が毎年9月に開催される。「大運動会」と「徳高祭(文化祭)」のいずれも企画・立案から実行委員を中心に、生徒主体の運営が行われる。

徳高大運動会
原則として、9月第1土曜日(かつては9月第1日曜日)に開催される。赤・白・黄・青の4つのブロックに分かれ、各種競技を競う旧制中学時代から続く徳高伝統の行事。各団の団長・副団長をはじめとした実行委員および3年生を中心に、夏休みを返上してアーチの制作や応援合戦の練習などに力を入れている。また、3年生の学年演目として、男子生徒は証城寺の狸囃子を踊り、女子生徒は市民ばやしを踊ることが伝統となっている。
徳高祭(文化祭)
毎年9月の第2日曜日とその前日の土曜日に開催される。文化部の発表をはじめ、各クラスが趣向を凝らした展示・企画・模擬店を行う。
* 合唱コンクール  - 各クラス対抗。学年予選を勝ち抜いたクラスが徳高祭当日の本戦に出場する。
* ぶちかまし討論会 - いわゆるディベート大会。学年に関係なくクラス対抗。
* よろずコンテスト - 各種のミスター・ミスを決めるイベント。

その他[編集]

  • クラスマッチ - 年に2回、夏休みと春休みの直前に行われるスポーツの祭典(3学期制の頃は各学期末に年3回開催)。クラス全員が出場して各種目のスポーツで競い、学年を隔てず優勝を目指す。
  • マラソン大会 - 毎年11月に開催。受験生である3年生を含めて全校生徒が男子12km、女子7kmの山道を走る。

生徒会活動・部活動など[編集]

年間5回行われる定期テストの最終日には習慣的に生徒会が企画するボランティア清掃活動が行われる。

部活動[編集]

部活動では、運動部が14部、文化部が18部あり、各部ともに県内外の大会で優秀な成績を修めている。2005年度山口県高等学校選手権大会(運動部)では、県内の学校別総合成績第2位で、スポーツも盛んである。中でも女子ハンドボール部は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)2度の準優勝に輝いている。硬式野球部も1987年(昭和62年)の第69回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)への出場経験もある。

運動部

  • 陸上競技
  • 登山
  • バレーボール
  • バスケットボール
  • ソフトボール
  • ハンドボール
  • サッカー
  • 卓球
  • ソフトテニス
  • バドミントン
  • 柔道
  • 剣道
  • 弓道
  • 硬式野球(男)


文化部

  • 演劇
  • 放送
  • 文芸
  • 吹奏楽
  • 軽音楽
  • 美術
  • 書道
  • ESS
  • 地歴
  • 化学
  • 生物
  • 被服
  • 家事
  • 茶道
  • 華道
  • JRC
  • 邦楽
  • 棋道(囲碁・将棋より改名)


有志活動[編集]

  • 応援団
  • チアリーダー

交通[編集]

通学生は、電車・バス・自転車・徒歩等、様々な方法で登校できる。

自転車通学は基本的に制限はないが、学校の許可が必要である。しかし、電車に乗って駅から自転車に乗って通学することは事情(部活動等で移動が必要など)がない限り駅の駐輪場のスペースの関係により禁止になっている。

同窓会[編集]

同窓会は、応援歌に由来し「岐山会」という。岐山とは、徳山高校の北側に位置する山の名前である(別名:金剛山-こんごうざん-)。

職域別、地域別にも同窓会が置かれており、山口県内外に多数の人材を輩出している。累計卒業者数は35,600余名(2003年)。

著名な関係者[編集]

卒業生[編集]

政界

法曹界

実業界

学界

文学、芸術

スポーツ

マスコミ

その他

参考文献[編集]

  • 徳原啓『徳高物語』鳳鳴館 1978年

脚注[編集]

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  1. ^ 1946年(昭和21年)4月に旧制中学校に入学した者
  2. ^ 高野辰之 作詞一覧表”. 長野県中野市. 2015年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]